case#01 ドッペルゲンガー殺人事件
0
「この事件の犯人を思い出した」
結論から言うと。
神代みかんはコタツから出ることもなく事件を解決した。
依頼人の話を聞いてから、十分も経っていない。
だが、彼女にとってはそれで十分だった。
しかし、それを理解するには事件の冒頭から説明せねばなるまい。
だから、敢えて僕はこの事件を時系列順に記そう。過去も未来もない時代だが、僕だけが知る時系列という概念を使って。
1
始まりは唐突に。
ピンポーン、と来客がインターホンを鳴らす。
「…………出ないんですか?」
「どうして? 私は今、ミカンを剥くので忙しいんだ。助手くん、君が行きたまえよ」
「アンタがインターホンなんか付けたからこんな面倒な作業が必要になったんでしょうが!」
普通の家ならば、インターホンなんてレトロな物は付いていない。来客を出迎えるのに、わざわざドアを開けに行く必要なんてない。
それなのに、インターホンが鳴ったのは前に彼女が面白がって取り付けたからだ。
しかし、彼女に動く気は無さそうだ。
面倒くさい事この上ないが、僕はこれでも雇われの身。ブツクサと文句を言いながら立ち上がった。
少しして。
僕はこの狭い部屋に一人の女性を招き入れる。
部屋の主はコタツに入りながら、ニンマリと笑って告げた。
「ようこそ、神代ジカン超越探偵事務所へ 」
2
「当事務所に辿り着いたという事は私のルールは知っているかな?」
「……はい」
「なら、いいだろう。君の持ち込んだ事件がどんなモノかは知らないが、その事件が面白そうだったならば謎を解いてあげてよう」
神代みかんのマイルール。
彼女の探偵業は仕事ではなく──そもそも仕事なんて旧世界の代物はこの時代の人類には存在しないが── 趣味の一環である。
故に、彼女は自分の嗜好を満たせる事件にしか興味を抱かない。
依頼人は二十歳くらいの女性だった。
態度はオドオドとしていて、自信なさげに手を握っている。僕の知る限り、初めての依頼人だった。
「あっ、あの……わたしの名前は千歳川ももです。恋人の名前は──」
「名前なんてどうでもいい。依頼内容と事件の内容さえ教えてくれれば、それで」
「はっ、はい! えっと、わたしの恋人を殺した犯人を見つけて欲しくて……」
ありきたりな話だった。
彼女は端正な顔を歪め、ため息を吐いた。
「はぁ、期待できそうにないな。どうせ殺人事件は無かった事になったんだろう? これ以上、何を望む?」
人間の殺害は『法』に反する重罪だ。
だからこそ、起こった殺人事件は過去改変によって無かったことにされる。犠牲者も加害者もいなくなる。
だけど、千歳川さんはその態度とは似合わない大きな声で反論する。
こんな探偵事務所に頼るような人は、無かった事になった程度じゃ満足できない何かがあった人達だ。
「でっ、でも! 恋人は帰って来なくなって! 恋人も、犯人も、見つからなくて! わたしじゃ、どの『道』を見て回っても見つからなくて……。それに、その犯人が……」
「…………もういい、君の話はつまらない。帰ってくれたまえ」
彼女は冷酷に突き放した。
この時代の『時間』は無限だが、同時にこの時代の『今』は有限だ。
だからこそ、一分一秒たりとも興味のない事に費やすわけにはいかない。
僕も依頼人が帰るように促そうとするが、それよりも早く千歳川さんは叫んだ。
「まっ、待ってください! 犯人がわたしのドッペルゲンガーだったんです!」
「………………ほう?」
彼女の目の色が変わった。
金色の瞳が、愉快そうに嗤う。
3
「こっ、これが実際の状況です……」
千歳川さんは右手首を左手の親指で押さえる。
すると、静脈が浮かぶみたいに手首の奥で電子回路のような物が光った。
「これは……事件当時の映像ですか?」
「当、ジ……?」
「……いえ、何でもありません」
しまった、『当時』じゃ伝わらないか。
なんて言えばいいのか……。
「これは単に、事件が起こった『道』と視覚情報を繋げているだけさ。君の言うジカンソコウ? みたいなものだね」
「…………相変わらず無茶苦茶ですね、この時代は」
「無駄口叩いてないで見なさい。始まるよ」
映像の中では、目の前にいる女性と見知らぬ男性が手を繋いで歩いていた。絵に描いたようなラブラブカップル。その仲は生涯続くだろうとさえ思える光景だった。
しかし、直後。その光景は血に染まった。
「ほう、確かに君と同じ顔だね」
僕には、それが同じ顔だとは思えなかった。
確かにパーツや部位同士の距離はよく似ている。
だが、浮かべでいる表情があまりにも違いすぎる。
幸せで満面の笑みを浮かべた千歳川さんとは違う。
顔が怒りで歪んでいて、目もギョロっとした印象を受ける。
突然現れたドッペルゲンガーは、包丁(のようなもの)で男性を滅多刺しにした。何度も、何度も、何度も、何度も。執拗に、彼を何度でも。
「……君、この女性に見覚えは?」
「かっ、鏡の中なら……それ以外は、ありません。どの『道』を探しても、わたしの血縁にもいませんでした」
「ふむ……助手くん、君はどう思う?」
僕の拙い頭で考える。
親族ではない。たまたま顔が似ていたそっくりさんと言うには、千歳川さんの恋人を狙った理由が分からない。
ならば、僕に考えられる答えは二つ。本当にドッペルゲンガーだったのか、千歳川さんが嘘をついているかだ。
「失礼ですが、千歳川さん自身が犯人である可能性は?」
「あり得ません! わたしにはその場にいたって言うアリバイがあります」
「アリバイって……タイムマシンがあるのにアリバイもクソも……」
「残念ながら、彼女の犯行は不可能さ」
例えば、過去から未来にタイムトラベルして殺人を起こす。そして、何食わぬ顔で過去に戻り、恋人と同じ時間を過ごす。
そうすれば、アリバイは突破できると思ったのだが……どうやら、僕程度の頭じゃここまでが限界だったようだ。
「来た『道』を戻る事は渡航法で禁じられているからね」
「殺人事件を起こした犯人が、他の法律を守るんですか……?」
「法で禁じている理由は、その試みが危険だからだよ。端的に言うと、同一人物が同じ場所にいると消えるのさ。君が分かるように言うならタイムパラドックスというヤツかな?」
タイムパラドックス、そんなものが……。
この時代で唯一、アリバイを示せるものかもしれない。
「ふむ、しかし被害者と同一人物による犯行説……か。そんな記述を見たことがあるような……」
彼女は深く思考に潜る。
髪が目にかかって邪魔になったのか、適当にその長い黒髪を纏めようとした。
僕は慌てて、その手を止めた。
「ちょッ、みかんでベタベタになった手で髪を纏めようとしないでください! ほらっ、手を拭いて」
「面倒だなぁ……君がやりたまえよ。ほら」
あー、もう。
仕方ないため、彼女の髪を結んでポニーテールにする。ついでに、お手拭きで指を拭った。
「犯人を探すなんて無謀じゃないですか? なんたって、この時代には過去も未来も存在しない。犯行は誰にだって可能な以上、全時代の全人類が容疑者ですよ?」
「……『カコ』と『ミライ』が無くても、因と果は存在する。あらゆる殺人には、必ず起点がある。例えば動機とか………………あ」
そして、彼女は。
神代みかんは告げた。
「この事件の犯人を思い出した」
4
「ダラダラと引っ張るのも面白くないからね。さっさと犯人を指摘してあげようじゃないか」
ごくり、と。
千歳川さんの喉が鳴る。
そんな緊張した様子の彼女とは対照的に、神代みかんは愉快そうに口角を釣り上げた。
「犯人の名前は千歳川ももさ」
なんてことないように。
そう、真実を詳らかにする。
「…………は? いや、それはさっきあり得ないって──」
「目の前の彼女じゃない。彼女の『道』の先にいる彼女。ミライの千歳川ももと言えば分かるかな?」
「それも同一人物でしょう⁉︎」
そう言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
「君はイマとミライを同一視しているのかい?」
…………そう、だった。
この時代に、過去も未来も存在しない。
彼女達にあるのは、今という『時間』だけ。
過去から今に続き、やがて未来に進むといった『時間観』は僕だけにしかない特殊な考え方だ。それらを一続きの存在と思うのも、僕だけだ。
人には短期記憶と長期記憶の二種類がある。
しかし、この時代じゃ長期なんて言葉は通じない。過去の記憶を保有していたって意味はない。
だから、この時代の人には短期記憶しか存在しない。長期記憶という機能は人から失われて久しい(あるいは、久しいという言葉を使うこと自体間違っているのかもしれないが)。
彼女達は過去の思い出を覚えておく事も、未来の為に記憶する事できない。
故に、彼女達は今と未来の自分を別の人間だと認識する。
過去も未来も、現在の自分とは関わりのない存在だと。
「この事件にはトリックなんてものはないよ。ミライから千歳川ももが来て、イマの千歳川ももの恋人を殺害した。ただ、それだけさ」
「タイムパラドックスの話は何処にいったんですか⁉︎」
「たとえ遺伝子が全く同じでも、細胞全てが入れ替わっていたら同一人物とは言えないだろう?」
多細胞生物は新陳代謝によって常に細胞が入れ替わる。ヒトにおいては、七年も経ったら身体中の細胞が全て入れ替わっていると聞く。
同じ記憶・同じ遺伝子を持っていたしても、人体の全てが別のものに置き換えられた人間はそれでも過去の人間と同一人物と言えるだろうか。
かつては、テセウスの船という名前で有名だったパラドックス。答えのない難問。
だけど、この時代じゃ正解は迷うまでもない。
同一人物であるはずがない。
過去と現在、そして未来は一続きのモノじゃない。
「真相はこうだ。君の恋人は、千歳川もも……『道』の先にいる君とも恋人関係にあった。そして、何らかの諍いがあった為にこの『道』へ来て恋人を殺害した」
「………………………………」
「ドッペルゲンガーでも何でもない。君が見つけられなかったのも仕方がない。なにせ君は向こうを知覚出来なくとも、向こうは君の
「…………恋人は……」
「きっと、犯人の元にいるのだろうね。それならば、見つからない理由も明白さ」
話を聞き始めた当初とは打って変わって、彼女はつまらなさそうに言った。
「君を責める気はないよ。殺人を起こしたのは君じゃない。そのシュンカンの千歳川もも以外に罪はなくて、そもそも殺人が無かったことになったんだから罪もクソもないさ」
慰めの言葉じゃない。
目の前の女性から興味を失った彼女は、部屋から千歳川ももを追い出したいだけだった。
「さぁ、帰った帰った。面白味のない事件の話をこれ以上させるつもりかい?」
5
「……アンタ、わざと黙っていた事があったでしょう」
「ほう、気づいたかい?」
依頼人が帰った後。
僕はボサボサな彼女の髪をときながら、疑問に思ったことを伝えた。
……僕は執事でもないのに、何故こんなことをさせられているのだろうかと思いながら。
「犯人の動機。肝心の部分が穴抜けでしたよ」
未来の千歳川もも。
彼女はなぜ恋人を殺したのか。
それさえ分かるなら、将来凶行に及ぶ女性を止められたかもしれないのに。
「鈍感だね、助手くん」
「は? 何のことです……?」
「恋人を殺す理由なんて、痴情のもつれ以外に存在しないだろう?」
「……男性の方が、浮気をしていたってことですか?」
「ふっ」
鼻で笑われた。
神代みかんは至極当然のことのように言った。
「彼は二股をしていたのさ。カコの千歳川ももとミライの千歳川ももという二人とね」
それは、完全に盲点だった。
過去と未来が繋がらない時代では、永遠の愛さえただの浮気性になってしまうのか。
「恋人が見つからないというのも、ただ元鞘に収まっただけなのだろうね。彼は自分の浮気を反省し、ミライの千歳川ももだけを愛するようになる。カコの千歳川ももを捨ててね」
「……悲しい話ですね。互いに想い合っているのに、傷つけるしかないなんて」
「私には気持ちが分かるけどね」
髪をとく僕の手が止まる。
彼女は後ろを振り向くと、僕の頭を掴んで瞳を覗き込んだ。
唇と唇が触れそうな距離。ドキッとして耳が赤くなるのを自覚する。
「……君が見てるのはイマの私じゃない、カコの私さ。それが、どうしようもなく妬ましい」
僕はそれに何も答えられなかった。
過去を積み重ねてしまう僕は、今しか生きられない彼女とはどうしても相容れない。
僕は
「…………………………、」
だから、僕たちはただの探偵と助手。
それ以上でも、それ以外でもない。
少なくとも、今は。
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