第3話 軌道を知る
僕は、久し振りに僕のアパートの部屋を訪れていた美織さんにこの出来事について話していた。
「バカみたいだけど、最近スマホのニュース検索して、高校生が行方不明になったとかいう事件がなかったか、調べてるんだ。だってあれ以来、毎朝いっしょになっていたあの高校生と電車で一緒にならないとか不思議だろ。ぜってー事件だから」
「でもさ、本当にただ気になる町を散策しただけかもしれないよ。そして三十分か一時間かして、気が済んだら家に帰ったのかも」
「それじゃ、朝、会わなくなったのは?」
「んー、学校がイヤになったのかもね」
「それじゃ悲劇じゃん」
「なんで? 学校が全てじゃないよ」
「だって、すごくイイ学校なのに」
「その子にとってはどうか、分からないよ」
「ん。何かちょっとね。心に引っ掛かる」
心に引っ掛かるのは、羨ましかったからかもしれない。
自分も、心惹かれる知らない町に下車してみたい。それだけ今の日常に苛立っていた。
☆
そして実はあの駅と同じ様な、人生の途中下車の機会が訪れていた。
めちゃ怪しい話かもしれないけど。
会社の飲み会で二次会を断り、近くの広場のスタンドカフェでコーヒーを買った。断ったのは二次会までも会社の事に束縛されたくなかったから。
縁石に腰掛けて、コーヒーを飲んでいると、そこで同じようにコーヒーを飲んでいる男が声をかけてきた。
「もしかして井上?」
「そうですが……あの……」
「ほら、友田だよ。高校の時、軽音楽部で一緒だった……」
「ああ、友田か」
うっすら記憶が蘇った。高校の時、軽音楽部に入っていた。幼い頃から中学の途中までピアノ教室に通っていて、子どもの頃は、夢は、ピアニストなんて言ってた位。だから、高校に行っても何か楽器を演奏してみたいという気持ちがあった。
入ってみると、国内のバンド好きの連中ばかりで、正直、こんな自分が入って良いのかと気が引けた。どうかすると音楽で食べていけるんじゃないかって勝手に空想の世界に浸っているのもいた。それも無理ない。そんな熱気と雰囲気に包まれていたから。
幸い、キーボードができる部員は限られていたので、僕は重宝された。
友田は確か、本格的にバンドをやりたいっていうグループの一人だったはず。憶えているのは、割と家が裕福なのか、時々、練習の場所を提供してもらえた事。顧問に車で三、四十分送ってもらって友田の親の持つ広い車庫とか、空き店舗みたいな場所で練習をした事。
僕達は近くの店に入り、お互いの近況報告をした。僕がしがないサラリーマンで、医療機器の営業をしているのに対し、友田は親の事業を引き継いでいるようだった。
「山の中のホテルでさ、環境がめちゃくちゃいいんだよ。そっか。井上はサラリーマンか。昔、独特のお坊っちゃまオーラみたいなんがあったから、別な事してると思ってた」
「買いかぶりだよ。別な事なんて、そんな才能ないからさ。友田こそ、音楽の道に進んだのかと思ってた。こっちは理不尽な上司の言う事に従うだけのつまらない人生さ」
「若い頃の夢なんてさ。でもオマエはできるよ、音楽で。今のつまらない生活よりマシな、ゆったりとした人生をおくる事が」
「え? できるわけないでしょ」
「ピアノとかめちゃくちゃ上手かったじゃん。今、ウチで探してるんだ」
「何を?」
「ピアニスト。って言ってもプロってわけじゃない。ウチのホテルで簡単な雑務とディナータイムのピアノ演奏をしてたおじさんが最近辞めたんだ。住み込みで長く勤めてたんだけど、持病のためにね。後釜を探そうにもなかなか見つからなくて。山の中に独りで暮らしたいってピアノ弾きなんて、そうそういないよな」
「そりゃそうだろうな」しかも、さっき聞いたホテルの場所は、霊場巡りの場所も近くにあったりの田舎だ。
「でもピアノ演奏好きなら、良い仕事なんだけどな。親戚が病院のグループの会長で、そのグループの病院や老健施設でも演奏会てきるんだ。ほら……」
そうして見せてくれたインスタの画像に僕は見入った。心を奪われた。
バラ園のあるホテルの庭園。そこに演奏できるスペースがあり、客達が笑顔で談笑している。しゃぼん玉を飛ばしている子ども達に、微笑む夫婦。爽やかなスタッフ。
病院や老健施設の画像も、平和で幸せそうで、こんな場所で住み込みでピアノを演奏し、人生を送れたら幸せだろうと思えた。ただ‥‥美織さんとは、別れないといけないだろう。なぜなら条件は一人での住み込みだし、それに彼女が生き甲斐としている仕事は都会で洋服を売る事で、それはあんな山では叶わない。
僕達は名刺を交換し、別れた。
☆
僕は美織さんに言った。
「途中下車か。僕もするかも」
「え?」
スイカを食べながら、窓の外、遠くに見える花火に気を取られていた美織さんが調子外れの驚きの声をあげた。
「つまり、今の仕事辞めて、別な道に進むかも」
「仕事を変わるって事?」
「ん」
すごく反対されると思った。でも違った。
「そう……」
「それだけ?」
「だってこれから決めるんでしょ?」
「そうだけど……」
「そうなったら、わたし達、今みたいに会えなくなるかもね」
「そんな他人事のように言うなんて。昔はそうじゃなかったよ」
「昔っていつ?」
「大学選ぶ時」
そう、僕がきらびやかな印象だけの大学に眼がいった時、忠告してくれた。「本当にしたい勉強がそこでできるの?」
やけになって自分の学力の及ばないような大学の名前を言った時にも。「いくらすごいとこへ行っても、自分自身が変わってなきゃ同じなの」
凛とした声。
「だけど、ゆー君が今、辛いの知ってるから、もし仕事変えてそれて気持ちが安らぐんだったら、反対はしないよ。ここしばらく本当に笑った事ってないよね」
「辞めないよう、説得されるんだと思ってた」
「拍子抜けした?」
「ううん。でも行かないでって抵抗してほしかったかも。恋人同士みたいに」
「何それ。私、そんな可愛い事、向かないもん」
美織さんは膝を抱え、花火を見る振りをしていた。
僕は花火の音の中に、あの通勤中に聞こえてくるどこかの学校の
今もう一度聞かなきゃいけない気がして仕方なかった。
☆
友田に言われた通り、履歴書を送り、一度、面接に行く事になった。午後から半休をとり、また昼過ぎの電車に乗った。
少し遅れ気味の電車に乗り、つい三週間程前に同じ時間帯に電車に乗った時の事を思い出していた。今は九月に入り、日差しにほんのり山吹色が混じっている感じ。ただ暑さは相変わらずで、直射日光も同じだ。公園には、陽の光を除けようとしている親子がいて、駅のベンチには、アイスの実を食べている女子高生がいる。なんでいつもあの子らはアイスの実なんだろう。
「アイスの実」という言葉を繰り返していると、ふと美織さんの事を思い出した。アイスの実、愛すのみ……きっともう恋という次元は過ぎているのだろう。たけど愛はある。だから自分を引き止めないんだ。全身の力が抜けるような気がした。
またあの
電車を降りると、遅れないよう、走った。泣きたいのを我慢して。
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