第6話 冒険者ギルド:グランドバーン支部にて

「わわわ! シェーナ! もう少しスピード落としてっ!」


「我慢しなさい! 一刻を争うのよ!」


 非常時権限が保証されているからか、シェーナの声には吹っ切れた感じがあった。


 私は今、シェーナの駆る馬に相乗りする形で街の大通りを飛ぶように疾走していた。騎士団員の為に飼育された大きな軍馬は、二人分の体重を物ともせずに風のような速さで街路を駆ける。一歩蹄が地を叩くごとに尻を襲う衝撃も相当なものだが、それ以上に道行く人を跳ね飛ばさないかと気が気じゃない。


「どいてくれ! 守護聖騎士団シェーナ、務めによりまかり通る!」


 一応、シェーナも周囲に配慮して懸命に声を張り上げているが、慌てて道端に逃げる人々が怯えた目を浮かべるのを視界の隅に捉えて、私はどうしようもなく申し訳ない気持ちになる。


「そんなに焦らなくても大丈夫だよ! もう少し余裕を持とう! ね!?」


「ダメよ! これ以上何かあってからじゃ遅いわ! 万が一にも、街が襲われるなんてことになったら悔やんでも悔やみきれないのよ!」


 取り付く島も無い。私はそれ以上シェーナを諌める言葉を持たず、覚悟を決めてただ馬に身を任せるしかなかった。


 昨夜のスリの件と今回のオーガ出現に因果関係があると証明されたワケじゃないけど、私の幻術が切っ掛けになってダンジョンに潜る冒険者が出てきたことは事実だ。私にも、責任の一端はある。


 幻術しか使えない私がどれだけ役に立つかは分からない。けれど、行動の結果から逃げたくは無かった。師匠の教えがあるからだろうか、その思いは強迫観念にも近い感覚となって、私の心の奥を揺さぶり続けていた。


 冒険者ギルド本部は、大教会からそれ程遠くない地区に存在している。数多の冒険者達を纏め上げる元締めで、【依頼】や【任務】に関する全ての情報が集約される場所だ。


 しかし今回の報せは本部からではなく、グランドバーン地区に設けられた支部から直接騎士団にもたらされた。各支部に常駐している騎士団員が、ギルド側に断った上で本部を経由せずに情報を届けに来たのだ。


 それくらい、【魔族】というのは危険視されていた。オーガが現れた今、守護聖騎士団はギルドの意向を越えて動くことが許される。


 シェーナの走らせる馬は幸いにも事故を起こすことなく、無事にグランドバーン地区のギルド支部へと到着した。


「失礼! 守護聖騎士団第二隊のシェーナ・クイだ! 下命により参上した!!」


 大声で名乗りを上げながら駆け込んできたシェーナに、ギルド中の注目が集まる。数多居る冒険者達からざわめきが上がる。


「お、お待ちしておりました! こちらへどうぞ!」


 眼鏡を掛けた、私達とそう歳の離れていないと思われる若い女性の職員がパタパタと小走りにやってきて、受付の奥へと案内する。


 私とシェーナは黙ってその後をついて行き、医務室という表札が掲げられた部屋に入った。


「あーいてて……! クソッ、もう少し丁寧にやれって言ってるだろ!?」


「うるさいわね。痛いのは傷が治っていってる証拠よ、贅沢言わずに我慢しなさいな」


 粗野な声と、それを嗜める切れ味の良い声が私達を出迎えた。


 寝台の上で諸肌脱ぎになって腰掛けている戦士風の大柄な男と、それに手をかざしている小柄な女の子がひとり。シェーナと同じ青地のサーコートに、清潔感溢れる白いマントを羽織っている。彼女もまた、守護聖騎士団の一員のようだ。


 その二人に加え、少し離れて壁に背中を預けながら二人の様子を見守っているもうひとり。計三人が、医務室の中に居た。


 大柄な男の全身は傷だらけであり、傍には血膿を拭き取った布巾が大量に桶の中に入れられて、ちょっとした小山を築いている。それだけを見ると、男の生命は今や風前の灯かと思っただろう。


 しかしながら、女の子が手をかざしている辺りに生じた白い光球のようなものが、竜巻が通過した跡地のような大小の傷を少しずつ塞いで、治していっているようだ。裂かれた肌が元に戻る度に、大柄な男が痛そうにうめき声を上げて憎々しげに目の前の女の子を睨む。


「ケッ! 流石は守護聖騎士サマだな! 回復魔法が使えるからって良い気になりやがってよ!」


「これは魔法なんかじゃないわ、聖術よ。神々の御慈悲に精々感謝することね」


 治療を受けつつも憎まれ口を叩く男――恐らくは彼がモードという冒険者なのだろう――と、眉ひとつ動かさずに彼の怪我を癒やす勝ち気な女の子の騎士。よく見ると、彼女の手にはシェーナも持っていたクリスタルが握られている。聖術の力の触媒たる、【聖なる護り石】だ。あれでモードさんの怪我を治しているのか。


「すごい、初めて見た……!」


 実際に目の当たりにする聖術の効力に、私は目を輝かせて感嘆の声を上げる。傷を癒やす力、それは魔法では実現し得ないものだ。


「ゴホンッ! 取り込み中のところ失礼する。《鈴の矢》のリーダー殿は居られるか?」


 シェーナが来訪の意を告げると、部屋の中に居た三人が一斉にこちらを見た。眼鏡の受付嬢が、簡単に私達の紹介をして去ってゆく。


「これはこれは、来て頂き恐縮です」


 壁に背を預けていた男が、シェーナに向き直って恭しく一礼する。簡素な革鎧で上下を覆った軽装の男だ。私達よりはいくらか年上らしいが、やはり彼もまた若い。


「お初にお目にかかります。僕が《鈴の矢》のリーダー、デイアンと申す者です。以後、お見知りおきを」


 如才なく、にこやかに対応してくれるデイアンさんだが、声にも目にも何処か力が無い。


「前置きは結構。デイアン殿、事の経緯を説明願いたい」


「あぁ!? 伝令から聴いてないのかよ!? 何度同じことを言わせる気だ!?」


「落ち着けモード。お前はまず、怪我を治してもらうことだけを考えろ」


 いきり立つモードさんを、デイアンさんが穏やかに制した。いや、穏やかにというよりは、無感情に、と言ったほうが正確かもしれない。


「仲間が失礼しました。では改めて事のあらましをお伝えしますので、どうか良くお聴き下さい」


「すまないな。これも行き違いを防ぐためだ」


 デイアンさんは頷いて、今朝ギルドを訪れた時から順を追って説明を始めた。


「昨夜のことです。城外のフォグバーン通りの辺りが騒がしいと思ってフラっと立ち寄ってみたら、なんでも【黒犬ブラック・ドッグ】が出没したらしいという噂が広まっていたんです。これはもしかするとダンジョンへの入場が許可されるかも知れないと思い、拠点に帰って仮眠をとった後、モードやミレーネと連れたって今朝一番に此処を訪れました」


 ダンジョンは普段、教国法によって人々の出入りが制限されている。元々は魔界から地上を守る為に地下に設けた防衛施設だったそうだが、いつしかあちこちに魔物が跋扈する危険な領域になってしまい、国の手で管理することが困難になった為に放棄されてしまったらしい。今では魔族や魔物が地上を目指す際の順路と目されて禁域に指定され、【任務ミッション】が発生する等のイレギュラー以外では滅多に解放されないと言われている。


「案の定、ダンジョンに赴いて【黒犬】出現の正否確認と、事実なら討伐――といった内容の【任務】が張り出されていましたので、即決で受注しました。【依頼クエスト】と比べて、【任務】は文字通り桁違いに報酬が良いですからね。これで一攫千金も夢ではないと、三人で勇み立ったのです。ところが……」


 デイアンさんは、元々優れなかった顔色を更に悪くして溜息を吐いた。


「一層目の探索が順調にいって図に乗ってしまったのでしょう、僕達はつい二層目にまで足を踏み入れてしまいました。【任務】の依頼書には、“一層目までで標的を発見出来ずば引き返すべし。最奥の魔法陣には触れるべからず”としっかり書いてありましたのに……」


「最奥の魔法陣?」


 気になる単語が出てきて、私はつい口を挟んだ。ダンジョンの内部構造については、私も知らないことが多い。


「ダンジョンの階層と階層を繋ぐ転移装置よ。魔法の力で造られていて、これを経由しないと各階層間を移動出来ないの。元は魔族を地上に出さないための防御装置のひとつだったのよ」


 シェーナが簡潔に説明してくれた。


「そうなんだ。でも、そんな便利なものがあるなら、魔族はダンジョンから出てこられないんじゃ……?」


「あんた、見たところ魔術士のようだけど何も知らないのね」


 呆れたような声が、私の言葉尻をすり潰す。あの女の子の騎士が、モードさんの治療の手を止めずに私を見ていた。こじんまりと整った顔に、赤いショートボブの髪。何となくだが、猫みたいな印象を受ける女の子だ。


「確かに、理論上はそうなってるわ。ところが今じゃ、一番地上に近い一層目でさえちょくちょく魔物の存在が確認されるのよ。うざったらしく湧いてくる魔素エネルギーの影響だかなんだかでね。転移の魔法陣だって、正常に機能しているのか怪しいものだわ。魔術士に頼って造られたモノなんて、元々そんなに信用はおけないけどね」


 女の子の騎士が、フン! といやらしげに鼻を鳴らして顔をモードさんの方へと戻す。最後に見せた、蔑むような流し目もしっかり私を捉えていた。そんな人に馴れない態度も、ますます猫みたいだ。


「カティア、それくらいにして。……話が逸れたわ。続けて、デイアン殿」


 シェーナが彼女を窘めて、デイアンさんに続きを促す。なるほど、あの子の名前はカティアっていうのか。同じ騎士団員だけあって、シェーナとも顔見知りらしい。


「では続けます。……二層目に入ってからも、しばらくは順調に探索を続けました。出てくる魔物も、コウモリやネズミと言った小型の生き物をモデルにしたものが多かったので特に苦戦することなく各部屋を攻略していきました。ところが八部屋目に至った時、急にダンジョンの雰囲気が変わったのです」


 八部屋目、と聴いて私は身構えた。オーガが出た場所だ。


「変わった、とは?」


「まず、部屋の広さです。それまでは四方壁に囲まれた箱のような形の部屋だったのが、突然開けて広大な空間が広がっていました。壁の造りはそれまでと変わらず直線上に均した石壁だったのですが、その長さが果てしない。正確に測った訳ではありませんが、部屋の端から端まで相当の長さがありましたよ。それから天井も。持っていたランタンの灯りでは、天井の床まで照らせない程に高くなっていました」


「……それで?」


「しばらく三人で手分けして部屋の中を調べていました。そうしていたら急に、部屋の中が光ったのです」


「光った? 何処が、どんな風にだ?」


「部屋の中央付近でしょうか。何の前触れもなく、いきなりでした。闇ばかり広がっていた空間に光が走ったのです。それは鈍く、何度も瞬いて、なんというかそう……波に揺れているような……。そしてそこから――」


 そこでデイアンさんは言葉を止め、身震いした。顔からはすっかり血の気が引いている。


 それにしても、波に揺れたような光って何だろう? 彼の説明は、今ひとつ要領を得ない。


「……オーガが出現したのだな?」


 後を引き取ったシェーナの言葉に、デイアンさんは小刻みに何度も頷いた。


「初めて見ましたよ、はは……。話に聴いていた通り、本当に恐ろしい風貌でしたねぇ……。見た目だけじゃなく、強さも……。僕の短剣も、ミレーネの弓も、モードの戦斧もまるで意に介さず、圧倒的な力で私達に襲いかかってきました……。僕達は、脇目も振らず逃げるだけで精一杯で……。ところが、やっとの思いでダンジョンから脱出したと思ったら、ミレーネは居ない上にモードは傷だらけで、ああ……!」


 話している内にその時の絶望感が蘇ってきたのだろう、デイアンさんは両手で顔を覆って声を途切れさせた。


「こ、これが……僕に話せる全て、です……! 騎士さん、どうか妹を……!」


「よく話してくれた。後は私達に任せてくれ」


 シェーナが、デイアンさんを慰めるようにぽんとその肩を叩いた。冒険者にしては珍しく物腰の柔らかい感じの相手だからか、シェーナもいつも冒険者に対して見せるような嫌悪感を露わにしていない。


 肝心のオーガがどんな戦い方をしたのか、そこのところも分からなかったけれど、これ以上深堀りするのは酷というものかも知れない。


 となれば、いよいよ行動に移す時か?


「シェーナ、これからどうするの? すぐにダンジョンに行く?」


「まだよシッスル。後の十二名が揃ってからじゃないと動けないわ」


「あ、そっか。今動けるだけの人数を集めているんだったね」


 うっかり先走りかけたが、確かにシェーナの言う通りだ。今、このグランドバーン支部に集まったのは私達だけ。それでダンジョンに臨めば、《鈴の矢》の二の舞になる恐れがある。何せ敵はあの【アンダー・ピープル】。幻術ではなく、本物が相手なのだ。軽はずみな行動は厳禁だ。


「大勢で群れなきゃダンジョンにも潜れねえってか? 守護聖騎士ってのは腰抜けの集まりかよ、ケッ!」


 だがそんな私達の判断が気に入らないのか、それまで黙っていたモードさんが再び悪態をついた。


「ちょっとあんた、まだ治療は終わってないんだから大人しく――」


「うるせえよ!」


 窘めようとしたカティアさんをも一喝して、モードさんは鋭くシェーナを指差した。


「大体がだ! 女が騎士だっつーのがおかしいんだよ! テメェ、戦えんのかよ!? 乳臭え女のガキの、しかも“エルフ”風情がよぉ!?」


「あっ――!?」


 まずい! シェーナに面と向かって“エルフ”と言っては……!


「私をエルフと呼ぶな!! 私は【リョス・ヒュム】だ!!」


 案の定、逆鱗を思い切り突き刺されたシェーナは、怒髪天を衝く勢いで叫んだ。

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