皇太子に婚約破棄されたカタリーナは悪役令嬢に徹することを決意するが――。

@XI-01

皇太子に婚約破棄されたカタリーナは悪役令嬢に徹することを決意するが――。

*****


 私は美しく、また綺麗で尊いはずだ。なのにどうだ? いま、私はとある屋敷のパーティー会場において、皇太子から宣言されてしまったではないか。「カタリーナ、おまえとの婚約は破棄させてもらう!!」と。


「なぜでございますか!」

「決まっている! 他に好きな女性ができたからだ!」

「なっ?!」


 阿呆か、この皇太子は。仮にそうだとしてももっと言いようがあるだろうが。天然の馬鹿であることには気づいていたけれど、にしたってここまで貶められようとは。


「ぐっ……」私は歯噛みし、しかしそれからしっかりきっちりと皇太子を睨みつけた。「わかりましたわ、皇太子殿下! 私は身を引きます! しかし、責任はとっていただけますか!!」


 心底、なにがなんだかわからない。

 皇太子はそんな顔をして――。


「金なら払おう。言い値を払おう!」


 ああ、なんでもお金で解決しようとするのね。

 見損なうにはじゅうぶんな理由だった。


「私のおなかのなかにはあなたの子がいます!」

「なっ?!」

「お金でけっこうです。ただし、一生遊んで暮らせるだけをくださいませ!!」


 そんな修羅場であるにもかかわらず、皇太子の左腕に寄り添っているのが新しい恋人だ。馬鹿っぽい女だ。きっと阿呆に阿呆を塗り固めたような阿呆だろう、そうに違いない。


 私はこれまで真面目に過ごしてきた。家のめいに従って生きてきた。その成れの果てとして皇太子にもらわれることになった。皇太子と寝た、幾度も、幾度も。そのたび、私は泣いた。だって簡単、なんの魅力もない男に抱かれるのは嫌だったから。


 いまさらふざけるなよと言いたい。

 ここまで来て、私に恥をかかせるのかと問いたい、問い詰めたい。


 私は人生に絶望した。

 だから好きなだけ嫌な奴になってやろうと決めた。

 もはやヒトに優しくあることは馬鹿馬鹿しく思えた。


 悪役令嬢。

 まったく、素晴らしい言葉ではないか。



*****


 私は家のニンゲン、すなわちメイドらにもいちゃもんをつけるようになった。いままでは少々のことは見逃していたけれど、窓のさんに少々溜まったほこりにすら目くじらを立てるようになった。意地悪だ、イジメだ、陰険だ。それでも私はもはや嫌な奴でいることを決めたのだ。――否、私は元から嫌な奴だったのだろう。だって、嫌な奴で通していると楽なのだから、気分がスッキリするのだから、スカッとするのだから。私の周囲のみな――お父様とお母様も含めてだ。どうか私の気に障るようなことはしないで欲しい。都度、私は絶対に嫌な物言いをする。ほんと、だけどふざけるなよ。世の中の男なんてみんなみんな死んでしまえばいいんだ――。



*****


 お茶会に招かれた。誰にって、皇太子殿下の新しいフィアンセにだ。なんのつもりだ? 馬鹿じゃないのか、フィアンセ殿。出席を決めた私もあるいは馬鹿なのかもしれないけれど。


 フィアンセ殿は申し訳なさそうな顔で私に近づいてきて、ぎこちない笑みを浮かべた。紅茶のカップ、それを持つ手が少し震えている。怖いのであれば近づいてくるなと思う。わかるのだ、一応。皇太子の不義について、なんとかして私の理解を得たいのだ。馬鹿だな、ほんとうに。世の中のことがなあんにもわかっていないから、なんの悪意もなく他意もなく生きていられるのだろう。


 私は皇太子の新しいフィアンセ、ソフィアの前に敢然と立った。立ちふさがるようにして立った。もはや完全に私は嫌な奴であり、だから私は皮肉に満ちた笑みを浮かべた。


「夜のご生活はいかがですか? 皇太子殿下はけっこう変態でしょう?」

「えっ?」

「変態でしょうと言いました」

「それは聞こえましたけど、特に、そんなことは……」

「彼は鞭で尻をぶつんです。心当たりは?」

「そそっ、それは」


 ソフィアは顔を真っ赤にした。


「もう一度言います。皇太子殿下は変態です。それでもソフィア様はご結婚されるのですね」


 するとソフィアは強い目を向けてきて。


「皇太子殿下は変態ではありません。私はそう信じています」

「信じるのは勝手ですが、そうである以上、私はあなたが嫌いです」

「き、嫌い?」

「ええ。大嫌いです。二度とこのような場に呼ばないでくださいませ。ソフィア様、あなたの偽善的な行為には吐き気がします」

「そ、そんな、私はただ……」

「ただ、なんですか?」


 ソフィアが目にじわりと涙を浮かべたのがわかった。

 それでも私は手を緩めない。


「あなたはくそったれです、ソフィア様。あなたは私というニンゲンが皇太子殿下のフィアンセだと知っていた。であれば、どれだけ求められようが、あなたは婚約の旨を断るべきだったのでは? 違いますか、ソフィア様。もし違うのであれば説明してくださいませ。理路整然とです。皇太子殿下のフィアンセでなくなったことはもうどうだっていい。ただ、私はあなたのことが大嫌いです」


 ソフィアはティーカップを床に落とすと頭を抱え、その場にうずくまった。

 私は高らかに、大笑いした。


「やめてください、ソフィア様。私は事実を述べたまで。あなたを攻撃する意思はありますけれど、だからといって頭を抱えただけでその罪深さが解消するとお思いですか?」

「やめてください、カタリーナ様。お願いですから、もうやめて……」

「あなたとすれ違うたび、私は邪悪な目を向けて差し上げます。せいぜい、私と距離をおくことですわね」


 ここまでずけずけ物を言えることが愉快だった、痛快だった。

 ほんとうに、気分が良かった。

 それにしても、家に尽くし、位に従ってきた人生ってなんだったのだろう。



*****


 ソフィアが身体を悪くした――との一報が、新聞で流れた。私は心の底からほくそえみ、自分でもわかるくらいのゆがんだ笑みを浮かべた。私に嫌味を言われたせいで、それを気に病み、体調を崩してしまったのだろう。馬鹿だな、ソフィア。私は多少の嫌味を言っただけだ。ほんのそれだけのことで、たとえば涙を流すようであれば、皇太子殿下の妻になることなんてやめたほうがいい。なにかの折に叩かれるに違いないのだ。いまは平穏だけれど、いつ何時、批判の的に晒されるかわからない。ソフィアにそこまでの覚悟があるのだろうか。――どうでもいい。私は今日も嫌な奴をやってやろう。元から嫌なやつなのだから、そんなこと、訳ない。



*****


 幼馴染みと遊んでいた――正確には、私は、緑の丘の上で、ぽかぁんと青空を眺めていた。幼馴染み――男だ。ただの男ではない。馬鹿な男だ。私は公爵家の娘。馬鹿な男は子爵家の次男坊だ。地位にはあまりにも差がある。なのにむかしからかまってくる。頭が悪く、あんぽんたんなのに、私にかまってくる。私はそのあんぽんたんに「皇太子殿下にフられたんだよ」と伝えた。「知ってるよ、そんなこと」と返ってきた。「だから俺、安心したんだ」などと言う。「俺さ、カタリーナのこと、メチャクチャ好きだからさ」などと言う。


 私は馬鹿にするつもりで――男の名はヴィニーというのだけれど、実際、「馬鹿だね、あんたは」などと憎まれ口を叩いた。


「でもさ、私はせっかく見初められたはずなのに、結局のところ、谷の底も底に突き落とされたんだよ。本音を言うと、つらいなぁとは思わなかった。ただ、情けないなぁとは思ったんだ」


「カタリーナ!!」

「なな、なに!? いきなり大声出さないでよ!!」

「俺と結婚してくれないか?」

「は、はぁ?」

「俺なら絶対うまくやれる。皇太子なんてくそったれなんだろ? 確かにダメだよ、あいつは。女好きじゃん、顔つきが、すでに」

「だ、だからってね、ヴィニー」


 ヴィニーは隣で、私の顔を見ながら、きっと本気の笑みを見せた。


「いいじゃんか、べつに。皇太子殿下は皇太子殿下だ。連中のことはもう無視してもいいじゃんか。俺たちは俺たちで幸せになろうぜ?」


 ああ、ああ――こいつはほんとうの馬鹿なんだなって感じた。

 だけど、心地良かった。

 泣きたくなるほど嬉しい。

 だから唐突に考えた。

 ――謝らないといけない。

 私がこれまで、迷惑をかけたニンゲンに。

 本気でほんとうに、ふいに、私はそんなふうに思ったのだ。



*****


 伝手を頼りにソフィアのところに通してもらった。ソフィアはびくびくした様子で、だけど会ってくれた。あれだけ無礼で嫌な言葉を飛ばしたのに会ってくれる。いい奴なのだソフィアは、ほんとうに。


 ソフィアの私室に入れてもらった。ソフィアはやっぱりびくびくしている。ティーカップを私の前に出す手も小刻みに震えていた。


「ソフィア様」

「は、はいっ、い、いえ、でも様はやめてください」

「だけど、あなたはソフィア様だから」


 私はあははと笑った。


「私はソフィア様のことを理不尽に嫌ってしまった。ごめんなさい」

「い、いえ、なにも謝られることは――」

「いえ。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」


 私は地べたに両膝をつき、土下座した。


「えっ、えっ! やめてください! 私はなにも! あなたに恨みなんか!!」

「それでも、私には頭を下げる必要があるんです」


 私は「ほんとうにごめんなさい」と再び言った。「つまらない茶々を入れてしまいました」と床にひたいを擦りつけた。


 私は土下座をしたまま。


「お願いです、お顔を上げてください!」

「できません」

「お願いです!!」

「できないのです」


 以上をもって、私は「嫌な奴」から卒業した。

 ソフィアにも、そう信じてもらいたい。



*****


 私は散々、くだんの子爵家のご長男、ヴィニーに文句を言ったのだ。「位が違うんだ。だからおまえは私にふさわしくないんだぞ」って。「やめとけ、私に執着するのは」って。なのにヴィニーは折れず、「俺はおまえが好きなんだーっ!」とか言ってきた。ひどく前向きな男だ。私は奴ほどポジティブな男を知らない。


 緑の芝生が愛おしい丘の上にいた。「結婚しよう! っていうか、結婚するぞーっ!!」と馬鹿のヴィニーの雄叫びを聞いて、私は大いに笑った。なんだかとっても嬉しくて、私の両の瞳からは涙がこぼれた。


「俺、思うんだ。不誠実だよ、皇太子は、やっぱり」

「私はそうは思わないよ。やっぱり私が悪かったんだ」

「どうして?」

「ソフィアは私よりいい女だったから、なんだよ」

「だとしても――」

「だとしても」

「俺は好きだ、あなたのことが」


 真っ向からの言葉は心に刺さる。


「私のおなかには皇太子殿下の赤子がいるのですけれど?」

「産めばいい! 俺がきちんと育ててやる!!」


 ――馬鹿な男もいたものだ。

 でもきっとうまくやれる、やっていけるだろう。

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