僕は「いってらっしゃい」と言いたい

雲母あお

猫を探して

猫を探して

「先生!」

中原零理なかはら れいりは、帰りのホームルームが終わった後、担任の先生を呼び止めていた。

「何?中原君。」

「先生!僕、迷子の猫さんを探したいんだけど、どうすればいいですか?」

「え?猫?中原君は、猫を飼っているの?」

突然、猫の話を始めた零理に、先生は驚いて聞き返した。

「ううん。僕の猫さんじゃないの。いなくなっちゃったんだって。だから、僕、探すの手伝いたいんだ。でも、どうすればいいのか分からないんです。」

零理は、しょんぼりと悲しそうな顔をして俯いた。零理のその様子に焦った先生は、情報の集め方とか、餌を置く場所とか、たくさんアドバイスを零理に教えてくれた。先生にお礼を言うと、零理はその足で図書室行き、猫の本をありったけ読んだ。


先生のアドバイスでは、まず目撃者探しなどの情報収集が大事だと言っていた。それから、猫の餌を置く場所、猫がいそうな場所などを教えてくれた。

だから、猫のいそうな場所を探しながら、聞き込みをして、猫の餌を置くのに最適そうな場所を探すことにした。


「すみません。この辺りで、三毛猫を見ませんでしたか?」

「三毛猫?見かけてないわね。僕、猫探しているの?」

「うん。知っている人が探していて、僕も手伝いたいの。」

「えらいわね。早く見つかるといいわね。」

「ありがとうございます。あ、あの、この辺で三毛猫を見かけませんでしたか?」

零理は、放課後になると、〇〇公園に行き、自分でも探しながら、三毛猫を見かけなかったか、通る人通る人に聞いてまわった。

聞き込みを開始して一週間くらい経った頃、情報が集まった。

探している三毛猫だろう猫は、22時頃から24時頃に見かけた人が多かった。そして、同じ公園内で、白いモヤのようなものを見た、という人もいた。帰宅途中に暗いベンチのそばに、霧みたいなモヤがあって不思議だった、というものだ。


この情報を頼りに、三毛猫を捕まえようと、零理は準備を始めた。

まずは、お小遣いで買える安いキャットフードを購入した。それから、両親の帰宅時間が遅い日をチェックした。あと、洗面所から大きめの洗濯ネットを一枚拝借すると、買った猫の餌と一緒に家にあるダンボール箱に入れた。

「これでよしっと。」

いよいよ、明日決行だ!

零理は、明日に向けて早く寝たのだった。


翌日21時。

零理は、用意していた猫さん捕獲グッズがきちんとダンボール箱に収められているか、一つずつ取り出してチェックしていた。

「えっと、猫さんのご飯でしょ。猫さんの本に書いてあった洗濯ネットでしょ。それから、猫さんを入れる箱!」

そう言ってダンボール箱を持ち上げる。

「よし!準備万端だ!」

持ち上げたダンボール箱をそっと床に置くと、もう一度確認しながら丁寧にダンボール箱に、それらを納めた。

「しゅっぱーつ!」

零理は、〇〇公園に向かった。



〇〇公園

「後は、この木の下に置けば終わり!」

零理は、情報収集していた時に決めた18箇所に猫の餌を置き終えた。

「これで準備はバッチリだー!」

両手を挙げて立ち上がると、公園に設置された大きな時計が目に入った。

21時50分だった。

「もうこんな時間!?白い霧が出るっていうベンチに急がなくちゃ。」

零理は、目的のベンチに向かって駆け出していた。


息を切らして走っていくと、目的のベンチが見えてきた。噂通り、ベンチの前あたりに、霧のような白くぼんやりした大きな塊が、地面から1mくらいのところに浮かんでいた。

「白い霧……。」

確かに不思議な光景だった。


零理は、ゆっくりとベンチに近づいていく。白い霧が発生しているベンチに着くと、そこには、ぼんやりと立っている髪の長い女性がいた。

「こんばんは。お姉さん、ここで何をしているの?」

零理が声をかけると、反応がない。

「こんばんは。」

もう一度挨拶をすると、

「え?誰?」

女性が、零理の方を振り返った。その女性の表情は曖昧で、何かを探しているように見えた。

「こんばんは。こんな時間に小学生が出歩いているのは危ないよ。家は近いの?」

心配そうな声色。


『僕は、この女性を心配しているのだけれど、僕の方が心配されちゃっている。それに、僕が質問したのに、質問はどこかへ行っちゃっている。』

零理は、心の中でそう思った。


「えっと。大丈夫!家は近いの!」

零理が元気よく答えると、

「そうなんだ。でも…。」

手首の辺りを見る仕草をした。

「…ごめんなさい。時計を忘れてしまったみたい。今何時かな?」

ああ、時間を確認しようとしたのか。

零理が、左手首にはめている腕時計を確認した。

「もう少しで22時になるところです。」

女性は時間を聞いて驚き、慌てた様子で零理に詰め寄ってきた。

「22時!?小学生は寝る時間だよ!家近いの?送っていくよ。」

「大丈夫です。本当に家はとても近くなの。僕のお父さんとお母さんは、仕事していてまだ帰ってきていなくて、ひとりぼっちで寂しいから、ここで帰りを待っているんだ。お父さんとお母さん、いつもここを通って帰るから。だから、待ち伏せ!」

えへへと笑う。そんな零理をみて、やっぱり心配そうに声を掛ける。

「え、でも。夜遅くこんなところで1人でいるの危ないよ…。」

そう言いつつ、女性は、もうすぐご両親が来るならここにいた方がいいのかな?どうしよう、などと、呟いている。

「心配してくれてありがとうございます。それならお姉さん、お父さんとお母さんが来るまで一緒にいてもいい?」

お姉さんの目を見つめる。お姉さんは、驚いていたけど、

「うん。いいよ。」

そう言って、近くのベンチを指さして、

「そこで座って待ってようか?」

と、言った。

「うん!」

2人は、街灯の下、駅へと続く道沿いのベンチに腰掛けた。


ここは、大きな公園。緑も多く、散歩道なども整備されていて、早朝にはジョギングしている人が結構いる。しかし、この時間は、あまり人が通らない。


「僕は、小学何年生?」

お姉さんが質問をしてきた。会話をしなくちゃと言う顔をしている。優しい人だ。

「僕は、零理っていいます。小学5年生です。」

「小学校5年生か。零理君って言うのね。私はね、…えっと…え?私?私は…えっと…私は…あれ?おかしいな…。」

えっと…。

戸惑っている。

どうやら自分の名前が出てこないようだ。


『そうか。名前も忘れてしまっていたんだな。だから動けずにいるのか。』

零理は、心の中で納得した。


「茜お姉さん!」

隣に座るお姉さんに、そう呼びかける。すると、

「え?あ、そ、そう。私は茜。大西茜よ。」

あら、やだ。まだ高校生なのに名前が出てこなくなるなんて。ショックーと頭を抱えている。茜は、高校生だった。

「あれ?でも、私の名前をどうして?」

「前にここで一度会ったことがあるお姉さんに似ていたから。やっぱり前にも僕に『1人で大丈夫』って声かけてくれたの、茜お姉さんだったんだね。」

「そうだったんだ。覚えてないや。ごめんね。」

「ううん。だいぶ前だから。」

零理は、作り話でさりげなく名前を伝えつつ、お姉さんを確認する。

名前を思い出したら、形になってきた。

曖昧だった輪郭が、少しずつはっきりとしてきた。新聞でみた写真と同じだ。ちらっと服装に目をやる。隣町の女子校の制服、間違いない。

「お姉さんは、ここで何をしていたの?探し物?」

「え?私?私は何をしていたのかしら?えっと。」

思い出そうとする仕草を見せる。

零理は、『思い出せ頑張れ!』と、心の中で茜を応援した。


茜にとって辛いことだけれど、思い出して向き合わないとダメなのだ。


すると、茜は突然辺りをキョロキョロ見渡し始めた。

「そう…そうだ。私、猫を探しているの。」

「猫?」

「うん。三毛猫。尻尾がかぎっこで、小さい……。そう!子猫よ!私、あの子を探さなきゃ。」

茜は、急にベンチから立ち上がると、キョロキョロしながら歩き出した。

「僕も探すよ。」

そう言って声をかけたけど、零理の声は、茜の耳には届いていないようだった。

「ミケちゃん!ミケちゃーん!」

茜は、必死で呼びかけながら歩いた。どうやら、名前と何がしたいのか思い出したら、動けるようになったようだ。零理は、茜の後をついて行く。

「お姉さんは、なんで猫を探しているの?」

「何で?何でかな。」

考え込む。すると、思い当たった感情を見つけたようだ。ゆっくりと言葉を紡いだ。

「…無事でいるか知りたいの。どこにいるのか知りたいの…。会いたいの…。」

力なくそういうと、また「ミケちゃん」と猫を呼びながら公園を歩き出した。


零理は、茜の後についていきながら、茜に会う前に置いた餌の場所を一つ一つ確認してしていく。

「まだ無くなっていない。あっちもまだある。」

そして、4箇所目を確認すると、餌がなくなっていた。

「やった!?あの三毛猫かどうかは分からないけど、食べた形跡がある。」

零理の中に、“見つけらるかもしれない”という期待が湧き上がる。5箇所目、餌はあった。6、7…箇所目次々と確認しながら歩く。とても広い公園で、木や茂みがたくさんあるから、見落とさないように丁寧に確認していく。

「あーあ。15箇所目も空振りだ。えっと次はあそこの木の下に置いたんだった。」

ゆっくり近づいていくと、

「あれ?黒い丸い影?」

餌を置いた場所に、黒い丸い影が見えた。そっと近づく。暗いから、何がいるのかよく分からない。だんだん、形が見えてきた。

「猫だ…。」

慎重に近づく。猫は、夢中になって餌を食べていて、僕に気がついていない様子だった。

背後からスッと抱き上げると、

「にゃー。」

と、小さく鳴いた。それは、まだ子猫であろう小さな三毛猫だった。

「見つけた!よかった猫さん。」

果たして、茜はどうなるだろうか。


少し先を、「ミケちゃん」と呼びながら歩く茜にゆっくり近づき、

「茜お姉さん。もしかしてこの子?」

零理の言葉と一緒に猫が、にゃーと小さく鳴いた。

その鳴き声にビクッとして振り返った茜の顔は、次の瞬間ぱあっと明るい笑顔が弾けた。

「ミケちゃん!!!」

零理にかけより猫を抱っこしようとする。が、できない。

「え?あれ?」

何度も試みるがすり抜けてしまう。

「どうして?何で?」

パニックになる。

「お姉さん落ち着いて。」

零理は、逃げないように三毛猫をギュッと抱きしめて、茜に呼びかける。

「なんで?何?これ?なんで?え?」

茜は、両手で頭を抱えてワァーと大声を上げた。状況が飲み込めずパニックになっている。その横を、スーツを着たサラリーマンが歩いて行った。零理を見て「子供は早く帰りなさい。」と言ったけど、目の前で大きな声を出してパニックになっている茜のことは、何も言わなかった。

茜は、名前を思い出し、探していた猫が見つかったことで、色々思い出せなかったことが、頭の中に流れ込んできているようだった。

「はあ、はあ…。」

息があがって苦しそうだ。

「お姉さん、頑張って。助けた猫は生きていたよ。」

零理は、茜に呼びかける。


僕は、忘れてしまった名前を伝えて、未練を一緒に探して…それくらいのお手伝いしかできないんだ。最後は自分で向き合って答えを出すしかない。

小学生の僕は、いや、大きくなっても、何か気の利いたことや、未練を断ち切る素敵な言葉なんか思いつかなそうだ。自分は誰なのか、何が苦しかったか、何が気がかりか、何を探しているのか、思い出す手助けしかできない。


零理は、三毛猫を腕に抱き、茜をただただ見守り続けていた。

茜の様子がだんだん落ち着いてきた頃、茜はポツリポツリと話し始めた。


「…そう、私は車の前に飛び出した猫を…。それから目の前が真っ暗になって、猫は無事だったのか気になって気になって…、気がついたらこの公園にいたの。」

「うん。」

零理は、茜の目を見て一生懸命茜の話を聞いている。一言一句聞き漏らすまいとして……。

「通りかかった人に、三毛猫を見なかったか聞いてまわったけれど、誰も答えてくれなかった。だから、ずっと1人で探していた。あの子が無事だったか、生きているのかどうしても知りたくて。」

茜は、零理の胸に抱かれた小さな三毛猫を、じっと見つめていた。

「うん。そっか。お姉さんが探していた三毛猫は、この猫さん?」

ゆっくり近づいて、もう一度茜に猫の顔を見せる。オッドアイだ。

「うん。この猫さん。間違いない。あの時助けようと思ったのは、この猫さん!生きてた!」

とても嬉しそうに笑った。

「うん。生きていたよ。茜お姉さんのおかげで助かったよ。」

「うん。ありがとう。助かってた。よかった。」

「うん。よかった。」

三毛猫を見つめながら、嬉しそうに何度も何度も頷いている。それから、ハッとした顔をして、零理に尋ねた。

「この猫さん、おうちある?」

「この公園がおうちみたいだよ。」

すると、茜は心配そうな顔になった。

「この猫さん、おうちないんだね。そっか……。」

今度は辛そうな顔をして、ぎゅっと拳を握った。

「その猫さん、零理君に任せちゃ……だめかな?」

茜のすがるような目が、零理に訴えかける。

零理は考える。

こういう出会いで、毎回動物を飼っていたら、僕の家はどうなるだろう。お父さんとお母さんに怒られるかな。でも…。

「うん。いいよ。僕が大事に育てるよ。その代わり、茜お姉さんがこの子に名前をつけて。」

茜は、一瞬驚いた顔をした。

「いいの?その子を零理君の家に迎えてくれるの?私が名前をつけてもいいの?」

茜は、信じられないような、嬉しいような、それでいて寂しいような、ホッとした表情を浮かべた。

「茜お姉さんが助けた命だから。僕もこの子も、お姉さんのことを忘れないように。茜お姉さんが、この子に名前をつけて。それが条件。」

茜は、一瞬悲しそうな複雑な顔をして、それから何かを決意したようにふわりと笑った。

「ありがとう、零理君。」

それから、まっすぐ三毛猫を見て、優しく言った。

「それじゃあね、あなたの名前は、今日から『未来』よ。私の分まで長生きしてね。私はあなたの未来になる!」

茜は、零理ごとギュッと抱きしめるように両手で包み込んだ。

不思議と柔らかい暖かさを感じた気がした。

「お姉さん。今ならまだ大丈夫。間に合う。」

何が間に合うのか、具体的には分からない。でも、茜が見えるように、茜と話せるように、得体の知れない感覚が、そう零理に訴えかける。

「ありがとう。うん。大丈夫。今の私にはわかるよ。だから大丈夫。」

「うん。未来は、僕の家族だよ。」

「ありがとう。本当にありがとう。未来をよろしくお願いします。それじゃ零理君、未来、私行くね。」

茜は、白いモヤのように広がり、ふわっと柔らかい風とともに消えた。

「いってらっしゃい、茜お姉さん。」

零理の腕の中で、未来が「にゃー。」と、小さな声でないた。


20○○年〇月〇日午後11時頃、東京都〇〇区〇〇公園近くの路上で、道路に飛び出してきた女子高校生がトラックにはねられ死亡。目撃者の話によると、胸には小さな猫を抱いていたという。


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