死の契約〜気づいたら霊体だったので身体探しを始めた〜

くろやす

第1話

ポカポカと心地よい気候。寝るには最適だと思いなが黒鉄勇樹(くろがねゆうき)は目を覚ました。そこで、自分の状況に絶句した。

「なんだ……?」

布団で寝ていると思ったら、自分の下には何もなかった。宙に浮いているのだ。

「へ?」

不思議と宙に浮いていることに恐怖はない。しかし、なぜそうなったか全く理解できなかった。通行人が自分の真横を通ったがまるで反応がない。

「俺、見えない?」

しばらく、街の中をふわふわと飛んだが誰も勇樹に気づく者はいなかった。

「マジかぁ」

こうなった理由を考えたが、思い当たるフシは全くない。名前も過去の出来事もしっかりと覚えているのに死因だけは分からなかった。

繁華街から離れ、河川敷まできた。野球をしていた少年たちが片付けをして自転車に乗っている。彼らは通行人をよけて、進むが勇樹を避けようとする気配が全くない。そのまま、勇樹に向かってきた。

「え、わぁ」

勇樹は慌てて、手でカードするがそれは意味をなさず彼らは勇樹をすり抜けて行った。

「俺は、見えない、触れない……?」

小さくなる自転車の集団を見ながら、自分が死んだことを実感した。薄々、気づいてはいた。それでもはっきり突きつけられると落ち込む。

「なんで死んだのかな?」

土手に転がったが、芝生に背中がつかずふわふわ浮いている。意識的にやっているものではなく自然と浮いてしまう。高く浮き上がるのは階段を上がるのと同じだ。

「これからどうすればいいんだ?」

 その時、背後からイヤ感覚がした。そっと横目で見ると真っ黒なローブに身を包んだ筒のように長細いモノが自分とよりも高い位置に浮いていた。

「成仏だね」

ソレは喋った。心臓が飛び出しそうになりながら、勇樹は立ち上がりソレを睨みつけた。

「アハハ。超警戒?」

ソレは身体をくねらせて大笑いした。

得体のしれないソレに、背筋がゾクリした。〝コイツはヤバイ〟と本能が警告している。考えるより先に、身体動いた。ソレに背を向けると、今までにないくらい速く進んだ。地面に足がつかない事で身体がミサイルように細くする事ができる。風の抵抗を最小限にすることで近くを走っていた車よりスピードが出た。快適であったが、今はそれどころではない。

突然、目の前に黒い筒が現れた。

「はぇぇ」

勇樹は黒い筒を避け直角に曲がると土手を降りた。

この身体も重力が感じられるようで、降下する方が速い。後からアレの強い気配を感じ気になったが、ソレを確認すると速度が落ちる。それで捕まったら意味がないと勇樹は脇目もふらずに進んだ。少し行くと大きな建物があった。避けようとしたが、周りにも建物があり行き止まりだ。そこで以前、自分の体を他人がすり抜けた事を思い出した。

「大丈夫いける」

気合を入れて、そのビルに突っ込んだ。すると、身体がスルリと壁をすり抜けた。

「うぉ」

建物に入った途端、アレの気配がなくなった。不思議に思いながらも、建物内を見回した。初めて入る建物だが、病院であることは周りの雰囲気からわかった。

大きな総合病院のようで、医者が多く歩き回り患者らしき人達が椅子に隙間なく座っている。建物は木製な部分もあり建て増ししている。それが、雰囲気をつくり不気味さを感じた。奥に進むと人が減り、木製の部分が増えて寒気を感じた。

「面白い。なんか、出そうだ」

自分がおばけの様な存在ということを忘れて、楽しく感じた。ゆっくりと浮遊していると、中庭に出た。その端に小さな木製の小屋があった。そこに、呼ばれている気がした。

「なんだ?」

身体が意図せず動いた。小屋に吸い込まれるように動き出す身体に抵抗する気持ちが起きなかった。小屋の壁をスリ抜けると小さな部屋があり、柩が台の上に乗っていた。ちょうど棺と同じ高さに障子の扉があったが、人が通れる大きさではない。

その奥から、人の気配がした。

「霊安室なのか?」

霊安室というと、暗い地下にあるイメージがあったが、小屋は清潔感があり明るい。想像とは正反対の場所であった。

「明るい、綺麗な場所だな」

なんとなく、柩に手を置くと前触れなく手が吸い込まれた。抵抗する暇もなく全身が中入ってしまった。

「うっ、なんなんだ?」

気づくと真っ暗な場所に寝かされていた。

箱に入れられているようで、狭く身動がとれない。そっと、周りに触れると目の前にある板が音を鳴らしてずれた。

「……?」

軽く押すだけで、板は外れ光が入ってきた。

「へ?」

箱から上半身を出し辺りを見回すと、そこはさっきまでいた霊安室だった。状況がよく飲み込めず、その場に座ってボーとしていると障子がガタリと音を立てた。心臓が飛び上がり、慌てて柩の中に隠れようとしたが遅かった。障子が開き、顔を出した人物と目があった。


沈黙。


お互い状況が掴めず言葉が出なかった。

障子を開けた人物の後ろから、「海斗」と大きな声が聞こえた。勇樹は逃げようとして、身体を動かすとバランスを崩し柩と一緒に落下した。その衝撃で柩が壊れるような音がしたが構っていられず、小屋の扉に向かった。

身体が重く、全身に痛みを感じたがそれよりもこの場から離れる事を優先した。小屋の扉を通り抜けようとしたが、額をぶつけて痛みを感じた。

「あれ、通れない」

入った方法で出られない事に疑問を感じたが、障子の奥が騒がしくなってきたので手で扉を開けて外に出た。

先程と変わらない中庭のはずであったが、気持ちの悪さを感じた。周囲を見ると得体のしれないモノが見えた。しかし、障子の奥にいた人達から逃げなくてはならないためソレに構わず走った。

重いと感じていた身体にすぐに慣れた。

病院の中に入ると、廊下にいた人に走っていることを注意された。

「見えるのか」

浮くことなく、地面を蹴って走っている自分に不思議な感じがした。

「うっ……」

突然、空気が重くなった。周囲から嫌な感じがして身体がブルリと震えた。目の前にある階段から、黒い靄がゆっくり流れている。その階段を医者らしい人間が上がって行ったが黒い靄に気づいていないようであった。

「見えないのか」

中庭に出る前、この廊下は通ったが今のように嫌な感じはしなかった。

――気づかなかったのか。それともこの体に入ったから感じられるようになったのか。

階段から視線を通ってきたに廊下に移した。危険な香りがする場所へ敢えて行く意味はないが、そこに何があるのか気になった。障子の奥にいた人間に見つかる可能性を考え悩んでいた。その時。

「――」

言葉では表せない声が聞こえた。その瞬間、気持ちが高揚し、危機感よりも好奇心が上回った。

声は、黒い靄が出ている階段の上からだ。声の主が人ではない事は分かっていたが、身体が勝手に動いた。理屈ではない、楽しくて仕方がなかった。

地面を思いっきり蹴り、階段を駆け上がった。

「この身体いいな」

思った通りに動ける身体に感動しつつ上へ上がった。上がれば上がるほど、黒い靄は濃くなっていったが、気にせずに進むと屋上へとつながる扉の前に来た。扉から黒い靄が出ており不気味さがあった。

「タスケテ」

はっきりした言葉が聞こえた。勇樹は「おし」と気合をいれると、勢いをつけて扉を蹴飛ばした。

ガッ‼

大きな音と共に、扉が外へ吹っ飛んでいった。それと同時に黒い靄が室内に流れ込んできたが、臆することなくそこに飛び込んだ。

屋上に出ると、黒い靄は膝丈程度であった。足が見えないと思いながら当たりを見回すと驚愕した。透き通った少年が、タコのように何本もある足の化け物に捕まっている。

「でけぇな」

自分の何倍もある化け物が面白いと思った。地面を蹴り飛ばすと、化け物の真上に行き蹴りつけようとしたが、当たる寸のところで触手に叩き落された。勇樹は回転しながら受け身を取ると、姿勢を低くしたまま化け物を睨みつけた。ソレは自分をあざ笑っているようにも見えて腹が立った。

「ふーん」

今度は逆側から飛び上がり、化け物を攻撃しようと足を振り落としたが触手に地面に叩きつけられた。コンクリートに顔がすれて、頬から血が流れた。

「口の中も切ったか」

血の味が、口の中に広がった。それが不愉快であり、コンクリートに吐き出した。

「どうすっかなぁ」

化け物に向かい、構えながら考えた。考えて、考えたが勝つ方法なんて思いつかなかった。それが最高に面白かった。

その時。真横を炎みたいなモノが飛んだかと思うと、大きな音がして化け物が崩れて消えた。

「すげー」と感心している時、勇樹は化け物に捕まっている少年がいた事を思い出した。化け物が消えたことによって、捕まっていた少年が落下したので慌てて彼を受け止めた。少年が自分の腕の中に納まると安堵した。

「落ちても死なないよ?」

頭の上の方で軽薄な声が聞こえた。ゆっくりと上を向くとそこにいたのは、病院に入る前に追いかけてきた黒い筒みたいな奴だ。黒い筒は纏っているローブをはためかせ浮いている。フードからニヤリと笑う口だけが見えた。

「助けてあげたんだよ。そんなに怖い顔しないでよ」

緊張感のないその声に、自然と眉がよった。いつでも戦闘に入れるように、腕の中の少年を置こうとした。さっきは逃げたが今度は逃きる気はなかった。根拠のない自信が勇樹を包んだ。

「いやいや、何もしないって」黒い筒は関西のオバさんのように手を縦に振った。それが馬鹿にされているようで腹が立った。「というか出来なくなっちゃったんだよね」

「出来なく……?」

「そう」ニヤニヤしながら黒い筒は答えた。「僕ちゃんの仕事はね~。この世の霊体を輪廻に乗せることなのよ」

 クネクネと身体を動かしながら話す黒い筒にイライラしたが彼の話に興味があったため我慢した。

「うん。健康そのものですね。ですが」医師は暗い顔をした。「海斗君は記憶があいまいの所があるようですね」

「え」

医師の言葉に両親は驚いた。

「先ほど、いくつか質問させて頂いたのですが通学している学校名や友だちの名前を言えませんでした。それにご自宅の住所も分からないようです」

医師の言葉に勇樹は下を向いた。医師から日常生活の質問をされた時、庵の情報を何一つ答えることができなかった。そもそも、庵が高校生であることもさっき知った。

「そうですか」母さんは暗い顔した。父さんも同じような顔をしている。

「仕方がないよ」父さんが母さんの肩を抱くと、彼女は頷いた。

「ごめん」

小さな声で勇樹は言った。とりあえず、庵の口調を真似て謝って見た。すると母さんは優しげな顔をした。

「いいえ、大丈夫。健康には問題ないもの。戻ってきてくれてありがとう」

抱きしめられた。父さんは何も言わないが怖い顔をしていた。それを見て嫌な予感がした。

その日のうちに病院を後にした。自宅に着くと、すぐにリビングルームに案内されてソファに座るよう促された。名家ではなさそうであるが、経済的に豊かな家庭のようであった。

「あの、俺じゃなくて、僕の為にごめん」

「いいのよ。座って、今お寿司頼んだからね」母さんは微笑みながら横に座った。「緊張していの? いつものように話していいからね」

 そのいつもが分からず勇樹は困ったが、聞くわけにもいかずに苦笑いを浮かべた。

「だからと言って、〝クソばば〟と言って食器を投げないでくれよ」

台所で父さんが笑いながら言った。

冗談を言って場を和ませようとしているのだと思った勇樹は「まさか。そんな危険なことしないよ」と返した。父さんは笑っていたが、母さんは困った顔していた。そこから冗談ではなかったことを察した。庵の〝いつも〟をやるのは無理だと諦めて適当に取り繕うことにした。

玄関のチャイムがなった。父さんが玄関に向かうと、寿司を持って戻ってきた。すると「食べましょう」と言って母さんが食器や飲み物を用意してくれた。寿司以外にも頼んでくれたようで、から揚げやサラダがあり飲み物もコーラやオレンジジュースなど様々な物が用意されていた。とても三人では食べきれない量であった。まるで好物を知らない来客をもてなしている様であった。

「ありがとうございます。頂きます」

勇樹は手を合わせると、料理に手を伸ばそうとしたが止めた。

「あの、取り箸……あります?」

その言葉に母さんは驚いていたので、庵らしかぬ行動かと思った。しかし、勇樹はここを譲ることはできなかった。庵にとっては両親でも勇樹にとっては他人である。唾液のついた箸で共有の皿を使用することは虫唾が走る思いであった。

「あら、そうね。気づかず、ごめんなさい」

母さんが慌てて、トングと取り箸を持ってきてくれた。礼を言ってから料理に手を付けた。どれも美味しくて感激した。寿司は以前食べたのがいつだから分からない。次々と口に入れて行くと、それを唖然と見ている母さんと父さんがいた。

「あ、ごめん。余りに美味しくて、一人で食べすぎた」

慌てて箸を置き、庵は少食だったのかと反省すると母さんが微笑み空になった皿を交換してくれた。

「好きなだけ食べていいのよ。足りなかったら言ってね」

その笑顔はなんとなく機嫌を伺っているように感じた。

父さんや母さんが料理へ手をあまり伸ばさないことも気になったが、それを伝えても微笑み勇樹に料理を進めるだけであるため気にしないようにした。

息子であるはずなのにお客様扱いだ。

食事が終わると、入浴を促されたのでそれに従い入った。足が真っ直ぐにのばせる浴槽は気持ちが良かった。

――その身体は欲しければやるよ。

 庵の言った言葉を思い出した。その意味も意図も理解できていない。彼になって一日目、分からないことはたくさんあった。

風呂から出るとふわふわのバスタオルと寝巻が用意されていた。

「至れり尽くせりなんだがな。この違和感はなんだ」

寝巻に着替え終わった頃、脱衣所の扉を叩く音がした。

「なに?」

「海斗の頭を乾かそうと思ってね。えっと着替え終わっているかしら?」

「うん」返事をすると、扉を開け母さんを脱衣所に招いた。「息子なんだから気にしなくてもいいのに」

「え? いいの? 以前は着替え中に入ったらすごい剣幕だったじゃない」

「アハハ……」

生前の庵海斗の人物像が浮き彫りになればなるほど、反応に困った。

「か、海斗?」

勇樹の笑いを不思議に思った母さんが首を傾げた。彼女は美人だ。家族でなければ甲斐甲斐しく世話をしてもらうことなどかなわないだろう。

「なんだかなぁ」

「え? 何か言った?」

「ううん」勇樹はゆっくりと首をふると母さんに笑顔向けた。

「そう、良かった。また何かと話しているのかと思って不安になったの。ごめんね」

「なにかって?」

 勇樹が聞き返すと、母さんは「なんでもないのよ」と隠すような態度を取り、眉を下げて不安そうに笑った。

 彼女の言葉に勇樹は病院で見た得体のしれないモノを思い出した。

「今日は父さんと仲良くやってくれて良かったわ。父さんは海斗が好きなのよ。だから、注意するのよ」

「うん」

なんの話をしているか分からなかったが、母さんが真剣な顔をしているため頷いた。

「大丈夫。父さんの言うことを聞けばいいの」

「うん」

 それから、父さんの素晴らしさについて母さんは語った。勇樹は面倒くさくなり話を聞き流し適当に相槌を打った。素直に聞く勇樹に気分を良くしたようで母さんの話は長かった。余りに長いため勇樹はうんざりした。

「分かったよ。母さん。こんなに美しい母さんと賢い父さんから沢山の愛を受けて僕は幸せ者だね」

 勇樹が満面の笑みを浮かべると母さんはほのかに顔を赤くしながら驚いた。

「頭は乾かしたから大丈夫。ありがとう」

「そ、そうなの」あきらかに動揺していた。

「それより、明日は平日だから学校あるよね」

「え? 行くの?」

今まで一番大きな声を上げた。それに勇樹が目を大きくすると彼女は自分の口を抑えて小さな声で謝罪した。

「謝らないで」

微笑み、母さんの肩に手をおいた。同じ位の身長であるため視線が合う。

「行くよ。でも、記憶曖昧で学校名と場所を教えて貰っていい?」

「少し休んでもいいのよ? 本当に大丈夫?」

「うん」

「……そう。地図描いて、部屋に持っていくわ」

母さんは一瞬何か考えたように見えたが、それ以上何も言わずに不安そうに脱衣所を出ていった。

視界の中に鏡が映った。そこには庵の顔があった。中世的な顔立ちをしている。髪は肩まで伸び、前髪はもう少しで目に入りそうであった。

「いろんな事がありすぎて、気づかなったが邪魔な髪だな」

 勇樹は鏡の前にあったハサミを持った。その時、叫び声が聞こえた。

「待って、切らないで」

 鏡から庵が飛び出してきた。勇樹は手を止めると眉を寄せて涙目になっている庵をみた。

「なんで? 邪魔」

「なんでも。ダメだって」庵は、勇樹の顔の前を飛び回り必死で止めた。彼はハサミを勇樹から取り上げようと手を伸ばしているがすり抜けてしまい持つことできない。

「身体くれるって言ったじゃねぇか」

「それは、そうなんだけど。でも、もし仮に君の身体が見つかったら僕はそこに戻らないといけないから……」

最後の方は声が小さくなった。必死に頼む庵に勇樹はため息をついて手近にあった黒いゴムを手にすると全ての髪を後ろでまとめた。

「これでいいか」

「うん」

庵が満足そうに笑ったその時、乱暴に脱衣所の扉が開いた。

「海斗」と言う怒鳴り声と共に入ってきたのは父さんだ。母さんと居た時とは違い鬼のような顔していた。彼が入室したと同時に庵は壁をすり抜け逃げた。

「また、お化けとお話かぁ」

チンピラのように父さんは絡んできた。庵の身体よりも筋肉質で身長があるため見下ろされると迫力がある。

「やめろって言っただろ」

父さんは勇樹の髪を引っ張るとそのまま自分の顔の方まで持ち上げた。痛みで顔が歪んだ。

「なんだ? その目は?」

「クソが」勇樹は拳を握りしめ、父さんのみぞおち目掛けて殴りつけようとしたその瞬間、彼は勇樹の髪を離した。いきなり離されたため、バランスを崩してその場に座り込んだ。

「大丈夫? やっぱり疲れているんだね」

突然、笑顔になった父さんは優しく勇樹の髪に触れた。そして、結んでいるゴムを取ると投げ捨てた。

「いいかい。父さんは海斗の為を思っているんだよ。お化けなんていないだよ。分かるかい?」

彼の変貌に勇樹は困惑し言葉が出なかった。

「髪も母さんに似て綺麗なのだから結んではいけないよ。女の子に生まれてくれば良かったのにね。さぁもう、寝なさい」

父さんは言いたいことだけ言うとその場を去った。

「なんだ。アレは」

混乱しすぎて、さっきまであった怒りが消えた。首を傾げながら髪ゴムを拾い後ろで適当に結んだ。

勇樹は庵の部屋の扉を開ける足が止まった。箱に入ったまま飾られている大量の人形が山のように机に積まれていた。更、棚に入り切らないほどの漫画が床にも置いてあった。ベッドには、箱に入った人形と同じ形をしたぬいぐるみが半分を占領していた。

「邪魔だな」

ため息をついていると、後ろか聞こえた足音に気づき、ゆっくりと振り向いた。そこには母さんがいた。

「海斗、これ」

母さんは、ためらいがちメモを渡した。勇樹は礼を言うと学校名と簡単な地図が描かれたメモを確認にして頷いた。

「あの、どうかしたの?」

母さんは部屋の中を見ないようにしながら聞いた。それが不自然だったので、彼女の質問に答えずに「なんで部屋を見ないの?」と聞いてしまった。後から質問を質問で返すのは失礼であったと謝罪した。

「え、そんな。謝らないで。部屋はいつも見ると怒るじゃないの」

「ふ~ん」困った表情をする彼女に首を傾げた。「母さんの家だから好きな時に見ていいよ」と優しく微笑んだが母さんはため息をついた。

「記憶がないだけで、こんなに変わるのね」

「あ……」母さんの様子に、自由に動きすぎかと反省した。

「海斗は優しい子よね。今までは辛いことが多すぎなのね。えっと、それでなんで部屋に入らずに立っていたのかしら?」

「物が多いなと」

「あら、なら客室を使ってね」

そう言って母さんは目の前にある部屋の扉を開けた。そこはベッドのみが置いてあるシンプルな室内であった。

「それじゃ、下に行くから何かあったら言ってね」と告げ背向けた後、彼女は「記憶がないと趣味も変わるのね」とぼそりとつぶやき去っていった。

なるべく、庵本人に近い行動をとった方がいいと最初は思っていた。しかし、普段の彼の行動が理解できないため自由にしようと思った。

「家族ごっこめんどくせえ」

ベッドに勢いよく倒れると、すぐに睡魔に襲われた。

翌日。カーテンの隙間から入る太陽の光が顔にあたり目を覚ました。デジタル時計を見ると五時三十分を指していた。ゆっくりベッドから起き上がると、洗面台に向かった。髪をしばったまま寝てしまったため山姥のような姿が鏡に映った。

「面倒臭いなぁ」

手元のあったクシで髪をとかすと、痛みを感じ何本か抜けた。思うようにいかなくてイライラしてきた。

「コイツの髪なげーんだよ」

とうとう、クシが髪に絡んでしまった。ぶらりとぶら下がるクシを鏡越しに見るとため息しか出なかった。

「切るか」

その時、洗面台の外で足音がしたかと思うとノックと共に扉が開いた。

「お早う、海斗」

「……お早う。父さん」

昨日の今日で、挨拶をしながら気まずさを感じた。庵の父であるが、得体のしれない化け物のように感じた。

父さんは眉を寄せてズカズカと洗面台に入ると、勇樹の目の前に立った。長身の彼に、上から睨まれる威圧感をある。

「なんだ。その髪は」そう言うと、クシに絡まった髪を乱暴に引っ張った。「お前、母さんに何を言った」

「い、痛い」

昨日よりも力強く髪を掴むため全部抜けるかと思うほど痛みを感じた。父さんに強め声で苦情を伝えながら、ひっぱられている髪の方に手を伸ばすと叩き落とされた。

「母さんに色目を使うとは」

「な、なに? 痛いだけど」

髪を離してほしいことを再三伝えたが受けいれて貰えないどころか、手に力がこもった。

「可愛い顔しているから、母さんに似ているから。幽霊だのおばけだのが見えるとか言う不気味なガキをここまで育ててやった。恩を忘れたか」父さんは鬼のような形相で怒鳴り散らした。

「母さんがほしいつうから作ってやったんだよ。感謝しろよ。わかったら母さんに近づくんじゃねぇ。本当に女なら良かったのによ」

難しいことを言う。母さんとは一日しか過ごしていないが、彼女から近づいてくる。

「てめぇ、なんだ。その顔は?」

「顔?」

「いつも見たいに泣いて許しこえよ。昨日優しくしてやったから調子に乗っているのか?」

父さんが拳を振り上げた時、廊下の方で音がした。その瞬間、髪から手が離れ彼は満面の笑みを浮かべた。

「あら、ここにいたの?」

母さんが入ってきたのだ。

「あぁ、海斗が髪にクシが絡んだと言っていてね。僕ではとれなくて」

父さんは頭をかきながら照れ笑いを浮かべた。すると、母さんは彼の後ろで座り込んでいる勇樹を見てクスリと笑った。

「あらら、私がやるわ。父さんは朝食の準備をお願いね」

「わかった」

父さんは眉を下げて、すまなそうに洗面所を出ていった。母さんはそんな彼に「大丈夫よ」と手を振った。

この状況を勇樹はただ面倒臭いと思った。母さんも父さんも宇宙人のように感じた。彼らを理解すること不可能だ。所詮は仮住まいであり、身体が見つかったら無関係なるが今すぐ家を出たかった。

「あらら、頭皮が真っ赤になっているじゃない」母さんが心配そうに頭をなぜた。彼女のこういった行動も茶番に見えた。

「父さんが引っ張った」

「あらー。あの人たら、無理したのね。可哀想に」

そう言うと、母さんは丁寧に髪を解いていった。あんなに絡まっていたのが嘘ように元の真っ直ぐな髪になった。

「髪型どうしたいの?」

「邪魔でなければ」

「そう」母さんは頷くと、全ての髪をまとめ後ろ編み込んだ。後れ毛がハラリと落ちるとムースでまとめて束にした。視界が広がり、昨日自分で結んだよりも良かった。

「ありがとう」と微笑むと母さんは嬉しそうな顔をした。

彼女は「朝食の準備がある」と言って洗面所を出て行った。

一人になった。

天井を見ながら、なんとなく庵が身体をわたしたい理由が分かった。庵の年では親から逃げることは難しい。だからと言ってどうするつもりもない。

「マジ、めんどい」


リビングルームに向かい、朝食を食べて学ランに着替えると家を出た。母さんがいたため、父さんは終始笑顔であった。

「学ランは苦しい」

首のフックを外し、前を全開にした。すると、服の中を風が一気に抜けて気持ちよかった。


電車に乗り、一回乗り換えると庵の通う学校の最寄り駅に着いた。改札口を出ると、母さんが書いてくれた地図は見た。

「庵君」

背後から聞き覚えのある声がした。驚いて振り返るとそこにいたのはセーラー服に赤いスカーフをつけて、髪を二つに結んだ眼鏡の少女だ。

「幻(まほろ)」

思わず名前を読んでしまった。そのためか彼女は目を大きくした。

「え……? 名前呼び?」

「あ、ごめん。おはよう。佐伯(さえき)さん」

取り繕うように笑ったが、彼女は怪訝な顔をして勇樹を見た。身長が変わらないため彼女の綺麗な顔が目の前に来て心臓が高鳴った。

「おはよう」挨拶を返しながらも幻はじっと勇樹の顔を見つめた。「庵君? 今日はなんで髪をむすんでいるのかな?」

「え? あぁ、邪魔だから」ジリジリと近づいてくる幻に押され後ろに下がった。

「編み込みなんて自分でできないよね?」

まるで、刑事に尋問されている気分だった。まだ、刑事の方が同級生の女子より対応しやすかった。

「か、母さんにやってもらった」

「母さん? 本当に?」彼女の疑う瞳に、回答を失敗したと思った。

「大体、学ランの前を開けているなんて庵君らしくないよね」

眼鏡の奥で光る彼女の瞳は誤魔化しが聞くようには思えなかった。ぐいぐいと近づく、幻に勇樹は更に後に下がった。

「……勇樹?」

勇樹は目を大きくして彼女を見た。

「バカ勇樹でしょ。なんで、庵君の中にいるの?」

「いや……」

「ごまかしてもダメよ。幼い頃から言っているじゃない。私、霊が見えるのよ」

確かに、幼い頃から霊やおばけが見えると言っていた。疑ったわけではないがそれを気にしたことはなかった。いつも「そうか」程度でその会話は終わっていた。

「勇樹が死んだのはニ年前だよね? なんで今、庵君の中にいるの? 今まで何していたの?」

「そんないっぺんに質問されても……」迫りくる幻に向かって勇樹は両手を見せた。「俺も何がなんだかわかんねぇんだよ」

「そう」足をとめた幻は眼鏡の淵を触りながら考え込んだ。

「なあ、俺はお前からどんな風に見える?」

「庵君に重なって見えるよ。ただ、勇樹は魂だから透けている」

そう言われて、勇樹は身体を見たが庵にしか見えなかった。

勇樹は幻に庵の身体に入ったいきさつを説明した。すると、彼女は怖い顔をして口を抑えた。

「マズイよ」

「へ?」

幻は勇樹の腕をつかむと進行方向を変え「きて」と言って手を引いた。その時、彼女は大きな人影にぶつかった。

「あ? 佐伯じゃないか? それに庵か? お前なんで俺の電話出ねぇんだ?」彼は目を細めて、首を傾げた。「あぁ? 髪を上げたのか? 相変わらず女みてぇなツラだな」

「権藤(ごんどう)君」幻は小さくつぶやきながら、彼を見上げた。

権藤の後ろには仲間らしい同じ学ランをきた生徒がニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。権藤もニヤリと嫌な表情をした。

「ああ、庵君はオシャレして幻ちゃんと学校サボってデートか?」

権藤は突然、幻を抱き上げた。彼女は抵抗したが身体が大きく筋肉質な彼には敵わなかった。幻は「もう」と顔を真っ赤にして勇樹を睨みつけた。「早く助けなさいよ」彼女が怒鳴った途端、権藤とその後ろにいた連中が大笑いした。

朝のラッシュに時間。利用客が多い中で大声を出したものだから周囲の視線が集まった。しかし、彼らは一切気にしていないようであった。だが駅員が動いたことに気づくと、権藤は顎で後ろにいた一人に指示を出した。そいつはニヤニヤしながら勇樹の肩を抱いた。

「佐伯、お前さ。頭大丈夫か?」権藤は幻を担ぐと駅の外へと向かった。「あいつに助けて求めるとかイカレてるな」

睨みつける幻を楽しそうに見てから権藤は、勇樹の方を振り返った。

「よし。佐伯に免じて、お前が俺に勝ったら見逃してやるよ」そう言うとまた進行方向を見て進みだした。

「へへへ。良かったな。権藤さん優しくて」勇樹の肩を抱いている男子生徒が下世話な笑いを浮かべた。

「おかしくねぇ? アイツに勝ったら見逃すも何もないだろ」

平然と答える勇樹に男子生徒は舌打ちをした。

「なんだてめぇ? さんざん権藤さんに指導受けたのを忘れたか?」

「指導ねぇ」

裏路地に入った瞬間、勇樹は身体をひねり、肩を抱いていた男子生徒と向かい合わせになった。目があった男子生徒は彼の行動が早すぎて反応できなかった。勇樹はニヤリと笑うと、男子生徒の腹の膝蹴りをかました。見事に狙った場所に入り、男性生徒は苦しげな声を上げて倒れた。勇樹は更に男子生徒の顔面目掛けて足を振り下ろした。何度も踏みつけると、血を吐き男子生徒は動かなくなった。

「ふぅ」

 勇樹は高揚し、顔がずっとにやけている。

「ふぅじゃねぇ」目の前に真っ赤な顔をした権藤がいた。

「てめぇ、俺の大切なダチになんてことしてくれ……」

勇樹は権藤が言い終わらないうちに、走り出し飛び上がると彼の頬に蹴りを入れた。その衝撃で権藤はよろめき、幻が地面に落ちた。

「いったい」地面に落ちた幻はすぐに立ち上がり、勇樹の方へ走った。「もっと優しくしてよ。昔から変わらないわね」

「今はハンデがあんだよ。この身体パワーねぇし」そう言いながら、勇樹は膝が痛むのを感じた。だけど、自分の力が出せる喧嘩が楽しくて仕方なかった。

「弱すぎんだよ」

「あぁ? 俺は弱くねぇよ」

権藤が勇樹の言葉に怒りをあらわにした。

「はぁ?」勇樹は首を傾げてから頷いた。「ちげーよ。弱いのはお前じゃなくて俺だ」

勇樹は地面を蹴ると、権藤に向かった。その時、権藤のダチが彼の前に立ち勇樹に向かってきた。彼は権藤よりも身長が小さく細身であった。

「邪魔だ」と勇樹は言ったが、彼が立ち向かってきたのが嬉しかった。

勇樹は右手を振りかぶりと、目の前の奴の頬を殴った。庵の身体は身軽であるためスピードでて先制攻撃ができる。

勇樹はそのスピードを活かして何十発も顔面に打撃を与えた。そいつが自分自身で立てなくなる頃、権藤は他のダチに手出しをしないように伝えて勇樹に向かってきた。先ほどあたえた攻撃は一切効果がなかったようであった。

「てめぇ、ただですむと思うなよ」そう言いながら、権藤はカッターナイフを手に持っていた。

「刃物か。うん、いいな。それ」

勇樹は首を左右に曲げて、手を動かしながら軽くジャンプした。膝はまだ痛むが動けないほどではない。素手で権藤を倒すには、この身体は貧弱すぎると思っていた所で刃物が出てきた。

「好機」

勇樹は思いっきり地面を蹴ると飛び上がった。やはり、この速さに誰もついて来られなかった。全体重をかけて、権藤のカッターナイフを持っている腕に足を振り下ろした。すると、権藤は「うぐ」と声を上げてカッターナイフを落とした。勇樹は素早くそれを拾うと、体勢を低くして権藤のアキレス腱を切った。血が噴き出て、権藤は崩れ落ちた。

その頃には権藤のダチは誰一人いなくなっていた。

膝をついて呆けている権藤を後ろから蹴り倒し、うつぶせにすると馬乗りになり彼の髪を引っ張り顔も持ち上げた。首にカッターナイフを突きつけると、権藤はゴクリと喉を鳴らした。

「お前も懲りねぇな」

「……お、お前は誰だ?」怯えた口調で権藤は言った。

「庵海斗だろう」

勇樹はため息をつくと、カッターナイフをポケットにしまった。そして、幻の方を見ると彼女は頷いて電話を始めた。

「俺ってば優しいから救急車を呼んだ。また、松葉づえ生活じゃねぇの?」

ケラケラと笑いながら勇樹は、権藤から降りた。彼は静かにじっと勇樹を見た。

「……また?」

権藤は自分に背を向けて歩き出す男をじっと見ていた。

知っている戦い方、聞き覚えのある口調。

外見は庵海斗であるが、あきらかに彼ではなかった。

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