まーちゃん

お餅。

第1話

教室に入るときに、あいつとすれ違う。

「おぉえーー、気持ち悪い」

吐く真似をすると後ろのクラスメイトたちがくすくす笑った。髪を縛って眼鏡をかけている地味な奴、木本みながこっちを振り返って顔を赤くして、出ていった。

私はみなを虐めている。陰口を言って笑い、突き飛ばしたり物を隠している。すれ違う時にデブと言ってみたり、笑ってやったり、「おえおえ」と吐く真似をしている。彼女はいつも少し傷ついたように笑っていたが、やがて本気で怒るようになった。まさか彼女がそこまで激しく怒ってくるとは思わなくて、少し驚いた。怒った彼女は面白かった。思い出し笑いをして、ママが作ってくれたお弁当を準備していると、二人の女子がやってくる。私と雰囲気が似ている。唇が艶々と光っていて、スカート丈が膝よりうんと短い。

「まーちゃん、ご飯食べよ」

クラスメイトにまーちゃんと呼ばれることにも段々慣れてきた。昔は、みなの専売特許だったのだ。

チラリと視線を上げると、みなが前の方で一人ぼっちでお弁当の包みを開けているのが目に入る。あいつを見ていると苛々する。優等生ぶった話し方も、真面目な表情も黒縁メガネも、ぽっちゃりした姿も、全てが私の癪に触った。私の嫌がらせはおそらく、先生を含め教室中の誰もが知っている。ただそいつらはみんな、いつも私を、圧倒された目で見るだけだ。舐めるような視線が気持ち悪くって、教室はいつも嫌い。

みなはとても成績がいい。クラス、いや学年でもトップを飾るほどだ。私のママがみなの母親とよく連絡をとっていて、私たちを昔からよく比べようとする。全てが大人たちの比較対象。権利なんてない。私たちはみんな、大人たちの操り人形で、みながそんな奴らに素直で従順だってことが、私の怒りをこれ以上にないほど大きくする。お弁当を二人に囲まれて食べる。私は完璧に笑顔をする。彼女たちは私とご飯が食べたいんじゃない。私の権力と仲良くしたいのだ。私が周りからどう思われているかってことを知っていて、取り入る隙を狙っている。意地汚いハゲタカみたいなものだ。別に見たくて見ていたわけじゃないけれど、私の目は自然とみながいる方に向かっていた。その背中は、とても哀れだった。何か悪いことをしているような気持ちが心地よくて、背中がぶるっと震えた。

放課後、図書室に向かう。やはりみなは、受付のカウンターで座って本を読んでいる。目が合わないように気をつけながら、本棚の奥へと向かった。何か適当に本を借りようと思ったのは、別にみなを見にきたわけじゃない。みなが本に向ける視線が熱くて、それは私の中の変身願望をくすぐる。図書室はなかなか広く、半分ボックスのようになった自習席が横に10個ほど並んでいてそれが4列ある。その周りを本棚がぐるりと囲んでいる。そこには主に小説が入っている。哲学や歴史だとかの小難しい本は、あまり手に取る生徒がいないのか、奥の方に4つほど並んだ本棚にしまわれているようだ。もちろん私もそんな難しい物を開く気はない。しばらく本棚の中の小説に目を滑らせていた。文庫本ばかりが並んでいる。初心者の私でも読めそうな、ミステリーの王道っぽいやつに少し心を惹かれる。

「・・・それ、よかったよ」

小さい声がしてギョッとした。みなが、すぐ隣で立っている、どきりとして一歩後ろに下がった。図書室だから小さい声で話さないといけないと思っているのだろう、声は私にしか聞こえない囁きで、少しどぎまぎする。いつも見るたびに苛立つ、人の良さそうな笑顔がすぐそこにある。こんなにも近くに。

「・・・時々、図書室に来てくれるよね。面白かった本、よかったら案内しようか?」

まさか話しかけてくるとは思わなかった。私が珍しく一人だったからだろうか。みなは自分がいじめられているってことが本当にわかっているんだろうか。

お人好しなこいつのことだ。私には信じられないようなボケたことを考えていても、全くおかしくない。昔から何も変わらないんだから。何か言うべきだと思うのに言葉が出てこなくて、一瞬、丸い顔を見つめたまま思考が停止した。

「別に聞いてないし。邪魔」

 出てきた言葉は自分でも、少しギョッとするほど凍えきっていた。みなは悲しげな顔になって受付に戻っていった。


ずっとイライラしている。それはママのことだったり,ママに冷たくする親父のことだったり、出来のいい姉のことだったり。クラスの中での居場所のことだったり、部活のことだったり。頑張ったところで評価されるわけじゃない。私はそれを知っている。みなはいつも幸せそうに笑っていた。昔はそれを見ているとなんとなく心が癒された、どうしてだろう。私にはないものを彼女は持っていて,それが悲しいような気もしていた。

悔しい。なぜあの子はいつもみんなの人気者で、あんなに幸せそうにかわいく笑うんだろう。彼女は頭がいい。勉強ができる。それに優しい親父がいて、みんなから慕われている。彼女は私ができないことをやろうとする。イライラする。彼女が真面目で,聞き分けのいい、いい子だってことにもイライラする。なんでそんなふうに笑えるの。クソみたいな世界なのに。

こんなことを、当時の私はずっと思っていた。みながふわっと笑うたび、私は少しずつ惨めになった。







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