使用人の女性は階段を一つ下り・・・

 使用人の女性は階段を一つ下り、二つ上り、僕を三階に案内した。やはり、三階の廊下にも控え目で落ち着いた装飾。しかし、建屋の構造は二階以下とは明らかに異なっていた。歩く先を見ても、後ろを振り返ってみても、廊下の先には頑丈そうな壁。おそらく、壁の向こうにも廊下が続き、そこには大公家の方々の居室などが並んでいるのだろう。

 連れていかれた先は客室だった。室内には様々な調度品。ゆったりとした寝台が二つ。と言うことは、ここは父と僕の男部屋。女性のジランさんには多分隣室辺り。使用人の姿が消えた瞬間、僕は靴を脱いで窓際の寝台に寝転がった。

 今日これまでに起きたことは、どれもこれも意外、ある意味では異様。僕にはそう思われて仕方が無かった。

 船着き場で僕たちを出迎えたのは大公家の私的な使用人のはずの家令さん一人だった。国対国の交渉、しかも十年に一度の包括通商交渉の出迎えが、なぜこの地の政庁の幹部ではないのだろう。まるで、こちら側が貢物を差し出して交渉していただいているかのような軽い扱い。話に聞いていたのとは全く違う。これが国対国の力関係の実態なのだろうか。

 王都へ向かった船団には、フレクラント国東地方の中統領と北地方の中統領、南地方の副中統領となか地方の副中統領が乗っている。あちらもそろそろ王都に到着する頃合い。もしかしたら、王宮へ向かっている所かも知れない。

 また、あちらにはフレクラント国内の各中等学院から一人ずつ、合計五人の六年生が随行している。王都では王家の方々と懇談し、その後、エスタスラヴァ王国の中央政庁や高等学院を見学する予定になっているとのことだった。

 一方、こちらには副大統領のジランさん、西地方の副中統領の父、中等学院一年生の僕。国対国の交渉なのに、なぜ交渉団中最上位のジランさんがこちらにいるのだろう。

 今回の日程は二泊三日。その間の僕の予定は全くの空白。先ほどジランさんには「街を好きに見学せよ」と言われたが、大統領の指示はそんな一般的な事柄とは異質な気がする。大統領は僕に向かって、いざとなったら大声を上げろと言ったのだから。

 僕は寝台の上で寝返りを打ち、「意味不明」と呟いた。

 頼み込んででも、王都へ行けば良かった。あちらは男女混合の多人数。しかも様々な行事が予定されている。一方、こちらは父と一緒、父と相部屋。何という気詰まりだろう。あの事件以降の二年間、僕と両親の間にまともな会話が成立したことなど一度もないのに。

 それにしても、サジスフォレ卿。まさか父が卿と呼ばれるなんて。さらにはジラン閣下。副大統領ともなれば、ここでは閣下と呼ばれる模様。フレクラント国とは異なり、エスタスラヴァ王国には厳然として階級が存在する。そのことを僕は初めて事実として認識した。

 僕はてっきり、ジランさんは寡黙な人なのだと思っていた。なのに、大公様と話すあの様子。饒舌さの片鱗を見たような気がした。エスタスラヴァ王国には時折足を運ぶものの、西の大公家を訪れるのは数十年振り。ジランさんは筏の上で父に対してそんなことを言っていた。しかし、あの様子から考えて、ジランさんと大公様は相当親しい間柄に違いない。

 僕は寝台から起き上がり、部屋履きをつっかけて窓に歩み寄った。

 北向きの窓。窓を開け放つと夏の生暖かい風。眼下には裏庭。使用人用と思われる多数の家屋。その先には敷地を囲う塀があり、その向こうには街の家々が立ち並び、さらに先には田園地帯が広がっていた。

 裏庭の人影は疎らだった。北の裏門から荷物を搬入する人。裏庭に点在する建屋を行き来する人。のんびりと歩いている者など一人もおらず。いや。良く見ると一人だけ。頭の天辺から肩までを花柄らしき大きな布で覆った小柄な姿。服装から考えて多分女の子。夏のさなかに、なぜあんな暑苦しい格好を。

 その時、強めの風が吹き抜けた。布が風をはらんで頭から外れた。その姿に僕は思わず目を凝らしてしまった。あの子には頭髪が無いのだろうか。その代わりに、正体不明の赤みがかったまだら模様。しかし、女の子はすぐに布を被り直し、結局遠目に状況は良く分からなかった。

 一種不穏な光景に、僕は首を傾げてしまった。これがエスタスラヴァ王国西部の最高位、西の大公家の日常なのだろうか。

 僕は気分転換に深呼吸をし、次いで環境中の自然精気を吸い込もうとして違和感を覚えた。空気が薄いという感覚。しかしそれは錯覚のはず。薄いのは自然精気。確かに、学院の先生たちが警告するだけのことはあると実感した。

 見るべきものを探せ。大統領のその命令はジランさんの指示とも一応合致する。何かを買え。その命令は幾分奇異ではあっても理解は可能。しかし、いざとなったら大声を上げて帰ってこい。

 いざとなったらとは重大事に直面したらという意味。そして何よりも、魔法以前の野生の力。ほとんどの人は持っていない。でも、僕は持っている。大統領も。その大統領が僕に向かって、破壊的に使えと言う。よほどのことなのは間違いない。

 それならとにかくと僕は思い立ち、お屋敷を出て街を回ってみることにした。

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