体育館の中のふしぎな世界

@n21125

第1話

 ユウトは階段の上り口からママの名前を呼びましたが、二階から返事はありませんでした。すると、柴犬サヤカの甲高い鳴き声が庭から聞こえ、家の中に入りたいと体を雨戸に激しくぶつけている音が聞こえてきました。ユウトは直ぐにガラス戸を開けました。すると、サヤカはあっという間に家の中に駆け上がり、ユウトの足に身体をこすりつけてきました。今日は何かが変でした。外は静かで、自動車の走る音も何の物音も聞こえてきません。心細くなったユウトはもう一度ママを探しましたが、どこにもいないので、朝食を食べると直ぐにランドセルを背負って外に出ました。人の姿は無く、物音一つなく静まり返っていました。ユウトはいいことを思い付きました。「柴犬のサヤカは、庭に落ちた半分死にかけのクマ蝉と真剣に戦ったりして、少し臆病なところもあるけど、何たって先祖は猟犬だ。僕の番犬として連れて行こう」ユウトは、早速、散歩用のリードをサヤカの首輪に付けると、桃太郎になったような気分で胸を張りながら小学校へ向かいました。学校の門を通りぬけ、校庭の植込みまで来ると、突然、サヤカは後ずさりをしながら暴れ出し、リズミカルに三回ほど飛び跳ねると、首輪を外して体育館の方に走って行きました。慌てたユウトはサヤカの後を追いかけました。体育館の中に入ると用具室の木製の大きな引戸は無くなり、人一人が通れる位の白く透き通ったドアに変わっていました。そして、サヤカはそのドアをじっと見つめたまま座っていました。ユウトは素早くサヤカを抱きしめると、急いで首輪をつけました。そして、ユウトは迷いました。サヤカが見つめている目の前のドアを開けて良いものか、開けない方が良いのか、考え込みました。しかし、この不思議な体験の続きを知りたくなり、恐る恐るドアを開けて中に入りました。すると、昨日使っていた一輪車は無く、用具室の中は真っ白いモヤがかかり、そのモヤが細長いトンネルをつくって遥か向こうまで続いていました。すると、トンネルの奥から人の声が聞こえてきました。

「ユウト君、ずいぶん、大きくなったな」

 昔と少しも変わらない、お祖父ちゃんの優しい声でした。しばらくすると、モヤはすっかりなくなり、お祖母ちゃんが紫色の花柄のエプロンを着けて台所で料理をしていました。

「今日は、ユウト君が大好きなハンバーグを焼いているよ。お祖母ちゃんの特製ハンバーグの出来上がりー。さあ、こちらに座って、好きなだけ食べてね」

 デミグラスソースのいい香りがしてきたので、ユウトは急にお腹が空いてきました。食卓の椅子に座って一口食べてみると、間違いなく、昔、食べたことのあるお祖母ちゃんのハンバーグで、とっても美味しい味でした。ユウトはハンバーグを食べながら、不思議に思ったことを尋ねました。

「お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも、死んだんだよね?」

 思いがけない質問にお祖父ちゃんは慌てましたが、優しい声で答えました。

「ユウト君、確かに人は亡くなると火葬されて身体は無くなってしまうよ。だけど身体から自由になった魂は、いつだって生きているんだよ。今、ユウト君が暮らしてるのは三次元の地球だけど、天国には無限の次元があるんだよ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、今、アルカディアという次元で暮らしているんだ」

「アルカディアって、天国のこと? 神様が創ったの? 僕もサヤカも死んだら、ここに来れるの?」

 お祖母ちゃんはユウトの手を握ると、ニッコリと微笑みました。

「勿論よ。ユウト君もサヤカも、正直に生きているから、このアルカディアに来れるわ」

「それじゃ、今度はママもパパも一緒に連れてくるよ」

「残念だけど、一年に一度しか会えないのよ」

「なぜ?」

「難しいことは分からないけど。どうもアルカディアと地球の時間の進み方が違うのが、関係してるみたい。地球の方がアルカディアの時間より一〇〇倍近くも速く進んでいるの。それより、ユウト君、人として一番大切なことだから覚えて欲しいことがあるの。人間のお母さんはね、自分の体の中で一〇ヵ月の間、赤ちゃんを育てて命がけで我が子を出産するのよ。そして、赤ちゃんが育って、物心がついた時に、私は生まれてきて良かったんだ。私は必要な子供なんだ。私は愛されているんだと実感し、感謝出来ることが一番大切なの。そのためにはね。何が起こっても、子供を無条件の愛情で包み込んであげることが大切なの。ところが、親が『勘当だ』と言って子供をののしったり、親の愛情を放棄してしまうと、子供の愛情は育たなくなり、誰も愛せなくなるの。だから、ユウト君が大人になり、お父さんになった時には、どんなことがあっても、ユウト君の子供をユウト君の愛情で包み込んであげて欲しいの。そして、ユウト君の子供たちにも、孫にも、このことを伝えて欲しいの」

「分かったよ」

「今日は、いろいろなことがあったので疲れたでしょう。ユウト君の部屋は二階にあるから。お家に帰るのは、少し休んでからにしたらいいわ」

 ユウトは言われるままに二階に上がって行きましたが、部屋の間取りもベッドも大阪の自分の家とそっくりだったので不思議に思いました。すると急に疲れが出てきたのでベッドに横になると、一階から、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんの楽しそうな笑い声が聞こえて、気持ちのいい眠りの中にいるのが分かりました。


次の日、ユウトは目覚まし時計の電子音が鳴ったので目が覚めました。直ぐに制服に着替えると急いで階段を下り、ママを探しました。すると、いつものようにママは洗濯物を洗濯機に入れていたので一安心しました。ママに大きな声で挨拶をすると、朝食の食パンと目玉焼きを食べて外に出ました。すると、人の気配がありません。昨日と同じです。車の音もありません。向い側にあるコンビニも人の気配がないので店の中へ入ると、やはり、お客さんも、店員の小母さんもいませんでした。これは昨日と同じだ。お祖母ちゃんは、一年に一度しか会えないと言っていたけど、今日なら会えるかも知れないと思いました。直ぐに家に戻ると、ママにそのことを伝えました。

「何を冗談を言っているの。ダメじゃないの。早く学校に行きなさい」

 とママはユウトを叱りましたが、普通ではないユウトの真剣な表情に、玄関扉を開けて外の様子を見ることにしました。。するとユウトの言う通り、物音は一つも無く静まり返り、車も、人の姿も無いので、恐ろしくなり、背筋がゾクゾクっとしてきました。

「ママ、サヤカを番犬として連れて行くよ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会いに行こう」

 ユウトは散歩用のリードをサヤカに付けると、ママと一緒に小学校へ向かいました。小学校の正門を通って、そのまま体育館の中に入ると、昨日と同じように用具室の引き戸は無く、白く透き通ったドアがついていました。そして、ドアを開けて中に入ると、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家は無く、巨大なスクリーンが白いモヤの中にあるのが見えました。そして、そのスクリーンには青く光る地球が映っていて、地球は少しずつ小さくなり、どんどん遠ざかっていました。すると、年齢は四〇歳ぐらいのスーツ姿の男の人が一人、こちらに向かって歩いてきました。

「ようこそ、お越し下さいました。私はトゥルーム人のアシムバッパル・アルカスといい、エスペラント号の人事調整官としてあなた方の応対を任されました。よろしくお願いします。現在、私たちの宇宙船エスペラント号は、天の川銀河共同体の本部があるイシタル星に向かっています。約一時間後には、スクリーンに見えてきますが、シマ模様が美しい木星の横を通過します。きっと、何のことだと驚かれていると思いますが、私たちは危害を加えることはありませんので、心配しないで下さい」

 突然、近づいてきた男の人が話す内容に、ママはびっくりしました。うしろを振り返ると、今、通って来たはずの白く透き通ったドアは無くなり、巨大なミュージアムのような空間の中に自分達が立っていることに気付きました。トゥルーム人のアルカスの話によると、人類は自ら引き起こした核・ウイルス戦争で二〇四八年九月に滅亡しますが、突然変異のウイルス抗体を持った僅かの人間だけが生き残り、その人間がトゥルーム人の祖先なのですと告げられます。そして、遺伝子操作を行なって、トゥルーム人の平均寿命は二百八十四歳まで伸び、不老長寿の社会を実現しますが、二千年前から急に男の子が生まれなくなり、それ以来、過去に保存した精子を使用しているということでした。近い将来、保存精子が無くなるので、ユウト君の協力を得て、ユウト君の子孫を誕生させたいので、このエスペラント号の乗組員になって頂きたい。そして、今現在、この目的に賛同頂いて乗組員になっておられる方が二人いますと、日本人の谷川とアメリカ人のロバートを紹介されます。しかしママは、「一緒には行動出来ません。すぐに地球に帰して下さい」と直ぐに断ります。それは、トゥルーム人の赤ちゃんは、お母さんのお腹の中ではなく、子宮と胎盤の機能を持った生命カプセルの中で受精し、二年の間、成長を続け、エデュケイターが取り出すというので、赤ちゃんが親を思い、親が子を思う、人間としての愛情が育つとは思えなかったからです。ところが、その夜以降、ユウトは夢の中に現れたお祖母ちゃんから、「天の川銀河共同体に協力したい」と復唱するように何度も言われ、「お祖母ちゃんに会って復唱するように言われたことは忘れるのよ」と過去の経験を思い出せなくなる健忘暗示をかけられます。そして、夢の中で何度も復唱し、強い暗示を受けたユウトの深層意識は、天の川銀河共同体に協力したいという思いが、自然に湧き上がるようになっていきます。

 

 そして、二日後の早朝。トゥルーム人とユウト達を乗せたエスペラント号は、パルタス人の突然の攻撃を受けて、星雲航行システムが故障し、光速飛行が停止してしまいます。しかし、パルタス人の攻撃はそれだけでなく、天の川銀河系とアンドロメダ銀河の間にある二五〇万光年の巨大な宇宙空間が消滅し、両銀河の外周部に広がっている高温ガスが衝突し、爆発していました。このまま両銀河が接近を続け、衝突すれば、すべての星の引力バランスが崩れて、軌道が変わり、接近と離反、衝突と爆発を繰り返しながら、ほとんどの生き物は死滅してしまいます。衝突を避けるためにトゥルーム人がとった選択肢は、アンドロメダ銀河を巨大ブラックホールに送り込み、消滅させるという方法でした。そのためには、一〇分後に天の川銀河連合艦隊の集結地点となっている大マゼラン星雲RX七三八に、エスペラント号を時空間移動させなければなりませんが、その時、パルタス人の二回目の攻撃が始まります。エスペラント号がかすかに震え出し、すさまじい振動が船体全体を襲いました。すると、アルカスの頬に黄色い水滴が付いて、黄色い泡がいくつも生まれ、見る見るうちに数十個の泡がアルカスの頭全体を覆いました。息苦しくなったアルカスは両手で必死に泡を振り落とそうとしましたが、泡はどんどんと増殖し、ついに身体全体が見えなくなって、黄色い泡の中でアルカスの倒れる音がしました。アルカスと一緒にいたコンシェルジュのシャーロットは、直ぐに円筒形のシールド・サブマシンガンを取り出して、狙いを定めて発射しました。銃口からは五ミリ程の丸いボール弾が発射され、泡の中心部に向かって飛んでいきました。すると、アルカスの身体を覆っていた数百の黄色い泡は、ろ過紙に吸い取られるようにすぼみ始め、泡を吸収した数十個の丸いボール弾は見る見るうちに大きく膨らんで、フロアーに転がりました。すぐにシャーロットは、ボール弾の中に閉じ込めた黄色い泡のパルタス兵をすべてシールドプールに隔離するよう保安隊に命令し、アルカスに駆け寄りますが、すでにアルカスの身体は左下半身が完全にマヒし、立ち上がることが出来なくなっていました。そして、その混乱の最中、自動的に地球に戻るようプログラムされていた時空間移動宇宙船に、ママ一人が誤って収容されてしまい、ユウトとサヤカを残したまま、時空間移動宇宙船は地球に向かって出発してしまいます。

 一方、エスペラント号の船内では、動力室が黄色い糸状の塊に覆われて動かなくなり、パルタス兵を閉じ込めたシールドプールも同じ黄色い糸状の塊から攻撃を受けていました。シャーロットは、黄色い糸状ということが気になり、すぐに人工知能メーティスに生物区画で保管しているホウ素生物の様子を確認するよう命令しますが、保管室にはホウ素生物の姿は無く、船内を捜索すると、動力室とシールドプールを攻撃している黄色い糸状の塊とホウ素生物の細胞が一致していることが判り、ロス一二八B惑星の地中から研究資料として採取したホウ素生物が、パルタスの秘密工作員だったことが分かり、強いショックを受けます。そして、これ以上のパルタス兵の侵入を防ぐには、動力室とシールドプールを遮断するしかないと判断し、直ぐに保安隊に動力室とシールドプールにつながる共用通路のハッチをすべて閉鎖するよう命令し、人工知能メーティスにパルタス兵を撃退する何か有効な手段はないかと、わらにもすがる思いで尋ねますが、人工知能メーティスからは判断不能ですとの回答しか返ってきませんでした。すると、車椅子に座っているアルカスの頬に、先ほどと同じ黄色い水滴が付き、黄色い泡がアルカスの頭を覆い始めました。アルカスは両手で泡を振り払いましたが、泡はどんどん増え、車椅子に座ったアルカスの姿が見えなくなりました。シャーロットは、急いでシールド・サブマシンガンを泡の中心部に向かって発射しますが、丸いボール弾は泡に当たって跳ね返り、フロアーに落ちるとハンダ付けのスズのように溶けてしまいました。その時、アルカスのいる泡の中で大きな爆発音がしました。金属片と塊が飛び散って、火が噴き出し、化学物質の焦げるくさい臭いがしてきました。ユウトは咳き込みながら、目の前に転がってきたサッカーボール大の塊を覗き込みました。塊はイチジクが割れたように中まで見えていて、中心にある一〇センチほどの金属球にはイソギンチャクのような人工の触手が無数に繋がり、焼け焦げた髪の毛と、目と鼻と口は、見たことのあるアルカスの顔でした。無残な姿になってしまったアルカスの顔を見つめながら、ユウトは声にならず、心の中で叫びました。「アルカスさん! アルカスが死んでしまった。どうすればいいんだろう? 人間じゃないんだアルカスは」

 呆然と立ちつくしたままのユウトの様子をうかがっていたシャーロットは、ユウトのそばに行くと、肩に優しく手をかけました。 

「驚いた? ごめんなさいね。説明しなかったけど、アルカスは人間の意識と感情を持ったロボットなの。勇敢で真面目で、今日まで私のために長い間、働いてくれた。アルカス、有り難う」

 ユウトは怪訝そうな顔をして、シャーロットを見つめました。

「もしかして、あなたもロボット?」

「違う、私はアルカスと違うわ。トゥルーム人よ。いい、みんな落ち着いて。今から、緊急脱出用の宇宙船に乗り換えて、ここを離れるから。ついて来て」

 と言うと、シャーロットは走り出しました。すぐにユウトはサヤカを連れて後を追いかけました。すぐ前を谷川は走っていましたが、アルカスのそばいたロバートの姿が見当たりません。ユウトは後ろを振り返って、ロバートの名前を呼び、大声で何度も叫びましたが、返事はありませんでした。パルタス兵の黄色い泡はフロアー全体を埋め尽くし、勢いを増しながら共用通路の入口まで広がっていました。シャーロットはエレベーターホールに到着すると、三つ目のエレベーターの前に立ち止まり、ドアを素早く開けて中に入りました。そして、谷川とユウトとサヤカが入ったのを確認すると、すぐにドアを閉めて操作ボタンを押しました。すると、エレベーターのドアが何重にも遮蔽され、ロックされる激しい振動とぶつかり合う音がし、緊急脱出用宇宙船はエスペラント号から切り離されました。そして、波動光子エンジンの最高速度に達するまで一気にスピードを上げ、その場を離れました。そして一〇分後、自爆装置が作動して、エスペラント号が消滅したことを確認すると、やっとシャーロットは落ち着きを取り戻しました。天の川銀河共同体のカールソン大統領補佐官から「人間の精子を収集するまでは、帰還せぬよう」との極秘指令を受けていましたが、アルカスがいなくなり、エスペラント号も失った今、どうすればいいのか分からなくなっていました。

 シャーロットは、目を瞑り、頭を整理する時間を少し取ると、みんなを集めて話しを始めました。

「今、私達はTSタラサ惑星に向かっています。TSタラサ惑星は私が生まれた星で、谷川さんの故郷の北海道と同じように、手つかずのままの美しい大自然が、たくさん残っているプリビッツ原生公園があります。私は子供の頃、エデュケイターのフレディーさんと麻由美さんに、よく連れて行ってもらいました。実は、皆さんにお話し出来ていないことがあります。ユウト君がエスペラント号に乗船された日ですが、その日に天の川銀河共同体では反乱が起こりました。ルバーンシェ派の支持者によるデモ隊が共同体議会と行政府を占拠し、政権が交代したのです。ルバーンシェ派の支持者は、『ルバーンシェ元大統領が勝利したのに、ハリソンは自分が大統領に当選したとウソをついている。一カ月前に実施された大統領選挙と議会選挙が不正に行われた。選挙は影の政府によってあやつられ、盗まれた。天の川銀河共同体の民衆は真実を求めている。影の政府から世界を守らなければならない』とSNSRで発信し、混乱の中、ハリソン前大統領と三人の閣僚が暴徒に襲われて死亡し、五人の政権幹部も行方不明となりました。ルバーンシェ元大統領は、不正選挙が行われたという証拠を公表して新大統領に就任すると、その日のうちに議会の解散と大統領緊急令を発令し、反大統領派の一掃とパルタスとの全面戦争を始めたの」

 シャーロットの説明を静かに聞いていた谷川は、突然、故郷の歌を口ずさみました。そして故郷の浦臼に帰りたいと思いました。

「ウサギ追いしかの山 小ブナ釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷。僕、この歌が大好きなんです。子供の頃、近所の子供が集まって、みんなで大声を出してウサギを追いかけたんです。直ぐ近くの小高い山には池があって、細い竹の釣竿を作って鮒釣りにも行きました。シャーロットさん。アルカスがいなくなり、エスペラント号も失った今、パルタスと戦う方法は無いんですね? 故郷の星に帰るんですね」

「そうです……。谷川さん。あなたは、これからどうするつもり? 天の川銀河共同体の一員として、パルタスと戦うの? 今、天の川銀河共同体ではパルタスだけでなく、ルバーンシェ大統領と反大統領派に別れて、激しい内戦が始まっています。どちらに入るかを決めなくてはなりません」

 その時、突然、宇宙船の照明が消えました。そして、緊急のアナウンスが流れました。

「電力系統の異常が発生しました。未確認飛行物体が接近中です」

 そして、非常灯だけの薄暗い宇宙船に、あの、すさまじい振動が襲ってきました。

「えっ、パルタス?」

 シャーロットは動揺しました。パルタス兵はエスペラント号の爆発と同時に消滅したと思っていたのに、今、この緊急脱出用宇宙船に追いつき、攻撃をしかけている。もはやパルタス兵に対抗する手段の無いシャーロットは、「ついに、最期の時を迎えた」と覚悟を決めました。手のひらを見ると、既に黄色い水滴がつき、身体のあちこちに豆粒ほどの黄色い小さな泡がふくらみ始めていました。シャーロットは顔についた泡を振り払うと、谷川の顔をじっと見つめながら、気高く落ち着いた声で話しかけました。

「谷川さん、つらく悲しいことだけど…… 最期の時が来たようです」

「僕も、そういう気がしていました」

「谷川さんに、私が生まれたTSタラサ惑星を見てもらうのを楽しみにしていました。残念だわ。ここに薬があります。これを飲みますと、パルタス兵に屈することなく、気持よく最期を迎えることが出来ます。短い間でしたが、あなたの優しい気持が良く分かりました。もっと、あなたのことを知る時間が欲しかったです。さようなら」

「僕も同じです。シャーロットさんが生まれた星に行けるのを楽しみにしていました。薬を僕にも、いただけますか? パルタス兵に殺されるより、あなたと一緒に最期を迎えたい」

 シャーロットと谷川は、手にした薬を一気に飲み込むと、お互いの手を握りながらゆっくりとフロアーに横になり、強く抱き合うと口付けをしました。黄色い泡は、既に二人の身体を覆い始めていましたが、その時、いきなり、「ヴゥー、ヴゥー」と吠える、相手を威嚇する時に発するサヤカの低い唸り声と、走り回っている足音が聞こえてきました。

「サヤカ、こっちだ、こっちに来て!」

 直ぐにユウトはサヤカの身を案じ、名前を何度も呼び、帰って来るように叫びましたが、しばらくすると、ドスッというサヤカの倒れ込んだ鈍い音がし、それからは、唸り声も足音も聞こえなくなり、ひっそりと静まり返りました。ユウトは薄暗い緊急脱出用宇宙船の中で、一人になってしまったと思いました。黄色い糸状の塊と黄色い泡のパルタス兵が、ユウトの足元近くまで迫っていましたが、もう恐れも、諦めも無くなっていました。目を瞑ると、懐かしい昔のことが思い浮かんできました。二年前の夏休みに、家族全員で能勢の山奥にある野外活動センターのロッジに泊った時、早起きして外に出ると、深い森の新鮮な空気の中に吸い込まれていく感覚になり、とても幸せな気持になれたこと。おさな馴染みと一緒に家の裏手にある淀川の爆弾池に行って、フナ釣りやモロコ釣りをして、夕方遅くまで愉快に遊び回ったこと。そして、休みの日の早朝、パパが吸い込み仕掛けのダンゴ餌を広大な淀川本流に投げ込んで、大きな台湾ドジョウが釣れたので、大喜びしている姿が浮かんできました。


 それからしばらくすると、ユウトは目を覚ましましたが、今、自分が薄暗い宇宙船の中でなく、薄黄色の透きとおった液体の中にいることに気付きます。そして、これまで経験したことのない穏やかな気持ちになっているので、ここはどこだろうと思いました。

「唯一の生き残りとなったユウトには、話し相手が必要だろう」

「このまま剥製になるのは、可愛そう」

 すると、ユウトの目の前にユウトと同じような顔付きをした、同じ年頃の女の子が現れました。ユウトは驚いて、自分とよく似た女の子に尋ねました。

「君は誰です? ここは、どこですか?」

「私の名前はユウカよ。人間の尺度でいうと液体生物ということになるわね。個体生物の人間と違って、大きさも形も中身も自由に創ることが出来るし、思いのまま変わることが出来るの。だから私は、あなたとそっくりな女の子よ。そう、ここはアンテナ銀河のアルキオンβ星、私はパルタス人です」

「えっ、あのパルタス」

「あなた達人間は、私達のことを、身長が八マイクロメートルの目に見えないやっかいな生物で、変幻自在に体を膨張させて、人間の大きさにもなれる好戦的生命体で、戦争に負けると一生奴隷として働かされると、トゥルーム人から教えられているでしょ。でも、それは違うから。私たちパルタス人は、私たちに攻撃するものにしか、反撃しないから」

「それじゃ何故、アルカスさんとロバートさん、シャーロットさんと谷川さんを殺したんです?」

「トゥルーム人が先に攻めてきたのよ。民主主義を守れという言葉を御旗に、さんかく座銀河のカイア人を解放すると宣言して、攻めてきたの。トゥルーム人は、自分たちの都合の良いようにしか物事を解釈しないわ。ボイジャー一号、二号のことを知っている? ボイジャーはね。西暦一九七七年に人類のタイムカプセルとなって太陽系を脱出し、生命を探す旅に出た無人の宇宙探査機のことよ。だけど、あのトゥルーム人のエスペラント号は、人間の精子を探すために、シャーロット一人を乗せて宇宙へ出発した時空間宇宙収集船なの。もう、七〇〇年も前に天の川銀河共同体は滅んでいるのに、シャーロットは極秘指令を受けたまま、実行を続けていたの。あなた達三人とサヤカは、その被害者よ」

 ユウトは愕然としました。僕たち三人とサヤカが被害者? あの巨大なエスペラント号にシャーロットが一人しか乗っていない? 七〇〇年も前に天の川銀河共同体は滅んでいる? 何が本当なのか、とても信じられませんでした。

「七〇〇年前に天の川銀河共同体が滅んでいるって言うのは、おかしいよ。さっきまでシャーロットは、ボクと一緒にいたんだ。トゥルーム人の平均寿命は、確か二百八十四歳だよ。そうだとしたら、シャーロットは四〇〇年前には死んでいたことになる。おかしなことを言うなよ」

「ユウト君、それは違う。シャーロットはサイボーグなの。初めはトゥルーム人だったけど、寿命がきた古い細胞は新しい人工細胞に取り換えて、トゥルーム人の意識と感情だけを残しておいたサイボーグなの」

 ユウトは、何が本当で、何が事実なのか分からなくなってしまいました。今、確かなことは、トゥルーム人に六千三百八十四年後の世界に連れて来られたこと。そして、ママと別れ、サヤカと谷川さんとロバートさんは死んでしまい、薄黄色の透きとおった液体の中に一人でいることでした。もし可能なら、ママとパパがいる、故郷の地球に帰りたいと思いました。

「ところで、ユウカさん。一つ、教えてくれますか。ここを出て、故郷の地球に帰りたいんだ。どうしたらいいんだろう?」

 ユウカは優しく微笑みながら、ユウトの目を見つめました。

「ごめんね。パルタス人はトゥルーム人のように時間をさかのぼる方法を持っていないの。だけど、私はこう思うわ。時間も距離も余りにも離れていて、故郷に帰れなくても。ユウト君にとっては、このアンテナ銀河のβ星から、遠い地球の故郷のことを懐かしく思うことが、一番幸せな時間の過ごし方のような気がするわ」

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