四
月曜日。
その日は
小学校から帰った僕は、今日こそ彼女に会えるかもしれないと、茜色に染まりつつある空の下、馴染みの
今日は会えるかも知れない。
今日はもっと仲良くなれるかも知れない。
空の機嫌の良さに僕の期待も高まっていた。
「おはよう! ねえ、君って、いつもここにいるよね」
背後から声がした。
透き通るような声がした。
振り返る。
街灯の下に彼女がいる。
笑っている。
視線が合った。
頬が熱を持つ。
僕の心臓が暴れる。
それを隠そうと叫んだ。
「こんばんは!」
何の変哲もない、普通の挨拶。でも、これが、そのときの僕の精一杯だった。
「隣、いいかな?」
返事も待たずに彼女は僕の隣に立った。あの匂いが漂う。何か、何か、何か。思い出そうとしても思い出せない、しかし懐かしい匂いが。
「ど、どうぞ」
すっかりと彼女が水平線を眺め始めた頃に、僕は
「ふふ、ありがとう」
上目遣いに彼女を見る僕に、彼女は上から微笑を浴びせた。
僕の心臓はいよいよ挙動が怪しくなり、
そうだ。これは言っておかなければ。
「昨日も待ってたんだよ」
照れ隠しに、語気を強めて口から出してしまう。
「ええ!? 雨が降ってたのに大変だったでしょう? お母さんに心配されなかった? ごめんねー」
今まで橙色だった空が茜色に変わり、紺色も圧迫の度合いを強めてきた。
「お母さんは、……いないんだ」
「そう、なんだ」
「何年か前にいなくなっちゃった」
波の向こうを眺めながら会話する。
散り際の茜色を一生懸命に反射する。
「寂しい?」
彼女が聞いてきた。その顔がどこへ向いているかは知らない。
「寂しくないよ。僕、男の子だもん」
「そう」
半分だけの太陽が、波の向こうで揺らめいていた。
「あ、もう行かなきゃ」
時間ばかりが過ぎ、太陽の名残が薄っすらとなったとき、いつものように彼女が言う。「バイバイ」と、微笑みながら手を振り、立ち去る彼女を、僕はじっと見る事しかできなかった。
*
火曜日。
学校の先生や父や祖母に感謝することもなく、小学校がお休みであることを漫然と受け入れた勤労感謝の日。
僕は朝から父と一緒に釣りに出かけた。場所はいつもの波止場だ。青い空に薄い雲が流れ、波は少し高い。
11時前に斬り上げるまで
「どうしたの?」
と僕が聞けば、
「開発業者がオタキ様の森に入れないようにしたんだ! 許せない!」
と鼻息が荒い。
ところが、昨日まで無かった工事用のバリケードと立ち入り禁止の看板に、行く手を阻まれてしまったのだ。その近くにいた作業員に「これはどういうことか」と声を荒げて
「あいつら、私たちがいう事を聞かないからって、遂に強硬手段に出たんだ!」
あいつらとは、祖母たちが以前から反対運動をしている土地開発業者のことだろう。聞かずとも祖母が勝手に説明してくれたことには、1年ほど前、
計画した会社は、用地の買収を進めつつ、何度か周辺住民を相手に説明会を開催したが、オタキ様に変わらぬ感謝を捧げているこの集落の住民たちは
「私はこれからみんなと一緒に抗議に行ってくる。あんたもおいで!」
勢いで誘われた僕が立ち入り禁止の看板付近で見た光景は、大声で怒鳴り散らす人、黙って睨む人、声を揃えて開発反対を叫ぶ人、そしてそれらを困惑した顔で一身に受け止める、眼鏡をかけた真面目そうな顔の現場監督らしき人だった。
僕はその感情のうねりに混ざる気には到底なれず、後ろの方でただただ、早くこの喧嘩が終わるようにと祈っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます