第7話 消せない旋律【ハーモニカ・グラフティ】

 草木一つ生えない亀裂だらけの荒野を、二人の男女が歩いていた。

 一人は、黒ローブをその身に纏うリュックサックを背負った男。鋭い目付きで、隙無く辺りに警戒を張り巡らせている。

 もう一人は、つぎはぎだらけのシスター服を身に纏うホワイトシルバーの銀髪の少女。何やら、やたらと疲れた様子だ。

 少女が、ぜぇぜぇと息を切らしながら、男に問いかける。


「ぜぇぜぇ、え、焔山、さん。もう少し、歩く速度を緩めてください。というか、休憩をさせてください。聖女とはいえ、聖神力と精神力とを除けば普通の少女なんです」

「何故、2回言った」

「? 何がですか」

「いや、いい。歩くぞ」


 セィラは、


「えーーーーーー!?」


 と不満を垂れた。


 しかし、歩く。奴隷の、ように。いや、半分奴隷なのだ。本人は無自覚ながら、セィラ・ホリィは、黒死焔山の奴隷なのだ。なにせ、セィラ・ホリィは、黒死焔山なしでは生きていけないのだから。一日と持たず、野垂れ死にするのだから。


 ミーシャを殺した後、焔山はセィラ・ホリィを連れて、グノーシス中央協会に向かうことにした。2,3日分の食料と水樽を、リュックに詰めて、武器を、携帯し、ハーモニカを、吹きながら。もっとも、セィラに「うるさい」と言われたので現在ハーモニカはローブの内に仕舞っているのだが。


 ハーモニカを吹くことは、自己鍛錬を除けば焔山の唯一の趣味であった。

 好んで吹く音楽はクラシック音楽、讃美歌、ロックンロールなどなど。どれも、太古の神聖な楽曲である。特に好きな曲は交響曲第9番歓喜の歌で暇さえあれば吹いている程だ。遺跡調査の際、楽譜発見の報告を信徒より受け、それを焔山が独自に解読し、オリジナルアレンジを施したものだ。ハーモニカ用に最適化されたリズムは、幻妙にして美しい旋律を奏でる。セィラも始めはうっとりと聞き惚れていたが、焔山が一日中ずっと同じ曲をループし続けるので、余りにもあんまりなので、「うるさい」と言わずには居られなかった。セィラが「うるさい」を100回程繰り返した辺りで、焔山はようやく「ちっ(渋い声)」と舌を打ちながらハーモニカをローブの内ポケットに仕舞った。


 焔山はセィラに尋ねる。


「グノーシス中央聖教会というのはどういう場所なんだ」

「エデン東聖教会で育ったのでよく分かりません」

「分かることはないのか」

「聖教会としては最大規模で、収容人数は7万人。反宇宙的二元論


(「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。言い換えれば、現在われわれが生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高神が創造した善の宇宙があったと捉える思想。グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢の世界である。しかし至高神の神性(アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる狂った神を作る。ヤルダバオトは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。グノーシスの神話ではこのヤルダバオトの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界であると捉えられる。


 二元論とは、宇宙が本来的に悪の宇宙であって、既存の諸宗教・思想の伝える神や神々が善であるというう思想あるいは実存の立場。ここでは、「善」と「悪」の対立が二元論的に把握されている。善とされる神々も、彼らがこの悪である世界の原因であれば、実は悪の神、「偽の神」である。しかしその場合、どこかに「真の神」が存在し「真の世界」が存在するはずである。悪の世界はまた「物質」で構成されており、それ故に物質は悪である。また物質で造られた肉体も悪である。物質に対し、「霊」あるいは「イデアー」こそは真の存在であり世界である。善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、イデアーと物質と云う「二元論」が、グノーシス主義の基本的な世界観であり、これが「反宇宙論」と合わさり「反宇宙的二元論」という思想になった)


 と呼ばれる世界観が最大の特徴。現代のグノーシス主義では、すべての存在に先駆け、永遠であり、不であり、至高の存在であるプロパトールのみを崇めています。そして、至高の存在たるプロパトールをこの世に降臨し、地上に蔓延るアルコーン(偽の神、悪魔も悪神と定義されるため偽の神に数えられる)を撲滅することが、グノーシス中央聖教会、ひいてはエデン東聖教会も含めた全ての聖教会の目標。そして、その尖兵が聖女である私であり、プロパトールがこの世に降臨したときにこそ、この地上に真の平和が訪れるのです。私の知っていることは、それくらいですね。グノーシス中央聖教会がどういう場所なのか、私の説明で分かりました?」


「ああ、分かったよ。この世は糞だという主義思想を持っているということがな」

「地上が、糞でないと?」

「ああ――――どうやら糞のおでましのだ」

「え?」


  セィラは周りを見渡してみる。いつのまにか、セィラと焔山は糞悪魔(カオシックデビル)に取り囲まれていた。数は10匹。糞悪魔は、下卑た笑みを浮かべている。セィラ、怯える。糞悪魔、セィラにウィンクを送る。セィラ、吐き戻す。糞悪魔、ゲロに舌舐めずりをする。セィラ、気が遠くなる。ふらっと体を傾かせたセィラの肩を、焔山は抱き寄せる。セィラは、頬を赤らめる。


(暖かい手……プロパトール様とうさんみたい……)


 糞悪魔とは、悪魔憑の成り損ねであり、その中でも低級悪魔に憑かれたものを指す。悪魔に憑かれた人間は、余程強靭な精神力を持っていない限り、大抵は糞悪魔になる。糞悪魔とは完全に精神と肉体を悪魔に乗っ取られた人間なのだ。そして精神を完全に悪魔に乗っ取られた者の肉体は、人の原形を留めない。肌は黒ずみ、大小不揃いの角が生え、蝙蝠じみた肉質の翼が生え、新たな性感帯である尻尾(この尻尾で強姦を行う)が生え、超常の筋力を誇るようになる。低級悪魔なので特殊な能力は持たないが、並みの人間ならその筋力だけで十分すぎる脅威となる。かつて地獄の門(ヘルズゲート)が開き世界が滅びかけた時も、ほとんどの被害は有象無象の糞悪魔によるものであった。糞悪魔こそ、人類にとっての災敵である。


 糞悪魔たちは、セィラと焔山を指差し、顔を合わせ、手を叩いた。馬鹿にしているのだ。ジェスチャーを日本語に訳すと、「見ろ、こんな所に馬鹿二人はっけ~ん。男の方は殺して、銀髪の美少女かわいこちゃん輸姦まわしちゃおうぜ」と言ったところか。


 焔山が、背の鞘から銀の剣を抜いた。シュランと、魅力的な音がする。


「俺のそばから離れるな」


 セィラは、首が取れるほどに繰り返し頷いた。泣きそうな、顔。糞悪魔たちが、生唾を飲み込んだ。


「GUGAAAAAAAAAAAAAAA(殺れえええええええええええええええええ!)

 WRYYYYYYYYYYYYYYYY(そして姦れえええええええええええええええ!)GINPATUNOBISYOUJODALTU!(銀髪の美少女だっ! 構エロッ!)」


 雄叫び勇ましい糞悪魔が一匹集団から飛び出した。焔山は真正面から突っ込んで来た糞悪魔の臓物を銀剣でぶち抜いた。引き抜く。糞悪魔が、臓物をブチ撒けて死んだ。


 糞悪魔たちに動揺が走る。性欲が先走った一匹が、後ろから突貫。セィラが「ひっ」と悲鳴を上げる。糞悪魔の股間の、鬼の金棒のように怒張したペニスを視たからだ。焔山が、後ろを振り向きさえせずに、銀剣を疾らせた。鬼の金棒のように怒張したペニスが、天高く舞い上がる。糞悪魔が、去勢された雄犬のように金切り声で啼き叫く。「耳障りだ」口を薙ぐ。頭が飛んだ。地面を転々とし断面が血塗れの砂塗れとなる。三匹目は中々出てこない。糞悪魔共が顔合わせ目配せ、こくんと頷き合う。糞悪魔の群れが一斉に焔山に飛びかかった。銀剣が、回転する。銀色の暴風に巻き込まれた5匹の糞悪魔は、ゆで卵のようにスライスされ、ばらばらに地面に落ちた。悪魔の血は、ドス黒い。乾いた大地が、血を吸う。


 群れのリーダーらしき大柄な最期の一匹が、尻尾を丸めて逃げた。焔山はその背中に銀剣を投げる。物凄い速度で投擲された銀剣が心臓を貫き、大柄の糞悪魔が血を噴く。地面にばたりとうつ伏せに倒れる。くたばった。糞悪魔が。


「ふん、雑魚共が――――」


 焔山は銀剣の刀身についた血糊を一振りで吹き飛ばす。

 銀剣を鞘に納めると、シャラッ、と気持ちのいい金属音が耳に響いた。


 セィラは、僅か15秒で繰り広げられた糞悪魔の殺戮ショーを、楽しんだ。感嘆の声を上げる。


「凄い……糞悪魔を蹂躙するなんて……」


 ふと、かつて自分の守護者であった老聖戦士を思い出した。

 ロスチャイルドは10秒。

 一匹倒すまでの時間だ。もっとかかることもある。

 焔山は、そのロスチャイルドを遥かに凌駕する速さで、10匹の糞悪魔を屠った。セィラは、悪魔憑たる焔山の凄まじい強さに、改めて畏怖の念を覚える。


「すごい……ロスチャイルドより、ずっとつよい!」

「あんなカスと一緒にするな。ロスチャイルド家の、末裔と」

「嫌な思い出でも、あるの?」

「まあな……」


 焔山は、珍しく不機嫌を表情に現した。だがそれも一瞬のこと。焔山はキリッと表情を引き締めると、再び、悪魔の血に染まった黒き荒野を歩き始める。セィラも、その後に続く。

 地平線の彼方では、白いホワイトの、ハウス状の建物が蜃気楼に揺らめいている。


 グノーシス中央聖教会。

 それが、白い、ハウス状の建物の名前だった。

 二人は、歩く。

 

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