山に登って岩絵の具を取る

 早朝。普段だったら朝焼けの時間は人形に化粧をする作業を行う頃合いだけれど、今日は手持ちの仕事がない。

 代わりに材料補給の準備を行っている。

 岩絵の具を入れるための小瓶。シャベル。タオル。ランプ。

 あと向こうで食べるための食事のパンにベーコン。リンゴ。水筒には沸騰させた麦湯を冷まして入れておく。

 普段は私の分だけでいいけれど、今日はシリルさんの分も用意しないといけないので、私は大いに迷った。

 騎士さんは体力仕事だ。遠征に出かけるのもよく眺めるし、いったいどれだけ用意しておけばいいのかがわからない。


「うーん……」


 でも岩絵の具を取りに行かないといけないのだから、最優先は岩絵の具だ。迷った末、シリルさんが持ってくれると言っていた小瓶を増やして、食べたら減るからと、食事も私よりも若干多めにパンを入れた。

 残ったら宝石鉱山の守人にあげれば、喜んで食べてくれるだろう。

 そして私は、普段着は黒ローブの下に黒いワンピースだけれど、今日はワンピースではなく乗馬服を着ておいた。そしてストローハットを深く被って髪を隠すと、鞄に荷物をまとめて背負って出かけることにした。

 辻馬車乗り場には、既に待ち合わせしていたシリルさんが立っていた。

 山登りを連呼していたせいか、普段よりもラフな格好なものの、乗馬服を着て帽子を被っていた。私に気付いて視線を下ろした。


「エスター、来たか」

「おはようございます! 今日はどうぞよろしくお願いします!」

「ああ、よろしく。それで宝石鉱山だが」

「はいっ、辻馬車に乗って一刻ほどで到着します。そこから先はひたすら歩かないと着かないんですけど……大丈夫ですか?」

「むしろ俺はお前のほうが心配なんだが。いつもこれだけ荷物を背負って山に登っていたのか?」


 私が背負っている鞄を眺めながら、シリルさんは怪訝な顔をする。それに私は慌てる。


「ふ、普段はもうちょっと荷物少ないんですけど……今日はどれだけ持っていけばよかったのか、わかりませんでしたので……」

「どれだけ? なにをだ」

「……お昼ご飯です。私ひとりだったら、りんごひとつでもかまわなかったんですけど……シリルさんと一緒だと、たくさん食べられますから……」


 私がボソボソとそう言うと、途端にシリルさんが顔を赤らめた。また怒らせること言っただろうか。そう思ってビクビクしていたら、意外なことを言われた。


「……俺は胃薬かなにかか」

「胃薬なんて思ってないですよ!? ただ、シリルさんと一緒だったらご飯をおいしいと思うだけで……」

「……まあ、いい。荷物出せ。俺の分は俺が持つから。これだけ鞄が大きいと、辻馬車が来るまでにへばるぞ」

「大丈夫ですよぉ。食べたらどうせなくなりますし」

「普段登山してるのに舐めたこと言うんじゃない。ほらっ」

「はいぃ」


 こうして私は初っ端から鞄を開けられ、食事や元々シリルさんに持ってもらおうと思っていた小瓶は取り上げられた。

 シリルさんの鞄は意外とシンプルだ。


「……俺の食事くらいは、俺も用意していたから言ってくれたらよかったのに」

「なに持ってきてたんですか?」

「騎士団で配布されてる携帯食だが……」

「どんなものですか?」

「干し肉、干し芋、酒」

「なんでですかぁ!?」

「遠征中だったら、ひたすら節制だからな」

「食べましょう。ちゃんとしたもの……私も人のことは言えませんけど……食べましょう」



 そうこうしている間に辻馬車がやってきて、宝石鉱山へと向かっていった。

 大昔は宝石鉱山も、もっと人が賑わっていたらしい。王都に売るための装飾品とかにも使われていたとか。

 今では宝石らしい宝石はそこまで取れず、魔女だけがときどき来る程度だ。

 宝石鉱山の付近には守人の小屋が存在し、そこに顔を出した。


「こんにちはー、岩絵の具を取りに来ましたー」

「おやエスター。いらっしゃい。もうそんな時期かい。おや?」


 私がいつものように守人さんに挨拶をすると、守人さんは目をパチクリとさせて、私の隣で一緒に挨拶をしてくれているシリルさんを眺めていた。挨拶をするシリルさんは、登山姿とはいえども凜々しい。


「エスター、お前さんいつの間に恋人ができたんだい?」

「ち、違いますよぉ。違います! この人は、ええっと……」


 知り合い。腐れ縁。なんか因縁つけてきた。

 他の言い方が浮かばず、私が口をもごもごとさせていたら、シリルさんが頭を下げた。


「彼女は俺の大切な人ですから。登山すると聞いて心配で着いてきました」

「過保護だねえ……まあ、このところ天気もいいし、鉱山に入っても事故は起こらないはずだよ。言っておいで」

「ありがとうございます」


 そう言って私たちは登っていった。

 私はポコポコとシリルさんの腕を叩く。肩も胸板も私の背では届かない。


「なんでしょうもないこと言うんですかぁ。絶対に守人さんに誤解されましたよぉ」

「待て、いったいなにを怒ってるんだ?」

「大切な人ってなんですかぁ。知り合ってまだそんなに経ってないのになんですかぁ。人形師からかっちゃいけませんー」

「そう言われてもな。恋人ではない。婚約もしてない。それ以外で適切な言葉がこれしかなかったんだが」


 そうボソボソとシリルさんが言った。

 それどういう意味。しばらく考えて、ポンと手を叩いた。


「王都民だから、王都で働く騎士さんの守りたい人ですか! それはさすがに守備範囲が広過ぎると思います!」

「……まあ、そういうことにしておこう」


 気のせいかシリルさんがしょんぼりしたような気がするけれど、ひとまず私たちは道を進んでいく。

 道をどんどん進んでいき、しばらくするとトロッコが見えてきた。これに乗っていけば、少しだけ楽ができる。


「いったいどこまで登るんだ?」

「ここ、今だったら宝石鉱山としてはほとんど機能してないんですよ。取れるのはほとんど砂みたいになっているもので、宝石の原石が取れませんから。下のほうはあらかた掘り起こして閉鎖されてしまい、上から二番目のところが、今は岩絵の具の採掘場になっているんですね」

「で、必要な人間だけが取りに行くと……」

「もうこの山自体はほぼほぼ放棄されてるんですけど、勝手に盗賊の根城にされても困るんで、こうして守人さんを置いて管理して、魔女だけ通っている感じです」

「芸術家は既に産業革命以降は来なくなったとは聞いたが……魔女が普通に通っているのは意外だな」

「宝石業界では価値がないってされている砂は、錬金術を研究しているような魔女には使い勝手がいいんですよ。あとは人形師ですね」


 そんなことをトロッコを操りながら話していたら、だんだん目的地が見えてきた。

 ランプで辺りを照らしながら、中に入っていく。


「……ここを掘るのか。途方もない作業だな」

「はい。一応どこもかしこも人形師が印を書いてますから、色の度合いはわかると思います。その色の部分をシャベルで掘ってください。この辺りは壁面が柔らかくって緩いですから。あまり掘り過ぎて崩れないように注意してくださいね」

「わかった」

「それでは、この小瓶ですけど」


 私はシリルさんに背負ってもらった小瓶を指差す。


「白、赤、青。でお願いします。本当に壁面が柔らかいですから、軽く削る程度でいいですからねえ」

「わかった」


 こうして私たちは作業を開始した。

 私もまた、緑、茶色、黒を掘っていく。まずは大きめに掘っていき、こぶし大くらいの大きさの石を掘り起こす。そしてシャベルの先で少しずつ砕いて、小瓶に入れていく。完全に砂にしてしまうと鉱山を通る風で簡単に吹き飛んでしまうからもったいなく、逆にあまりに石のまんまだったら水で溶けない。あくまで岩絵の具は砂になるように心がけないと、荒い目の絵の具で人形に化粧を施さないといけなくなり、顔が不自然になってしまうんだ。

 私が一生懸命作業をしていると、シリルさんも丁寧に作業をしていく。

 普段は言動が雑な人だからどうなのかと思って見ていたけれど、意外なほど繊細な作業で、小瓶にはだんだん岩絵の具が積もっていくのがわかる。


「意外なほどに地味な作業だな。魔法でもっと楽にできるのかと思っていたが」

「そりゃ大昔の魔女だったら、もっと魔法であっちこっち削ってましたけど。今生きてる魔女はもっと少数派ですし、郊外にいる魔女はすぐに石投げられて追い出されますから、私たちでもどこでどうやって暮らしているのかわかりませんよぉ」

「……そうか、すまん。これは聞いては駄目なことだったか?」

「いぃえー。むしろ逆です。興味ないと思われてるのか、この手の話って意外とする機会がなくて」

「そうか」


 小瓶がだんだん埋まっていく。

 白、赤、青、緑、黒。だんだん手も疲れてきたところで、手を拭いてから食事休憩をすることとした。

 持ってきた薪の上に網を置き、その上にベーコンを挟んだパンを置いて、火を付けた。それで炙って食べはじめる。


「普段はこんなことやってるのか?」

「秋くらいですかねえ。冬は雪が降りますから危ないから閉山してますし、春や夏だったら、あんまり傷みやすいものは持ってきてないので、乾き物ばかり食べてます」

「そうか。なら今が特別か」

「そうですねえ。はい、焼けましたよぉ」

「いただこう」


 ふたりで麦湯を飲みつつ、パンをいただく。疲れにベーコンの塩気がよく効いた。あとシリルさんから干し肉と干し芋も炙って一緒に食べることにしたけれど、上手く噛み切ることができなかった。


「かったい……いっつもこれ食べてるんですかぁ!?」

「酒に浸しながら食べてるんだ」

「これ絶対に体に悪いですよぉ。騎士さんたち遠征のとき大丈夫なんですかぁ」

「大概はそれどころじゃないからなあ。酒は飲めるか?」

「馬鹿にしないでくださいよぉ。飲めますってば……強っ」


 ひと口シリルさんからお酒をいただき、喉が焼けんばかり熱くなるのに、ひいひいとなり、りんごを囓って喉を癒やす。炙りたての干し肉を食べても、ここまで熱くはならない。


「な、なんで……」

「遠征中に水が傷まないように、代わりに酒を持って行ってるんだが……傷まない酒となったらどうしても度数が高くなる」

「これ絶対に遠征中に酔っ払って倒れてる人出てますよぉ」

「かもしれんなあ」


 ふたりでわいわい言いながら食事を摂り、もうひと仕事。

 このひと月分の岩絵の具が無事に取れたので、これらの荷物を手分けして持って、下山する。


「普段からこういうことをひとりでやっていたのか?」


 シリルさんに尋ねられ、私は素直に頷いた。


「そうですよぉ。魔女の人数も少ないですけど、人形師の人数もかなり少数派ですし」

「そうだったのか? 王都だったら人形の数もかなり多いが」

「人形の数が、ですよぉ。人形がいくら多いからって、人情師の数も多い訳ではありません。王都でも十個くらいの町にひとりいるかいないかなんですからぁ」

「……さすがに気付かなかったな。そんな人数で人形ブームになっていたのか」

「単純に恋愛禁止条例のせいで、私たちも目立ってるだけですから。本当だったら、可愛い女の子人形だけつくって、質素に慎ましく生活していますから。恋愛禁止条例が撤廃されたら、もっと慎ましい生活になると思いますので、あちこちに材料を取りに行ったり買いに行ったりしているのも今だけです」


 私の言葉に、シリルさんはじぃーっと私を凝視していた。


「シリルさん?」

「いや……寂しくないのかと、少し思っただけだ」


 そう言われても、私はどう答えればいいのかわからなかった。

 騎士団は必要なものだ。王都の端っこですら、泥棒は出るのだから、騎士団がうろうろ見回りに来てくれていたほうが抑止力になる。

 でも人形師はどうだろう。いてもいなくてもかまわない存在だ。私自身もそうなんだろうと思っていた。


「そんなこと、いちいち気にしてられませんよ」


 私がそう言ったら、なぜかシリルさんに悲しそうな顔をされてしまった。

 この人は本当に、よくわからない。

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