第63話 終戦とタナトスの砦 1
「なんだとっ! 友軍を戦場にほったらかしにして逃げ帰って来たと言うのか?」
タナトス要塞の司令官室に、司令官アスターク・レブロンの怒声が響き渡った。そのレブロンの上半身と頭には包帯が厚く巻かれていた。先日、前線で軍の指揮を執っていた彼のもとへ、敵の魔導士が放ったファイヤーボールが直撃し、大やけどを負ったのである。
「は、はっ、しかし、敵の魔法攻撃は凄まじく、あのまま踏みとどまっていれば、全滅もあり得た状況でして、いたしかたなく……」
「そうであれば、なおさら指揮官であるお前がしんがりになって、兵を逃がすのが務めであろう。それを誰より先に逃げ帰るとは、恥を知れっ! もうよい、去れっ!」
厳しい叱責を受けた騎馬隊長のカミーユ・ロドン男爵は、あからさまに不満げな顔で部屋を出て行った。
レブロン辺境伯は大きなため息を吐くと、悔し気に拳でベッドの端を叩いた。
「やはり、あの男に指揮を任せたのは間違いだった。こうなったら、やはり私が……」
「いけません、閣下。まだご無理ができるお体ではありません」
ベッドから出ようとする司令官を、側近の参謀、ベルローズ準男爵が止めた。
「だが、奴に任せていたら被害が大きくなるばかりだぞ」
「……無念ですが、現在の騎馬隊の半数以上がロドン男爵の私兵です。ここで彼を切れば、恐らく彼は兵を連れて領地へ引き上げるでしょう」
辺境伯は苦悶の表情で再びため息を吐いた。
「閣下、あと二日でパルマ―伯爵の援軍が到着します。それまで、なんとか私が持ちこたえます。どうかご辛抱を」
「……わかった。頼むぞ、アラン」
「はっ、お任せを。さっそく動ける兵を集めてみます」
ベルローズ準男爵は敬礼すると、部屋から出て行った。
♢♢♢
俺は騎馬兵たちの後を追いかけて、敵の本陣にたどり着いた。まさか彼らも、人間の子どもが、単身で走って追いかけて来るとは夢にも思わなかっただろう。馬から下りると、司令室兼用の大きなテントに駆け込んでいった。
「辺境伯様、報告であります!」
「何だ、騒々しい。ゴッデスはどうした?」
テントの中では、司令官のバーンズ辺境伯が数人の側近たちと軍議の最中であった。
「あ、はっ、それが、隊長は、突然現れた子どもに攻撃されて、落馬され……」
「はあ? 貴様、何を言っておる、気でも触れたか?」
「い、いいえ、決して、その、子どもは化け物のように強くて、魔法を無詠唱で放ち……」
バーンズ辺境伯を始め、そこにいた側近たちは呆然と兵士の言葉を聞いていた。
「ああ、もうよい。とにかく、ゴッデスを連れて来い。彼から直接話を聞く」
バーンズ辺境伯が、そう言って兵士を下がらせようとしたとき、突然突風が吹いたように一陣の風が入り口から吹き込んできたと思ったら、バーンズ辺境伯が仰向けに倒れ、彼の上に馬乗りになった少年がいたのだった。
「はい、皆さん、こんにちは。この人がバーンズ辺境伯さんで間違いないよね?」
俺は辺境伯を押さえつけて、メイスの尖った穂先を彼の喉元に突きつけながら、周囲の面々を見回した。
瞬時、呆気に取られていた側近と兵士たちは、一斉に喚き始めた。
「な、な、何だ貴様はっ! すぐに閣下から離れろっ!」
「こ、こいつです、さっき言った化け物というのは」
「お、おい、司令官様からすぐ手を放せ! さもなくば首が飛ぶぞ」
「はいはい、うるさいね。そこ、剣を納めて。この人が死んでもいいのかい?」
「き、貴様ぁ……」
「ジェダン、やめろっ! 皆、武器は控えろ……小僧、貴様何者だ?(くそ、なんて力だ。これは子どもの力じゃない……伝説の魔人族か)」
バーンズ辺境伯はしばらく抵抗を試みたが、びくともしない力を実感して、今は無事にこの場を乗り切る方向へ考えを切り替えた。
「ああ、まあ今はそれはどうでもいいことです。ねえ、司令官さん、良い知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちを先に聞きたいですか?」
(ああ、またあの禿のおっさんが余計なことを……)
〈並列思考〉のスキルを獲得したおかげか、俺の〈索敵〉は別次元の進化を遂げたようだ。まだ、ステータスを確認してはいないが、敵意のある相手の動きまで感知できるようになっていたのだ。
「そこのおっさん、そのナイフで何をするつもり? ああ、もう面倒くさいな。あんた、ちょっと大人しくしておいてよ」
俺は、闇属性魔法〈麻痺〉を放った。
「なっ、あ、あ、が……」
ボールドのおっさんは、おそらく情報部か暗部の人間だな。動けなくしておいた方が良いだろう。
周囲の面々は、強面の側近が突然硬直して地面に倒れるのを見て、息を飲み込んだ。
「他に、まだ俺に何かしたい人いますか?」
俺の問いに、誰も答える者はいなかった。
「やれやれ、じゃあもう一回聞くけど、良い知らせと悪い知らせ、どっちを先に聞きたい?」
「あ、ああ、では、悪い知らせを……」
「うん。あのね、司令官さんが頼みの綱にしていた、ボイド侯爵だけど、計画がバレて捕まっちゃったよ。もうすぐ処刑されるんじゃないかな」
「なっ……それは、まことであろうな?」
「こんなこと、ウソ言ってもしようがないでしょう?」
バーンズ辺境伯は、青ざめた顔でしばらく考えていたが、何か吹き切れたような表情で俺を見た。
「分かった。それで、良い知らせとは?」
「うん、それだけどね。本当は、このまま司令官さんを殺して、この戦争を終わらせようと思っていたんだ。だけど、もし、このまま兵を退いて、二度とタナトスに攻め込まないと約束してくれたら、俺は何もしないで消えるよ。どうする?」
バーンズ辺境伯は一瞬目を見開いて、俺をまじまじと見つめていたが、聞き終えると体を震わせながら、ついに吹き出して笑い始めた。
「うははは……」
「か、閣下……」
側近たちは突然笑い始めた司令官に、心配げな顔で何か言おうとした。だが、それより早く、辺境伯は俺にこう言った。
「よかろう、その取引に応じよう」
「おお、物分かりが良くて助かったよ。いくら戦争と言っても、人殺しはあまりしたくないからね。じゃあ、俺は消えるけど、約束はちゃんと守ってね?」
俺はそう言うと、ようやく辺境伯を解放して立ち上がった。
側近たちは殺気立ったが、辺境伯は彼らを手で制して、俺に言った。
「小僧、名前は何という?」
「ああ、いや、それは秘密だよ。暗殺集団とかに狙われたくないからね」
「そうか、賢いな。お前が敵で残念だ。わしなら、大金をはたいてでもお前を部下にしたいぞ。その気はないか?」
「うん、ないよ。俺は別にアウグスト王国に雇われたわけじゃない。知り合いに死んでほしくなかっただけだから。じゃあ、行くよ」
俺はそう言うと、隠密と身体強化を発動して、テントから飛び出した。すぐに兵士と側近たちが後を追いかけたが、すでに俺の姿はどこにもなかった。
「か、閣下、いかがいたしますか?」
テントから出てきた司令官に、側近の参謀が問うた。
「オベロン、聞いていなかったのか? もう一度、あの者がここに現れるのを見たいのか?わしは二度とごめんだ」
「はっ、そ、それは……」
「撤退の準備をしろ。戦は終わりだ」
バーンズ辺境伯は、遠くのタナトスの砦を見つめながらそう命じた。
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