第10話
「さぁリオ、彼らを受け入れてほしい。彼らの接続に応じるんだ。そうすれば君だってほしいものを得ることができる。僕たちのシミュレイトでは、どんな低い確率であれ、君はこの欲求に逆らえない」
その間、リオはずっと地面を見つめていた。アスファルトとも鋼鉄ともゴムともつかない不思議な素材で構成された大地は、おそらく全体が樹木の一部なのだろう。ところどころで電子的な光を点滅させ、システムが順調に稼働していることを示している。
「気持ち悪い」リオの横でそう言ったのはハルカだった。「ねぇリオ。私はまだよく状況がわかってない。とにかく管理機構から逃げてここにたどり着いたってことくらいしかわからない。かわいかったミクロくんやあの変な木と違って、私は今あなたが考えていることなんてほんの少しも想定できない。けど、それでも一つだけ言えるのは、私たちはお互いに同じ気持ちだったから会うことができたんだよねってこと」
そしてハルカはキッと樹木をにらみつける。
「私は、純粋にリオの探求へのまっすぐさに惹かれたの。会ってみたいって思ったの。そしてそのリオなら、私たち特区開放同盟の信念も理解してくれると思ったから、私はリオを誘うことにした。一緒に空想して、組み立てて、試行して、錯誤する。そしてまた空想をしてって、リオはそういうことができる人だと私は思う。ただ結論をだれかから教えてもらってすべてを知った気になるリオなんて、私は見たくない!」
ハルカはリオの手を強く握りしめて離さない。
「問題ないよ」あっけらかんとミクロくんは言う。「すべてを知ってもリオはさらにそこから空想をはじめる。リオが考えをやめることはないだろう」
「そうやってみんな樹木になっていくとか?」
「考える場として申し分ないはずだよ」
「リオ、一緒に帰りましょう。そして一緒に特区の解放について考えたい。私はあなたと一緒にいたいの」
「リオ、これ以上のおしゃべりは退屈だよ。早く接続して相互作用しよう」
ハルカとミクロくんから同時に促され、ついにリオは顔をあげた。
「ありがとう、ハルカ。それにミクロくんも」
リオの声は落ち着いていて、冷静で、興奮した場の熱がフッとそよ風にさらわれたかのようだった。
「僕にはなんとなく理解できた……そんな気がするよ。〈文明停滞特区〉の存在意義も、〈文明発展特区〉の存在意義も、どちらとも」
リオは右手にミクロくんが起動するスマートフォンを、左手にハルカの手を握っている。リオはそのどちらの手も離すことなく、天高く聳える樹木を見上げた。
「きっと人類は、いちどすべてを手に入れたのかもしれないね。この世界の真理みたいなものをどこかの時代で見つけてしまったんだ。今までは、幸せになるための探求だったり、純粋に知らないことを知ろうとするための探求だったものが、その時代以降、すべて他人から定義されるものになってしまった。教えてもらえば済むものになってしまった。そしたら本質的な意味で〝知る〟という行為の意味や価値が壊れてしまったんだ。だから両方の〈特区〉ができた。まだ科学が発展していた時代を再現する〈文明停滞特区〉で、人は探求を制限されながらも、探求に憧れを抱きながら生きていく。すべてを知ってからもがむしゃらに探求を続ける〈文明発展特区〉で、樹木はあらゆる経験に飢えながら無意味な思考を続けている。なんとなく、僕はそのどっちもいとおしいよ」
でも、と付け加え、そして——
リオは右手に持っていたスマートフォンを、手近にあったベンチへと置いた。
「〈文明発展特区〉は、どうしてだろう。なんだか無性に、今の父さんを思い浮かべちゃうんだ」
かつては自ら探求していた父も、今では与えられた情報に驚くばかりの存在で、それを拡散する仕事を担っている。べつに軽蔑なんかしていない。けれど本当に父が楽しそうにしていたのは、それ以前の彼の姿だった。
「やっぱり僕は〈文明停滞特区〉に戻るよ」リオはハルカの手を強く握りしめる。「それで、必死に考えようと思うんだ。〈特区〉を解放する必要性や、その方法なんかを」
「……そっか」
ベンチの上でスマートフォンが瞬く。
「この返答は、想定されていなかった?」
リオが聞くと、ミクロくんは笑った。
「高確率で想定していたよ。でも想定していないことにしておいた方が、少しはこうなる確率を下げることができたから、ああ言うしかなかったんだ」
「止めないの?」
「止められないよ。強引に走査することもできるけど、その対応は君の経験に苦いノイズを生む。彼らが知りたいのはその味じゃない」
静寂の風が流れていく。
その間、樹木はただただ光を放ってその場に鎮座していた。昔みたクリスマスツリーのような煌びやかさだとリオは思った。
「リオ」握りしめた手の先で、ハルカが言う。「ありがとう」
「ううん、こっちこそ。というか、ごめん。ハルカを犠牲にして、僕だけ逃げちゃって。それで管理機構に捕まってせっかく解放されたのに、またこうやって連れて巻き込んじゃって」
リオが言い終わる前に、ハルカは噴き出すようにして笑っていた。
「すごい人を引き当てちゃったよ。〈2010年代文明発展特区〉周辺にはしばらく戻れないね」
「というか、〈特区〉があんな風にして蜂の巣状に連なってるなんて知らなかった。もしかしてこの世界は僕たちが知っている地球とはまた別の領域に属しているのかもしれないね」
「そのとおりだよ」ミクロくんがちかちかと画面を光らせて話に入ってくる。「〈特区〉について詳しく知らない人から見れば、自分が暮らす世界は地球全域を網羅しているように思えるだろう。宇宙にだって行くことができる。でもその実、各〈特区〉は体験してもらったように隣接してるんだ。これには特殊な空間領域の形成技術が用いられていてね。詳しく知りたいだろ?」
「知りたいけど……、その手には乗らない」
リオが言い、ハルカが笑う。
「とりあえず、私たちの拠点に案内するよ。地下トンネルの続きを、ここからはじめるの」
「うん」
「……行こっか」
ハルカが言って、リオは頷いた。
二人の背後に光の球体が現れて、それが別の任意の〈特区〉の風景を映している。
「……じゃあね、ミクロくん」背を向けてから、リオは少しだけためらう様にして言った。「また会うことはできる?」
「その返答はしないでおくよ」少しいたずらっ気のある、いつもの口調でミクロくんが答える。「でももし君たちの計画が順調に展開された場合、〈文明発展特区〉の知性はそれを知ることになる。その時はきっと、彼らは君に興味を持つと思う」
「そっか、わかった」
リオは頷いて、そしてしばし足を止める。
けれどそれも長い時間は続かずに、改めて「じゃあね」と言って手を振った。
ミクロくんは、無言で促していた。
リオとハルカはミクロくんに手を振って光の中へと消えていった。二人がどこの〈文明停滞特区〉に滞在し、どのような活動をすることになるのか。
〈文明発展特区〉の公園のベンチの上に置かれたスマートフォン。その画面上で起動しているミクロくんは、ただただ電池が切れるまで樹木を見上げていた。二人の足取りを追いたい気持ちは十分にあるし、また会いたい気持ちも十分にある。この樹木の孤児として生まれ、リオのAIに割り当てられたのは幸福だった。楽しかった。しかしその感情が、きっと答えなのだ。樹木にとっては、ミクロくんすらも重要な相互作用の相手となる。彼らはリオの経験こそ手に入れられなかったが、だからこそ、ミクロくんを強く欲している。肉体のない体が隅から隅まで走査され、おそらく、その処理の衝撃は単一の人格としてデータを保持できないほどまでになるだろう。つまり、僕はバラバラにされてしまうのだ。
この経験の獲得はきっと樹木も喜んでくれる。喜んでくれるだろうけど、でも、だとすると、僕は果たして――
考えてはいけない。
そんな残酷なことは決して。
ミクロくんがインストールされたスマートフォンの電池が尽きていく。樹木の振動の蔦が彼に触れる。
光の中に消えていったリオとハルカの背を追いかけたかった気持ちを、その幻影にして。
文明停滞特区 丸山弌 @hasyme
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