第75話 獣人族と海の向こうの大陸 1

《海鳥亭》でたらふく朝飯を堪能した俺は、腹をさすりながら冒険者ギルドへ向かった。小さな町のギルドなので寂れているかと思いきや、中に入るとけっこう賑わっていた。

 俺は、どんな依頼があるのかと、まず掲示板を見にいった。


(アーマークラブの討伐……遠洋漁船の護衛……マーマン討伐、か……へえ、けっこう海の魔物が出るんだな。マーマンて、確か半魚人だったよな?)


『はい、男の半魚人をマーマン、女の半魚人をマーメイドと呼びます。どちらも、知能が高く、水属性魔法を使います』


(マーメイドって、なんか美しい女の人のイメージだけど、実際はどうなんだろう?)


『ご自分の目で確かめられたらどうですか?』


(だな……よし、この依頼を受けてみるか)


 俺は掲示された依頼書を外して、受付へ持っていった。

「すみません、これ受けたいんですけど……」


「ようこそ、当ギルドへ。受付担当のエミルと申します。えっと、これはCランク以上のクエストになりますが……」

 茶色の巻き毛の受付嬢エミルさんは、すまなそうにそう言った。


「俺、Bランクなんで。これ、ギルドカードです」


「あっ、し、失礼しましたぁっ! か、確認させていただきますね」

 エミルさんはカードを両手で受け取ると、ギルド専用の魔道具にカードを差し込んだ。


「はい、Bランク冒険者トーマ様ですね、確認しました。誠に申しわけありませんでした。このマーマン討伐の依頼、クエストとして受理させていただきます」


「ありがとうございます。ところで、俺、海の魔物は初めてなんですが、魔物についての情報とか教えてもらえますか?」


「あ、それでしたら、あちらの資料棚にこのギルド管内の魔物の資料や海底の地図がありますので、自由に閲覧ください。持ち出しは禁止ですのでご注意を」


「なるほど。ありがとうございました」


「はい、どうかお気をつけて」


 俺は、受付から離れると、入り口の横にある資料棚に向かった。

「魔物の資料は……お、あった、これだな」


 俺は資料を持ってラウンジへ行き、テーブル席に座って中を読み始めた。

(へえ、マーマンて夜行性なのか。ふむふむ……太陽の光に弱い可能性ね、なるほど……)


「な、なあ、兄ちゃんっ」

 不意に横から聞こえてきた声に、俺はびっくりして顔を上げた。そこには、俺とさほど年が変わらない少年と、その妹らしい幼い少女が立っていた。しかも、よく見ると、二人とも銀髪の側頭部から髪より少し濃いめの短い毛に覆われた耳が、ぴょこんと出ている。


(おお、獣人の兄妹か。《木漏れ日亭》のミーナさん以来だな、獣人に会うのは……)


「ん? 俺に何か用かい?」


「あ、ああ、兄ちゃんはBランクなんだよな? そして、マーマンの討伐をするんだろう?」


「ああ、そうだけど……」


「頼むっ! 俺たちも一緒に連れていってくれないか?」

 兄の方がそう言って深々と頭を下げると、妹の方も慌てて頭を下げた。


「えっ? ちょ、待ってくれ。どういうことだ?」

 訳が分からず、俺が困っていると、また一人の冒険者らしい若者が近づいてきた。


「こら、リト、お前またやってるのか。面倒は起こすなって言っただろう?」

「面倒なんて起こさないよ。ただ、頼んでいるだけだ」

「それが、面倒事を引き起こすんだよ。あんた、すまないな、どうか気にしないでくれ」

 近づいて来た若者も獣人だった。ただ、兄妹と違うのは髪の色と耳の位置だ。若者の髪の色は明るい茶色で、耳はもっと小さく、頭の上の方についていた。恐らく種族が違うのだろう。


「ああ、別にいいけど、二人はどうしてマーマン退治に行きたいんだい?」

 俺の問いにリトは真剣な顔で答えた。


「父ちゃんの仇を討ちたいんだっ」


 その答えに、俺が驚いて返事をためらっていると、彼らの兄貴分の若者がこう言った。

「ああ、それについては俺が説明するよ。俺はバル、C級の冒険者だ」


「トーマだ。君たちは、その、三人兄弟じゃないよな?」


「ああ、こいつらは兄妹だが、俺は違う。まあ、同じ獣人仲間だがな。

 さて、話の続きだが、こいつらの父親は二年前、〈夜突き漁〉に出ていてマーマンにやられたんだ……体を食いちぎられて酷い有様だったよ」

 バルの言葉の途中で、兄妹は嗚咽をあげながら涙を流した。


「そうだったのか……でも、なんで夜に漁なんか? マーマンは昼間は出てこないんだろう?」


「ああ、そうだ。だが、夜は魚たちも岩陰で寝ていることが多いからな。大物を狙うには潜って銛で突くのが確実なんだ。それに、俺たち獣人は夜目が効く。月さえ出ていれば、夜の海で漁をするのが、一番稼げるのさ。ただし、その事件があってから、漁師組合では〈夜突き漁〉は禁止になったがな」


「なるほど……ありがとう、話は分かったよ。少し考えさせてくれ」

「お、おい、本気か、こいつら、希望持っちまうぜ?」

 俺の言葉に、バルは驚き、リトたちは目を輝かせた。


「ああ、今の話を聞いて、俺も夜に船を出してくれる人を探さないといけなくなった。見つかったら、一緒に乗っていくのは構わないよ。ただし、自分たちの身は自分たちで守る気が無いなら連れて行けない」


「うん、分かったよ。ありがとう、兄ちゃん! 俺、船を探してくる」

 リトたちは、そう言って深々と頭を下げてから走ってギルドを出ていった。


「やれやれ、あんたも物好きだな」

「あはは……そうだね。でも、一生懸命な奴は放っておけないんだよ。そのうちバカやって命を落としかねないからね。それはそうと、マーマン討伐って、他の冒険者は受けないのかい?」


 バルは俺の隣に座ると、昔からの親友のような雰囲気で頷いた。

「ああ、討伐依頼が出たのは最近なんだ。ときどき朝方でも、漁船が襲われる被害が出てきたからな。護衛の冒険者が何人もやられている。しかも、Cランク冒険者がだ。この街には、Bランク冒険者パーティは一組しかいない。ギルドも彼らに指名依頼を出したんだが、依頼料が危険度に比べて安すぎるからって断ったんだ」


「なるほど……確かに夜は視界が限られるし、海の上というハンデもある。相手が集団で来るなら、一匹の危険度がCでもB、あるいはAにまで危険度は跳ね上がるからな」


「ああ、そうなんだ。俺たちCランク冒険者も、討伐したい気持ちはあるんだがな……」


「なあ、船が見つかったら協力してくれないか?」


 俺の問いに、バルは真剣な目で俺を見つめた。

「何か、勝算はあるのか?」


 俺は小さく頷いた。

「俺は少々魔法が使える。やってみないと分からないが、方法はいくつかある」


 バルの目が活き活きと輝き、口元に笑みが浮かんだ。

「分かった。仲間に声を掛けておくよ。今からリトたちと一緒に船を探してくる」


 バルはそう言うと、立ち上がって俺に手を差し出した。俺はそれをしっかりと握った。

「うおっ、さ、さすがBランクだな。握力半端ねえ。よろしく頼むぜ」

「ああ、よろしく」

 バルは嬉しそうに笑って、ギルドから出て行った。



♢♢♢


「……なるほど、それで獣人の子たちが船を当たっていたのか。だが、難しいだろうな。マーマンに襲撃されるって分かっていて船を出す漁師は……」


 夕方、約束通り、俺は《海鳥亭》でバーツのおっちゃんと夕食を食べていた。

 おっちゃんにギルドでのことを話すと、おっちゃんは頷きながら何か考えていたが、はっと何かを思いついたように、俺に目を向けた。

「いや、一人いる。だが、あの爺さんは人間嫌いの頑固者だからな……」


「へえ、何か訳ありの人なんですか?」

 俺は、定食と刺身を注文してパクつきながら尋ねた。


「ああ、獣人の爺さんだ。戦争前に海の向こうの大陸から移住してきた連中の中の、一番の古株だ。戦争後、獣人たちはかなりひどい迫害を受けてな。そのため、ほとんどの連中はこの街を離れて、アウグストやプラドへ移住していった。だが、何組かの家族はこの街に残って、迫害に耐えながら、漁師を続けたんだ。

 まあ、今ではもう獣人に対する目立った迫害は無くなったがな。爺さんたちは、街から少し離れた入江に小さな集落を作って、人間たちとはほとんど交流しないで生きている。トーマが会った子どもたちも、たぶんその集落の連中だろう。彼らは、優秀で勇敢な漁師たちだ。特に長老のゼム爺さんは、若い頃、単身シーワームと戦って撃退したっていう伝説の持ち主だからな」


(へえ、シーワームってウミヘビみたいなものかな?)


『はい、海のワームですね。体長は大きいもので五十メートルになることもあります。シーサーペントと競合することが多く、時には殺し合うこともあります。ただ、シーワームは海底の深い所に住んでいて、あまり移動しませんし、船を襲うことは稀です。それに対して、シーサーペントは長い距離を回遊しながら、度々船を襲うことがあります』


(ふむふむ、なるほど)


「なあ、バーツのおっちゃん、海の向こうの大陸って、もしかして獣人の国が多いのか?」


「ああ、トーマは知らなかったのか? 海の向こうのルンダ大陸はこっちのゴラン大陸の三分の一くらいの大きさだが、住人のほとんどは獣人だ。奴らは一人一人の身体能力が高く、四十年前の戦争でも、ローダスの大軍相手に少数精鋭で戦い、とうとう撃退してしまった。勇敢な奴らだよ」


 俺は、おっちゃんの話を聞きながら、胸の中から湧き上がってくる熱い思いを感じていた。ぜひとも、海の向こうの大陸に行ってみたいという思いを……。



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