愛され脚本家の卵の恋人

はる

第1話

 「ただいま」って言ったら「おかえり」って返ってくる家に憧れる。俺の八畳一間はがらんとしていて、何を言っても返ってくることはない。という話をしていたら、美咲は、「じゃあ一緒に住む?」と持ちかけてきた。俺は二つ返事でOKした。同棲したいということを遠回しに言ったみたいなもので、半ば無意識だったのだけれど、それは多分美咲も分かっている。俺たちは一緒に住むことになった。

 窓辺から川と桜の木が見えるアパートだった。美咲ははしゃいだ声をあげて、膝を立てて桜の木を見ていた。4月のことだった。俺の脚本はどの賞にもひっかからなくて、うだつの上がらない生活をしていた。こんなんじゃ付き合っている美咲に申し訳が立たない。収入は居酒屋のバイトのだけ。こんなんじゃ結婚は出来そうになかった。美咲はそれでもいいと言ってくれているけど、俺が嫌なのだ。勝手な言い分だとは分かっている。

 友達の貴宮武にそのことをこぼすと、武は酒をあおってこう言った。

「美咲ちゃんがいいって言ってんだろ?何をそんな渋ることがあるんだよ。男のプライドか? そんなもん捨てちまえよ」

 武は高校時代からの友人だ。お互い綺麗なところも汚いところも知り尽くした仲だ。だから忌憚ない意見をいつも言ってくれる。

「なんだろう……プライドっていうかさ、美咲に申し訳ないと思うんだよ。稼げてないし支えてもらってばっかだし、下積みなのに結婚したら、後悔することになるんじゃないかって……」

「そんな思いやり、必要かぁ? お前が独り相撲取ってるだけに見えるけどな」

「ぐ……」

 結婚に踏ん切りがつかない。自分でも不思議だった。こう言いながら、俺は他に理由がある気がしている。

「まぁ飲め飲め。そういうときもあるさ。そのうち、お前の方でも気持ち変わるって」

「そうかなぁ」

「おうよ」

 武に注いでもらった酒をぐいとあおる。眼の前がぐにゃりとして、気が大きくなってきた。

 気がついたら武に背負われて夜道を歩いていた。

「航平……」

 何かを言われているが、聞き取れない。ふらふらする。

「お前、本当に美咲ちゃんのこと好きなのか?」

 突然クリアに聞こえたその言葉に、俺はどきりとした。今のは何。聞き間違いかな。美咲のことが好きか……そんなの、考えたことなかった。当たり前だと思ってた。恋愛ってそういものじゃないのか?


 俺の部屋に俺を押し込んで、武は台所に行った。水を汲んで戻ってくる。

「あーあー、飲みすぎだよ。いや、飲めとは言ったけども」

 口にコップのふちをあてがわれ、水を注ぎ込まれる。途中でむせた。指で拭われる。

 武は俺が酔って朦朧としてると思っているらしい。いやしてるんだけど、意識はかろうじてある。

 でも、ちょっと武に甘えてみようと思って、何も言わずにされるがままになっていた。

「……美咲ちゃんと別れちまえよ」

 そう唐突に、武は言った。俺に言ったわけじゃなさそうだ。ただの呟きとして、そう言ったのだ。

「……え」

 思わず声を漏らしてしまった。武は俺を見た。

「……起きてたのか?」

「……いや、たった今意識戻った。なんか言った?」

「……いや、何も」

 咄嗟の機転で聞いていないふりをした。なんでそうしたのかは分からない。なんとなく、そっちのほうがいいと思った。武は呆れたように俺をベッドの脇にもたれさせると、玄関の方に歩いていった。

「ちゃんと朝起きてバイト行くんだぞ」

「……は〜い。分かったよ」

 俺は酔った声を出した。武は帰っていった。

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