第26話「アマミヤ」
それは、修学旅行のバス席決めをした日のこと。
「じゃあキミ――えっと、そう、
「さんせーい」
「いいんじゃね? あの二人、たぶん仲いいっしょ」
「ねーねー、一番後ろの席は私たちで固めようよ。雨宮さんは窓側が良い? それとも真ん中?」
「えー、私たちも雨宮さんと一緒に座りたいー!」
――誰が隣に座るとか、どうでもいい。
誰が座ったって変わらない。誰でも、このクラスの人間は自分が望む言葉を言ってくれる。そうなるようにしてきた。
ああ、男子だと面倒だから女子が良いけれど、その辺りはトモダチが調整してくれるから問題ないはず。
「――、」
ちらりと、視線を動かす。
窓際の後ろから二番目の席に座る、黒髪黒目の男子。自分の意見も聞かず勝手に席を決められたことに愕然としている――そんな様子を予想していたが、しかしその男子、刈谷
……いや、ちょっとむすっとしたような表情だ。不満は大いにあるが、言っても仕方ないから黙っている、といった感じ。
このクラスではよくあることだ。剣崎の意見によって不利を引き受けることになった人間が、しかし彼やその周囲に逆らえないから意見を飲み込んでしまう。
――もし雨宮千夏が善意で行動する人間だったら、ここで声を上げるだろう。それによって結果的に状況が変わっても変わらなくても、被害者は納得する。「雨宮千夏が自分を見てくれた」という事実に、満足してしまう。
そういう風になっている。
そうなるようにしてきた。
「……馬鹿みたい」
◆ ◆ ◆
放課後。
トモダチの誘いを断って、雨宮千夏は刈谷悠斗の後を追いかけていた。
こっそりと、見つからないように。
かっこよく言うなら尾行である。雨宮千夏は目立つ容姿なのでこういったことには向いていないのだが、昔からの慣れで他人よりは少しばかり上手にできる自信があった。
悠斗が本屋に入ったのに続いて入店する。彼が向かったのは情報誌のコーナー。……ちょっと意外だと思ったのは内緒である。漫画かラノベのコーナーに向かうと思っていた。
見やすく並べられた雑誌の表紙をさらっと見回し、悠斗が手に取ったのはゲーム情報誌だった。
「……なるほど」
「うぉ!?」
ぼそっと呟いただけだったのだが、悠斗には聞こえてしまったようだ。当然か、今このコーナーには雨宮千夏と悠斗の二人しかおらず、しかも雨宮千夏は彼のすぐ後ろに立っていたのだから。
「あ、雨宮さん……?」
「どうもこんにちは」
にっこり微笑んでやると、彼は雑誌を持ったまま距離を取った。彼の顔は引き攣っている。……ちょっとだけ傷ついた。
「な、なんでこんなところに……?」
「わたしだって本屋くらい行くわよ」
「そりゃそうか……いや待て、なんで俺の背後に?」
「あんたを尾行してたからよ」
「び……は? なんで?」
頭上にはてなマークをいくつも浮かべる悠斗を横目に、自分も彼が持つものと同じ雑誌を手にする。表紙、裏表紙と見て、一言。
「ゲーム好きなの?」
「え……あ、ああ。人並みには……」
「休日にネトゲを十時間以上もやってる人間は人並みとは思えないけど」
「え」
悠斗の表情からは「なんで知っているんだ?」という驚愕が読み取れたが、それに対しては何も答えなかった。
代わりに、
「他に買いたいのある?」
「いや……今日はこれだけだ」
「そう。じゃ、会計しに行こっか」
「え」
今度の「え」は「なんでお前と一緒に会計に行くんだよ?」だろうか。
そんな予想をしていると、悠斗は訝しげな表情をして言った。
「……雨宮さんも、それ買うのか?」
「え?」
彼が指さしたのは、雨宮千夏が持つゲーム雑誌。
「……わたしがゲーム雑誌買っちゃ駄目なの?」
「駄目じゃないけど……意外というか」
「そう。まあ、確かにわたしが読むわけじゃないけど」
「じゃあ何で買うんだよ」と半眼になる悠斗に、しかし雨宮千夏は答えず会計に向かった。慌てて追いかけてくる彼と列に並ぶ。
「あ、そうだ。このお店のポイントカード持ってる?」
「いや、持ってないけど」
「勿体ないわね。なら纏めて会計しましょ」
「は? なんで」
「わたしがポイント欲しいから」
さらりと言ってのけると、悠斗からじとっとした視線が飛んでくる。が、反論はなかったので悠斗の手から雑誌を奪い、自分の分と纏めて会計した。
「あ、お金は払ってね」
「……そりゃあもちろん払うけど」
なんだか釈然としないものを感じているようで悠斗は眉をひそめている。
会計を終え、それぞれに自分の分の雑誌を持ちながら外に出る。途端、冷たい秋風が肌を撫でた。
「ん……寒くなってきたわね」
「そうだな……」
なんとはなしの呟きに反応してくれることに少しだけくすぐったいものを感じながら、雨宮千夏は歩き出す。悠斗もそれに続き、隣――ではなく一歩後ろを歩く。
「……隣に来ないの?」
「あ、はい、すみません」
「なんで謝るのよ」
おかしくなって、クスリと笑いを零す。そんな様子に悠斗は胡乱げな視線を向けてきた。
「もうどこにも寄らずに帰るのかしら?」
「ああ。目的のものは買えたからな」
「そう。じゃあ、駅までは一緒ね」
「そうか…………、ん? なんで俺が電車通学だって知ってんだよ?」
「わたしも電車通学だから」
「……答えになってなくね?」
首を捻ったが、雨宮千夏が何も言わないでいると、やがて悠斗は諦めた。
しばらくの間、二人の間に静寂が流れる。
高校生の男女が並んで歩いているのに、そこに甘酸っぱい雰囲気はない。そもそも雨宮千夏にそういう雰囲気を作る気がないせいでもあるが。たぶん悠斗にもそういう気はないだろうし。
本屋から駅まで半分ほど歩いたところで、雨宮千夏は口を開く。
「良かったの? あんな決め方されて」
唐突な言葉に悠斗は目を白黒させた。
「バスの席のこと」
「ああ……」
言われて理解した悠斗は、溜息交じりに答える。
「嫌に決まってるだろ。でもまあ、隣になりたかったやつがいるわけでもない。大人しくスマホでも弄ってるよ」
「ふぅん」
――やっぱり彼も我慢しちゃうんだ。
雨宮千夏は視線を前に向けたまま、なんてことないように言う。
「明日にでもわたしが口を出せば、変えられると思うけど?」
「……変えてどうすんだ。そもそもどう変えるつもりだよ?」
「あんたをわたしの隣にするとか」
「やめろ」
なるべく冗談に聞こえるように気楽な調子で言ったのだが、返事をする悠斗の声は低く、えらく真剣なものだった。本気で嫌みたいだ。……ちょっとだけ傷ついた。
「マジでやめろ。俺がクラス全員からリンチに遭う」
「そう? わたしがどうしてもってお願いすれば、酷いことにはならないと思うわよ」
雨宮千夏の言葉であれば、きっとクラスの皆は納得する。そういう雰囲気だし、そうなるようにしてきたのだから。
「……そんなこと、雨宮さんがする必要ないだろ」
悠斗に視線を向けると、彼は前を向いたまま遠くを見ているようだった。
その横顔に少しだけ面白くないものを感じて、つい言葉に刺々しさを乗せてしまう。
「ねえ、苗字で呼ぶのやめてくれない? あんたにそう呼ばれると、ちょっと、いらつく」
「はあ? 無理。俺なんかが雨宮さんを名前で呼び出したら、それこそ明日から学校に来られなくなるわ」
「ふぅん。あんた、わたしのお願い聞けないんだ」
不満ですとばかりに唇をすぼめてみせたが、悠斗はこちらに視線を向けてくれないので効果が薄い。残念。
「冗談よ。……ごめん、面倒くさい絡み方だった」
「いや……」
悠斗は続けて何かを言いかけたが、結局言葉にはしなかった。
「ま、本当に下の名前で呼んできたら、それはそれで殴ったかもしれないけど」
「理不尽!?」
「それも冗談」
にやりと口の端を上げてみせれば、悠斗は頭痛でも抑えるように額に手を当てた。
「…………テンション上がりまくっておかしくなってなけりゃ、女子を下の名前で呼ぶなんてことできねえよ」
「ホントに?」
「シャイな一般男子高校生なんてそんなもんだよ」
「シャイとか言う割には、わたしと普通に話せてるじゃん」
雨宮千夏と一緒に下校しながら普通に会話できる男子は、今のクラスの状況から考えたらかなりレアなのだ。そういう風になってしまったし、そうなるようにしてきた。
自称シャイな一般男子高校生である悠斗は、わずかに顔を歪めながら、
「……まあ多少は話せるさ。クラスメイトなんだし」
「クラスメイトだからこそ難しい感じになってるんだけどね」
「そうか?」
イマイチ納得していないようだが、それ以上は拘泥しなかった。
代わりに、今更ながらこんなことを訊いてきた。
「……というか、俺と一緒に歩いてて良いのか?」
「誰かに見られたら不味いのはあんたの方なんじゃない?」
「それはそうだけど。……雨宮さんだって、嫌なんじゃないのか? 変な噂とかされたら」
「そうね――」
別に、誰とどういう噂をされたって、雨宮千夏はどうとも思わない。事実でなければいずれ風化するし、もし噂の相手になってしまった人間が勘違いしてもきっちりフッてやればそれで解決する。
ただ、それで噂の相手がなにかしら被害を受けるのは、ちょっとだけ、心が痛む。
「ま、仮に誰かに見られていたとしても、偶然一緒だったって言えば大丈夫でしょ。わたしたちが電車通学なのは事実なんだし」
「そうかぁ?」
悠斗は納得していない様子だったが、面倒だったので説得などもせず放置する。
駅に近づき、周囲に見慣れた学生服が多くなってくる。さすがにこれ以上悠斗と並んでいると、後が色々と面倒だ。
悠斗の一歩前に出て、彼に向き直る。彼は訝しげな視線をこちらに向けてきたが、雨宮千夏は構わず口を開く。
「ねえ、今でもネットゲームは続けてるの?」
「え?」
悠斗はますます不信感を強めた視線を向けてくるが、雨宮千夏は曖昧に微笑んだ。
ややあって、悠斗は口を開く。
「……昔からやってるネトゲは一つだけど、続けてるよ」
「やめようと思ったことはないの?」
「…………あるけど」
それでもやめなかったのはなんで? ――その質問だけは、雨宮千夏にはできなかった。
代わりに、もっと残酷なことを口にする。
「――待ち人は、もういないわよ」
この言葉に、悠斗がどんな反応をしたのか――雨宮千夏は知らない。
見たくなくて、すぐに背中を向けて走り出したから。
――でも、きっと。彼はこの日のことを忘れているのだろう。
だって、もし覚えていたら、彼は雨宮千夏を質問攻めにしていたはずだ。
そうでなければおかしい。
それが、雨宮千夏の知っている刈谷悠斗のはずだから。
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