第二章 白狼の騎士
中等学院生になって初めての夏休み・・・
中等学院生になって初めての夏休み。すでに終盤に入った夏休み。家事と勉強、時々読書。ちょっと離れた村の農耕組合で働かせてもらって小遣い稼ぎ。そんなことの繰り返しだけで終わってしまいそうだった夏休み。
夏休みに入る前日、春学期の終業日のことだった。中等学院の学院長は僕たち一年生一人一人の顔色を窺いながら警告した。
精気は魔法の源。環境中の自然精気を体に取り込み、余剰精気として体に蓄え、それを用いて魔法を発動する。東のエスタスラヴァ平野でも南のスルイソラ大平原でも、大地の奥底から自然精気が湧き出し続けているのは間違いない。しかし、地表付近にほとんど滞留せずに、そのまま大気中に拡散している。そのため、環境中の自然精気は非常に薄い。
中等学院生となり、実技試験に合格して高空高速飛翔を解禁されたからと言って、そのまま単独で東のエスタスラヴァ王国や南のスルイソラ連合国へ行ってはならない。余剰精気が尽きたら飛翔魔法を発動できなくなる。行き帰りの途中で山中に墜落したら、もはや助からない。だから、まずは一回、年長者に同行してもらうこと。
その指示の重要性は理解できる。でも、僕には同行してくれる年長者がいない。いよいよ大空を高く飛んでどこまでも行けると、期待に胸を膨らませていたのに。
そんな鬱々とした日々の中に降って湧いた出頭命令、大統領府からの呼び出し。その緊張を紛らわそうと、僕は独り朝の空を勝手気ままに飛び回っていた。
大障壁を東から西へ越えると、そこは無人の森林地帯、原生林。所々に野原と小川と池と獣。東西南北、四方を見回すと、そんな高原をぐるりと囲む山また山。東の山の向こうにはエスタスラヴァ王国が、南の大山脈の向こうにはスルイソラ連合国がある。この夏休み、同級生の皆は行ってみたはず。でも結局、僕にその機会は無かった。
そんなことを考えながら、ふと下方を見ると一頭の
白狼としばらくじゃれ合った後、僕は再び空に舞い上がった。無人の森林地帯を越え、今度は大障壁を西から東へ越えて、人の住む地の上空を首府の街まで。行先は大統領府内の大統領執務室。本日正午前に出頭せよとの連絡を受けていた。
大統領府の建屋は重厚な木造建築。足を踏み入れるのは初めてのことだった。受付の人によれば大統領執務室は三階。僕は歴史の重みを感じながら階段を上り、廊下を進んだ。手すりからも床からも明瞭に伝わる堅牢さ。国の中枢たる厳かな雰囲気。僕はわずかに委縮し、大いに感銘を受けた。
部屋の扉を軽く叩き、「ケイ・サジスフォレです」と声を掛けると、「入れ」と簡潔な指示が聞こえてきた。
室内中央には寝台としても使えそうなほどに巨大な執務机が鎮座し、その向こうに大統領はいた。大統領との面会はあの事件以来二年振り。僕は机を挟んで大統領の前に立った。
「ケイ・サジスフォレ。エスタスラヴァ王国との包括通商交渉に随行員として同行せよ」
唐突な指示に、僕は呆気にとられた。
「包括通商交渉って、来週のやつのことですか。僕の父も加わることになっている」
大統領の目付きが鋭くなった。大統領は無言で僕を睨み付けてきた。
延々と沈黙が続いた。徐々に居心地が悪くなってきた。でも、目を逸らしてはいけないような気がした。この人は一体何を考えているのだろう。それにしても長い。どれだけ僕を睨み続ければ気が済むのだろう。
僕はふと気付いた。お前は簡潔さに欠ける。お前は単刀直入ではない。そういう意味だろうか。僕は耐え切れなくなって口を開いた。
「僕が同行する理由は何でしょうか」
「子供が通商交渉の役に立つ訳があるまい」
僕の余計な言葉に黙り込んだ割には、大統領も随分と回りくどい話し方をするではないか。僕はそう思って微かに眉をひそめた。
「僕は何をすれば良いのでしょう」
「いざとなったら、大声を上げて帰ってこい」
僕は唖然とした。しかし、大統領は僕を冷徹に見詰めていた。僕が大声を上げる。魔法以前の野生の力。本当にそんなことをしても良いのだろうか。そして、帰ってこいとは。
「ソルフラムさんは行かないのですか?」
大統領は机の引き出しから何かを取り出した。受け取ってみると、見慣れない硬貨一枚。
「餞別代りだ。あちらに着いたら、それで何かを買うのだ」
「餞別とは」
「私はじきに大統領を退任する」
好意による小遣いと言うよりも、必ず何かを買うべしとの命令。大統領の口振りから僕はそう判断した。
「ケイ・サジスフォレ。見るべきものを探せ。以上のこと、他言無用、報告無用」
大統領はそう言うと、一枚の紙を僕に差し出した。包括通商交渉の随行員に任ず。日付、大統領の署名。どうやら正式な命令書のようだった。僕は訳が分からないまま黙って頷き、命令書を手に大統領執務室を後にした。
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