第七分節:ベンガル湾の大和(参)

 1942年1月、モルディブはアッヅ基地より離水した飛行艇――恐らくカタリナこと合衆国で製造されたPBYをイギリス軍がグロス発注でもして買い取ったのだろう――が日本軍を発見したのは現地時間に直してまだ日暮れ前であった。そして彼らにとって幸いなことに南半球は夏であり、赤道直下であることもあって非常に日照時間――即ち、航空機にとっての生命線である好天日和――が稼げる頃合いであった。

 そして、イギリス軍が所有している合衆国軍機、カタリナが観測した報告を信じるならば、日本艦隊の航空隊は対艦攻撃機を搭載していないのか、やけに戦闘機の多いように見えた。まあ、無論それは彼らの航空母艦の搭載基準に則って、という但し書きをつける必要があったのだが。

 イギリス軍にとっては、一見奇襲の可能性を秘めた艦隊情勢であったが、サマヴィル中将は勇猛であっても無謀ではなかった。いかに日本軍の戦闘機が自分たちの持っている戦闘機よりも弱かったとしても――それは、後の零戦の活躍を見る限りは大いなる誤解であったのだが――さすがに倍ほども数が違うとあっては航空戦を見送り、従来の戦法……即ち砲雷撃戦によっての決着を決めることを決定した。だが、それがすべての錯誤の始まりであった……。

 三航戦と四航戦は確かにイギリス軍の索敵通り、一航戦や二航戦、五航戦に比べて搭載している艦載機数こそ少なかったもののそれは輸送船に積載したり占領した基地航空隊の配備機体を借りたりすればよく、確かに日本軍の兵器信頼性がそこまで高くないにしてもボルトが五角形な末期戦でもあるまいし、この当時はそこまで悪いものでもなかった。

 確かに、多少の機体の癖などはあったのかもしれないが、そんなものは列強も同様であり、ゆえに「愛機」という概念や機体にパイロットごとのシリアルナンバーなどがあったのである。

 忘れてはいけない、この当時補給に自動車など使えるのは合衆国軍くらいなものでありこの当時最も補給を考えていたイギリス軍にしたって、馬匹に頼っていたのだから。

 なにが言いたいのかというと……、大和を旗艦とした東洋艦隊征伐部隊は決して防空一辺倒な編成をしているわけではなかった。一応、準備に多少の時間は掛かるものの爆撃隊、雷撃隊の数を充分に揃えた上での出撃は可能であったし、何よりも既に北ビルマを初めとしたマライ半島は既に日本軍の解放下にあったのである、ゆえに96陸攻や1式陸攻も充分に展開は可能であった。

 さらに言えば……。


「クレッチマー隊に連絡、ビスマルクの仇を取る絶好の機だ」

「ヤボール、しかしエニグマで宜しいので?」

「いくら何でもこんな即興の暗号文まで連中が解析するわけ無いだろ、それに……」

「……なるほど、読まれたら読まれたで、日本軍が始末してくれますか」

「そういうことだ」


 ……なんと、この海域には連合軍の予想もしない副次的部隊……ギュンター・プリーン率いる部隊とオットー・クレッチマー率いる部隊――まあ要するに、ドイツ軍の主力艦艇であるUボートだ――が静かに、而して着実に迫っていた。

 ロイヤル・ネイビー崩壊の時は、すぐそこまで来ていた……。

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