第37話:ウイジンキネン_コウ_4


 Bさんは叫んでいる。状況の理解に脳が追い付いた証拠だった。幸いだったのは、Bさんが刺さった瞬間に気が付いたことで、次の一歩を踏み出さずに済んだことだろう。三角柱のなにかに一度目引っかかった時と同じように。運が良かった。もし、もう一歩を踏み出そうとしていたら、足が抜けずに激痛が走るだけでなく、足を貫いた棘に身体も貫かれていたかもしれない。


「……これは即死トラップ扱いなのでしょうか……?」

「んー……これは違うね。ほら、即死トラップは、文字通り【引っかかったらすぐ死ぬ】でしょ? これは運が悪ければ、だし。このトラップで殺す想定はしていないと思うよ。……このまま抜かずこの場に留まっていたら、Aさんに追いつかれて死んじゃうとは思うけどね」


 自分の足を貫いたこの長くて太い棘を、自力で外すことができるのだろうか。引っかかるのは簡単だ。Bさんは意識していなかったから、引っかかっても気付くのが遅れていた。そして、気付いていなかったから、引っかかった瞬間は痛そうにしていなかった。だが、今回は訳が違う。もうわかっているのだ。引っかかっていることに。自分の足に刺さっていることに。この棘が痛いことに。足に穴を開けて血を流していることに。


 残念なことに、Bさんはこの棘を踏み抜いていた。つまり、この棘の根元から先端までの三十センチほどを、意識がハッキリしたまま自ら足を持ち上げて抜かなければならないのだ。痛みと出血に耐えながら。他のトラップと、追いかけてくるAさんに怯えながら。


「ここにきて、しっかりトラップに引っかかりましたね。まだみっつ目ですが。……どうでしょう? 足を引き抜くことができると思いますか? ペシェさん」

「抜かないと、Aさんが追い付いちゃいますもんね~。逃げないと死ぬって、かなり現実味を帯びてきたんじゃないでしょうか~。ん~、私は抜くと思います~」


 小首を傾げながら、真面目な顔をしてもがなは答えた。何度かやり取りするうちに、改も落ち着いてきたようで上手く言葉も出るようになっている。不安に思っていた丙ともがなの二人も、普段と変わらないやり取りを行うよう努めていたが、素でもうそのやり取りで構わないと感じていた。この短時間でも、なにも知らない人間から見たらわからないかもしれないが、改は確実に成長していた。


「観客の皆様にもアンケートをとってみたいなと思いましたが、時間が足りなさそうですね。Bさんは足を抜き始めるようです」


 ズズズズズ――


『あぁぁぁぁ……!!』

『ぐぅぅぅぅ……』

『がっ……がん、ばれっ……』

『わっ……わだじぃぃぃぃ……』


 痛みに耐えながら、Bさんはゆっくりと自分の足と地面の間に隙間を作っていた。身体の中を異物が動いているのだ。間違いなく痛いだろう。


『あぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああぁあぁあぁぁぁ』


 息を吐き出しながら、声に意識を載せることで、極力足の痛みを思い出さないようにしているのかもしれない。十センチほど地面との間に隙間ができ、Bさんはかがんでそのできた隙間に自分の両手を差し込むと、肩で大きく息をして一気に足を持ち上げた。


『ぎっ――いぃぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃいいぃぃいぃぃぃぃいいい――!!』

「――抜けた! 抜けました!」


 見事な精神力と忍耐で、Bさんは棘を抜いた。なんとか穴の開いた靴に守られているとはいえ、この足で歩くには厳しいだろう。


『はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……』

『痛い……辛い……』

『痛い、痛いよ……』

『やだ、もうやだ、なに……』

『やだやだやだ』

『うわあぁぁぁぁぁぁ』

『あぁぁぁぁぁぁぁぁ』

『ぐずっ、おがあざん……おどうざん……っ』

『だっ、だずげで、ぇ……』

『ずびっ……ずずっ……うぅぅぅぅ……うえっ……えぇ……』

『……ぃ、痛いぃ……痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ』

『いだいいだいいいぃあぁぁ――!!』

『いだいよおぉぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ――』


 狂ったように大きな声で泣きながら、Bさんは歩いていた。歩く、と言っても、とてもこの足ではまともに歩くことはできず、穴の開いて血を流し続ける足を引きずりながら進んでいる。赤黒く染まった靴は時々血で地面を汚し、うっかり足裏を地面にぶつけては悶え泣き叫んでいた。

 血で汚れた手のひらで顔を擦り、涙と汗、そして涎と鼻水が混ざり、酷いことになっていた。誰もが見たら顔をしかめるかもしれない。だが、こうならないほうがおかしいと、観客も改たちもわかっていた。わかった上でゲームを楽しむのが、彼らの仕事であり娯楽の所以だった。


 絵面だけで言えば、まだまだデスゲームの過程としては地味だろう。足から上は、手を除いて無事なのだから。だが泣き叫んで擦って崩れたBさんの顔を見て、改はお腹にゾクゾクとしたなにかを感じていた。


 ここまでくるのに、Bさんはそれなりの時間を費やしている。負傷した足でどこにあるかわからないゴールまで無事に辿り着くか、Aさんに見つからないようやり過ごすのは、残り時間が短くなったとはいえ少々難しいかもしれない。――彼女はきっと、お金は要らないだろう。無事家に帰ることができるのならば。そもそも、もう忘れているのかもしれない。……だが、それすら叶わないかもしれないのが、デスゲームなのだ。

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