第2話 いただきます

 やがて、咲世子さんの肉が焼ける。味付けは塩と胡椒のみにした。シンプルな方が肉そのものの風味が楽しめる筈だからだ。

 僕はダイニングテーブルに肉を乗せた皿を持って行き、とん、と置いた。そして、箸を持ち複雑な感情が入り混じった「いただきます」を言う。

 そうして口に運んだ咲世子さんの肉は、やっぱり少し獣臭くて、食用に育てられたよりも硬く、でも旨味だけは一流だった。僕はぺろりと平らげる。そこで、優越感や満腹感と、悲しみ、怒りが押し寄せてきて、また混乱という気分になった。それが治まって吹っ切れるには数時間を要してしまう。そうして、僕が出した答えは――。

(これでいいんだ! 僕が火葬場の代わりに、咲世子さんを焼いたと思えばそれで!)

 そんな風に考えると、心がじわじわ軽くなった。でも気分を崩したせいで、睡眠時間が大幅に削られていたから、翌日の会社では死人のように働く。ただし帰り道は何だかうきうき。僕だけの咲世子さんが待っているからだ。でも咲世子さんは肉なので、なにか調理せねば。

 確か冷蔵庫にバラ肉があったので、僕はスーパーに寄り、アスパラガスを購入。家に着いたら「ただいまです、咲世子さん」と挨拶した。そして、バラ肉を一パック冷蔵庫から出す。すっかり庫内で解凍されたバラ肉は、豚や牛ならば一番脂が多い部位だ。人間の場合はよく判らない。考えても答えは出ないだろう。

 冷蔵庫内には他にもパックがある。もしバラ肉が他にもあるのなら一緒に使おうかと思っていたが、内容は挽肉とスライスされたロース肉というものだった。

(……ハンバーグと生姜焼きにしようかな?)

 また帰りがけ、スーパーに寄らなくては。

 納得したところで僕はシャワーや着替えなどの身支度を始める。終わってからニ十分後くらいにご飯が炊き上がった。

(そろそろ調理しよう)

 そう思いながら作ったのは、アスパラのバラ肉巻き。でも咲世子さんは細かったので、バラといってもそこまで立派じゃない。だから途中で千切れたりして、作業は困難を極めた。何度「巻かなくても一緒に炒めればいいのでは?」と思った事か。でもまぁ、初志貫徹で巻いてやった。炒めたときに少し崩れたけれど。味付けは塩、胡椒、醤油で。キッチンに香ばしい匂いが漂う。そのお陰で、獣臭さがだいぶ減った。

(咲世子さんの肉には、醤油が合うかもなぁ)

 そんな事を思いながら食卓へ。肉を巻くのに疲れたから副菜は無し。味噌汁もインスタントで済ませる。

「いただきます」

 僕はクローゼットに入れた咲世子さんのワンピースに向かい、挨拶をした。そうして熱いうちに一口。美味しい。肉が千切れるほど柔らかかったので、ほろほろと溶けて行きそうだ。ジューシーなアスパラも負けていない。咲世子さん独特の旨味といい勝負をしていた。

(これ、もうちょっと簡単に出来たら定番メニューにしたいけど……)

 バラ肉のメニューは、他の物を考える必要があるだろう。


 翌日は煮込みハンバーグ。挽肉のタネを捏ねた時、合い挽き肉みたいに纏まらないので嫌な予感がする。デミグラスソースにはマッシュルームとシメジを入れてみた。付け合わせは面倒なので無し。色合いは悪いけれど、男の独り飯なんかこれで充分だ。今日の頑張りポイントは余ったシメジで味噌汁を作ったこと。やっぱりインスタントとは違う。

 そしてメインのハンバーグは、嫌な予感通りというかパサパサしていた。味は悪くないのに箸で割っていくたびバラけてしまい、ミートソースみたいな雰囲気になる。これは失敗。たぶん脂肪不足だ。メニューを考える際は、咲世子さんが痩せ型だった事を考慮せねば。でも挽肉なんかはパッと見いい色をしていたし、結局作ってみないと判らないから参ってしまった。


 その翌日は生姜焼き。生姜をすり下ろした物に、醤油と酒、みりんを入れていく。それをロース肉の上にたっぷり掛けた。ちなみに、この作業は出勤前に行ったから、夜にはタレがしみ込んだ美味しい生姜焼きになっているはずだ。僕は期待しながら冷蔵庫に保存し、仕事へと急ぐ。

 ただ、会社では「新井さん、生姜の匂いがしますね」と言われた。発信源は僕の指先。擦り下ろしの工程で生姜臭くなってしまったようだ。朝の作業は昨晩のうちにするべきだったなぁと反省した。


 そうして、待ちに待った夜。味付け肉が焼けていく匂いは、みんな好きなんじゃなかろうか。少なくとも僕は大好きだ。でも、焦がさないように焼くのはちょっと難しい。フライパンの中をまめに拭いて焼かないと、タレの部分が炭化してしまう。

 本日の生姜焼きにはキャベツの千切り、いや百切りを添えた。まぁまぁの太さのキャベツを千と呼ぶのはちょっと許されない気がする。副菜は買ってきただけの漬物。味噌汁は面倒だったのでインスタント。

 さて、肝心のお肉は最高に美味しかった。臭みは生姜でカバーされているし、薄切りでしかも漬け込んであるから柔らかい。あと、なんとも言えない余韻がある咲世子さんの旨味。

(これはご飯をガツガツ行けそうだなぁ)

 僕は朝食の分まで炊いた二合を、全部食べてしまった。

 これで冷蔵庫の肉が終わったので、僕は冷凍庫を物色する。

(お、ヒレかつ用かぁ……いいね。あとはしゃぶしゃぶ。それと、また小間切れ)

 よくよく冷凍庫の中身を見ると、小間切れが結構多かった。この間は解凍もせず塩コショウだったから、もっと美味しく食べたいものだ。

(炒めただけだと硬いんだよなぁ、うーん、いっそ衣をつけて揚げて酢豚かいいかなぁ……いやいやこの場合、酢人間か)

 僕はレシピを考えながらも、お腹いっぱいで寝てしまった。こんな自堕落が許されるのは、明日から三連休なので特別だ。


 そうして迎えた朝。どうせなら昼まで寝ていればいいのに、習慣というものは恐ろしい。僕は昨夜の分の歯磨きもして、暇だったからローカルチャンネルのニュースを見る。そこでは咲世子さんの事件の特集が組まれていた。兄さんも顔出しで映っているから非常に驚く。まぁ、目出度い事でもあるまいし、今度テレビに出るよ、なんて連絡が来なくてもおかしくは無い。

 特集によれば、兄さんは探す範囲をどんどん広げているらしい。ここに肉がある以上、いったい何を頼りに探しているんだろうか。

(当てずっぽうだったら悲しいな……兄さん……)

 兄さんは素人だから仕方ないけれど、警察は本当にだらしない。どこかに咲世子さんの痕跡くらい探せないものか。防犯カメラだって沢山ある事だし。

 つまり咲世子さんはアイツらに、抵抗する余裕もなく拉致されたのだろう。ワンピースや靴に傷みが無いので判る。拉致は計画的に監視カメラの死角で行われ、あの路地まで連れられてしまえば泣こうが喚こうが助けは来ない。屠殺場は肉屋の裏手にありそうだ。扉が幾つもあったので、そのどれか。

 そこまで考え、気分が悪くなった。咲世子さんの肉を毎日食べているというのに、人間の感情とは複雑だ。

 時刻は午前九時。早めのスーパーなら開いている。僕は気分転換も兼ねて、買い物へ出掛ける事にした。今回は三日分の食事なので、結構な量になるだろう。マイバッグは二つ持って行かなくては。


 スーパーに着いたのは家を出てからニ十分後。買ったものは卵にパン粉、しゃぶしゃぶと酢豚用の野菜。タレを作れるほど器用じゃないので、酢豚用の物と胡麻だれも買っておく。あとは朝食と昼食用の食パンやパスタとか。やっぱり結構な量になってしまった。家では咲世子さんが待っているから、早く帰ろう。




 こうして準備した三日間は、けっこうすぐに終わってしまった。

 ヒレかつは成功、柔らかい部位だし普通に美味しかった。お店でも出せそうだ。

 しゃぶしゃぶは、まぁまぁ。咲世子さんは赤身が多いので薄切りでも硬めだった。胡麻だれで流し込む。

 意外と美味しかったのは酢人間だ。小間切れを少し丸めて香ばしく揚げ、タケノコやピーマンを炒めたものに酢豚のタレを加えるだけ。感想は美味いの一言。ご飯をまたもや沢山食べてしまう。なんだか太ってしまいそうだが、咲世子さんが僕の肉になっているならそれでも良い。

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