奴隷国家の王太子と、奴隷になった女騎士

@XI-01

奴隷国家の王太子と、奴隷になった女騎士

*****


 爽やかな昼――。


 小国『アスム』の王太子・ハワード――彼の私邸でのガーデンパーティの場において。


 「マーガレッタ・ワグナー! 私はあなたとの婚約を宣言する!」


 ハワードは壇上から思いきり声を張って、そう言い放った。

 主催者挨拶を終えるなり、いきなり発表した。


 小さな会場がどっと沸く。

 大きな拍手が空にまで響く。


 黒い薄手のロングドレスをまとい、金色の髪をアップに結っている当の本人――見目麗しいマーガレッタはというと、彼女は赤ワインのグラスを手にしたまま、ハワードのことを睨みつけた。


 「どうしてわざわざここで言うの?」


 そうとでも言いたげで、鋭くとがった目は少なからずおっかないものだった。



*****


 三日月の夜――。


 ハワードとマーガレッタは従者も連れずに馬を駆り、『妖精の泉』を訪れた。


 森の中――木々のないぽっかりと空いた場所で下馬し、歩み、淡く輝く夜光の緑草の上に並んで腰を下ろす。マーガレッタは足をくずした。ハワードは両手をうしろについて足を伸ばした。ほんとうに妖精でも飛び出してきそうな澄みきった泉をまえにするたび、彼は心が洗われるような気分になる。


 マーガレッタが「いよいよ次の戦争ね」と言い、ハワードは「勝てるといいな」と、あたりまえの受け答えをした。


「例によって、どうせ引き分けよ」

「まあ、そうなんだろうけれど」

「『アスム』の兵の血が、また多く流れることになる。奴隷国家のつらいところね」

「『ベラ』と『シエロ』が和解すればいいだけの話なのになあ」

「あなたの楽観主義にはあきれたくなるわ」

「歴史がそれを許さない?」

「そういうこと」


 『ベラ』と『シエロ』はずっと仲が悪い。国家間の関係が良好だったためしは有史以来一度もない。なにかにつけて小競り合いをくり返している。そして、いつも必ずドローで終わる。両軍ともに、致命傷を与えることもなく、致命傷を負うこともなく撤退する。だから、始末が悪い。どちらかが倒れれば、宗主国である『ベラ』の軍の先鋒として、『アスム』の兵が駆り出されることはなくなるのだから。


「本音を言うと、私も戦いたい」ハワードは夜空を見上げる。「どうして奴隷国家に王が必要なのか……私はしばしば、その意味を考える」

「考えるまでもないじゃない」マーガレッタは即答した。「『アスム』の人々にとって王族は国家の象徴。それを取り上げてしまうのは『ベラ』からすればとてもリスキー。抵抗活動を生む大きな要因になりかねない」

「裏を返せば、抗う権利までは奪われていないということか……」

「現状、普遍的かつ自然的な権利として存在しているだけだけど」


 ハワードは、三日月からマーガレッタの方へと目を移した。


「マーガレッタ、きみはいつまで騎士として剣を振るうつもりなんだい?」

「誇りを失うまで」

「誇りを失うとはどんな状況なんだろう」


 わからないわよ。

 マーガレッタはそっけなくそう言った。


「そういえば、まだ返事をしていなかったわね」

「なんのことだい?」

「婚約の話よ」


 ハワードのほうに顔を向けたマーガレッタは、優美な微笑を浮かべた。


「キスをしましょう、王太子殿下」


 マーガレッタの口振りは、まるで教師のそれのようだ。


「いいのかい?」

「ええ。いいわ」


 顎を持ち上げて目を閉じた、マーガレッタ。

 ハワードはそっと応え、唇が離れると「愛しているよ」とささやいた。


 「もう一度」と彼女にせがまれた。


「愛しているよ」

「違うわ。キスのこと」


 今度は舌を絡め合った。



*****


 涼しい朝――。


 『魔神の丘』と呼ばれる砂漠地帯において『ベラ』と『シエロ』が交戦に入ったと、壮年を過ぎた男性の執事から知らされた。『ベラ』の先陣を切ったのは、こたびも『アスム』の兵士らだ。その中にあって、さらに誰よりも先頭で戦うのが、勇猛果敢な女騎士、マーガレッタ。彼女を突き動かすのはやはり誇りなのか、それとも意地なのか。


 奴隷国家の王太子でしかない自分には、一人でも多くの、否、すべての兵の生還を祈ることしかできない。


 国が争い事に巻き込まれるたびそう痛感させられ、ハワードは無力感に苛まれる。



*****


 雨の夕――。


 『帝国』が参戦したとの報告があった。『魔神の丘』において『シエロ』の軍に合流したという。これまでずっと、『帝国』はなんの関係もない第三国の立場を貫いていた。なのに、いまになってどうして……。


 二日後に、『アスム』を束ねる総督が国民に向けて「戦況に特段の問題はない」と力強く語ったが、結局、一週間と経たずして、『ベラ』は負けてしまった。数少ない敗残兵の中にマーガレッタの姿はなく、また彼女の生死を知る者もいなかった。


 そして、『魔神の丘』での敗北から一月後には、新しい総督が着任した。

 『アスム』の「主人」が『ベラ』から『シエロ』に替わった瞬間だった。



*****


 ある日――。


 失意の日々を過ごすハワードは、王であり父であるジェームズの私室に呼び出された。執事いわく、用件は「暇つぶしに話がしたいだけ」とのことだった。それだけ聞くと、気まぐれで、あまり出来がよくない王だと思われてもしょうがないのだが、実際は、性格にこれといった問題点は見当たらず、さらに言うと仕事面でも有能で、歴代の王と比較しても見劣りすることはなく、むしろよく働くほうと言えた。


 ジェームズに座るように言われ、ハワードは椅子に腰を下ろす。こうして向かい合うのは久しぶりのことだった。


 ジェームズは白く豊かな顎ひげに右手の指を通しながら、「『帝国』が奴隷貿易を営んでいることは知っているか?」と切り出してきた。


 奴隷貿易。


 口にすら出したくないその言葉の忌まわしさに顔をしかめたくなるのを堪え、ハワードは「もちろんです」と答えた。


「情報を得た。どうやら『シエロ』は『帝国』と約束をしたらしい」

「なにを約束したのですか?」

「『シエロ』は総督の名においてこの国で女を漁るようだ。『帝国』に献上するために若い女を容赦なく吸い上げるのだ。それはもうまもなく始まるのだ」


 ハワードは目を見開く。頭にかっと血が上り、「馬鹿な!」と大きな声を出した。対してジェームズは、「よいカードを切ったものだ。『シエロ』の宰相はじつに賢い」と手放しで称えた。


 我慢しきれなくなり、勢いよく立ち上がったハワード。握りしめた両の拳はぷるぷると小刻みに震える。


「賢いものですか! 人非人にんぴにん同士の下種な取引ではありませんか!!」

「吼えるな、ハワード。耳が痛くなる」


 ジェームズはシニカルな笑みを浮かべ、クックと喉を鳴らした。胸倉を掴み上げて殴ってやりたい衝動に駆られる。だが、そうするより早く、ハワードはある可能性を思いつき、はっとなった。


 頭をよぎったのはマーガレッタのこと。


 よほど「優秀な人間」でない限り、『帝国』は戦争で捕らえた者をりょとしないと聞く。「優秀な人間」の枠内に、彼女は間違いなく収まる。しかし、それ以前に女だ。だったら……。


 ジェームズの「おまえの気づきは正しい」という声で、ハワードは我に返った。


「マーガレッタは美しい女だ。強靭であるより先に美しい女なのだ。殺されることなく捕らえられたとした場合、貿易に使われたのか、あるいは売られることなく来る日も来る日も奉仕をさせられているのか」


 似たようなことを考えていたから、ハワードは返す言葉を持たない。


 またジェームズが喉を鳴らした。ふざけるように「おお、神よ。哀れなマーガレッタの魂を救いたまえ」と言って、くつくつ笑った。



*****


 ときは流れ。



*****


 ――雨の夕。


 ハワードのもとに、『帝国』が「折れた」との報せが入った。


 レジスタンス活動に端を発した長きにわたる闘争が実を結び、見事、『シエロ』による支配から脱却した『アスム』は、脱却からちょうど十年が経過した節目の日に、今度は『帝国』に対して打って出た。『シエロ』を退けたあとも『帝国』の圧力は消えず、ときの政権によっては尻尾を振るしかなかったため、そういった悪い流れを断ち切るべく、一気に守勢から攻勢へと舵を切ったのだ。


 その手始めとして、「女性の搾取を目的とした力の行使は容認しない」とした上で、さらに「奴隷として他国に売り払った『アスム』の女性のリストの提出」を迫った。


 「折れた」とは、それらの要求を『帝国』が飲んだということを示している。簡単な交渉ではなかったに違いないが、プレッシャーに怯むことなく「身が滅びるまで争う覚悟」と強気の姿勢を維持し続けたことが、よい結果につながったのだろう。『帝国』からすれば、飼い犬に手を噛まれたような感覚に近いのかもしれない。


 政府としてきちんとリストまで求めてくれたことは、ハワードにとってとてもありがたいことだった。これで一歩まえに進めると思うと、彼の胸は大いに躍った。


 まもなくして、ハワードの希望は叶った。

 リストの写しが手に入ったのだ。


 膨大な量の資料を、ハワードは寝る間も惜しんで確認した。

 何度も何度も確認した。


 マーガレッタ・ワグナーの名はなかった。


 彼女は『帝国』の外へは売られていない。先の戦いにおいて『魔神の丘』で死んだか、『帝国』で生きているか、別の国に逃れたかのいずれかだ。


 死んでいたら、無論、動けない。

 生きていたら、なにか帰ってくることができない理由がある。


 生存を信じ、前向きになりたいところだが、かつてジェームズが言ったように、『帝国』で「奉仕」を強いられているのであれば、それは誇り高き彼女にとって、死ぬよりつらいことだろう。最悪、自ら命を絶つかもしれない。


 どんな姿形になっていようがかまわない。

 帰ってきてほしい。


 彼女の心からの願いも「帰りたい」だと信じたかった。



*****


 ――涼しい朝。


 周辺諸国との折り合いもつき、安全性と安定性を増していく『アスム』。しかし、貿易の材料とされ、あちこちに売られていった女性たちの帰国の状況は芳しくない。


 未だ奴隷と扱われている女性が、大半を占めるのだろうか。

 なんらかのかたちでくびきから解放され、他国へと逃れた女性もいるのだろうか。

 子を孕み、生み、育て、幸せな家庭を築いている女性も、中にはいたりするのだろうか……。


 私室にて、今日もリストに彼女の名前がないことを確認していた、ハワード。彼はすっかり冷めてしまったコーヒーを手に椅子から立ち上がり、窓の外をぼんやりと眺める。幾度となくついてきたため息が、またガラスを曇らせる。


 執事の老人がノックもせずに部屋に入ってきたのは、そのときだった。


「だ、旦那様、マーガレッタ様が――!!」



*****


 ――三日月の夜。


 ハワードはマーガレッタをうしろに乗せ、馬を走らせた。もう結構な年になる牡馬なのだが、『妖精の泉』まで懸命に駆けてくれた。


 先に下馬したハワードは、マーガレッタに手を貸そうとする。彼女は首を横に振って拒むと、軽やかに着地した。他人に甘えようとはしないたおやかな性格はそのままなのだなと、彼は安堵した。


 視線の先に泉を見据え、並んで佇む。

 二人とも、まえを向いたままでいる。


「子供を生んだの。男の子よ」――平然と言った。

「そうか」

「驚かないのね」――穏やかに言った。

「ああ。父親は? わかるのかい?」

「わからない。わたしはそういう性奴隷」――つまらなそうに言った。

「でも、誇りまで捨てたようには、やはり見えない」

「さあ。どうかしら」――投げやりに言って、肩をすくめてみせた。


 マーガレッタは歩み、やがて立ちどまり、白いハイヒールを脱いだ。腰を下ろして『妖精の泉』に両足を浸けると振り返り、「おいでよ、王太子殿下」と呼ぶ。ハワードは応じた。彼女の隣まで歩を進め、ブーツから足を抜き、靴下も取った。ズボンの裾を少し捲って足を泉に浸す。水は冷たい。


「ねぇ、わたしが白いハイヒールなんて、おかしい?」

「意外ではあるかな。自分で買ったのかい?」

「ええ。衝動買い」


 マーガレッタはおかしそうに、ふふと笑んだ。


 ハワードは黒いジャケットを脱ぎ、それをマーガレッタに羽織らせてやった。白いワンピースにクリーム色のカーディガンを合わせているだけなので、とても肌寒そうに映ったからだ。彼女は「優しいところは変わってないね」と言い、安心したような表情を浮かべた。


「まだ、奴隷なのかい?」

「もしそうならここにいるわけないじゃない。定年よ。年を食ったばばあなんて、もういらないって」

「息子は、いまは?」

「生きていたら二十五歳。だから二十五年、会ってない。生まれてすぐに取り上げられ、捨てられてしまったから。わたしに与えられたのは、名前をつける権利だけだった」

「その名は?」

「ノーマン」


 マーガレッタは肩にのっていたジャケットを取り、二つに折ったそれを草の上に置くと、ゆっくりと立ち上がった。


 「一緒に来て?」――目を細めて小首をかしげてみせる。


 思ったほど柔らかくはない泉の底。膝上まで濡れることなど気にせずに、水の抵抗をわずかに感じながら、ハワードは彼女とともにまえへと進む。


 泉の中央で向き合った。

 水面みなもに映るは、夜光の緑草の幻想的な輝き。


「老けたね、ハワード。髪も眉も薄くなった」

「きみだって白いものが交じってる。小じわだって目立っているよ」


 見つめ合う。


「まだ結婚してないんだってね」

「婚約を破棄した覚えはないからね」


 マーガレッタの顔がくしゃくしゃになった。


「ハワード、わたし、帰って、これた……」


 嗚咽を漏らし、抱きついてくる。


 もう言葉はいらない。


 三日月に見守られながら、口づけを交わした。

 唇を重ねているあいだ、彼女はずっと、涙を流していた。



*****


 ――爽やかな昼。


 ハワード邸の中庭。

 ガーデンパーティ。


 ハワードはタキシードをまとい、マーガレッタはウェディングドレス姿だ。


 彼は小さく右手を上げて、祝福の声に応える。

 彼女は目を細め、口元を緩め、とても優しい顔をしている。


 手をつないで壇から下りると手厚い歓迎――フラワーシャワー。二人で歩む。色も大きさも様々な花びらが舞う中を、まっすぐに進む。


 そして、終点、着いた先には――。


 背の高い二枚目の青年だ。マーガレッタによく似ている。涼しげな目元が特に。黒い背広をきちっと着こなし、非常に落ち着いた佇まい。


 青年に気づき、彼から目を離さなくなったマーガレッタは驚愕の極みといった表情。目を大きく開け、口をわななかせた。


「まさか、ノーマン……?」


 青年――ノーマンは頷き、にこりと笑みをこしらえた。

 マーガレッタは口元に両手をやり、ぽろぽろと涙をこぼす。


 ノーマンは話した。


 働き者の里親に恵まれたこと。

 きちんと学校に通わせてもらったこと。

 夢だった新聞記者になれたこと。

 最近結婚して妻が身重であること。


「母さん、こうして会えたのは、王太子殿下のおかげなんだ」


 ハワードは手を尽くして探させたのだ。「名はノーマン」、「性別は男」、「年齢は二十五」、「里子」、「ほんとうの母の名はマーガレッタ・ワグナー」。ずいぶんと時間がかかり、また時間をかけたのだが、条件に合致する人間は、広い『帝国』にあっても一人しか見つからなかった。


 マーガレッタがようやく泣きやんだ。すると、ノーマンは待ってましたとでも言わんばかりの顔をして、足元に置かれていた木製のバケツを持ち上げた。自らの母の頭の上で、それを引っくり返す。たくさんの花びらがまるで滝のようにして、彼女を襲った。


 「んもうっ!」と憤慨した、マーガレッタ。

 でも、すぐに笑顔を見せてくれた。


 彼女は右手の人差し指で目元の涙を拭いつつ、「やってくれたわね、あなた達。ええ、ええ。マーガレッタはとてもびっくりして、とってもとっても嬉しくて、みっともなく泣いてしまいました」と、いたずらっぽく言った。


 ハワードはマーガレッタの肩を抱く。

 ノーマンが「お幸せに」と祝いの言葉をかけてくれる。


 マーガレッタは心地よさそうに目を閉じて、ふたたび涙を流す。

 それから「ダメ、涙もろくて。ほんとうに年をとったわ……」と自嘲するように苦笑した。


 彼女が全身に浴びた花びらが織り成す色彩は、純白のドレスにとてもよく映えていた。

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