第4話
勇樹はお腹がいっぱいになり、ベッドに転がっていた。すると、部屋の隅にある鞄の中で庵のスマートフォンが震えていることに気づいた。
「面倒くさいな」
だるそうに身体を起こして、スマートフォンの画面を見ると母というも文字があった。それを見て余計に面倒臭さを感じた。しばらく眺めていると電話が切れた。そのため、鞄に仕舞おうかとしたがまた震え始めた。勇樹はため息をついてから電話に出た。
『海斗か?』
表示された名前は母であったが、受話器の向こうで話しているのは父さんらしい。返事をするとこちらの都合も気にせずに話はじめた。勇樹は面倒くさくなり、スマートフォンをスピーカーにしてベッドの上に放った。それから、ベッドの上で胡坐をかくと浮き上がる練習をした。電話の相手はこっちの返事を待たずにどなり続けているので放置した。
空中で立って歩けるようになった頃、電話の相手は海斗の名前を読んだ。それに返事をしないとしつこく呼び続けるので「はい」と短く伝えるとまた長話が始まった。よく飽きないなと思いながら、勇樹は空中で逆立ちからのバク転や指一本で立つなど様々な動きに挑戦した。
『……ってことだ。わかったな』
電話の相手の威圧的声に、意味も分からずに返事をした。空中での動き練習に夢中になり、受話器からの音は耳に届いていたが内容は把握していなかった。
『よい返事だ。変更は認めないからな』電話の相手からさっきまでの不機嫌そうな声は消え、楽しそうに話している。『では、母さんには海斗は佐伯家に世話になると伝えておくからな』そう言うと電話が切れた。
「あれ?」勇樹は空中で逆立ちをしながら首を傾げた。「もしかして、家無しか?」
「家無しってどういうこと?」
いきなり、顔の目の前に庵が現れた。勇樹は驚いてバランスを崩してベッドに倒れ込んだ。
「あれ? サイズが戻ってんじゃん」
明るく言うと、庵は大きく首を振った。
「そんなことどうでもいい。それより家無してどういうことだよ」庵は倒れている彼を問い詰めた。勇樹は頭をかきながら、自分の真上を飛んでいる庵を見た。彼は怒っているというより困った顔をしている。
「庵君」
扉の向こうから幻の声がしたかと思ったら、ノックもなしに堂々と入ってきた。
「もう、リードつけないと」
幻は頬を膨らませて、庵の首輪にリードをつけた。それに、庵は謝罪していた。可笑しな光景だと思ったが、勇樹は口を出さなかった。
「よし、オッケー」リードを着けた幻は満足そうに笑うと、庵の頭をなぜて褒めた。完全に犬扱いであるが庵が幸せそうな顔をしているため、そういう関係もありなんだろうなと思った。
「で、庵君は勇樹に何を話してたの?」
幻が庵のリードを自分の方に引き、顔を近づけると庵は顔を赤くしてしどろもどろになった。
「いや、あの……。家無しって彼が言っていたから、自宅を追い出されたかと思って……」
不安そうに、庵は勇樹の顔を見た。
「正解」と勇樹が親指を立てた。その瞬間、庵の身体から力が抜けて、ヘロヘロと床に座り込んだ。それを見て、幻は膝をついて庵の頬に触れた。
「……家に戻りたい?」
幻がそう言うと、周囲の空気が一気につめたくなった。庵は驚いて顔を上げた。その時、目に入った彼女の表情に庵は言葉を失った。庵は助けるように勇樹をみたが、彼は親指を立てた。あのスイッチが入った幻には関わりたくないというのが勇樹の正直な気持ちであった。
「庵君、話してるのは私だよ?」
幻は庵の両頬を抑えると無理やり自分と視線を合わせた。あんなに真っ赤な顔していた彼の顔が真っ青になっていた。
「あ、き、聞いてるよ」
「じゃ、答えて家に戻りたいの?」
幻の言葉に庵は全力で首をふった。
「さ、佐伯さんといたいです」
「だよね」幻は笑顔になると、庵の頭をなぜた。
部屋の空気は暖まり、庵が安堵していると彼女はリードを引いた。
「そうと決まればおいで」という幻の言葉に庵は素直に従っていた。
その時、幻は気づいたように勇樹の方をみた。
「勇樹はこの部屋使っていいよ。どうせ余っているし」
幻は勇樹の返事を待たずに、部屋を出て行った。しばらく、二人が出て行った扉を見ていたが、気配がなくなるとベッドに寝転んだ。
天井を見ているうちに勇樹は睡魔に襲われた。
勇樹は佐伯家の稽古場で想と戦いと言う名の稽古をつけてもらい始めてから数週間がたった。彼が本気を出さないことは分かっていた。だからこそ絶対に本気をださせてやると気合を入れるがいつも思っていたが上手くいった日はなかった。
「いくら、回復するからってさ。毎日良く続くね。痛いのは変わらないでしょ」
「センセイに霊幕教えて貰ったから、以前よりはダメージ少ないから大丈夫」
ニヤリ勇樹が笑うと、想は頷いた。
「確かに、身体に穴が開くことが少なくなったね。服着てもいいじゃないの?」
想は、短パンのみ姿の勇樹を指さした。
「あー、でも、いつ穴悪か分からないし」
「服ならいくらでもあるよ」想は笑うと勇樹は「もったいない」と即答した。
その様子を、庵のリードを握りしめていた幻が高台から眺めていた。リードで繋がれた庵は幻の上を浮かびながら、眉をひそめていた。
「アイツっておかしいよね」庵は勇樹を指差した。「確かに契約しているから、大量出血する前に止血するしどんな怪我しても治るけど痛いよね?」
「そうだね。兄さんは痛覚に変化ないって言っていたね」
幻はゆっくりと、想の方に視線を持って行った。その真剣な横顔が綺麗で庵は見惚れた。
その時、勇樹の腕が飛んだのが視界に入り目を細めた。彼は一瞬顔を歪めたように見えたが身体の動きを止めることはなかった。すぐに、飛び上がり想の頭目掛けて足を回したが、簡単に避けられてしまった。勇樹は床に手をついてバク転をして体制を立て直すと想に向かって構えた。その頃には勇樹の吹っ飛ばされた腕はもとに戻っていた。
「アハハ、霊力で攻撃の威力を軽減しているみたいだけど兄さんの力は防げないみたいだね」
「……お兄さんの力」
庵はじっと、勇樹に攻撃をしている想の手足を見た。一見普通の霊幕に見えるがそこに黒いモノが混じっているのが分かった。勇樹の方を見ると、彼の身体の中心に黒い渦が見えた。彼自身の霊幕はのみだ。
「黒が魔力で青が霊力なのかな?」
庵に言葉に幻は嬉しそうに笑った。その笑顔が格別に可愛かった。兄の想も彼女と似た顔をしているが、魅力を感じるのは幻だけであった。
「じゃ、お兄さんは魔力と霊力を融合して攻撃しているってことかな。アイツはそれができない?」
「魔力で攻撃なんかしないよ。多分、勇樹の魔力を誘発してるのかな」
勇樹の霊幕はよく途切れている。そこを想に攻撃されるから、身体に穴が開いたり手足が飛ばされたりする。それでも、臆せずに立ち向かう勇樹に異常さを感じた。
「兄さん、魔力教えるって言ったけど本気かな?」
幻の寂しげな表情に庵は笑顔を見せると話題を変えた。
「あのさ、アイツとは付き合い長いだよね」
「うん」
幻は想と勇樹の方を見ながら、頷いた。庵も同じ方を見ていた。勇樹は霊幕が途切れている部分を想に狙われていることに気づいているようだった。想の狙う場所に霊力を集めて攻撃を防いでいる。その瞬間に自分の足に霊力をためて蹴りを繰り出していた。
霊幕を遣わずに、部分的霊力の壁を作ったため攻撃力も防御力も上がっていた。
「昔から、あんな感じなの?」
「あんな……。好戦的で無茶をするという話ならそうだね。でも無鉄砲ってわけじゃない。本気で勝ちに行くよ。そのためなら犠牲も問わないかな」
犠牲……。彼の戦い方を見ていれば分かる。
「僕がアイツの立場なら、ここから逃げる」
「普通はそうだよね」幻は小さく頷いた。「ここにいる霊媒師もソレに勝てなくて脱落する人多いよ」
幻の話を聞いて、霊媒師はイカレた人間の集団だと思った。
「そういえば、学校大丈夫? 私クラス違うからさ」
学校……。
家を追い出され、ここから通い始め随分になる。顔を合わせずとも学費や必要経費は用意していれているため、問題なく通学している。
――しているのは勇樹だが……。
勇樹の事が心配で校内ではずっと監視しているが問題を起こしてはいない。しかし、庵は不満であった。
勇樹は髪を上げて、顔を全開にして登校したため目立っていた。通学時に髪をおろすように言ったが、「視界が悪い」と言って庵の言葉に耳を傾けなかった。
「アレだれ?」
「あんなイケメンいた?」
女子の囁き声が聞こえたが、勇樹は一切気にせずに教室に向かったが、初日は途中で迷っていた。
「ねぇ、どこいくの?」
廊下にいたギャルが話しかけてきた。無視すればいいものを勇樹はちょうどいいと思ったらしく自分の教室を聞いた。
「はぁ? 自分の教室わかんないの?」ギャルは馬鹿したような口調で笑った。
勇樹はニコリとほほ笑むと、じっとギャルの瞳を見た。彼に見つめられてギャルは笑うのをやめ頬を染めた。
「俺、庵って言うんだけど教室教えてくれねぇかな?」
「え? 庵って庵海斗?」ギャルは目を丸くした。「同じクラスじゃん。アタシのこと覚えてないの?」
「わりぃ。事故ですこし記憶なくしているんだ」
「そうなの?」
ギャルがイヤらしく笑った時、後ろの方で騒がしい声が聞こえた。彼女は後ろからきた同じような恰好をした女子生徒らに手を振った。
「みゆきー、どうしたの?」
「あれ? だれこのイケメン」
女子生徒が興味津々で見ているとみゆきと呼ばれたギャルが勇樹の腕を馴れ馴れしく組んだ。その時、勇樹は怖い顔をしたが一瞬であったため誰も気づかなかった。
勇樹は笑顔になったが、目が笑っていない。イライラし始めているのは周囲の生徒も感じとっていたようだが、女子生徒らは気づいていないようだ。
彼がこの後どうでるか分からないが、アレは自分の身体であるため目立つ行動は避けてもらいたかった。だから、勇樹の傍に行くと耳元でクラスを伝えた。
すると、彼は優しく女子生徒に断りを入れると教室に向かった。彼女らは勇樹の言葉に満足したようで彼が去った後も楽しそうに勇樹の話をしていた。
授業態度はいたって真面目。最初は高校の授業についていけずに困っていたようであったが、数週間で取得しテストは上位に食い込んでいた。
優秀なイケメン。自分であるのに、自分でないソレが高評価されるのが気に入らなかった。
屋上で一人食事をする勇樹の前に、庵は座った。彼は怪訝そうな顔で庵を見ると、少し考えたあと「めしか?」と検討外れなことを聞いてきた。
「違う。そうじゃなくて、ソレは僕の身体なんだよ」
「うん、だから大人しくしているだろ。勉強もしてんじゃねぇか」
その時、幻から聞いた勇樹の幼い頃の話を思い出した。身長が大きく目つきも悪い彼は絡まれることが多くそれに全て勝利していた。そのことで中学では何度も教師に呼び出しを受けていた。
そんな状態であるから、学校の勉強なんてやっておらずテストも受けない日があった。
「学校の奴らにも優しくしてんだろ?」
「……うん」
彼の言っていることは正しい。自分の気持ちはただの嫉妬だということも分かっていた。
「怖いのか?」
「へ?」予想外の言葉に庵は首を傾げた。「君のことなんて怖くないよ」
「そうじゃねぇよ。体に戻るのがだよ。両親との関係だけじゃなくて学校の奴らの評価も変えちゃったからさ」
それは考えたことがなかった。単純に同じ容姿なのにここまで高評価なのが気に入らなかった。ただの嫉妬だった。
自分の身体に戻ったとして彼と同じように振る舞うことはできない。勇樹が入ったことで良い方向に動いているが、戻ることでマイナスになりかねない。
「……怖いかも」
「責任はとる」思い詰めたように勇樹は言った。「戻ったら、俺もこの学校に入ってお前の傍にいるよ」
一見感動的で頼りがいのあるセリフであるが、庵にはその言葉から嫌な予感しかしなかった。
「なに、その顔」
「裏があるよね」
「うーん」困ったように頭をかくと勇樹はふわふわと浮く庵を見上げた。「死魔との契約なんだけど……」
イヤな予感が当たると、庵は首を振ってため息をついた。
空は青く心地良い風が吹いているのに、庵の心の中は大雨、かみなりの大荒れだ。目の前にいる人間を蹴り飛ばしたかった。
「契約は魂だから代償を払うのは君だよね。でも、魔力を使うのは僕の肉体だからその代償を引き受けろってこと?」
「やっぱり、お前頭いいな」
そもそも死ぬつもりであったから、自分にとって肉体の価値は重くない。幻の好意がなければ戻るつもりもなかった。
「で、その肉体の代償ってなに?」
「知らねぇの?」
「うん」
「じゃ。わかんねー。センセイに聞いたんだけど、魂と肉体が別の人間で悪魔と契約したという前例がないから分からないって言われたんだ」
「肉体と魂が一緒の場合の代償は?」
「あ、それ聞いてねぇ」
ヘラヘラ笑う勇樹にため息がでた。どんな代償だろと、ここまで来たら戻ることはできない。一本しか道がないならそれを進むしかない。承諾すると勇樹に礼を言われた。
「礼なんていらないよ。」
その言葉に勇樹はキョトンとした。
唇を噛み、勇樹から視線をそらせた庵は地面を見た。コンクリートで出来た一般的な屋上の地面であるが、酷く歪んで見えた。そのまま視線を動かして、フェイスを見た。それは、簡単によじ登れる高さであり、実際にアレの向こう側に行ったことがあった。
「……」勇樹を見ると何かを察したような悲しげな顔をしている。「じゃ、お前の命も身体を貰うな。俺が自分の身体見つけても返さねぇよ」
「え?」
「お前が、この身体に戻ってもコレは俺のだからな。俺の傍で俺のために生きろ」
乱暴な言葉であったが、暖かく優しい気持ちになった。生前、幻も自分に優しかったがそれとはまったく違った。
その時、大きな音を立てて屋上の扉が開いた。驚いて、思わず勇樹の後ろに隠れると思いっきり、首輪が引っ張られた。そんなことができるのは一人しかいない。
「庵君は私のだよ」
怖い顔をした幻は勇樹を睨みつけた。
「そーかよ」勇樹は面倒くさそうに、持っていたおにぎりを口入れると勢いをつけて立ち上がった。そして、手を上げると庵と幻の横を通り階段を降りて行った。
彼を見送ると、後ろで黒い気配を感じた。振り向かなくても幻が怒っているのが分かった。彼女は、リードを引くと無理やり、顔を近づけた。綺麗な顔が間近にきて心臓の音が早くなった。睨みつけられて、心臓が爆発しそうになる。怒られているのに、不思議と怖いという感情はなく心地良かった。
「……庵君?」幻はニヤリと口角を上げた。「庵君、なんて顔しているの?」
指摘されて慌てて自分の顔に触れたがいまいちどんな顔をしていたか分からない。
「そうだよね。庵君は私が一番好きだもんね」
周りに人がいたらギョッとするような色気のある声を上げて幻は嬉しそうに笑った。その姿はまるで童話に出てくる悪い魔女のようであったが、そんな姿も綺麗だと庵は感じた。
「……うん」
「ならいいんだよ。庵君の傍にいるのは私だからね」
「……でも、なんで僕らの会話わかったの?」
「私は庵君のことならなんでもわかるよ。全て知っているんだよ」
そう言って幻は庵の首に視線を向けた。彼はそれに気づかず単純にすごいなと感じた。
月明りと街頭に照らされて、勇樹は老朽化したビルの前で立っていた。
「なんか感じる?」
真横に立つ想が左右に分かれた前髪を揺らしながら楽しそうに笑っている。
勇樹は目の前にあるビルをじっと見た。大きくはない雑居ビルは全体が黒い靄に包まれていて寒気を感じた。
「気持ち悪いかな?」
「霊幕切れないようにね。部分的ガードするとなしだよ」そう言って想はビルに向かって足を進めた。勇樹は慌てて彼を追った。
電灯なく、真っ暗な室内であるが霊幕のおかげで、全身で部屋の様子を感じることができた。
「そうそう、目だけを頼ると足元をすくわれるよ」
スタスタと前をいく想の表情は分からないが、声はいつものように楽しげであった。
しばらく行くと、地下に降りる階段があった。そこから、黒い霧がでていて奥は濃くなっているようであった。
一階とは全く違う雰囲気に、心が躍った。心臓の動きが早くなるのを感じ、手が汗で湿った。想が捕まえてきた悪霊と何度か戦ったがその比ではない。気持ちの高揚していった。
地下に降りると、勇樹よりも大きな鳥がいた。そいつは勇樹の方を見ると自分を覆っていた羽を大きく広げた。すると、お腹のあたりに大きな口があり長い舌を出している。舌からよだれが垂れて、地面に水たまりができていた。
「ぐぁぁぁぁ」
気味が悪い奇声を上げると、長い首をゆらゆと揺らしながら勇樹に近づいてきた。勇樹が構えると、前にいた想はスタスタとソレに向かって歩いていった。
「コノ悪霊、よろ」
そう言うと想は悪霊の横をすり抜けた。その瞬間、悪霊は大きく羽を動かして初列風切を飛ばしてきた。しかし、それは想に届かず寸前のところで停止して地面に落ちた。彼は、ソレに気にすることなく奥へ進んでいった。
「あー、実践演習かなぁ」
勇樹は手に力を込め霊力をためるとカッターナイフの形を作った。初めてソレを作ったとき想に大笑いされたのを思い出した。
霊力を何かの形にするとリーチが長くなっていいと提案したのは想だ。彼自身は素手で戦うのに不思議だと思いつつ、武器をイメージして出したのがカッターナイフだ。剣や銃でない事を馬鹿にされたが実際見たことのない物をイメージできるほど勇樹は器用ではなかった。
「刃をのぼせば剣みたいになるじゃねぇ」
勇樹は手に力を込めてカッターナイフの刃先を一メートル程度にした。そして、地面を蹴り飛び上がると想の後を追いかけようとしている悪霊に上から切りつけた。
それに気づいた悪霊に避けられ狙った頭は外したが、羽を切りつけることに成功した。そこからドロリと赤い血が流れた。余りに人の血に似たソレに思考が停止した。
「センセイが捕まえた悪霊は血でなかったよな」
その瞬間、衝撃を受け吹っ飛んだ。そのまま壁に激突し、ずるずると地面に落ちた。全身に激痛が走ったが、腹に穴が開いたときよりはマシだった。
すぐに飛び起きると、悪霊を睨みつけた。ソレは羽を震わせて奇声を上げている。まるで自分をあざ笑っているように感じた。
「ふーん」
勇樹はニヤリ笑うとカッターナイフを持ち直し、悪霊に向かって走り再度飛び上がろうとした。その時、悪霊は大きな羽を広げ勇樹に向かって傾けると初列風切を飛ばしてきた。それは勇樹の霊幕を突き抜けて数本が肩に刺さった。
「ウッ」
痛みで身体の熱が上昇し笑いが止まらなかった。勇樹は悪霊に笑いかけると、飛び上がるのは諦めて身体を下げると足に霊力を込めて悪霊を足払いした。
「ぐぁぁ」
低い声を上げて悪霊はその場に倒れた。勇樹は悪霊に馬乗りになり、カッターナイフを包丁のように持った。
その時は全身の痛みはなくなり、肩の羽は突き刺さったままであるが気にならない程度に回復していた。
「うしっ」
カッターナイフを持っていない手を刃の上に抑えると、全体重をかけて悪霊の首を切断した。
「うぎゃぁぁぁ」醜い断末摩の悲鳴が響き渡った。
切断された首からは夥しい赤い血が引き出した。それがシャワーのように勇樹に降りかかった。気持ちの良いものではないが避けることなく浴びた。次第に悪霊は形を変えて、髪の長い女性の姿になった。胴体と首は離れたまま人間の姿になったため自分が殺人を犯した気分になった。
「……気持ち悪い」
余りにリアルな人間の死体に、吐き気がした。必死に口を抑えたが、我慢できず四つん這いになり床に腹の中の物をぶちまけた。息を切らして、全ての物を出し切り座り込んだ。
さっきまで倒れていた悪霊はいなくなっていた。浴びたはずの血もなくなり、肩に突き刺さっていた羽も消えていた。残ったのは自分が出した汚物と服についた砂とホコリだけであった。
「黒いパーカーとズボンを支給された意味が分かった」
汚れた口を拭きながら勇樹は立ち上がり、想の向かった先を見た。身体的ダメージが回復したが、精神的負荷の方が強かった。
「悪霊って、人間か。そうだよな、霊体が悪霊になるんだっけ」
ゆっくりと呼吸をしながら、想が言っていたことを思い出した。
死んで霊体なる。この世への未練があったりもしくは人的作用あったりすると悪霊になる。悪霊は霊体を食べた、生きている人間に害するため退治が必要となる。
知っていたことだが、目の当たりにするとクルるものがあった。成仏じゃなくて、退治。その意味は軽くはない。霊体で成仏すれば輪廻にのれて転生できるが退治は消滅だ。
「……実践演習。うん、実践演習」
自分が汚した地面を見て、両手で頬を何度も叩いた。
「自分の身体みつけんだろ。慣れろ。吐くなよ。だせー。弱い、弱いんだよ。アイツに、傍にいろってカッコつけた癖に」
叩いた頬が真っ赤になり腫れてきた。乱れた髪のゴムをほどくと、髪を全て後ろでまとめお団子になるように縛った。
「よし」
気合いを入れると、想が行った先に向かった。
細く暗い廊下であったが、霊幕で身を包み周囲に気を張りながら進んで行った。しばらくすると、大きな音がして周囲が揺れた。天井のコンクリートがパラパラと落ちてきて崩れるかと不安になった。しかし、戻る気持ちは一切なくむしろ走って前に進んだ。
廊下を抜けるとホールのような大きな部屋に出た。ホールの壁は全て棚でありそこに大小さまざまなビンが並んでいた。そのビンは全て口が開いており空のようであった。
一番奥の壁は何かがぶつかったようであり、めり込んでヒビが入っていた。その中央には想が腕を組んでいた。
「センセイ」
声を掛けながら近づくと想は大きく息をはいた。
「ハズレちゃった」
「ハズレ……?」
「うん」想は残念そうな顔をしながら棚のビンを指さした。「あれね、悪霊が入ってたぽいんだよね」
想は指を軽く動かすと、指先が青く強く光った。その光はビンまで届きビンを掴むと勇樹へと渡した。ビンを受け取った勇樹はじっとそれをみた。ビンの奥底に黒い靄があった。地下に入ってから全てが黒い靄で覆われているがビンの中の靄は特に濃かった。
「その黒いのが悪霊の後かな。残留霊だね」
頷きながら想にビンを返すと、彼はビンを床に置いた。冷たい目でビンを見るとソレを思いっきり、霊力を宿した足で踏んづけた。音を立ててビンが割れると、中にあった黒い靄は消えた。
「悪霊づくりをしている人がいるんだよね」そういう想は悲しげであった。「これ全部私が霊体を閉じ込めたビンだんだよね。封霊甕って言うんだよね」
「霊体? いつも戦う悪霊とはちげーのか?」
「基本は同じだよ。管理が違うだけ。さまよっている霊体が悪霊にならないように捕まえとくんだ。すると、お迎えが来るからね」
「お迎え……?」
首を傾げていると、突然まわりにあった黒い靄が消えてなくなった。部屋は電気をつけたように明るくなり霊幕に頼らなくても周囲が細部まで見えるようになった。
「僕ちゃんのことだよん」
聞き覚えのある声と共に目の前にふわふわと浮く黒い筒が現れた。
「ロス」
驚いている勇樹に「僕の仕事わすれた?」っと言いながら死魔は笑った。「悪霊になると回収できないから、霊体のままほしいだよね。こんなに大量に盗まれるなんてバカじゃんないの」
「申し訳ございません」
頭を下げる想を死魔は瀬々笑った。
「別に、怒ってないよ。ただ、バカだなってだけ。悪霊増えて困んの君らだしね」
ふわふわとローブを揺らして笑った。顔は見えないが、声から彼がこの状況を楽しんでいるのが伝わってきた。
何を言わず勇樹はその場に立ちすくんでいると、死魔は勇樹の方に顔を向けた。ゆっくりと近づいてくる彼を見て嫌な予感がした。
「勇ちゃん、他人ごと見たいな顔しているけど、ここ作ったのは君の父上だよん」
その瞬間、想に耳を塞がれた。彼は死魔に文句を言っているが父のことは勇樹の耳に届いていた。勇樹は父親がどこで何をしている人が知らなかった。
「あれ? 知らなかった?」
わざとらしく死魔は言った。それに想は酷く苛立ち、呆然と立っている勇樹を抱えてその場を後にした。
一人残った死魔は楽しそうな高笑いをしていた。
窓から入る月明りで目を覚ますと、佐伯家に借りている部屋のベッドに寝ていた。落ち着て状況を整理しようとしたが頭が上手く働かなかった。日付と時間を示すデジタル時計を見ると丸一日寝ていたことが分かった。
「夏休みだからいいか」
しばらく、ぼーっと天井を見ていると扉を叩く音がした。返事をすると入ってきたのは真っ白な顔をした想であった。
「センセイ」
思わず立ち上がり彼の傍に近づいた。すると、困ったような顔で笑った。
「いろんなことあって疲れているよね」
「え、いや。俺よりセンセイのが。大丈夫? 顔が白いけど……」
心配する勇樹に、想は「大丈夫」と言って手をふると、近場の椅子に座り脱力した。酷く疲れているようであったため、聞きたかったことを飲み込んだ。
「勇樹君が寝ている間に、探していてね」
「親父?」
「そうだね」頭に手をやって首を振った。「いや、まさかアレだけの霊体すべて悪霊にしていたらマジヤバいだよね」
脱力して、天井をみる想になんて声を掛けていいか分からなかった。だから、テーブルを挟んで対面に座り彼の次の言葉を待った。
「勇樹君は、ショックじゃないの?」
「親父のやったこと?」
自分の父親が犯をおかしたようだが勇樹には実感がなくどこか他人事だった。それだけ彼との接点がなかった。記憶にあるのは突然帰ってきて食べ物を貰ったというのだ。それを食べると父親は幸せそうな顔をしていた。
「なんつかー。テレビで犯罪ニュースを見ている気分かな。大変だなって」
「そうか。ならいいかなぁ」
小さく息を吐いた想は、頭を起こしテーブルに手を着くと勇樹を見た。彼の真剣な顔を見るとこれから話される事柄の深刻さを感じて緊張した。
「私はさ。霊体が悪霊になったり、捕まったりしないよう封霊甕を作って保護しているんだ。するとたまに死魔が来て連れて行ってくれるだよね。悪霊も捕まえて稽古に使うけどね」
以前死魔ロスが言っていた仕事の内容と地下室で言っていた言葉、それに初めて想と会った時に差し向けられた悪霊を思い出した。
「それを一年前に君のお父さん、黒鉄雄路に盗まれた」
「へ? 親父って強いのか?」
「うーん、彼も悪魔と契約しているからね。私の父親が応戦したんだけと負けちゃった」
舌を出しておどけたように話しているが、その言葉はそんな軽いものではない気がした。
「そっか」
実の父が人を殺めていると聞いてもやはりどこか他人事のように感じた。大変な事件だったと思うが、自分が父を捕まえようという気持ちにはなれない。だからと言って彼を逃がし父の行動を支援するつもりもないし彼に会いたいとも思えない。
無という感情が一番近かった。
「でー、その封霊甕探していて今日見つけた」
「それなら、ロスに馬鹿にされる必要ないじゃねぇの?」
「あぁ、それは佐伯家の責任だからね。そもそも、悪霊退治できる他に霊体を捕まえ悪霊を増やさないことができることから国家機関になったからね。大切な仕事なんだよね」
「責任感すげーな」
感心すると、想は力なく笑った。
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