第5話 わたしの五日目

「ふぅ……わかっていても、結構くるな……それに、意外と覚えていることばかりだ」


 わたしはいったん、映像を止めてため息を漏らした。

 ふと、思い立って、巻き戻して再生をしてみる。


 豪快に笑う、曽根さんの姿だ。

 彼女のそんな姿に、わたしはひっそりと元気をもらっていた気がする。

 今も、重く沈む胸の奥が、ほんの少し軽くなった気持ちになった。


 笑っているシーンだけを何度か続けて見続けているうちに、わたしも一緒になって豪快に笑っていた。

 今ごろ、どうしているんだろう。

 彼女のおかげで、わたしは一人で生きていく決心ができたと思うし、少しは強くなれた気がする。


 もう、四十一歳だ。

 きっと結婚して、子どももいるんだろう。

 幸せになっていてくれるといい。


 工藤くんや大河原くんも同じだ。

 きっと立派な人になっているだろうし、わたしとは違って結婚もしているに違いない。

 彼らも、幸せであれば、わたしはそれだけで満足だ。


「そう思うだけで、実際、会いたいかっていうと……そこまでではないな……」


 ただ、行っておきたいところは一カ所あった。

 映像は……この先をみるかどうか、悩むところだ。

 スキップしてもいいかな、とは思うけれど……。


 高校を卒業したあと、わたしは浩三おじさんと、基樹の勧めもあって、働きながら資格のとれる仕事に就いた。

 電気設備関係の会社だった。

 ビルや公共の施設などを担当して、夜勤もあったけれど、充実した毎日を送っていた。


 同じ会社の女性と、お付き合いもしていた。

 彼女は、小篠杏子こしのきょうこ

 年上の人だ。


 彼女も良く笑う人で、ご飯はなんでもおいしそうに食べる人だった。

 わたしは映像をスキップして、彼女と過ごしたころをみてみることにした。


 彼女とは、仕事が休みの日には、あちこちに出かけた。

 レンタカーでドライブをしたり、郊外の公園にピクニックに出かけたり……。


 三年ほど一緒にいただろうか。

 ある日、突然に別れを告げられた。

 わたしはまだ二十一歳で、彼女は二十九歳。


「三十歳になる前には結婚したいの。だから、ごめんね」


 そういって、彼女はわたしの上司と一緒になった。

 ずいぶん前から、二股をかけられていたと知ったのは、彼女が退職をする日の挨拶で、結婚の報告を聞いたときだった。

 わたしは身の置き場がなくなり、退職することにした。


 結婚するなら彼女と、そう思ってはいたけれど、それはまだ先だと考えていて、彼女の年齢まで考えてはいなかった。

 きっと、不安だったんだろう。


 彼女の笑顔がわたしに向いた場面で、映像を止めた。

 ああ、すごく好きだったなぁ……。

 そんな感情が湧いただけで、やっぱり会いたいとまでは思えない。


「空っぽだな……」


 この職場を辞めたあとは、資格があることを武器に、同じような会社に勤めたけれど、いわゆるブラック企業で、休みはほとんどなく、人間関係も劣悪だった。

 体を壊して退職するまで、一年もかからなかった。


 それからは、体調と相談しながら、派遣の仕事を細々と続けてきた。

 人づき合いもほとんどしなくなり、恋人などもってのほかだ。


 人生には様々な分岐点があって、自分ではどうにもならないことも、自分で頑張ればどうにかなることも、たくさんあった。

 どうにもならないことは仕方がないとして、どうにかなることを、わたしは全力で臨んだんだろうか?

 なにもかもが足りていなかった気がする。


「もっとやれたことが……あったんじゃないかな……」


 今さら悔やんでも仕方がないことだけれど、もっと違う人生を歩んでいたかもしれない。

 一人ぼっちで死んでしまうことも……。


「そういえば……」


 わたしは映像を何度もスキップした。

 事故はいったい、どんなものだったんだろう。


 暗い空の下、わたしは急ぎ足で職場の最寄り駅へと向かっている。

 交差点の信号が青だ。

 小走りで進んだけれど、すぐに青が点滅をはじめ、赤に変わってしまった。


 遅くなってしまって、夕飯になるようなものも家にはなくて、近所のスーパーが閉まる前にお惣菜を買おうと……。

 わたしは同じように急いでいるふうの男性の後ろに立った。

 隣には、若そうなリュックを背負った男性が。

 今日はなんだか人が多いな、そう思った直後。


「あぶない!」


 隣にいた男性が、わたしを庇うように両手で腕を引っ張った。

 わたしの目には、勢いよく車が飛び込んでくるのがみえた。

 前に立っていた男性とわたし、わたしを庇ってくれた隣にいた男性は、三人揃って吹き飛ばされた。


 お腹のあたりに衝撃を受けた直後、すぐに背中にもっと強い衝撃をうけた。

 そこで映像が終わった。


「え――? これで終わり? っていうことは、このときにわたしは死んだのか……」


 前にいた男性も、隣にいた人のいい男性も、亡くなってしまったんだろうか?

 今さら思っても仕方のないことだけれど、もっと後ろに立っていればよかった。


 ただ、もしも事故に遭わなかったとしても、わたしはきっと無気力なまま、起こったことをただ受け入れて、満足のいくような人生を歩めなかっただろう。

 今、気づいたからには、次に生かさなければいけないけれど、生まれ変わったらきっと、こんなことを考えていたことも忘れてしまうに違いない。


「さて……と。それじゃあ、出かけるかな……」


 わたしは立ち上がり、もう一度、銀色のレバーを引いて部屋を出た。

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