第103話 アビゲイルの……
——やってしまった。
アビゲイルはたしかにそう思った。
せっかくネファリアスとのデートだったのに、貴族にあるまじき失態を犯した。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
「(どどど、どうしましょう!? ネファリアスさんがそういうお話が嫌いだった場合、いまのはマイナスよね!?)」
それは思わずぽろっと口から出た言葉。
別にネファリアスがそれを望むかどうかはわからなかった。
色事。
貴族令嬢に生まれたアビゲイルは、それに関して多少の知識があった。
もちろん自分がしたことはない。男性の裸だって見たこともない。
しかし、男性がそういうことに興味を示すのは知っている。
そういう行いで子供が生まれ、人は幸せを噛み締めるのだと。
だから、アビゲイルはネファリアスに提案した。
自分が美人でかわいい女性を用意するからウチの騎士になってくれ、と。
少しくらい興味を持ってくれたらいいな、くらいの思いだった。
けど、そこで慌てた結果、自分の言わなくてもいい恥ずかしい話をぺらぺらと語ってしまう。
貴族令嬢なら十分に醜聞だ。
いまだ初めてというのは褒められたものでも、淑女が口にする内容ではなかった。
特にアビゲイルは大きな声で言ってしまった。
ネファリアスだけじゃない、他の住民たちにも聞こえただろう。
アビゲイルは領主の娘だ。住民たちには顔が知られている。いまは変装しているとはいえ、なんだか妙に恥ずかしかった。
「(もおおおお! アビゲイルの馬鹿! アビゲイルの馬鹿! すぐ調子に乗って慌てる癖をなんとかしなさいよ! そんなんだから友達が……)」
そこまで内心で言って、途端に彼女の中の熱が冷める。
急激に悲しい気持ちになった。
するとそれを察したのか、移動を始めたネファリアスが声をかけてくる。
「アビゲイル様? どうかしましたか」
「あ、いえ……!」
優しい人だと思った。
顔色を見ればわかる。
ネファリアスの表情には、アビゲイルを案じる色が混ざっていた。
不思議とその顔を見ると心がざわつく。
嫌だとかそういうマイナスイメージではない。むしろアビゲイルは心が温まっていた。
最初は理解できなかった。
ワケがわからなかった。
なんとなく。……そう、なんとなく彼が気になった。
その日は運命を感じて歩き回り、偶然ネファリアスと出会う。
外からやってきたはずの彼に見覚えを感じ、妙にその顔に惹かれた。
「(ま、まさか……これが一目惚れってやつなの!?)」
今さらながらに恥ずかしくなってきた。
違うと思いたいが、否定する材料が見つからなかった。
明確に好きかと言われれば首を傾げるが、嫌いか興味ないかと言われても答えに困る。
アビゲイル・エルド・ノートリアスは、これまでの人生で一度も恋愛をしたことがなかった。
人を好きになったこともない。
貴族令嬢なのだからそのうち結婚することはわかっている。それが家のためになることも。
だが、彼女は恋人より先に友達がほしかった。
仕事でいつも忙しい父親の代わりに、自分と遊んでくれる存在がほしかった。
けど、誰もアビゲイルに構ってくれない。
当然だ。
彼女は伯爵令嬢。領主の娘。
何かあったら困るのは住民たちのほうで、一定の距離をあけられるのはわかっていた。
わかっていたのに、彼女は子供ながらに傷ついた。
そして他者に当たるようになり、自然と傲慢な素振りが身に付く。
いつしか彼女はさらに距離を置かれるようになり、どんどん孤立していった。
少ししたら慣れると高を括っていたが、全然そんなことなかった。
むしろアビゲイルの孤独は増す一方。誰でもいいから構ってほしいと思うようになる。
そこに来て、彼女は見つけたのだ。自分の運命の人を。
ネファリアス・テラ・アリウム。
外からやってきた騎士。
外見は悪くない。名前から恐らく王国の貴族だとわかる。
彼女は強い興味を示した。おまけに見覚えがあり、妙に惹かれるとなるとアタックするのは当然だ。
しかしやっぱり、それが恋愛感情なのかと言われても困る。
今はただ、彼にそばにいてほしかった。それ以上は望まない。
これまでの反省を踏まえて口調は柔らかく、態度も軟化させた。それでもネファリアスは一向に首を縦に振らなかった。
「とりあえず、今日のところはぐるりと街を見て回れたので、そろそろ解散にしましょうか」
ネファリアスが別れを告げる。
ズキン、と胸が痛んだ。
けれど彼を無理やり引き止めるのは憚られる。
痛む胸元を押さえて我慢した。
「そう……ですね。暗くなってきましたし、アビゲイルも帰らないと」
「護衛の方はいますし、ここで解散にしましょう。それではアビゲイル様。——また一緒に観光しましょうね」
「…………え?」
手を振ってネファリアスはその場から立ち去っていった。
遠ざかっていく背中を見つめながら、アビゲイルはぽつりとこぼす。
「また? また、アビゲイルと遊んでくれるの?」
その言葉は、彼女がずっとずっと欲しかったものだった。
実はネファリアスに深い理由はない。前世だと別れるときはだいたいいつもそう言っていただけだ。
しかし、アビゲイルには刺さった。
冷たく凍っていたはずの心に……たしかにその言葉は届いたのだ。
ぎゅっと自らの胸元を握り締め、ネファリアスの姿が消えてもなお……しばらく彼女はその場から動けないでいた。
頬に、夕陽みたいな美しい色が浮かび上がる。
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