第五分節:ベンガル湾の大和(壱)

 コレヒドール要塞が23日に陥落したことは前回述べたが、12月に陥落した要塞はコレヒドールだけでは、なかった。バンドン、シンガポール、そしてあろうことか遠く離れた軍港、コロンボ要塞にも日章旗の影が見えたという証言すら存在した。

 ……そしてそれは、事実であった。当初、蘭印作戦に投入を予定していた空挺部隊はその過半がコロンボ要塞占領作戦に投入されることとなった。理由としては、軍艦大和の存在が挙げられる。

 まあ要するに、難攻不落と讃えられたはずのコレヒドール要塞が司令部ごとあっさりとあの世逝きとなった戦局を見た陸軍がバンドン要塞やシンガポール要塞の陥落のために海軍へ要請し、当初難色を示した海軍側も、ある提案――それは航空主兵に対してある一定の理解と拒絶を同居させた人物であった――を見た軍令部が、彼が言うならば、と認可したことによって現実味を帯びた結果であった。

 そして、軍艦大和は要塞を二度も三度も叩き潰すこととなった……。

「……まさか、砲雷撃戦を最初にやる相手が要塞とはね」

 司令長官は、やや嘆息じみた口調で現状を呟いた。まあ、軍艦、特に戦艦搭乗員にとって艦隊決戦は夢の部類であるがゆえに、そういった態度が無意識に出ていたわけだが、そもそも軍艦の存在意義は敵に補給線を邪魔されないためのものであり、戦艦という艦種はそれが敵味方で投入されない場合、対地支援として良質の砲撃能力を生かす程度でしかないのはある意味仕方の無い事である。

「良いではありませんか、肩慣らしには丁度良いと思います」

 司令長官長谷川をなだめるは大和艦長、宮里。確かに、対地攻撃によってある程度敵艦隊への砲撃のための練習を行うのは合理的にして新鋭戦艦――即ち裏を返せばまだまだ習熟すべき要素の多い――を働かせる場合、良き経験となるのは自明の理である。

「……それは、そうかもしれんが……」

「それに、連中は46サンチ砲に相当する戦艦を配備しておりません、戦艦というものの設計が面倒くさいことを考えれば、しばらくは安泰でしょう」

 事実、軍艦大和の存在を知ったイギリス軍はあろうことかZ部隊を引っ込めてしまった。無論、本国艦隊からの増援を待つという名目の下撤退したのだが、だとしても一戦も交えずイギリス軍東洋艦隊が撤退したというのは非常に外聞の悪いものであった。案の定、首相チャーチルは議会より突き上げを食らっており、インド国民党軍に至っては戦う前から士気軒昂であった。

「……そうは、言うがね……」

「艦長の言う通りです」

「醍醐くん……」

 大和艦長宮里の言をさらに推すは参謀長の醍醐であった。九世父祖に天皇朝当主を持つ彼は戦役というものがいかに勢いで決まるかを知っており、押せる時に押しておくことが守勢に立たされた際にいかに冗長的に防御をできるかということの重要性を知っていた。無論、我攻めのような行為は兵力の無駄であるのだが、敵が弱腰である現状を衝くのは、彼の兵法美学としても美しく見える行為であった。

「ここでマラッカを抜いてインド洋に繰り出す行為、決して間違いとは言い難いでしょう。それに、パナマは今頃てんやわんや……、東太平洋の補給維持の手間を考えた場合、ここでインド洋を取っておく行為は決して間違いではないかと」

 彼の兵法美学――後世に「海軍攻撃精神」と称され、一冊の本に仕立て上げられる程著名なその思想――にとって、軍艦大和を無駄に遊ばせるのは論外としても東太平洋が混乱の最中にある現状を利用してベンガル湾まで大日本帝国勢力圏を押し出しておく行為は、素人目には隙だらけの東太平洋を攻めないのが異様には見えるものの、補給の困難さを考慮した場合そこまで「異様」というほどのものではなかった。むしろ、彼が考えていた戦略――それは、島嶼部の陣取り合戦というよりはむしろ島嶼を囮にした大陸防衛策と言えた――にとって、ここでインド洋を我が物とする行為は理に適う戦法であった。

「まあ、だからこそベンガル湾にいまこのフネが浮かんでいるわけだが……」

 後に、絵はがきになるほど著名なこの光景――ベンガル湾の大和――は今なお海軍が徴兵に頼らずに兵員を確保できているほどの人気を誇る象徴的なものであった。

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