第3話 プロローグその三 漆黒の駅に集う人々

1

梅雨が明けた。今年の梅雨は、極端だった。

いったん振り出せば、各地の排水口を溢れさせるほどに降り、雨が止むと、農業従事者を不安にさせるほどの暑さをもたらせた。

紫陽花を愛でる季節の味わいは、忘れ去られていた。

七月一ヶ月は、両極端な天候が続いた。八月になり、天候不順はなりを収めた…。


ガラガラとキャリーバックを引きずる音がする。

音は一台だったのに、輪唱するかのように二台、三台と重なっていく。

ビルとビルの間から、日が差してきた。

一平の横顔を照らす。キャリーバックの重みは気にならない。青年らしい未知への高揚感が一平をつき動かしていた。そして更には。

「一平さん。今朝は寝坊しなかったんですね」

勇気の存在も、彼の歩みを励ましていた。


いったいいつこの駅舎は建てられたのか。駅舎の前に佇む人々の頭に、共通の疑問が浮かんでいた。

その駅舎は、碁盤のように縦横にラインが引かれ、それによって出来上がった升目に、浮かび上がるように、デザインされた白波が描かれていた。

冷静な者は、スマホで駅舎の写真をとり、検索していたが、ヒットしなかった。

「なんだこれは。TO市に実在する駅に、こんな碁盤のような正方形の壁面の建物はないぜ」銀ぶちメガネをかけた、視線の鋭い年は三十前後の青年は叫んだ。

その叫びに反応して、並んで立っていた、髪をソバ―ジュにした女性が、青年同様スマホで検索しつつ甲高い声で叫んだ。

「ほんとうだわ―。俊哉の言う通り。もしかしてこれ、ハリボテじゃないの、だったら傑作ね!」

ソバージュ女性の甲高い声は、そこにいる他の参加者に、少なからず不安と猜疑感を与えた。

波紋が広がろうとした時、場違いなハンチング帽子を被った小太りの若い女性が、ゴム鞠のように、身体を弾ませながら現れた。

その様子は、勇気に「不思議の国のアリス」の山高帽を被ったウサギを連想させた。

「参加者のみなさん。おまたせしました。あちらの通路から、駅にお入りください」

その若い女性の額に汗を浮かべて叫ぶ様子に、参加者たちの疑惑と不安は、その鉾を収めた。

一平と勇気を始めとして、参加者七組計十四名は、駅舎の通路を通って、やがて一室に集められた。

参加者たちは、一室に集められたことで、一時収まっていた猜疑心と不信感を唱え始めた。

「おいおい、スマホで検索しても存在しない駅にいるだけでも気味が悪いのに、その上、こんな狭い部屋に入れられるなんて、聞いてねえぞ!」

連れの女性に「俊哉」と呼ばれた銀ぶちメガネの青年が、堪えきれずに怒鳴った。

その怒鳴り声に一瞬静まり返ったが、すぐに不平を言い出した。


やがて、一段高い舞台の袖から、男女十数人が現れて、横一列に並んだ。

メイド服の十代と思しき女性が四人並んでおり、更に五人の男がホテルのポ―タ―の制服を着て並んでいた。その隣に、仕立てたばかりと思われるス―ツ、シワひとつない血のように赤いシャツを身にまとった、落ち着ききった見たところ四十前後の男が並んでいた。さらに、人一人分のスペースを開けて、コック帽を被った三十代後半の女性料理長が、にこやかな笑みを称えている。さらに、若い見習いコックらしき少年もいた。

突然現れた人間たちを目にして、参加者の俊哉と名乗る青年も、声が出なかった。

2

赤いシャツの男は、よく通るハリのある声で、語りだした。

「ツアーに参加される幸運な皆さん。最高経営責任者である明智賢治です。よろしくお願いします。」

明智賢治は、参加者一人一人に目を停めて目礼した。

「おい、スマホで検索してもこんな駅はないぞ。その上、こんな所に集めて、俺たちをどうするつもりだ」俊哉は噛みついた。

しかし、賢治は冷静な表情を崩さず答える。

「ここは既にバ―チャル空間なのです。野中俊哉様」


室内にざわめきが立った。

俊哉は、泡を食ったように瞬間押し黙ったが、すぐに言葉を継いだ。

「バ―チャル空間だと、じゃあ、俺たちはデフォルメされた下手な絵にされて、誰かに操作されているというのか」

俊哉の言葉に、賢治は冷静に答える。

「我社の社運をかけて開発した『生成AI花蓮』に操作されているのです」

参加者たちは言葉を失っていた。その静まりを賢治の冷静な言葉が縫っていく。

「野中様も、私も滑稽な絵になどされてはいません。映画のような動画で、操作されているのです。今この瞬間も。

皆様が座っている座席も、机も花蓮が創りあげたもので、現実のものではありません」

賢治の説明に驚いて、両手を机に置いていた一平は、手を机から離した。

俊哉は、理解不能に陥りながらも意地で言葉を継ぐ。

「で、でも椅子にも机にも手触り感があるぞ。壁も。これを全てその"花蓮"がつくりだしているのか。もう俺には理解不能だ」

俊哉は、疲れ果てたように自分の座席に座った。

髪をソバージュにした女性が彼に駆け寄り、俊哉を抱きしめた。

3

参加者のざわめきは続いていた。その中で、挙手をする者がいた。

「質問がある。ぜひ答えてもらいたい」

その場にある全視線が声のする方に向けられた。


質問に立ったのは、七十代後半に見える男だった。

体調が良くないのだろうか、立ち上がろうとして、身体をよろめかせた。

「あなた!」六十代後半の女性が立ち上がり、慌てて夫を支えた。

男は、夫人に(ありがとう)と小声で感謝を告げると、賢治にまっすぐな視線を向けた。

「見ての通り体調が思わしくなくてな。医者によれば、私は癌で余命十八ヶ月、つまり一年半ということだ。申し遅れたが、私の名は「坂家護」こちらは、妻の美樹だ」

ざわめきが、さらに大きくなった。

(あのホテル王の?)

(不動産王でもある?)

周囲のざわめきに、坂家護は、皮肉な笑みを浮かべた。

「どうやら少しは知っていてもらっているようだ。

しかし、今はそんなことは関係ない」

賢治は、驚いたが意外な行動を取った。

「坂家さん、ちょっと待ってくださいね」

駆け足で壇上から降りると、部下に命じる。

「坂家さんの前の座席を整理しろ。前の座席の方々、すみませんが立ってください」

少し、騒がしい音があったが、瞬く間に、坂家護と明智賢治は、机を挟んで向かい合って座っていた。

坂家護は、賢治の意外な行動に面食らったが、余裕の表情は、保っていた。

「なんだ、カ―ドでもするつもりか」

「あなたがお望みならね」

「ふん。バ―チャル空間で、旅をしても、本当に旅したことにはならない。まがいものだよ」

「坂家さん。そこまでおっしゃるなら、経験してから、私と私の作り上げようとしている花蓮AIを拒否してください。私は、この事業から撤退します」

護と賢治の視線がぶつかる。

護は、ため息をつくと言った。

「よし、こうしよう。私は今でも、一日に何百万と稼ぐんだよ。参加者は私と妻を除けば十二名、若者にとっての二十万は大金だ。若者たちに参加費を返還してやってくれないか。若者たちの金は、

護は、小切手に二百四十万と書くと、破り賢治に見せた。

「もし、この旅が、満足いく旅ならば、君にこれを渡す。どうだ、私の挑発に乗るかね、それとも逃げるかね」

明智賢治も不敵な笑みを浮かべて言った。

「いいでしょう。挑発に乗りましょう」


賢治は、早速参加費の二十万を返還した。

賢治と護の駆け引きにハラハラしていた一平と勇気は、複雑な想いで、返された現金をみつめた。

「妙なことになってきましたね、一平さん」と勇気。

「そうだな」と一平は呟く。

十四名の旅人たちは、流線型の列車に乗った。

黒光りする列車に、朝陽が反射して、一本の矢のように線路を走った。





















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