第5話 魔族の出現

 荘厳な中央神殿の一室を、俄に緊張感が満たした。


 冒険者ギルド。それは、教国の政治方針の一環でアヌルーンの街中に設けられた、【冒険者】と呼ばれる人達を統括する役所だ。主な仕事は、街の人々からの陳情を受けて制作された【依頼クエスト】の発注と斡旋。それと、首都の内外に計3つある【ダンジョン】の監視及び情報収集。それから、魔素エネルギーの影響で生まれた【魔物】を退治する【任務ミッション】に纏わる事務処理である。


 そこから飛んできた火急の報告となると、ダンジョンで何かあったか強い魔物の存在が確認されたか。いずれにせよ、かなりの危険が伴う内容には違いない。私は固唾を呑んで成り行きを見守った。


「入れ」


 ブロム団長さんが入室を許可すると、年若い騎士の人がかなり慌てた様子で部屋に駆け込んできた。


「何があった?」


 ブロムさんが促すと、鼻にニキビのあるその騎士は、ハァハァと肩で息をしながら余裕の無い表情で事の次第を告げる。


「も、申し上げます! 先程、西のダンジョンに赴いていた冒険者パーティ《鈴の矢》がギルドのグランドバーン支部に帰還してきましたが、メンバーのひとりが重傷を負い、別のひとりがダンジョンに取り残されたまま行方不明となっているとのことでございます!」


 あっ、と私は内心で声を上げた。西のダンジョンと言えば、昨夜スリを捕まえた現場から遠くない。まさか昨夜の内に、あのダンジョンに潜っていた冒険者達が居たのだろうか。


「黎明にギルドを訪れて、【任務】を受けたパーティですな。確か三人で構成された小さなパーティだったと記憶しておりますが……」


「うん、合ってるよ。ということは、無事だったのはひとりだけってことだね」


 ブロムさんとウィンガートさんが、お互い顔を見合わせて情報を整理する。


「彼らは何と言っている? 西のダンジョンで彼らの身に何が起きたのだ?」


 ブロムさんの顔は、すっかり騎士団長としての威厳を備えたものに変わっていた。先程までの柔らかさが嘘のように消え、厳しさと頼もしさを感じさせる面持ちである。


「それが……!」


 ごくり、と。ニキビの若騎士は一度唾を飲み込んだ。大きく息を吸い、震える唇を開く。


「【捷疾鬼オーガ】が現れたと、申しております……!」


「ええっ!?」


 私は一瞬、心臓を鷲掴みにされたかと思うほどに仰天した。まさか昨夜の幻術を見られていたわけでもないだろうけど、昨日の今日で、しかも現場から遠くない西のダンジョンで本物のオーガが目撃されたなんて、なんだか因縁めいたものを感じてしまう。


「オーガ、か……。見間違いじゃないとすると、本当に【魔族】がダンジョン内に現れたことになるね」


 オーガを含めた地底に棲まう人ならぬ異形、【アンダー・ピープル】達は、一般的には【魔族】とも呼ばれる。地底にあるとされる【魔界】の住人ということで、分かりやすい呼び名を与えられているのだ。


「それが真なら一大事です! 冒険者達に任せられる案件ではございません! すぐにも守護聖騎士団の出動が必要ではないかと私は考えます!」


 全身に緊張を漲らせたシェーナが、声を張り上げてウィンガートさんに向かって進言する。


「出すぎるなシェーナ。まだこやつの報告は途中であるぞ」


「はっ……! 申し訳ございません……」


 先走ろうとするシェーナを、ブロムさんが窘めた。


「オーガについてだが、具体的にはどの階層のどの部屋だ? 数は? 目撃した者の氏名は? 重傷を負った者の氏名と、行方不明になっておる者の氏名も答えよ」


 ニキビの若騎士に向かって、ブロムさんは次々と質問を浴びせる。


「ええと……ええと……!」


 一度に訊かれて整理が追いつかないのか、ニキビの若騎士は視線を下に彷徨わせながら懸命に情報を言葉にしようとしている。


「落ち着いて。ひとつずつ、ゆっくり教えてくれれば良い」


 狼狽する若手に向かって、ウィンガートさんが穏やかに声を掛ける。それで少しは気持ちが落ち着いたのか、ニキビの若騎士は一度大きく深呼吸をすると、ぽつぽつと続きを話し始めた。


「オーガが目撃されたのは、第二階層の八部屋目とのことです。数は一体だけで、目撃したのは《鈴の矢》のリーダーでデイアンという男でした。まともに受け答えが出来るのは、彼だけでしたので……」


「ふむ。して、重傷者は?」


「前衛を担うモードという男です。全身がズタズタに切り裂かれていて、息も絶え絶えで……!」


 凄惨な光景を思い出したのか、ニキビの若騎士は顔を青くして身震いする。私の脳裏にも、全身血だらけで横たわる人間の姿が想起されて背筋が寒くなった。


「ゆ、行方不明になったのは、パーティの紅一点でデイアンの妹のミレーネという女性です! オーガから必死に逃げる途中、気がついたら姿が見えなくなっていたらしく……!」


「デイアンとモードは今どうしている? ギルドに留まっているのか?」


「は、はい! それはもう! ギルド内に駐留していた他の団員が、今もギルドでモードの治療を行っています! デイアンも付き添っている筈です!」


「他にダンジョンに入っていた冒険者は?」


「《鈴の矢》に続いて、二組。いずれも《鈴の矢》より先に探索を終え、ギルドに帰着の届け出をしております。そちらには、さしたる怪我人も出ていないようです」


「よし分かった、十分だ。ご苦労だったな、下がって良い」


 ブロムさんが報告を切り上げさせるとニキビの若騎士はホッとした表情を浮かべ、不器用な所作で一礼して部屋を去っていった。


「さてどうしようか。本当にオーガだとするならこのまま放置は出来ないね。勇み立つ他の冒険者達に委ねる、という手もあるけど」


「魔素の影響で生まれた魔物ならともかく、相手が魔族であるなら騎士団が出張るのが筋でありましょう。先程のシェーナの言葉を借りるようですが、とても冒険者共に任せておける案件ではございますまい」


「建前上はそうだね。けど、守護聖騎士団って今出動出来る状態かい?」


「…………」


 痛いところを衝かれたと言いたげに、ブロムさんが眉間にシワを寄せた。


「……第一隊と第三隊は現在、東のワーベイン平原において合同訓練を行っております。緊急招集を掛ければ呼び戻せますが、時は掛かりますな」


「そして第二隊はその多くが非番の日、と。呼べば訓練組より早く集まるだろうけど、せっかくの休暇を潰しちゃうのは忍びないんだよねぇ~。魔術士付きの子も多いし、そっちは魔術士の意向も考慮に入れなくちゃならないからね」


「今すぐ出動可能なのは僅かに十二名。オーガ単体であれば太刀打ちも出来得るものかと思いますが、そう都合良くはいかないでしょうな」


「魔族は大抵魔物を率いるものだからね。配下達と一緒にダンジョンを闊歩してたんじゃ、十二名でも危ういよ。それに、そもそも出現した魔族がオーガ一体だけとも限らないし。複数の魔族が同時発生している可能性も考慮しないとね」


「あ、あの! どうして動ける団員の方がそんなに少ないんですか? 街の外で合同訓練に行く予定の部隊があるなら、残っている部隊で守りを固めるのが普通なんじゃ……?」


 疑問が募ってつい口に出してしまったが、ブロムさんもウィンガートさんも怒ったりはせず、苦笑いを浮かべて私を見た。


「いつもはそうなんだけどね。ここ最近、魔族なんて現れなかったからさ。街の警備なら衛兵隊の人達で十分だし、油断してたと言ってしまえばそれまでなんだけど、連年通して部下達に不断の緊張を強いるというのも、これで中々神経に来るものなんだ」


 参ったなあ、と言いたげに右手の人差し指と中指で額を掻きつつ、ウィンガートさんが弁明する。


「けどまあ、これも結局言い訳だよね。昨夜の報告を受けた段階で、たとえ団員の顰蹙を買ったとしても今日の予定を改めておくべきだったかな~」


「団長! 総長! 自分も討伐に参加して宜しいでしょうか!?」


 と、しばらく口出しするのを自重していたシェーナが、我慢の限界とばかりに再び声を上げた。


「自分は本来、シッスルの護衛という任を頂いておりますが、魔族が出たと聴いてただ拱手傍観してはいられません! 何卒、討伐隊にお加え下さい!」


「こらこらシェーナ。出すぎるなってさっきブロムに叱られたばかりじゃないか。少し落ち着きなさい」


 今度はウィンガートさんがシェーナを制止すると、そのままふいっと私に視線を移した。


「シッスルくん。魔術士付きとなった団員は、常に魔術士と行動を共にしないといけない規則なんだ。他の団員と違ってね、僕達の一存であーしろこーしろって命令は出来ない。守護聖騎士団は魔術士を管理する立場ではあっても、その指揮権までは与えられていない。いくら国家の監視対象とはいえ、君達自身の意思や都合まで蔑ろにすることは倫理上許されないからね」


「じゃあ、シェーナは……?」


「彼女を加えるかどうかは、魔術士である君の意向次第になる。彼女もれっきとした騎士団の一員だし、訓練や試験で優秀な成績を修めた将来有望な若手だから、叶うならこのまま出動隊に加わってほしいところではあるね」


 ウィンガートさんは一瞬だけ瞳に意味深な色を灯して、すぐに微笑んだ。


「けどまあ、まだオーガがダンジョンから外に出てきたワケでも無し。わざわざシェーナまで駆り出すことも無いかもね。今日はシッスルくんの晴れ姿を祝う日なんだし、二人でささやかながらの休暇を過ごしたって誰も責めやしないさ」


「…………」


 優しい口調のままなんだけど、何だろう。すごく、圧を感じる笑顔だ……。


「シッスル!」


 シェーナが、目を据えて私を見る。


「さっきの誓い、忘れたワケじゃないでしょう?」


 シェーナが何を言いたいかは分かる。私は今日、教国に仕える魔術士としての誓いを立てたのだ。国家に身分を保証してもらう代わりに、おおやけの為に奉仕すると。


「忘れてないよ。けどシェーナ、相手は魔族だよ? 魔物よりもずっと危ない相手だって分かってる?」


「当たり前よ! 私自身、実際に魔族と相対した経験が無いことも理解してる! それでも放っておくワケにはいかないの! こういう時の為の守護聖騎士団で、私はその一員なのだから!」


 淀むことなく、はっきりと言い切るシェーナ。声にも、顔にも、迷いは一切見当たらない。一欠片の怯えさえも。


 私は、シェーナのこういうところが偉い、と改めて思った。彼女はしっかりした自分の考えを持ち、信念に基づいて行動出来る人だ。師匠からの独り立ちを不安視して人生の計画が練れていない私とは違う。


 見習うべきだ。いい加減、私も甘えた心を脱すべきだ。シェーナのパートナーとして、これから共に歩んでいけるように。彼女の隣に居ても、恥ずかしくないように。


「決めました! ウィンガートさん、私“達”もオーガ討伐に参加させて下さい!」


「――! シッスル!」


 シェーナの顔が、満開の向日葵のように晴れ渡った。


「本当に良いんだね? 無論、こちらとしては魔術士が居てくれるのは頼もしい限りなんだけど」


 と、一応の念押しを忘れないウィンガートさん。


「大丈夫です! 私にどれだけのお力添えが出来るかは分かりませんけど、自分なりに精一杯がんばります!」


「そうかい? ありがとう、助かるよ」


 本気で助かったと言いたげに、ウィンガートさんは肩から力を抜いて安堵の息を吐いた。


「いや~、これでただ討伐するだけじゃなく、オーガ出現の原因まで一気にさぐれそうだね。昨夜のスリが供述していたことも含めて、真相究明が捗りそうだ」


「……えっ?」


 ――スリ? ってそれ、もしかしなくても昨夜私が捕まえた……。


「老婆の財布をスリ盗ったこと以外は支離滅裂な供述をしてるって衛兵の調書にあったけど、魔物の一種である【黒犬ブラック・ドッグ】を見たって証言は聞き捨てならなかったからね。現場も西のダンジョンから遠くなかったし、何か関係してるのかと思って冒険者ギルドに【任務】として扱うよう要請しておいたけど、それがまさかこんなことに発展するとは思ってなかったよ」


「…………」


 額に、冷や汗が伝うのが自分でも分かった。


「けど、シッスルくんが加わってくれるのなら安心だ! 魔族も魔物も、君達魔術士と同じ魔素エネルギーを力の源にしているから、魔術士は彼らの追跡が容易だって聴いているよ。期待しているから頑張ってくれたまえ」


「はは、ははは……。お任せ下さい」


 ――『行動した結果、あるいは何もしなかった結果を、責任を持って受け入れなさい』。


 ……師匠。私は早速、自分のやったことの責任を取らなくてはいけないようです……。


 乾いた笑い声で精一杯取り繕いながら、私は師匠から受けた最後の訓戒をこれでもかと胸に噛み締めていた。

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