第2章 大人編

 あれからどれほどの月日が経っただろう。『私』は社会人になり、何不自由無い日々を過ごしていた。


 あの手紙を読んだ後の私はどうしたのかというと、とりあえずは社会の役に立つ仕事がしたいと思い立ち、勉強を頑張り、見事国立の大学の合格、そこから就活までの日々はとても貴重な体験を色々とさせて貰い、無事有名企業に一発合格を果たし、晴れて社会人になれたのである。そんな訳で、今は親元を離れ上京し、都内のアパートで一人暮らしを始めている。その手紙はというと、新しく買った物置棚のところにひっそりと置いている。

 

 そんなある日の事、いつものように仕事に勤しみ、アパートのドアを開けて、『私』はぐったりしていた。今日の仕事は異様に忙しく、アパートに着いた頃には肩も腰もバッキバキになっていた。もう動きたくないなぁと思い、物置棚に置いてある手紙を手に取る。この手紙を書いた『先生』、いつかは会ってみたいと思うのだが、住所が書いていないので、そもそも会うことすらできないという現実に打ちのめされていた。どうにか会えないものかと物思いに耽っていた時にふと思った。

 

 そういえば、この手紙の字、なんかどっかで見たことあるんだよなぁと思い、『私』はなんでこの時に思いついたのか分からないが、試しに手紙の全文を、ノートに書き写してみた。

 

 全文を書き終え、ふーっと一息ついた。我ながらよく書けてるなぁと、ノートに書き終えた文を読んで、『私』はある事に気が付いた。まさかと思い、原本である手紙の文字とノートの文字を見比べてみた。そしてその事実に気付いた『私』は、暫く開いた口が塞がらなかった。

 

 それもその通りだろう。何故ならその手紙の文字と、ノートに書いた文字が、一字一句、文字の筆跡に至るまで全て不備もなく同じであったからだ。

 

『私』は暫くこの事実が飲み込めなかった。そして目の前の事実をようやく読み込み暫く考えた。一体何故この手紙が『私』宛に、それも高校生だった頃のあの日に送られてきたのだろうか?何度も何度も思考を凝らしたが、明確な答えが出なかった。


 そして『私』は考えるのを止めた。すぐさま、物置棚に入れてあるその手紙と全く同じ便箋と封筒と紙を用意し、気付けば全文を一字一句書いていた。書き終わった『私』は手紙を封筒に入れ、そのままアパートの外へと出た。

 外は少し肌寒い風が顔に当たる。そして何処かにポストが無いかとキョロキョロと辺りを見まわした。

 

 すると近くにあったのだ。赤色のポストが。すぐさま『私』は手紙をポストに投函した。

 これで本当に良かったのだろうか?いや、考えるのは止めよう。とにかくこれで良かったのだ。そう思いつつ、『私』はアパートへと戻り、お風呂に入り、ご飯を食べ、明日の仕事の用意を済ませ、就寝した。



 

 そして翌朝の事だった。いつものように『私』は寝癖を洗面台で整え、朝食として食パン2枚に一杯のホットコーヒーを用意し、テレビに流れるニュースを眺めながら朝食を食べる。朝食を済ませ、仕事着であるオフィス着を着て化粧をし、出勤用の小さいバッグを持つとアパートを出る。

 

 外に出て、昨日ポストを投函した場所をふと眺めたが、『私』は目を見開いた。そう、昨日ポストがあった場所に無いのだ。ポスト自体が。下の土台にその跡はあったが、何処か年季が入っているみたいだった。『私』は困惑した。確かに昨日この場所にポストがあったハズなのだ。なのに何故と思い、暫く立ち尽くしていた。そしてそんな『私』を見兼ねてか、後ろから郵便職員のおじさんから声を掛ける。

 

 『私』は思い切っておじさんに聞いてみた。するとおじさんは笑ってこう言った。

「ポストなんて、ある訳無いじゃないか。あれはもう、そうだなぁ・・・大体10年前くらいになるなぁ。そのポストが撤去されたのがその位だったはずだよ。」

 

『私』は驚いた。10年前というのは、『私』が高校生になって1年、そう、あの手紙が送られてきた丁度その頃なのだ。『私』は10年前の事を思い返す。あの時は母から貰ったものだったが、詳しく聞いて見れば、郵便職員が、何故か自分達の住所宛に手紙を送ってきた、と言っていたらしいのだ。しかも番地や郵便番号に至るまで。

 

 それを思い返した『私』は、ふふっ、ははははっと大きく笑い上げたのだ。郵便職員のおじさんは、大丈夫かいと聞き返し、『私』は「だ、大丈夫です、お気遣いなく。」と笑った影響で涙を少し流してしまったが、まあ当然の範疇である。

 

「まあ、何がともあれ、ここにはもうポストは無いよ。それじゃあね。」とおじさんは言い、バイクを走らせ、自分の仕事に戻っていった。

 

『私』は、遠くなっていくバイクでひらひらと片手で手を振った。そしてバイクがいなくなっていくのを確認すると、手を振り止めた。

 

 ふうっ、と『私』は息を吐いたが、ふと自分の腕時計に目をやる。気づけばもう8時をとっくに過ぎている。そう、この時間にはもう電車に乗っている頃なのだ。焦った『私』は急いで駅へと走った。

 

 走りながら『私』は思った。私が投函したあの手紙は、今頃あの家に届き、それを30から40くらいの女の人が受け取り、それを朝起きて瞼を擦っている娘に手渡すのだろう。

 

 そして、手渡された手紙に困惑しながらも文章を読んでいくのだろう。そう思った『私』はクスッと笑いながら、パタパタと、朝の路地を走っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る