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2024年2月3日 23:18 編集済
ワクワク((p(^~^)q)) (笑) 日本軍の視点からはマラッカ海峡を抜けた先のニコバル諸島群あたりを自軍の<前線>拠点、兵站の地と設定しそうなもんだが。。。 ベンガル湾においては、それで良いとしても、繋がるインド洋海域への拠点としては、後ろすぎ、南方海域を行動領域とした場合においては、北に寄りすぎる。 それは、海図を見れば明らかだろう。 だが、日本海軍がインド洋、ベンガル湾、豪州西部/北西部海域の詳細な海図を持ち得ていたのか。。。甚だ疑わしいことを考えれば、高高度をもって飛行し、視野を広くとれる航空機による偵察は欠かせないものとなる。 それを疎かにしていた日本海軍の状況を踏まえると、英国のインド洋上の兵站の早期発見は至難かな<(~~; インド南西部の街コーチンの西方の沖合から南方に連なる島々づたいに南下することで、インド洋における橋頭保、活動拠点・兵站を構えるべき地が見つかるかと考えるが。 自らが適地と見做す地なら、敵方も同様、中継拠点の適地と判断し、兵站を築き構えることになるかとみるのだが。<(・・; その視点、敵方の視点に立った戦局の分析、評価が日本海軍には足りないのでは?<(ーー;
作者からの返信
まずは素早い反応、有難う御座います。正直、若干驚いております(なんでやねん……一応、今回頑張って2/6までは連日連夜更新できる体制を整えましてございます。展開としては、第一次布哇沖海戦が始まる直前辺りまでを卸しましてございまして、大陸打通作戦が数年早く起こって大陸縦断鉄道が構築されるまで辺りを記述しております。まあ、ネタバレにはなりますが、こうやって気を引くことも大事だと思い公表致します。三者三様の振り返りの後、ようやく第一次布哇沖海戦に突入し、合衆国軍太平洋艦隊には燃え散って貰います。まあ、展開としては大局パートの第十一分節に記述した通りなのですが、あくまでこれは「戦闘詳報」である旨を記述しておきたいと思います。要するに、メタ・フィクションな話をすると辻褄を合わせる必要がある、ということでして(汗そして、そろそろ1942年2月以降の展開を考えておかないと拙いですね(プロット練ったんじゃ無かったのかえねこさんよ追記追伸壱號……返信を書き込んでいる間に増えてる(汗一応、今回は見てしまった(しまったのかよ)ので、そちらにも返信しておきますね。>ベンガル湾においてはそれでいいとしても~海図をみれば明らかだろう……あー、これはわたしの説明不足でしたね(汗)あとで可能であれば訂正しておきます。後出しじゃんけんと言われそうですが、インド方面への進軍は陸軍主体なのと、海軍としては苦戦ないしは辛勝を想定していたこともあって、これはある意味「真珠湾開戦」の状態がインド洋で起きたと思ってもらえればいいかもしれません。恐らく、後世からは「なぜあそこで勝ちきれなかったのか」と批判本が出ると思われます(苦笑)一応、言い訳が許されるとすれば、転生者がいるわけでもなければ架空将校がいるわけでもない、「吾まだ死せず」の開戦直前変更版みたいなもんなので、リアリティを出すために敢えて日本軍にミスをさせている場面もあります。……まあ、今回は日本軍の、というよりはわたしのミスなんですが(汗それに、徹底的に東洋艦隊を叩くためには、罠や罠に仕掛けるエサが必要ですから。作者目線で立った解説をするならば、「アッヅ環礁」をはじめとした箇所は、「第二次ベンガル湾海戦」の布石として取っておいている部分もありまして。まあ無論、一発で勝った方がカッコイイのでしょうけども、もう少しイギリス軍には悪あがきしてもらって、取り返しの付かない致命傷を負ってもらい、結果として英連邦解体まで持って行けたらな、なんて思っています。>コーチン西方の沖合から~見つかると考えるが……ねたつぶしはやめようよぉ(・ω・;)まあ、つまりはそういうわけでして。醍醐提督が秘密基地の可能性を睨み、その上で現地人、つまりはインド人がそれを伝えて第二次ベンガル湾海戦がキックオフ、的な展開を……ごめん、嘘吐いた。実際にはあんまり細部考えてなかった(オイィ!?……とはいえ、その案で行きましょうかね。二回に及ぶ東洋艦隊殲滅戦の後半戦は。>適地とみなす地とか敵方の視点に立った戦局の分析とかまあ、それはその通りです。はい。その辺りは、日本軍ではなく全て作者の描写力不足、調査不足が招いた不徳でございますorz……とはいえまあ、こういうアドバイスをコツコツ頂けるのがネット公開の強みかも知れず。……リメイクする機会があったら、yoibito氏の意見をかなり盛り込んだものになる……かも(まあそもそもリメイクできるかどうかが見当つきませんが……(汗と、いうわけでまあ、そういうことになります。わたし自身の力量が低いという批判は、甘んじてorz……ああ、草々。1942年2月以降はまた、大局パートになると思われます。そして、大局解説パートと戦闘詳報パートを織り込んでいくスタイルになる、というのを今決めました(ぉではでは えねこ拝
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ワクワク((p(^~^)q)) (笑)
日本軍の視点からはマラッカ海峡を抜けた先のニコバル諸島群あたりを自軍の<前線>拠点、兵站の地と設定しそうなもんだが。。。
ベンガル湾においては、それで良いとしても、繋がるインド洋海域への拠点としては、後ろすぎ、南方海域を行動領域とした場合においては、北に寄りすぎる。
それは、海図を見れば明らかだろう。
だが、日本海軍がインド洋、ベンガル湾、豪州西部/北西部海域の詳細な海図を持ち得ていたのか。。。甚だ疑わしいことを考えれば、高高度をもって飛行し、視野を広くとれる航空機による偵察は欠かせないものとなる。
それを疎かにしていた日本海軍の状況を踏まえると、英国のインド洋上の兵站の早期発見は至難かな<(~~;
インド南西部の街コーチンの西方の沖合から南方に連なる島々づたいに南下することで、インド洋における橋頭保、活動拠点・兵站を構えるべき地が見つかるかと考えるが。
自らが適地と見做す地なら、敵方も同様、中継拠点の適地と判断し、兵站を築き構えることになるかとみるのだが。<(・・;
その視点、敵方の視点に立った戦局の分析、評価が日本海軍には足りないのでは?<(ーー;
作者からの返信
まずは素早い反応、有難う御座います。正直、若干驚いております(なんでやねん
……一応、今回頑張って2/6までは連日連夜更新できる体制を整えましてございます。
展開としては、第一次布哇沖海戦が始まる直前辺りまでを卸しましてございまして、大陸打通作戦が数年早く起こって大陸縦断鉄道が構築されるまで辺りを記述しております。
まあ、ネタバレにはなりますが、こうやって気を引くことも大事だと思い公表致します。
三者三様の振り返りの後、ようやく第一次布哇沖海戦に突入し、合衆国軍太平洋艦隊には燃え散って貰います。
まあ、展開としては大局パートの第十一分節に記述した通りなのですが、あくまでこれは「戦闘詳報」である旨を記述しておきたいと思います。
要するに、メタ・フィクションな話をすると辻褄を合わせる必要がある、ということでして(汗
そして、そろそろ1942年2月以降の展開を考えておかないと拙いですね(プロット練ったんじゃ無かったのかえねこさんよ
追記追伸壱號
……返信を書き込んでいる間に増えてる(汗
一応、今回は見てしまった(しまったのかよ)ので、そちらにも返信しておきますね。
>ベンガル湾においてはそれでいいとしても~海図をみれば明らかだろう
……あー、これはわたしの説明不足でしたね(汗)あとで可能であれば訂正しておきます。
後出しじゃんけんと言われそうですが、インド方面への進軍は陸軍主体なのと、海軍としては苦戦ないしは辛勝を想定していたこともあって、これはある意味「真珠湾開戦」の状態がインド洋で起きたと思ってもらえればいいかもしれません。恐らく、後世からは「なぜあそこで勝ちきれなかったのか」と批判本が出ると思われます(苦笑)
一応、言い訳が許されるとすれば、転生者がいるわけでもなければ架空将校がいるわけでもない、「吾まだ死せず」の開戦直前変更版みたいなもんなので、リアリティを出すために敢えて日本軍にミスをさせている場面もあります。……まあ、今回は日本軍の、というよりはわたしのミスなんですが(汗
それに、徹底的に東洋艦隊を叩くためには、罠や罠に仕掛けるエサが必要ですから。作者目線で立った解説をするならば、「アッヅ環礁」をはじめとした箇所は、「第二次ベンガル湾海戦」の布石として取っておいている部分もありまして。まあ無論、一発で勝った方がカッコイイのでしょうけども、もう少しイギリス軍には悪あがきしてもらって、取り返しの付かない致命傷を負ってもらい、結果として英連邦解体まで持って行けたらな、なんて思っています。
>コーチン西方の沖合から~見つかると考えるが
……ねたつぶしはやめようよぉ(・ω・;)
まあ、つまりはそういうわけでして。醍醐提督が秘密基地の可能性を睨み、その上で現地人、つまりはインド人がそれを伝えて第二次ベンガル湾海戦がキックオフ、的な展開を……ごめん、嘘吐いた。実際にはあんまり細部考えてなかった(オイィ!?
……とはいえ、その案で行きましょうかね。二回に及ぶ東洋艦隊殲滅戦の後半戦は。
>適地とみなす地とか敵方の視点に立った戦局の分析とか
まあ、それはその通りです。はい。その辺りは、日本軍ではなく全て作者の描写力不足、調査不足が招いた不徳でございますorz
……とはいえまあ、こういうアドバイスをコツコツ頂けるのがネット公開の強みかも知れず。……リメイクする機会があったら、yoibito氏の意見をかなり盛り込んだものになる……かも(まあそもそもリメイクできるかどうかが見当つきませんが……(汗
と、いうわけでまあ、そういうことになります。わたし自身の力量が低いという批判は、甘んじてorz
……ああ、草々。1942年2月以降はまた、大局パートになると思われます。そして、大局解説パートと戦闘詳報パートを織り込んでいくスタイルになる、というのを今決めました(ぉ
ではでは えねこ拝