虐待と家族

アクセルデュッカー

第1話

その小柄な女性は、“じゅんこ”と名乗った。中年に近づいている年齢だが、子供のようなあどけなさを漂わせている。笑顔はほとんどない。心の中に奥深い憂いをため込んでいるようだ。カウンターだけの小さな寿司屋で、地元でとれたネタを頬張りながら、嬉しそうに日本酒の盃を傾けている。

筆者とじゅんこは、SNSを通じて知り合い、LINEで会話を始めた。じゅんこは、両親からのDVによりPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症して仕事には就けないため、生活保護を受給して生活していると説明した。筆者の周りには、いないタイプの女性である。彼女の半生や今の生き方に興味を持ち、一度会う事にした。

二人で地元の美酒を酌み交わしながら、「じゅんこさんの今までの人生を文章にしてみないか。」と、持ち掛けた。じゅんこは、「文章にはならないと思うけど、良いですか?」と聞く。「今までの人生で色々あったと思うので、好きなところから書いて送ってくれればいいよ。」と返すと、「じゃあ、頑張ってみます!」と、少しだけ顔を輝かせた。

以下が、じゅんこから届いた彼女の半生記である。


第1回目の告白

私も姉も、静岡県沼津市で、小さい頃から両親の虐待を受けて育ちました。3歳年上の姉は、今は結婚して、東京都大田区の本当に小さな家で、家族と一緒に住んでいます。私は、両親には内緒でケースワーカーに虐待を相談したときに、「県内にいては両親に見つかる可能性があるので、県外に逃げなさい。」って指導を受けて、今の場所(神奈川県小田原市)に移ってきました。

ここからは、まだ私が両親と一緒に暮らしていたころの、姉の話です。

姉は、成人してからは、表面上は両親の機嫌を取りながら生活していたけど、早く家から逃げたかったようで、それほど好きでもない相手と結婚して、東京都品川区白金高輪の賃貸マンションに住んでいました。旦那とは子供ができなくて、不妊治療に体外受精でやっと妊娠。でも、妊娠5か月になった時に、私の携帯に連絡してきて、「じゅんちゃん、私もう旦那に耐えられないので中絶するわ。」と、唐突に宣言。私はその週に、東京にマンション管理士試験を受けに行く予定だったので、姉の家に説得に寄りました。

姉と旦那と、三人で話したのだけど、旦那の主張がおかしい。姉の体調や気持ちなど気にせずに、まずは「こいつは、俺が稼いでくる金が目当てだ。」と姉を非難しました。でもその旦那は、その時点で8カ月無職状態。毎日、家でモンハン(モンスター・ハンター)に没頭している。稼いでくる金なんて、無かった。私は、姉の旦那に職を探すように頼んで、姉には中絶をやめるように説得。二人は、しぶしぶ納得したようで、旦那はしばらくして仕事に就きました。と言っても、アルバイトだけど。

モンハンをする時間が減ったこともあって、旦那はいつも不機嫌。姉に対して、「お前はダメな女だ。」「料理が不味すぎる。」「女としての魅力はゼロ。」などと、精神的なDVを繰り返し、また姉を追い詰めました。それでも何とか我慢して出産を終えると、それからは、精神的DVだけでなく、姉が拒否しているのに無理やりSEXを強要してくる性的DVも加わり、姉の精神は崩壊寸前に。姉から、「もうダメ。」と連絡がきたので、友達が勤めていた弁護士事務所経由で東京ウィメンズプラザを紹介してもらいました。出産が5月24日で、ギブアップの連絡が8月2日。姉は、出産後たった2か月で、心と体に大きなダメージを受けていました。東京ウィメンズプラザからはシェルターを紹介してもらい、姉は最終的に旦那からの逃亡を決意しました。

8月初旬に、黙って両親のハイエースを運転して、沼津から東京の姉に家に。旦那がアルバイトに行っている間に、姉と子供の荷物を全て詰め込んで、その日は都内のホテルに宿泊。翌日に、シェルターに連れて行きました。ホテルではおどおどしていた姉が、シェルターに入るときに見せた笑顔は今も忘れません。旦那からは、両親や私に電話攻勢で、「あいつはどこにいる?」「実家で匿っているのか?」と怒鳴り散らされたけど、元から両親は何も知らないし、私は教えるつもりはないのでとぼけていたら、その内連絡がなくなりました。

それでも怖いので、友達の知り合いの弁護士に頼んで、霞が関の家庭裁判所に調停を申請しました。

裁判所が指名した調停委員と一緒に、話し合いの場を持ったのだけど、全く話にならず。姉の旦那は、「子供は俺の子供だ。子供と引き離されて自殺まで考えた。」「家事もろくにやらないあいつより、まじめに働いている俺が悪いのか?」と、自分が被害者だとの主張を繰り返すだけ。姉に渡してあったICレコーダーに録音された旦那の罵詈雑言を聞かせても、何もやらない姉に教育しようとしただけと言いわけ。2時間怒鳴りっぱなしとか、嫌がる姉に無理やり挿入するとか、色々音声の証拠はあったのだけど、旦那は全く動じることはありませんでした。調停委員からは、「旦那とは、全く話にならない。」と匙を投げられてしまいました。

それで、最終的に分かったのは、旦那が発達障害の一つであるアスペルガー症候群だったという事。だから、姉を含めて他人の話や気持ちが理解できずに、自分の主張だけを繰り返していた。当然、職場でもうまくいくはずがない。

でもそれからの展開は、私の想像を超えていました。

旦那がアスペルガー症候群だと分かった姉は、色々関連する本を読んでから、「発達障害なら理解できるわ。」と、涙を流しながら旦那に同情し始める始末。結局、旦那と一緒にカウンセリングを受けることを前提に、やり直しを決めました。姉は、その前から私の紹介で東京女子医大のカウンセリングを受けていたので、そこに旦那も参加することに。カウンセリングの時は、いつも私も付き添って、その間の甥の面倒は私が見ていました。

姉は、旦那と離婚したら両親の住む実家に帰らなければならないので、両親からの肉体的な虐待と旦那からの精神的な虐待を比べて、最終的に旦那とやり直すことを選んだのだと思います。

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