偽物の蜜

ホトケノザ

第1話

 

 珍しく母が病院に行っていて不在の日だった。

 ある予感がして、姉の部屋に足を踏み入れたあたしは、椅子に座る布を被ったマネキンのような何かを発見した。覆い布からは薄ピンクの靴下を履いた足先が覗いていた。足首のところには小さなリボンがあしらってあるのが見える。ーあれは、お姉ちゃんのお気に入りだったやつだ。

「そうか、今日はあの日か」

 勢い良く覆いを取る。

 お姉ちゃんの造形をした、でもお姉ちゃんではないよくできた精巧なモノが静かにこちらを見つめ返していた。あいつがいつも着ていたシンプルなワンピース、あいつがしていたミディアムロングの黒髪、そして見知ったあいつの顔……どれも皮肉な程にそっくり。

 今日は、お姉ちゃんの偽物が来る日だ。

 

「加奈」

 戸口にお父さんが立っていた。

「本当に始めんの?」

 自分でも無意識に言葉が飛び出していた。疑問、というより縋りに近いかもしれない。

「そう決めたろ」

 確かに、決めた。いや、むしろお母さんの思い込みとお父さんの罪悪感によって決まってしまったと言った方が正しいと思う。でもそんなこと、口には出さない。だってお互いその事実をよく分かっているから。

 お父さんが偽物に寄ってきて、手にしていたケーブルで〈それ〉と壁のコンセントとを接続した。両者を繋ぐ線がワンピースの陰で正面から見えなくなるよう、いい感じに誤魔化す。それから背中のボタンに手を伸ばす父。きっと彼の視界には既にあたしは居ない。

〈それ〉が奇怪な機械音を立て始めた。電源が入ったのだ。やがて〈それ〉は瞬きをし始め、辺りを見回しだす。内蔵カメラがお父さんを捉えたのだろう、首だけ彼の方に向き直った。そして、ふわっと目を細め、口の端を持ち上げた。

 あたしは顔が引きつるのを感じたーその顔でおまえが微笑むなよ。

「ハイ、どんなご用でショウ?」

〈それ〉から発せられたのは単なる機械の声。プログラムされた定型文。

「与えられた命令をきちんと聞く人工知能」と謳われたこの商品に、お父さんは

「聡子が来たら何も言わずに只黙ってニコニコしていろ」

 とだけ命じて部屋を去っていった。

 

 


 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る