猫と毛布と私の記憶と

海湖水

猫と毛布–前編

 日曜日の朝、暖かいリビングのソファの上で穂高ほづか真奈まなは目を覚ました。昨日仕事から帰ってきたあと、すぐに寝てしまったのだろう。

 すぐ近くでネコの鳴き声がした。毎朝きいていると、朝起きたことを自覚するスイッチのようになっている。

 「はいはーい、ちょっと待ってねー!」

 ソファから飛び上がるように起きると食器棚からキャットフードを取り出した。一緒にネコ用の皿を手に取ると、机の横に待機しているシャーレにかけよった。

 皿の上にキャットフードを出すとシャーレはすぐさま食べ始めた。そのあとにキッチンへと自分用の餌を作りに真奈はかけだした。

 

 真奈には過去の記憶がない。いわゆる、

記憶喪失というやつだ。

 記憶がないのは数年前から。記憶は言語能力や知識、一般常識、数人の知り合い以外は全て綺麗さっぱり忘れ去っていた。家族は記憶を失ったと同時に目の前から消え去った。周りの人たちはなにも教えてくれなかったが、多分記憶がなくなったことと関係しているのだろう。

 家族がいないことに関して言えば悲しくもなんともなかった。なぜなら、家族の記憶は全て失ってしまったからだ。忘れなかった知り合いにとくに仲良かったわけでもなかった人もいたことを考えると、忘れたことに仲の良さなどは関係していないのだろう。ちなみに、忘れた人は思い出内で顔にモヤがかかっているだけのような場合もあれば完璧に忘れ去っている場合もある。

 会社の仕事内容を忘れてしまっていたが、社長はそれを許してくれた。まあ、小さく家族感のある職場の雰囲気もあったのだろう。みんな、真奈が忘れてしまった仕事内容などを教えてくれた。

 今一緒に暮らしているのはこのシャーレだけである。シャーレとは名前であり、分類は

動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱食肉目

ネコ亜目ネコ科ネコ属ネコ亜属イエネコ種、

つまりネコである。シャーレは私に残る唯一の家族とのつながりである。私の記憶がなくなった後に実家で飼っていたらしいシャーレを真奈がひきとったということだ。

 シャーレという名前は真奈がつけた。前の名前はわからないが、まあ、今ではこの名前に慣れているようだしいいだろう。

 今日から一週間は仕事は休みだ。つまりいろいろできるということ。久しぶりに自由になにかをすることができる。しかし問題もあった。

 「なにしよう。」

 なにしろ記憶を失う前には休日になにをしていたのかがわからないのだ。今までの休日は全て寝て過ごすか、本を買いに行くか、シャーレとたわむれるくらいしかしていない。

 「外に出れば何かあるかな?」

 せっかくだ、まだよくわかっていない家の周りを見て回ることにした。

 着替えた後、愛しのシャーレに別れを告げ、

家の外に出た。

 「さっっっっむ‼︎」

 今は冬である。普通に、この地域では過去最低気温を更新しましたー♪なんて言ってる時期である。ギャグがすべるよりも多分寒くなる季節である。リビングは防寒対策が施されているため暖かいが、寒がりの真奈にとって寝室で寝るのは自殺行為に等しい。だからリビングで寝ていたことを真奈は思い出した。

 しかし、外に出てしまったのだから帰るわけにはいかない。今帰るとシャーレにバカにされるに決まっている。力を振り絞って真奈は一歩踏み出した。

 真奈の家の周りには商店街や公園があった。家族と一緒に暮らしていたかどうかもわからないから「ここ、家族と私は前にきたことがある気がする!」的な展開もないし、失われた記憶を思い出すこともなかった。

 商店街には記憶が消えた後には初めて来た。真奈を知っていたであろう店のおっちゃんおばちゃん達が声をかけてくるが、それらの群れに必死に事情を説明しながら進む。自分には記憶がない。これを説明するときみんな悲しそうな顔をする。正直自分はこんなに大切にされていたんだということを実感できるからだ。同時にそんな大切にされていた記憶もなくなったことがとても申し訳なく思える。

 商店街をの隅に小さな萬屋よろずやがあった。個人経営だろうか。昭和っぽい見た目してるし、同じ名前の店見たことないし。真奈の目はその店頭にあったブランケットにくぎ付けになった。

 ほとんど柄がないように見えるが、ところどころに装飾が施されている。真奈はこれに妙に惹かれた。店の奥にいた店主らしいおばあちゃんに声をかけてブランケットを買う旨を伝えると、「安くしてあげるよ。売れ残っていたし私が作ったものをそんなに買いたいって言われると照れるしね。」と言葉を返された。これ、手作りだったのか。ブランケットってどうやって作るんだろう。

 買った後、真奈はブランケットにくるまりながら家に帰ることにした。家に帰るとシャーレがリビングでくつろいでいた。おい、主人が外で震えていたというのにお前はなに寝てんだ。

 仕事と隣人の赤ちゃんの夜泣きによりつい最近はあまり寝れていない真奈にとって、シャーレの「寝る」という行動はとても羨ましく思えた。真奈はソファに倒れ込んだ。ブランケットにくるまるのをやめて、代わりに膝にかけた。テレビをつけるとシャーレが膝の上に乗ってそのまま寝だした。

 「なんでわざわざ私の上で寝ようとするんだよ。」

 ネコにもブランケットの良さがわかるのだろうか?シャーレを見ているとこちらも眠たくなってきた。気づくと真奈はソファの上で眠っていた。

 

 

 

 

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