第23話 天使パワー【Michael】
セィラは焔山の手を握ると、手の平から憐れみを注ぐ。そうすると、肉体に残された残留思念が優しき気配を放つセィラを慕って集まり、記憶の奔流となってセィラの脳へと流れ込んだ。
「可哀そうに。そうまでして大事な人を守ろうとして、死んでしまって……」
「(仏は戸惑う。仏は善なる者には手を出せない。聖女は善なる者だ。いかなる危害も加えられない。加えた瞬間私は仏ではなくなり地獄に落とされ349京2413兆4400億年間獄卒共に責められ続けるだろう。それは嫌だ。そうはなりたくない。だからこうなってはもう打つ手がない。どうしようか――と、仏は迷うふりをしてみる。フフ、と仏はほくそ笑む。この依り代、そして〟彼〝はきっと地獄に落ちるであろうが、仏には関係のないこと。彼が聖女を殺してくれるなら仏の手は汚れない、そして地獄にも落ちない。仏は死にかけ悪魔チェアーに腰掛け文字通り高みの見物を決め込むことにする)」
大威徳明王がメフィストに腰掛ける。と、その瞬間、仏の言う〟彼〝が突如何もない空間からセィラの前に現れる。〟彼〝はポカーンとした呆け顔で自分を見上げるセィラへと槍を振りかぶる。夜空に映える銀色の光。可視化されるほどの濃密な神気を纏いしその槍の名は、ロンギヌス。彼――神グノーシス中央協会大司祭兼聖戦士シャウラ・レヴォリュシオンは裂帛の気合と共にロンギヌスの槍を振り下ろす。
「ハァ!」
「わっ、きゃっ」
びっくりして後ろに倒れ込むセィラ。先ほどまでセィラの首があった所をロンギヌスの槍の切っ先が空振る。苛立ち紛れにセィラの鳩尾に蹴りを入れて動きを止め、ロンギヌスの槍の切っ先をセィラの首にあてがい、詰問する。
「貴様、何故教会を裏切った。悪魔憑は心弱きゴミ屑の俗称だ。聖戦士は志気高き神の遣い、天使にも等しき敬称だ。悪魔憑は一人残らずこの世から排除すべき人類の落ち零れ、いわば出来損ないの劣等因子を持った連中なのだよ。だから、さっぱり分からないのだ。貴様が何故神に背き、悪魔憑などに憐れみをかけるのか! 何故だ、何故教会を、いや、我らが神を裏切ったァ! 慈悲はかけん。どう返答しても殺す。だから正直に答えろ。この雌餓鬼が。何故、神を裏切った」
「…………私は」
優しい微笑みをシャウラに向けるセィラ。シャウラは、その笑みの奥に秘められた純粋で神秘的な感情を知覚し、激しく動揺する。
(俺の前にいるのは悪魔憑に身も心を奪われた度し難い淫売ではないのか。これではまるで聖女。いや、聖女どころか身も心も天使そのものではないか。だが――――)
「私は、神様の愛を全ての生命に届けたいだけです。神様の――――神様の声が聞こえます。救いなさい――――救いなさい――――黒死焔山を救いなさい――――彼はこの世を救う存在――――この世の救世主なのです――――その為の導きをあなたがつけてあげるのです、セィラ――――私があなたを守るようにあなたも彼を守るのです――――彼もあなたを守るようになる――――いずれ彼はあなたを愛する――――あなたの愛する世界をも愛する――――そしてハルマゲドンが訪れるのです。彼の手によって――――」
ロンギヌスの槍がセィラの心臓を刺した。グリグリと切っ先でセィラの中を掻き混ぜながら、シャウラはドス黒い感情を言葉に乗せてセィラに叩きつける。セィラの頬を涙が流れる。
「君の信仰している神はどうやら邪神のようだ。ここでくたばるといい。旧約聖書の神は邪神であるという説を聞いたことがあるが……どうやら本当のようだな。グノーシス主義こそやはり真理なのだ! キリストは好きだが、旧約聖書は嫌いなんだ。だから邪教徒はここで滅してやる。私の慈悲だ」
「あなたには、聞こえないのですか? 神様の、声。きっと心穢れているから。大丈夫ですよ。私が穢れを取ってあげますから。すぅ――――」
「ふん、死に際の捨て台詞か。心が穢れているだと? 身も心も穢れた肉便器の分際でよく――――ん?」
シャウラはロンギヌスの槍を掻き回す。手応えはあるが、よく見るとセィラはピンピンとしている。
「あれ、おかしいな? この槍はあらゆる魔を浄化する神器のはずなのだが、この雌餓鬼は何故ピンピンしているんだ。この槍はあらゆる魔を――――」
「きゃ! くすぐったい! あん」
「あらゆる――魔を――まさかこの槍、偽物か? いや、違う。武神(ゴッドアームズ)たるこの俺の目利きに狂いは――――ッあッづぁぅ!」
おもむろに槍の切っ先で自分の指を切ってみるがその瞬間形容しがたい痛み、あるいは熱が全身を駆け巡った。武器の切れ味をよく自分の体で試すシャウラだが、こんな痛みは初めてだった。
「ハァ、ハァ、この槍は、本物なんだ。本物なのに、なんで目の前の糞淫売を切れない。なんで…………」
「シャウラさん。あなたは間違っている。刃物は、人に向けちゃいけないんですよ……」
「ハァ、ハァ、分かってるんだ。この女は純潔のままだ。聖女なんだ。つまり黒死焔山はこの聖女を、犯さなかったんだ。悪魔憑の癖に聖女を犯さなかったんだ……。つまり奴はこの聖女を守ったんだ。他の悪魔憑の手から、守ったんだ。この聖女の予言の通り、守ったんだ。だとすると、ハルマゲドンも本当に――――いや、そんなことは今はどうでもいい。俺は、この神聖なる聖女様に槍を向けて、あまつさえ酷い罵倒を、俺は、やってしまった。罪深き行いを、神への冒涜を――――
「シャウラさん何を言って――――」
「うわあああああああああああああああ!」
「(シャウラ・レヴォリュシオンは発狂した。仏は慈悲深いので一度や二度の裏切りは赦す。だが、シャウラ・レヴォリュシオンが裏切りを犯すのはこれで三度目だ。ので、彼の地獄行きが決まった。彼は発狂している。もう地獄に行く運命は変えられないことを悟っているからだ)」
「シャウラさん!? 一体どうし――――」
「うわあああああああああああああああ俺を赦してよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 神様ァァァ……どうか助けてけけけけけっけあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!ひゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
シャウラは狂笑しながらどこか遠くへ走り去った。もう彼の姿を見ることは無いだろう。神の慈悲深きは善人に対してのみだ。悪人にはどこまでも地獄を見せる。悪魔と神は表裏一体。だからこそ、悪魔憑たる黒死焔山が救世主足りうるのだ。セィラという聖女がいればこそではあるが。
「……神はあなたにも慈悲をくれますよ、シャウラさん。私はすでにあなたを赦しているんですから……。さて。これで使命を果たすことが出来ますね。すぅ……」
セィラは手と手を胸の前で祈り合わせた。そして謳い始める。大宇宙を統べる神への祈りを。
「私は風――――は木。私は雲――――は空。私は水流――――は海原。私は土砂――――は大地。我らが母よ。我らを遊ばす大いなる慈悲の女神よ。もう一度我らの願いを聞き届け給え。哀れなる死者の魂をもう一度元の器に呼び戻し給え――――」
「(仏は手出しができない。事の成り行きを見守ることしかできない。だが、それこそが真の仏の在り方なのかもしれない。そう、ただ見守り、そっと道を指し示す。それこそが、真の仏の在り方。地上のいさかいに関与すべきではない――――)」
「すぅ……」
セィラの背から光の翼が伸びる。大いなる神光が翼から焔山へと降り注ぎ、肉の腐敗を浄化し魂の器足る状態へと調伏した。これでいつでも魂を呼び戻せる。最後の一節をセィラは謳う。
「(そうおっしゃるのですね。――――様)」
「天使の祈天唱(エンジェリック・イノセンス)」
奇跡の光が二人を包み込む――――
【地獄】
「がっはははは! 最高に気持ちがいいぜ! おう、そこもうちょい優しくな」
「うっうぅ……ぺろ、ぺろ」
「うぅ、気持ち悪い。吐きそう……おぇ」
「がっはははは! 貴様死刑な。とりゃ」
「きゃあああああああああああああああ! ペキッ」
「おぶっ、ぅぅ……ごくん。はぁ、はぁ。ぺロッ、ペロッ、ペロン」
「がっはははは! 地獄が一転まるで天国だぜ! これも全て焔山のお陰だなぁ!」
「……そうだな」
ベヒモスは群がる獄卒を全て蹴散らすと人間形態に戻り、地獄の虜囚から選りすぐりの美女・美悪魔を侍らせ、自らの体を舌でくまなく舐めさせていた。生きていたころと大差ない生活を、地獄でもベヒモスは手に入れたのだ。
「がっははは!」と哄笑し、傍で棒立ちしている焔山に肘を打って話しかける。焔山は顔をしかめる。
「がっははは! 俺はやっぱり強いなぁ! あの気持ち悪い仏にも不意を突かれたから負けたんだ。真向から戦ったら俺絶対負けなかったぜ。なぁ、焔山もそう思うだろ?」
「……」
「がっはははは! マイソウルブラザーはだんまりか! そりゃお前はあいつに真向勝負で負けたんだもんなぁ! そりゃ何も言えんわな! お前が俺に劣っていると認めることになるもんな!」
「おい」
「がっははは! ん? すまんすまん。ちょっと調子に乗り過ぎた。俺は機嫌がよくなると誰かからかいたくなるんだ。今俺がこうしていられるのは全てお前のおかげだ。許せ。マイブラザー! 愛してる」
「上を見ろ」
「がっ――――は?」
巨大な掌がベヒモスを押し潰す。舐め舐め奉仕させられていた虜囚たちも巻き添えになったが、虜囚なので問題はなかった。
ミンチとなったベヒモスの上にドスンと大男が降ってくる。赤褐色の肌に道服を纏い冠を被ったその姿はまさしく閻魔大王。焔山は閻魔の前に膝を突き頭を垂れる。閻魔大王が問いかける。
「貴様が●●●●か。今地獄から出してやる。わしについてまいるがいい」
「●●●●? 何を言っている。俺は悪魔に憑かれた人間だぞ? ●●●●とやらに憑かれているとしても俺の名前は黒死焔山だ。そのこだわりだけはゆずれない。俺が俺であるためにだ」
「そうか。まだ気付いておらんか。いずれ分かることだ、今教えてやろう――――【魔王サタン】の転生体。それが貴様だ」
「魔王サタンの……か。薄々気づいてはいた。これだけの力が所詮はただの人間である悪魔憑如きに宿るはずがないと。人間に転生し地上に完全適応した悪魔の話は聞いたことがある。予想はしていた。だが、信じたくはなかった。何故なら俺は人間だからだ。悪魔の転生体ではなく、ミーシャの愛人〝黒い死神〟黒死焔山でいたかったんだ……。ああ、ミーシャ。あなたは我が天使だった……。その唇、その胸、その感触、忘れようはずがない。ああ、ミーシャ。君に会いたい。せめてあと一回だけ交尾がしたい――――」
「ついてこい。地上に送り返してやる。そこで思う存分やってこい」
「本当か!? 何故、そこまで優しくしてくれるんだ?」
「少し歩こう。訳は道中で話そう」
「分かった」
「お、おおお焔山俺を助けてくれ」
「む、忘れていた」
「あ!」
ミンチから再生したウンザオヴァーの会陰部(股間と肛門の狭間)をギュッと親指で押す閻魔大王。快楽の余り白目を剥いて潮を吹くウンザオヴァー。
「貴様のムーラダーラ・チャクラを封印した。これでもう二度と悪さは出来まい。更に散々暴れ回ってくれた礼だ。刑期を1中劫(349京2413兆4400億年)から1大劫(2垓7939京3075兆2000億年)に延期してやる。たっぷり反省するがいい。わし自ら地獄を見せてやるからな」
「あ、あばばばばば……バタン(失神)」
「さぁ、ついてこい」
「ああ」
焔山は閻魔大王についてゆく。どこに向かうかも分らぬまま――――。
二人は歩く。道中、こんな会話を交わした。
「貴様には神に託された使命がある。ウンザオヴァーとかいう小物の使命とは比べ物にならぬ程の大きな奴が」
「はっ、使命か。嫌な言葉だな。何故か昔から使命というものが嫌いだった」
「それは魂に刻まれた神への反逆の記憶のせいだろう。貴様は使命が嫌いなのではなく神が嫌いなのだ。だが、それも神に誘導された感情に過ぎぬことを覚えておくがいい。いつかその神に感謝する日がくる。お前にも」
「信じられんな……神というものが俺は大嫌いだ。理由は分からん。とにかく生まれた時から大嫌いだ」
「だからそれは魂に……いや、もういい。だが、お前は聖女を愛している。神の遣いであるはずの聖女を。それは矛盾ではないか?」
「それは、違う」
「何が違う」
「聖女は清らかで美しい。天使のように。そう、聖女こそが我が神だ。俺は聖女を愛している。だが、聖女は神ではない。独立した意志を持つ個体だ。神の遣いではない。聖女は己の意志で正義を全うするからこそ美しい。聖女は神の遣いではない。聖女には聖女の意志があり、その意志そのものが輝きを放っている。そしてその輝きが俺は大好きだ。俺は聖女と共にありたい。そして聖女の意志を永遠に守り続けたい。あの地上に蔓延る聖女の意志を犯すものを全て永遠の地獄に叩き落す! アリス。彼女を襲った悲劇が俺に決意させた。俺は永遠に聖女の意志を守り続ける聖女の騎士になる。そして、それだけが俺の使命だ。神に託された使命などしったことか。――――穢れなき純白の天使。我が心のオアシス【聖女】を
「よく言った。それこそが貴様の使命。この煉獄に落ちてきたのは己が使命を自覚するためだったのだ。黒死焔山、貴様は既に立派な神の遣い。地上に舞い降りし天使達を守ってやってくれ」
「煉獄? ここは地獄ではないのか? 罪を犯した者たちが大勢落ちてきているではないか」
「ここにいるのは更生の見込みある者達。永劫に近い刑期を言い渡され、それでも尚心を入れ替えることを決意した者たちはその時点で天に送られまた地上へと転生する。地獄は――――一切の救いがない。永遠に苦しみ続ける」
「地獄、か。ここも大概地獄だが。これより更に下があるのか」
「地獄を見てみるか。あの苦しみを見たなら、誰でも二度と悪さをしようとは思わなくなるだろうな」
(地獄――恐ろしい。もう落ちたくないな――もう? 俺は何を――――)
「ついたぞ。この穴から地上に帰るのだ」
「ああ、だが、どうやって登ればいい? この穴を」
焔山達の頭上には、地上に通じるというよりはまるで地獄に通じていそうな、遥か遠方までもが闇に埋め尽くされた漆黒の大穴があった。閻魔大王はニヒルに笑う。
「すぐに分かる」
「何を言って――――ッ! 光。いや、あれじゃまるで……人」
光の天使が漆黒の穴を照らしながら舞い降りてくる。その天使の姿は……。
「セィラ! ああ。セィラ、俺の、俺だけの天使。あなたこそ俺の永遠の天使。一生あなたを守り続けることをここに誓います。私は聖女の騎士として生まれ変わったのです」
「(ニコリ)」
セィラの形をした光は口元に笑みを浮かべた。恍惚の表情を浮かべる焔山。
「(ともに行きましょう。永遠の平和のために)」
「ああ――――」
光は焔山の手を取り地上へと上昇する。閻魔大王は焔山を見送り、やがてぽつりと零した。
「神の愛なのだよ、魔王サタンよ。お前が本当に求めているものは。お前がそれを手に入ることを、祈っている――――」
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