書店員から殺戮刑事に転職する殺死杉
春海水亭
1.朝から死の勧誘が来る
◆
朝七時半。
東京都内のマンション『家賃の安さと等価の命』五階、五六四号室のインターホンが鳴った。
都内とは思えない家賃である『家賃の安さと等価の命』の中でも五六四号室は事故物件の中の事故物件と恐れられる格安の部屋であり、生きて部屋を出た住民は存在しない。
宅配便が来るにはあまりにも早すぎる時間である。
反応が無いとみるや、再びインターホンが鳴る。さらにもう一度。
十秒間隔で望まない客が来たぞと電子的な鈴の音色が奏でられている。
インターホンが鳴る度にマンションには不釣り合いな『殺死杉』の木製表札が揺れた。
五六四号室の住民――殺死杉謙信はソファから身を起こし、眠い目を擦りながら玄関へと向かう。
シャツの皺は、昨夜、着替えずにそのままソファに転がって眠った証である。
今日は平日の火曜日――本来ならば既に出勤している時間であるが、今日はたまの休日であった。それで本来ならば聞くはずのないインターホンの連打音を聞く羽目になってしまった。
「アナタには信じる神様がいますか?」
玄関のドアを開くと、落ち着いた服装の中年女性が立っている。
その首には大玉の数珠ネックレスがかけられており、数ページ程度の小冊子を二冊持っている。
「いますねェーッ!」
宗教勧誘など珍しいことではないが、まさか早朝から訪れるとは。
だが、ここで新たな信仰を獲得するつもりもなければ、特に問題を起こすつもりもない。
既に信仰心を他の神に捧げたフリをして、二度寝を目論む殺死杉。
閉めようとしたドアの隙間に中年女性の靴がねじ込まれている。
僅かに開いたドアから血走った女の目が殺死杉を見た。
「では貴様の信じる神のもとに送ってやろうッ!」
「そういうタイプの敵!」
瞬間、スチール製玄関ドアが十字に切断され、四つの残骸が玄関に転がった。
開け放たれた開放感のある玄関――敷金はおそらく戻って来るまい。
咄嗟に背後に下がっていなければ殺死杉もまた、ドアと共に四つの残骸となり『家賃の安さと等価の命』五階、五六四号室の異様な家賃の安さに貢献していたことだろう。
「ほう四つ切りは嫌か。では――」
開放感のある玄関になったことで、はっきりと見える。
中年女性は先と変わらず、その両手に小冊子を持ったままである。
決して扉を――そして、殺死杉を切断するために刃物に持ち替えたわけではない。
これが何を意味するか。
超高速の斬撃にて紙を武器に変えたということである。
皆様も一度は紙で手を切ったことがあるだろう。
例え薄い紙であっても――否、薄いからこそ物質を切断することが出来るのである。鋭利――鋭いとは薄いということであるのだからだ。
「三十二切りにしてやろう!紙の力でなぁ!」
「まさか、新興宗教の勧誘に見せかけた紙通り魔だったとはねェーッ!!」
「貴様の死因は紙因だァーッ!!」
斬撃――紙通り魔の左手の薄い冊子が殺死杉の首筋に横一直線に死の線を描く。
殺死杉は咄嗟に身を伏せて躱す――だが、紙通り魔は二刀流。
殺死杉の身体を縦に真っ二つにせんと脳天に迫る斬撃。
「真っ二つにした貴様の死体はコツコツとあと十六分割して、この小冊子を定期購読されている方への懸賞にしてくれるわァーッ!!!」
幸運ならば何度も続かない。
殺死杉がただの一般人であれば、この連続の斬撃に生命を喪い、三十二人の当選者にクール便で自身の死体を発送されていただろう。
だが、幸運で彼は自身に迫る死を回避したわけではない。
鈍い、ぎいという音がした。
紙通り魔の手に柔らかな肉を斬った感触も骨を断った感触もなかった。
殺死杉の脳天に振り下ろされんとした右手の紙通り魔の冊子が、殺死杉のナイフによって受け止められ、その刃が紙に数ミリほど食い込んでいる。
「なにぃっ!?」
「ケヒャァッ!!飛んで火に入る夏の虫――いや、棚からぼた餅とはこのコト……この殺人的な小冊子はアナタの人生ごと絶版にして差し上げますよォーッ!!」
殺死杉は殺戮刑事――殺人鬼を法廷を通さずに処刑することで残された遺族と自分の恨みを晴らしつつ自身の殺人欲求も満たす一石二鳥のお得刑事である。
つまるところ、狩られる側ではなく狩る側であった。
殺死杉のナイフが小冊子を裂いた。
散らばったページが風に乗って、東京都内に散逸する。
だが、紙通り魔は二刀流――殺人用の小冊子はまだその左手に。
そして家の中には数百冊の布教用が残っている。
「我が紙の捌きを喰ら……」
だが、紙通り魔の紙殺よりも――殺死杉の刺殺の方が速かった。
振るったナイフをそのまま投擲、刃がダーツめいて紙通り魔の心臓に突き刺さる。
「グェェェェェェェェッ!!!!!」
「敷金は返ってきませんが、物件の事故コンボが繋がりましたねェーッ!!」
開放感のある玄関で死体を足蹴に高らかに叫ぶ殺死杉。
「ちょっとうるさいですよ、もっと静かに殺してくださいよ」
「すみません」
だが、集団住宅の辛いところである。
仕事での殺人と違って、自宅での趣味の殺人は日常と密着している。
周りに迷惑をかけないような控えめな殺人が求められるのだ。
文句を言いに来た隣人に頭を下げ、殺死杉は死体を自宅へと引きずり、冷蔵庫に押し込んだ。
そしてソファで二度寝をしようとしたが、ふと思い出し開放感のある玄関へ。
ドアの形に開け放たれた玄関の足元に、紙通り魔の持っていた小冊子のもう一冊が転がっている。
自分の出したゴミではないが、持ち主が生ゴミになった以上は自分が責任を持って処分するべきだろう。
殺死杉は小冊子を拾い上げた。
その途端、再び風が吹く。
風が小冊子の中身を覗きたがるかのように、ペラペラとページがめくれていく。
その感覚に殺死杉は懐かしいものを覚えた。
自分が殺戮刑事になる前のことだ。
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