第8話 ダンジョンへ
西のダンジョンは、地表に存在する建物の構造だけで言えば、何の変哲も無いただの石造建築に見える。
半円型のドーム状に広がる外観で、その大きさはちょっとした商家の敷地くらい。ドームの内側はポッカリとした空洞が広がり、その中央部分にポツリと円柱状の柱が建っている。
そこが、ダンジョンの入り口だ。私達はその前に四人ずつ四列になって静かにブロムさんの号令を待っている。ドームの隙間から差し込む西日は、ぼちぼち薄朱色に変わりつつあった。まだ太陽は煌々とした明るさを保ってはいるものの、次第に夕刻が迫ってきている。
「皆の者、準備は良いな?」
整列した一同を振り返り、ブロムさんが厳しい顔付きで最終確認をする。それに答える声は、異口同音だった。
「「「「はい!!!」」」」
「はいぃぃ……!」
幾重にも重なる声に混じって、私の震え声も飛ぶ。列の最後尾にシェーナ、カティアさん、それにデイアンさんと並んで立っている私だが、総員十七名という数の力に守られて尚、初めてのダンジョンという緊張感で発する声音に怯えの色を滲ませてしまっている。ブラウスの上から着込んだチェインメイル(シェーナに用意してもらった)が肌を締め付けて痛いけど、文句を言う気力は無い。この最低限の防具が、私にとっての命綱だ。
「既に話した通りだが、此処で今一度告げる! 此度の【
ブロムさんが、仕事に取り掛かる前の最後の念押しをする。もう一度、私以外は綺麗に揃った『はい!』の合唱が起こる。
「では、参る!」
皆の士気を確かめたブロムさんは満足気にひとつ頷くと、空虚なドーム内に唯一設置されたオブジェである件の円柱に向けて手をかざした。
「開け……!」
語尾にもう一語何か付加出来そうな文句を唱えると、円柱が俄に眩い光を放って地面に魔法陣を展開する。
「わっ……!?」
途端に視界が歪み、意識が吸い込まれそうな感覚がする。光が強くなり、たちどころに目の前の全てが白く染まった。
それも長くはなく、数秒を経た後から次第に薄まっていき、やがて視界がクリアになる。
気付けば、私の目の前に広がっていたのは、ゴツゴツと張り出した黒い岩肌の壁と天井だった。さっきまでのドームとは明らかに違う造りだ。明度も暗い。予め用意していたランタンの灯りがあるお陰で周囲の様子は分かるが、ずっと奥の方は濃い闇が蓄えられている。
「進むぞ! 先程教えていた通りに陣形を組め!」
ブロムさんの指示で、配下の騎士達はキビキビと動いた。前に四人、最後尾に四人、中堅には八人。それぞれの死角を補い合うように纏まりを作る。私達は中堅の八人の中に含まれ、一塊となって動くことになっていた。
「良し、では出発!」
そして、十七人のオーガ討伐隊は行進を開始した。ブロムさんを先頭に、闇が揺蕩う黒い岩肌の道を真っ直ぐ慎重に進んでゆく。
「これが、ダンジョン……!」
初めて足を踏み入れたダンジョン内部の光景に、私は圧倒されていた。特に目を引くものがあるワケでもないけど、異様に重苦しい空気はビシビシと肌に感じる。
「階段とか降りて入っていくものだと思ってた……」
「入退場も転移の魔法陣で行うのよ。ギルド内で貸し出される専用のクリスタルで操作することになっているわ」
「これです」
シェーナの説明を補足するように、デイアンさんが腰帯の小物入れから緑色の光沢を纏うクリスタルを取り出して、私に見せてくれた。守護聖騎士団が持つ【聖なる護り石】とはまた違うクリスタルだ。
「元々ダンジョンってのは、魔族の侵攻から地上を守る目的で造られた防波堤だからね~。階層間だけじゃなく、出入り自体もそれなりの手順が必要になってんのよ」
カティアさんがつまらなそうに言う。
「僕とモードだけで逃げた為、ミレーネはダンジョンから脱出することが出来なくなってしまいました……! 言っても詮無いことだとは分かっていますが、兄として悔やまずにはいられません……!」
クリスタルを握りしめ、デイアンさんが苦渋の表情で後悔の気持ちを吐露する。オーガから逃げるのに必死で気付かなかったとは言え、大事な妹さんを置き去りにしてしまったことは、途方も無い重責となって彼の心を苛んでいるのだろう。
「大丈夫ですよ、デイアンさん。ミレーネさんは、きっと今もお兄さんが助けに戻ってきてくれると信じて待っています。早く行って、安心させてあげましょう!」
「ああ、ありがとうシッスルさん……。こんな僕なんかに、そんな優しい言葉を掛けてくれて……」
デイアンさんは弱々しく、だけどほんの僅かに救われたように笑顔を見せてくれた。私達に親しみを持ってくれたからか、顔付きも最初の頃よりは大分和らいでいる。しかし瞳に浮かぶ憂いの色は、時間の経過と共に濃さを増す一方だ。彼の為にも、一刻も早くミレーネさんを見つけてあげたい。
「まあ、あの駄筋男にしたみたいに、怪我を負っていたら私が治してあげるから。腕がちぎれるような重傷じゃなければ全快も可能だし、呼吸さえしているようなら取り敢えず生命だけは繋げるから安心しなさい」
カティアさんが、言葉だけはつっけんどんに言った。駄筋男ってモードさんのことか。随分な言われようである。
ブロムさん率いる騎士団員も揃い、さあダンジョンへと思った矢先にこの二人も同行を申し出てきた。デイアンさんは今回の失敗を償う為、妹の生命を救う為であるのだが、カティアさんが加入を希望した理由はいまいち良く分からない。モードさんの治療が残っているのではと思ったけど、
『あんだけ叫ぶ元気があるんだから、もう私の治療は要らないでしょ。後は医者の仕事よ。怪我を全部治してもらって、すぐさま現場復帰しようなんて甘い考えは棄てることね』
と、にべもなく辛いセリフを吐いてモードさんの治療を打ち切った。モードさんは鼻白んだ表情を浮かべたが、直前にカティアさんの治療の手を止めさせたのは他ならぬ自分自身だし、師匠に釘を差された直後ということもあってか文句は言わず、渋々といった様子ながらも素直に従った。
「カティアさんも、ありがとう。モードの生命を救ってくれたことも含めて、心から感謝します。聖術による治療代の方も、少し時間は頂いてしまうかと思いますが、必ず工面してお支払いしますので何卒――」
「不要よ。私は生死に関わる重傷人が出た時に備えて冒険者ギルドへの常駐を義務付けられた、いわば治療専門の治癒騎士なんだから。治療費の方は、あんた達が普段納めている税金で賄えるから気にしないで良いわ」
「えっ、そうなんですか?」
耳寄りな情報に、私は思わず飛びついた。カティアさんの言葉通りなら、緊急時に実質無料で治癒の聖術を掛けてもらえるということなのだ。
「税金の項目に【国民共益賦】というものがあるのよ、シッスル。騎士団による治療代はそこに含まれるの。ただし、適用出来るかどうかを決めるのは騎士団側の判断に一任されていて、不適切と判断された場合は治療そのものを断られるけどね」
「一々全部の怪我人を相手にしていたらキリが無いし、医者の立つ瀬も無いからね~。だから治癒騎士は、本当に緊急性のある患者だけしか相手にしないわ。なら払う意味がないじゃないかと、【国民共益賦】について批判する声もちょいちょい上がっているようだけど、あくまで万が一に備えての保険ということを理解してないからそんなことが言えるのよ。だからもしあんたが風邪とか引いたとしても、安易に私を頼ろうとはしないで。素直に医者に掛かること、良いわね?」
シェーナとカティアさんが丁寧に説明してくれる。
「う、うん、分かった!」
これまでは税の納付とかも師匠の手でやってもらってたけど、こうして彼女の元を離れた今、そういうことも自分でちゃんとしなくちゃいけないんだ。がんばろう!
……しかしそうか。今の言葉から考えるに、カティアさんは一行の従軍医師代わりとして同行を願い出たのだろう。とりわけ、ミレーネさんが見つかった時に手際よく怪我を癒せる人が居るというのは、この上なく効率的だ。口ではなんだかんだと言いつつも、彼女はしっかりと心配してくれている。私は、すぐ前を歩くこのちんちくりんの背中が急に頼もしく思えてきた。
「おい、そろそろ静かにしろ。無駄口を叩いていると、いざという時に遅れをとるぞ」
前を歩く騎士さんが、こちらを振り返って眉をひそめる。ごもっともな指摘だったので、私はつい首をすくめた。
「そろそろ最初の【
先頭からブロムさんの警告が飛んできた。
「【室】って?」
また注意されないよう、私は小声でシェーナに尋ねる。
「階層毎にいくつかある、四方の壁を均して整えた空間のことよ。魔物との戦いを想定して用意された設備がそのままになっていると聴いたことがあるわ」
「一層目の最初の部屋なら、確かあちこちに塹壕が掘ってあった場所です」
シェーナに続き、デイアンさんも小声で補足してくれる。ああ、ダンジョン各部にあるという部屋のことか。【
「うっかり下に落ちないよう気をつけないとね。特に黒髪のあんた。魔法の上にあぐらをかいていると、足元がお留守になるわよ」
カティアさんが私を振り返り、意地悪な笑みを浮かべた。
「あ、あぐらなんてかかないよ……! 今だって緊張しているのに……!」
本物の魔物や魔族と対峙した経験は無い。師匠と共に励んだ修行の中で、オーガや黒犬といった魔の存在を知識として吸収してきたのは確かだ。だからこそ、幻術として自分の手で再現だって出来る。姿だけは。
そしてそれらの産物が、実の伴わない虚像――『幻』に過ぎないということも、私自身が一番良く分かっている。
私はこれから、“実像”を知ることになる。その意識が、気負いとなってどうしようもなく背中にのしかかるのだ。
いっそのこそ、早く出てきてくれれば良いのに。その方がずっと気が楽だ。
「着いたぞ、最初の【室】だ!」
心の中でぐるぐると考えているところにまたもブロムさんの声がして、私はドキリと背筋を伸ばした。
眼前に、大きく楕円の形で口を開けている入り口と、その奥に広がる開けた空間。
「隊列を崩さないように、私の後に続け!」
ブロムさんが剣を抜き、前方を指し示した。前衛を受け持つ四人の騎士が、彼に続いて抜剣する。
いよいよだ……! 何事もなく此処を出たいという思いと、こうなったらもう弱い魔物でも良いから出てきてくれという、矛盾した二つの想念を抱えて、私は列に従って室内に足を踏み入れた。
「わっ!? あ、明るくなった……?」
突然、室内に青白い光が灯り、内部を照らした。強い光では無いが、室内全域を薄く見渡せるくらいには明るい光だ。
「壁に埋め込まれた【魔灯石】だよ。各部屋には視界確保用にいくつか設置されてある。暗い中じゃ、魔物に有利過ぎるからな」
シェーナの言う通り、壁の方に目をやると等間隔で壁に埋め込まれた複数の魔灯石が見えた。どれも念入りに研磨され、丸く形を整えられている。石達が発する青白い光を、より効率的に周囲に配ろうという工夫か。
ちなみに魔灯石とは、魔素エネルギーを中に蓄えたことである種の化学反応を起こし、発光するようになった特殊な石のことである。原理としては、クリスタルとほぼ同じらしい。
魔灯石のもたらす灯りによって、私にも室内の構造が分かった。
デイアンさんがさっき説明してくれたように、多数の塹壕が横向きに掘られている。いずれも短い上に深さもそれ程では無さそうだが、その分数が多く位置もバラバラだ。戦術には素人以下の私でも、これでは動きにくいと分かる。魔物を足止めするには良いのかも知れない。……魔物が歩行型であるという前提なら、だけど。
「塹壕に足を取られないよう注意して、進め!」
ブロムさんの指示で、私達は行進を再開し――ようとした。
「む? ――待て!」
直後に、ブロムさんが制止の声を上げる。
ドクン、と心臓が僅かに跳ねた。塹壕のいくつかから、輪郭のはっきりしない靄のような黒いモノが覗いている。
魔物だ――! と、私は直感で理解した。
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