第1話 鳴瀬紅葉は引きこもる
「では春原、これを頼むな」
「はい」
職員室。初老の担任教師から、大きめの茶封筒を受け取った。
「えっと……これを、鳴瀬さん……に届ければいいんですね」
その茶封筒には、明朝体で鳴瀬紅葉様という宛名と住所と記載されている。
「すまない。以前は別の友人に届けてもらっていたのだが、その生徒がここのところ休んでいてな。代わりを見つけようとしたのだが、同じ帰り道の生徒が君しかいなかったもんで……」
「いえ、大丈夫です」
放課後はいつも暇だし、家でぐうたらしてるよりかは運動にもなるのでこれしきの寄り道は全く手間ではない。
「では頼むぞ」
「はい」
担任教師に一礼して、私は職員室を後にした。
*
今日から私、
鳴瀬さんの住むアパートは、ヨーロピアンシティ──と中宮市民が勝手に呼んでる中宮市西部の丘陵地帯の一角にある。学校からは市営バスを乗り継ぎ、二十分ほどの距離。ちなみに、中宮市は東京都の北側に位置する閑静な街だ。
いつもの学校の帰り道。私の家は、徒歩三十分くらいの場所にある一軒家だ。位置としては丘陵地帯の麓にある。今日からは家の前を伸びる車道の更に先を行き、バルコニーの窓からも一望できる急坂を登った鳴瀬さんの家を行き来することになるのだ。
動きやすい恰好で行きたいので、一度自室に向かいリュックサックを置きブレザーを脱ぐ。ついでに冷蔵庫から冷茶を取り出し、水筒に入れたら準備完了。
バルコニーから改めて坂を眺めると軽く絶望するね。時期は六月の上旬、夕方であれど、アスファルトからムンムンと沸き上がる熱波が、私を待ち受けている。
弱音を吐いても仕方ない。引き受けたことを後悔する前に、私は玄関から一歩踏み出した。
決して運動神経が悪い方ではないけど、ぱっと見三十度近くの坂道を二十分近く歩いたので、頂上に着いた時にはもうヘトヘトだった。これが毎日でなくても週に数日も続くなんて、明日のことなんて考えられない。
「いったん休憩……」
近くの良さげな石垣に腰かけ、水筒の水を一気に飲み干す。ついでに持参したボディタオルで汗を拭う。あんな急坂のぼったから汗びっしょりだけど、下着がある程度吸収してくれたので、ワイシャツはあんまり濡れていない。一休みしたら、速攻出発。目的地の鳴瀬さん家はすぐそこだ。
「ここだ……メゾン不倶戴天」
鳴瀬さんの住む家はちょっと古めかしくて趣のある乳白色の壁が特徴の外観。それ以外はどこにでもあるごく普通アパートだね。
道路側の外壁にはでっかく不倶戴天の文字が書かれている。そのせいで一目で分かった。なんとも前衛的なアパート名なのは置いといて、鳴瀬さんの部屋は二階の202号室。
「綺麗」
早速錆びついた黒塗りの階段を上がろうとして、ふと私はアパートの外に広がる景色に目を向けた。
階段は高台にある住宅側だが、立地的に部屋の窓からの眺望は抜群だろう。此処からなら中宮市街が一望できる。
坂を上っている時、ふと振り返ると絶景とともに遠くに観覧車があった。有名なヨーロッパをモチーフにしたテーマパークだろう。私はまだ行ったことないけど。
この眺望なら、観覧車のライトアップも見れるし夜景は百万ドルの価値はあるんじゃないかな。一泊だけ泊まらせて欲しいけど、鳴瀬さんとは友達でも、そもそも初対面なので諦める。
私は足を乗せるたびにギコギコ鈍い音が鳴る階段を上がる。ここだ、202号室。ちょっと緊張してきた。鳴瀬さんとは同じクラスだけどまだ一度も会ったことがない。
なにしろ入学式を終えて翌日に不登校になったんだから。鳴瀬さんも私を見てびっくりしないかな。
急に仲の良い友達から初対面の私に交代したんだから、多少驚かれても仕方ない。
だったら、出来るだけ優しく接してあげよう。そう意気込みながら、私はインターホンを押す。
……けど返事がない。留守なのかな。一応、扉を数回叩いてみる。
「すみません。鳴瀬さんはいらっしゃいますか?」
返事はない。でも中から声が聞こえてくる。ごにょごにょと何を言ってるのかは聞き取れないが、人がいるのは確定だろう。もしやイヤホン耳につけてるのかな。
ダメ元でノブを回すと、扉が開いた。鍵開いてる。か、勝手に入るのは失礼だよね。でも気づいてくれないんだし。
仕方ない、驚かれるだろうが中に入ったら謝罪しよう。そう思い入ってみたはいいんだけど……
「し、失礼します……えっとすいま……」
「はーはっはー!今日こそは貴様を無に還してやる覚悟しろ!!!」
私はそこで目にしてしまった。
六畳一間のワンルーム。そこで銀髪の眼帯をつけた女の子が、多彩な動作で手足を動かし、大きな声で何かを叫んでいるシュールとしか言えない光景を。
「あの」
「くっ、なんてことだ……!俺の神聖剣ゴット・エクスカリバーが効かぬだと!!」
「すみま……」
「極麟たる魔の圧に身を投じた我がブラッディジャッジメントアイを前に聖なる力など無意味よ!!!」
完全に自分の世界に入っている。同じ部屋にいるのにも関わらず、私の声は耳にすら入っていないようだ。
「えっと次は……そうだ!ぐぬぬ……お前のようなアルトリアフィストにスタックサレムがメディオスタディムされるなど、断じて許してはならない。此処は俺の超絶対覇道奥義……グリザリアハイパースカッシュドロップでトドメだ!!!!!!」
「……」
「ぐっ、ぐわああああああああ!!!!!!」
少女は悲鳴?代わりの絶叫を上げる。隣人に迷惑じゃない?
というか、前半のなんとかカリバーはある程度何かの武器の名前ってことは理解できたけど、後半はカタカナが多すぎて何言ってるのか分からなかった。
よく一言一句噛まないよね。エリート企業に勤めるサラリーマンが使う横文字もこんな感じなのかな。
少女は時折、目が悪いのか足元に置いてある眼鏡をかけ、その隣の漫画を覗きながら、台詞を言い放っている。眼帯の上に眼鏡をかけているのもなんとも珍妙な光景だね。でもその度に大仰な動作が付属するので、何かしらのハプニングが起きるのも時間の問題。
「見事に踊らされていたようだぜ……そう、世界を救ったのはこの俺……ヨースター・ジンジャー・エー……」
少女は何かの決めポーズをしようとしたみたいだけど、漫画に足を取られ、痛そうな音を立てながら盛大にズッコケた。
「あっ……」
「ずこっ!!」
ぷくっ。終止真顔を貫いていた私でも、今の一幕は吹かざるを得なかった。
……とっ、私もいつの間にか少女の意味不明な寸劇の見物人になってたみたい。いけないいけない、今日の目的を思い出さねば。
仕方ないので靴を脱いで部屋に上がる。少女は半泣きになりながら赤くなった顔を押さえていた。
「うぅ……せっかくの見せ場が……ボクの馬鹿……」
「あのーちょっといいですかー」
「今度はこのページ!!くそっ、ならば我が奥義を……」
「すみませーん。ちょっとよろしいですか?」
「やめろ!それは貴様の身を滅ぼすぞ!」
私が少女の背後に立ってるというのに、少女は漫画を凝視していて全く動じない。
部屋は狭いし泥棒が入ってきてもすぐ気付かれそうだけど、この少女だけには気付かれずに逃走できそうで心配になる。
「それでも俺は!俺を信じてくれる民草を守るため!」
「あのー」
もう吹っ切れたので、私は強引に少女の背を揺すった。
それで少女はようやく私の存在に気付いてくれたんだけど。
「いきなり家に上がってごめんね。私、新しくあなたに手紙を届けることになった春原……」
「え」
「あっ」
私を見た途端、少女はバタっと倒れた。
「あのっ、ちょっと!」
少女は白目剥いてそのまま気絶した。
*
自分が話しかけてしまった責任もあったので、私は少女を看病することした。
でも一向に少女は目覚めることはない。仕方ないので少し部屋を見回してみたら、漫画やアニメのグッズ?や日用品が部屋中に散乱していたので、どうせならと少し部屋を掃除した。あんまり物色しても悪いので軽めだけどね。
それから二時間くらい経って、少女はようやく目を覚ました。
「うっ、うぅ……」
「あっ、起きた?」
床に放られていたのを私が敷いてあげた枕とシーツ。そこに寝ていた少女はすっと上体を起こし、辺りを確認した。
「ここは、ボクはアルカディアへタイムシフトしたのか?」
だけど、少女は私の姿を透明人間かのように認識してくれないみたい。真横にいるというのに。
「ちょっと何言ってるかよくわからないけど、ここは鳴瀬さんの家だよ」
「……えっ」
あっ、やっと私の声を耳に入れてくれた。長かったね。
「えっと、勝手に入ってごめんね。私、今日から鳴瀬さんに手紙を届けることになった春原ふ……」
「ふぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
私を見た途端、少女は人斬りに一刀両断されたかのように断末魔の悲鳴をあげた。
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