第29話 スノウの変化
「あの、サーナさん、お願いがあるんですが……」
「あらあら、私に? うふふ……いいわよ、トーマ君が大人になっても、私は今と変わらないから、待ってるわ」
「は? な、なな何を言ってるんですか?」
「あら、僕が大人になるまで待っていてくれっていうお願いじゃなかったの?」
「お、お母さん、何を……」
「うふふ、冗談よ。私はエルシアのお父さん一筋なの、安心して」
「もう、お母さんたら……」
「うふふ……だって、トーマ君をからかうの、面白いんだもん。ごめんなさいね」
「……いい迷惑です」
『マスター、その割に心臓の鼓動が……』
(黙れ……)
「それで、お願いっていうのは?」
「あ、はい。このポピィを、ここで雇ってはもらえませんか?」
俺の言葉に、ポピィもエルシアさんも、じっとサーナさんのニコニコ顔を見つめた。しばしの空白の時間、俺はごくりと唾液を飲み込んだ。
「いいわよ」
いいんかいっ! てっきり断られると思ったわっ!
「でも、ポピィちゃんは良いの? トーマ君はここにずっといるわけではないのよね?」
「あ、はい。この街もこの宿も居心地がいいのですが、俺は世界中を旅して、この世界のことをもっといろいろ知りたいと思っています」
サーナさんに問われて、俺はあまり考えずに答えた。
と、その直後、ポピィが突然椅子から立ち上がって叫んだのだった。
「わ、わたしは、トーマ様の旅のお供をしたいですっ! す、すみません、せっかくこの宿屋に働かせてもらえるというのに、わがままを言って。でも……」
「ほら、やっぱりね。うふふ……女の勘は当たるのよ。ポピィちゃんは、トーマ君の側を離れたくないのよね?」
「は、はい、いえ、あの、恩返しがしたいのです! 命を助けていただいたので……だ、だめですか?」
(う~ん、正直、めんどくさいんだよね。一人の方が気が楽なんだよ……)
『しかし、マスター、ポピィさんはなかなか優秀なパートナーだと思いますよ』
(そうなんだよ。俺の戦闘スタイルにはピッタリのスキルだからな。う~ん……)
「分かった……」
しばし考えて、俺が頷くと、ポピィはぱっと花が咲くような笑顔を見せて喜んだ。
「……ただし、これから一か月でお前を鍛えて、レベルが20になれたら、一緒に行くことを許す。厳しいからな、無理だと思ったら、ここで働かせてもらうんだ、いいな?」
「はいっ、分かりました! ついでに、お料理、お掃除、お洗濯もちゃんとできるように頑張ります。トーマ様、皆さん、よろしくお願いしますです」
「まあまあ、なんていい子なのかしら。任せておいて、ちゃんといいお嫁さんになれるようにしてあげるわね」
「よかったね、ポピィちゃん、わたしも一緒に頑張るからね」
おい、なんか、話が変な方向に進んでないか?
♢♢♢
「あの、ところで、スノウの姿が見えないんですが、あいつは元気ですか?」
ふと、思いついてサーナさん、エルシアさんに尋ねると、二人はなぜか微妙な表情でお互いの顔を見合った。
え、何? スノウに何かあったの? ま、まさか、悪い奴に盗まれたとか? それとも、俺の後を追いかけて、行方不明……。
「ええ、いるにはいるんだけど……」
いるんかいっ! 俺の自意識過剰が恥ずかしいわっ!
「ずっと、神木のてっぺん付近で眠っているのよ。もう五日になるかしら」
「呼んでも、降りて来ないの。大好きなポムをいっぱい用意したけど、だめだった」
「そうなんですね……う~ん、何だろう? 病気かな?」
「病気って感じでもないんだよねえ。生命力も十分感じられるし……」
「……俺、ちょっと様子を見てきますね」
「え、大丈夫ですか? 神木のてっぺんですよ? 危ないから、やめたほうが……」
「ありがとう、エルシアさん。大丈夫ですよ。高い所は割と平気なんで」
心配そうな女性陣が見送る中、俺は裏庭へのドアを開けて外に出た。
西に傾いた太陽が、ツリーハウスの辺りから上の方の神木を美しく照らしている。
「気を付けてね、トーマ君」
「無理はしないでくださいね、トーマさん」
「落ちたら私が受け止めます、トーマ様」
おいっ、ポピィ、不吉なことを言うんじゃない!
ごつごつした大木の幹は、上るのには楽だった。枝も巨大で折れる心配もない。身体強化をした俺は、ひょいひょいとあっという間に神木の半ば付近までたどり着いた。
「おお、絶景だな……」
俺は枝に立って周囲を見渡し、思わず感嘆の声を上げた。地上約二十メートル、パルトスの街の全景と東の大山脈、西の地平線を一度に見ることができた。
俺はしばしの間、その絶景を楽しんだ後、再び上を目指して幹にしがみついた。
「おっ、見えたぞ。あれだな」
十メートルほど上の三本の枝に体を横たえ、幹にか巻き付くようにして眠っている細長い「白いもの」、間違いなく神獣スノウだ。
「何か、あいつ、大きくなってないか? おーい、スノウ、元気かぁ?」
下から呼びかけたが、スノウに反応はない。仕方がないので、近くまで上って行くしかない。俺はさすがに少し恐怖心を抱きながら、用心して登って行った。
「おい、スノウ、俺だぞ、どうしたんだ?」
俺は、ついにスノウが眠る枝の所までたどり着いて、最初に見た時より三倍くらい大きくなったスノウに語り掛けた。
スノウは、安らかな顔で眠っていた。病気どころか、その体から溢れている力強い生命力は、側にいるだけで俺の体の細胞が活性化されるのを感じるほどだ。
「ク~ン……」
「おっ、目が覚めたか?」
スノウは、一瞬眠たそうな眼を少し開いて小さな鳴き声を上げたが、すぐにまた目を閉じた。
『マスター、スノウは今、成体に進化するためのエネルギーを蓄えているところではないでしょうか?』
(なるほど、そういうことか……だから少しずつ大きくなっていたんだな。
そうか……お前、いよいよ自分に与えられた〝お役目〟に就くんだな)
俺は、スノウのふわふわした体を優しく撫でながら、遠い地平線の彼方に沈もうとしている赤い夕陽を眺めた。うん、良い場所だ。ここで、世界を見守っていてくれ、スノウ……。
……て、柄にもなく感傷に浸っていた時期もありました、はい。
後で分かったことですが、世界樹の守護獣は四六時中、世界樹の側にくっついていなくてもいいそうです。この後、スノウは、けっこう自由に世界中を飛び回ることになります。神獣ならぬ神自由です。
『ウワァ、くっさっ……すごく恥ずかしいです、マスター。専用ナビやめたいです』
(そこまで言うか!)
「まあ、そうだったの、よかったわ。トーマ君、ご苦労様」
神木から下りた俺は、スノウの様子とナビの予想を自分の予想として皆に話し、安心させた。
「じゃあ、進化が終わったら、また下りてきてくれるかなあ?」
「うん、たぶん時々は顔を見せに来てくれるんじゃないかな。ああ、でも、そうなると、街の人たちを怖がらせてしまいますね……」
俺の言葉に、サーナさんとエルシアさんは何やら意味ありげに、にまぁっと笑って言ったのだ。
「ああ、そのことだけどね、心配いらないわよ、うふふ……」
「え? どういう意味ですか?」
「あのねぇ、お客さんのほとんどには、スノウが見えなかったの。つまり、私たちにしか見えないらしいの」
「え? ええええっ!」
「正確に言うとね、エルフの血を受け継いだ者と何か特別な力を持つ者には見えるらしいわ。と・く・べ・つ・な、何かを持った人には、ね?」
サーナさんとエルシアさんの目が怖いんですけど……。
「そ、そうなんだ、よかったです、あは、あはは……じゃあ、ポピィ、明日は朝早いからもう寝た方がいいな。行こうか」
「あ、は、はい」
「あらぁ、これから夕食なのに、食べないのかしら、残念だわ」
ぐぬ、そうだった。まだ夕食食べてないんだ……。
「た、食べます」
「そうよねえ。ポピィちゃん待っててね、美味しい夕食作るから、うふふ……」
「じゃあ、そろそろお店開ける準備するね。また、後でね、ポピィちゃん」
そろそろ宿屋を換えることも考えようかな……。
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