千ヶ崎文乃は流されやすい

石衣くもん

千ヶ崎文乃は流されやすい

「なぁ、ふみ。私、ふみのこと好き、大好き」


 可愛らしい彼女の、可愛らしい告白で始まった、私たちの清い交際。

 茅場ちばちゃんこと茅場めぐみは、高校のクラスメイトの中で、一番背が小さくて、一番顔が可愛い少女だった。


 対して私、千ヶ崎文乃ちがさきふみのは、背とプライドが高く、手前味噌ではあるが、クラスで一番頭がいい女だった。そして、その高いプライドと家の教育方針の所為で、中学までは孤立してしまっていた。


 幼少の頃から、両親に


「今の世の中、とにかく賢く生きていかなくては駄目。誰よりも勉強し、男にも負けないくらい賢くなりなさい。そのためには付き合う人間も自分と同等、あるいは自分より格上のみとしなさい」


などと厳しく躾を受けてきたため、可愛げの欠片もない仕上がりになっていた。両親の教えをおかしいとも思わなかったし、友達がいなくて困ることもなかった。

 ただ、ほんの少し寂しかっただけ。


 そんな訳で、友達すら自由に作らせてもらえない、小、中学生を過ごし、全寮制の名門女子高校に入学して、女だけの世界に身を置きながら、変わらず一人で孤高に、そして孤独に勉強に励み、三年間を過ごす予定であった。


 そこに現れたのが彼女、茅場ちゃんだ。

 名簿順に並んだ入学式、振り向いたらなんと可愛い天使みたいな女の子が立っており、私は高校でなくて天国に来たのではないかと一人動揺した。それくらい彼女は可愛く、どこか気高くすら見えた。


「よろしくな、千ヶ崎さん」

「……よろしく」


 彼女は可愛いだけでなくて、賢い少女であった。その賢さは「学校のお勉強ができる」という私と同じものではなく、生きていくのに必要な、人生を生きていきやすいための、強かで計算高い賢さであった。


 いつも、授業でわからないことや疑問に感じたことを私に聞いてくる茅場ちゃんは、数学だけは必ず先生に質問しに行く。もちろん、私は数学もばっちりできるので、内心むっとしつつ、その日の授業で何かわからないことがないか茅場ちゃんに尋ねたところ


「あれはな、担任にアピールに行ってるだけやから」


と言われた。返答の意味がよくわからず首を傾げたら、いつもの可愛い顔のまま


「北大路先生はプライド高くて人のことなかなか信用せえへんし、忙しくしてな落ち着かへんタイプなんやと思うねん。せやから課題の採点も自己採点じゃなくて採点して返却なんて面倒くさいことしたはるんやろうし。休憩時間にわからんこと聞きに行ったら『忙しいんやけどな、やれやれ……』て言いながら、嬉しそうに教えてくれはるもん。うちはふみみたいにテストで全科目高得点っていうわけにもいかんから、大学の推薦とか考えたら担任の内申点は地道にあげとかなな」


と笑った。

 確かに、数学の北大路先生は私たちの担任で、茅場ちゃんが言った人物像は恐らくあっているような気がする。にしたって、高校に入学してもう大学進学のための布石を打っているのだとは。

 感心している私に、茅場ちゃんは続けて言った。


「ほんまは数学もふみに聞いた方がわかりやすいと思うんやけどなぁ」


 えへ、と悪戯っぽく笑う彼女に、今まで経験したことのないような感覚を味わった。心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような、胸が詰まるような。


 種類は違えど、彼女は頭の良い人に違いなく、また彼女の天性の人誑しっぷりに、今までまともな人付き合いなどしてこなかった自分はあっさり籠絡されてしまった。


「彼女は私と同等の存在だ」


なんて、傲慢なことをこっそり確信し、こうして、初めてのお友達ができたのだった。


 彼女は共学であれば圧倒的に男子生徒からモテただろうが、女子校においても非常にモテていた。女だけの世界で、男役を求められる女生徒、所謂学園の王子様(女子)は都市伝説などではなく現実に一定数いた。彼女らはそんな自分の王子様的な役割を意識しすぎるあまり、女の子らしい女の子に恋をするようで、その「女の子らしい女の子」の役割を茅場ちゃんに求めた。


 しかし、彼女はそれに非常に困っており、中には無理矢理、既成事実を作ろうと迫る不届き者がいる所為で、私はべったりと言って過言でない程、彼女から片時も離れられなかった。


 そんな私と彼女の二人だけの世界が形成されてしまった以上、彼女からの告白も、また、私がそれを受け入れることも予定調和であるとしか言いようがなかった。


「ふみとな、いっしょにおれたら、な」


 それだけで幸せやの。


 ああ、なんて純粋。なんて愛らしい。

 可愛く可憐な茅場ちゃんに骨抜きにされた自分は、「付き合ってくれる?」と小首を傾げられ、敢え無く首を縦に振った。


 勿論そこに、王子様役たちが抱く下心のような俗っぽいものはなく


「私がこの子を守ってあげなければ」


という、庇護欲とも使命感とも言える感情が身体を支配し、動かしていたのだ。

 言い訳でも言い聞かせでもない、私に下心などないのだ。絶対に。



 交際が始まってすぐ、彼女は私が心の中で「茅場ちゃんスマイル」と名付けた天使のような微笑みを浮かべ、頰を桜色に染めながらこう言った。


「ふみのことが大好きやの。だから手ぇ繋いでもいい?」

「しょうがないなぁ、茅場ちゃんは」


 私は、でれ、と緩んで伸びきっているだろう、だらし無い顔で手を繋ぎ、緊張のあまり手が汗ばんでいないか冷や冷やした。


 また、暫く経って彼女の部屋で手を繋ぎながらお喋りしていたら、茅場ちゃんスマイルで、


「ふみのことが大好きやの。だからチューしてもいい?」

「しょうがないなぁ、茅場ちゃ……んっ」


 返答し終わる前に口を塞がれたファーストキス。

 一瞬何が起こったかわからず、


「あ……柔らかい」


なんて語彙力の欠片もない感想を抱いているうちに彼女の唇が離れ、不安そうに


「嫌やった?」


と聞かれたら、そんなわけないと首を振り、彼女の部屋で会うたび、ちゅっちゅ、ちゅっちゅと主導権を握られっぱなしのキスを繰り返した。



 なんだかおかしいなぁ、思ってたのと違うなぁと思いながら、ついに迎えた大事な場面、つまり今。


「ふみのことが大好きやの。だからふみのこと貰ってもいい?」

「しょうがないなぁ、茅場ちゃんはってか、ちょお待って」


 その口ぶりから導き出される、一つの残酷で信じられない事実。


「勿論、ふみが受けやで」


 にっこり笑った笑顔は、愛嬌たっぷり天使の茅場ちゃんスマイルではなく、初めましての黒々しい微笑み。名付けるなら悪魔的茅場様スマイル。


 ねえ茅場ちゃん、受けって何、受けって。私が勉強してきた言葉として「受け」はこの状況下に使われる言葉やなかったで。いや、薄々わかってはいるんやけど。こんな時だけは自分のよく回る頭が恨めしい。


 でもなんで、どうして、ポジションというか見た目的におかしくない? 私の方が、その、所謂男役をやるのが世の常、自然の摂理じゃない? え、じゃない?


 あ、待って、待って。ああ、ボタンに手が……



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