明日私は誰かの奴隷かもしれない
朽木真文
明日私は誰かの奴隷かもしれない
少子高齢化は深刻化し、労働人口は低迷。その状況を政府は重く見つつも有効的な改善策を打ち立てることは叶わず、その状況が続くことおよそ七年と少し。
日本という国は遂に、奴隷制度を導入した。
「月末か……」
目覚めと同時にスマートフォンのロック画面を覗く。
設定したかわいらしい丸みを帯びたフォントで表示されるのは、現在の時刻七時二分という文字と、五月三十一という日付。
スヌーズを解除し、起き抜けに通知を見る。メッセージアプリのメッセージを確認し、SNSアプリのリプとイイネを確認した。
頭を掻きながらパンをトースターにセット。焼いている手待ち時間で顔を洗うと、鏡の中の醜女と目が合う。
恋人は可愛いと何度も何度も口にしてくれるものの、その言葉が自分の中で腑に落ちた事は無い。自己肯定感が低いことによる弊害だ。
顔を拭き、パンが不可逆的な変化を遂げていく過程を匂いで感じ取る。
会社勤めの生活は厳しいが、それも一年も続けばもう慣れる。
今年度で社会人二年目の私、朽木真彩はトーストにマーガリンを塗りたくったものを頬張りながら、SNSを眺め溜息を吐いた。
タイムラインには、鬱屈とした呟きが多い。斯く言う私も憂鬱だ。何せ明日からは六月が始まる。奴隷抽選が再び行われるのだから。
労働力補填制度。数年前、少子高齢化の深刻化による超高齢化社会で、足りない労働力を補う為新たに施行された制度だ。
全国の市区町村で実施されるこの制度は、まず月に一度その地区の住人全てを抽選に掛ける。意思を排した完全な抽選だ。これは公共の場所で実施され、我々が見ることもできる。
この抽選により選ばれた人間は、一時的に市区町村に属するようになり、役所にて特別な手続きを通すことで、その人間を労働力として無給で長時間働かせることが出来るのだ。
無給、無休の労働。厳密にはある程度の睡眠や食事の時間は確保されるものの、そこに選ばれた人間の意思は存在せず、まるで歯車のように働くのみ。
抽選式奴隷制。そう揶揄されるのも、仕方の無い事だった。
私は選ばれたことは無いが、SNSでよく話は聞く。
選ばれた人間に人権はなく、知らぬ人間の暴言を絶えず浴びながら仕事を終わらせる必要がある。その上、拒否すれば違反となるのだから質が悪い。
表向きでは人権が保障されてはいるものの、裏では法人だけでなく個人による暴行などもざらだし、女性の場合強制的な性暴力もあると聞く上、男女共に自殺者の話もある。私にとっては、恐ろしい以外の何物でもない。
この為だけに田舎を出て、当たる確率を下げる為人口の多い都会に越し勤めてきたのだ。今後も選ばれないことを祈るのみである。
「鍵掛けたっけ」
駅構内をカツカツとヒールを鳴らし歩きながら、ふと心配に駆られた。
定期券を改札で滑らせ、ぼうっとしながらホームにて並ぶ。今日の込み具合は、いつもより少し多い程度か。鮨詰めは避けられないだろう。当然、座れるとは思わないことだ。
身体が押しつぶされる感覚に不快感を覚えながらも、人波に乗るようにして目的駅で降りる。
人口密度が急に下がると途端に空気がおいしい。田舎と比べれば安いレトルト食品のようなものだが。
出社。心にもない笑顔を浮かべながら挨拶を交わし、自身の業務に取り掛かる。
退屈な作業でも、集中してしまえば体感時間は短い。
作業中に色々なことが頭に浮かぶ。
早くSNSをいじりたい。ゲームでもなく、ただ不特定多数が呟いているだけの場所なのに、あんなにも楽しいとは不思議なことだ。
実家の猫は元気だろうか。早く触りたい。同じ都内だから対して時間も掛からないし、今週末は実家に帰ることにしよう。後で両親に連絡を入れておかなければ。
恋人は今寝ているのだろうか。夜勤の人だから、生活リズムが合わないのは残念極まりないが、それでも数少ない空き時間の重なりには目一杯私のことを愛してくれる。
「朽木さん、昼食どうです?」
仕事も切りがいいところまで進み、壁掛け時計の短針が真上を刺した頃。
同僚の女性社員グループから昼食のお誘いを受ける。
考えるように唸りながら、彼女らの様子を眺める。三人はお互いにタメ口で接する程には仲がいいようで、私と彼女らの距離感はいまだ縮まっていない。
「あぁ、私弁当なので。お誘いありがとうございます」
「あ! すいませんそうでしたね……」
「お詫びに今度おいしい定食屋さん紹介しますね。また誘ってください」
既に完成しているグループに入るなど、人見知りの私にとっては拷問にも等しい。
定時で仕事を切り上げ、帰りの電車に乗る。
入社して少しの間は、退社してからは別の場所で時間を潰し帰宅の混雑を避けたほうがいいのではないか。と思っていた時期もあったが、それを乗り越えてでも自宅での寛ぎというのは魅力的な快楽だ。だからこそ、ここまで混むのであろう。
「レジ袋はいかがですか?」
「お願いします」
最寄り駅と自宅の間のコンビニで、アルコール度数九パーセントの缶チューハイを二本買い、帰路に。
レジ袋が有料なのは癪だが、小さいごみ袋を買ったと思えばまあ許せてしまう。もしくは、両手で抱えて帰らなくてもいい権利を買ったのだ。と考えてもいいだろう。元々は無料だったことを忘れたままでいれば、幸い痛くもない金額ではある。昔上がり続けていた税金と比べれば、大したことはない。チリも積もれば、と言う言葉は聞かなかったことにしよう。
金属の平らな鍵を回し、これまた冷たい金属のノブを開く。女性の一人暮らし。出来ればオートロックが良かったが、家賃には抗えない。
酒を冷やし直す事はせず、そのままリビングの机に袋ごと置く。キッチンでカップ麺の蓋を開け、電気ケトルのスイッチを入れた。
「奴隷制度……か」
労働力補填制度により、低迷しつつあった日本全体の景気は徐々に回復していった。
役所で手続し、少し国にお金を払うだけでどんな企業でも人権が存在しない労働力を手にすることが出来る。そんな金の卵に食いつかない経営者がいない筈もなく。
その上、大昔の奴隷のソレと異なり、逆らう事は法の名の下に許されない。裏切りの心配も無く、絶対に命令を聞く奴隷の貸し出し。
労働力補填制度という新たな収益により国の税金は軽減し、各企業は更に安価で商品を売り出すことが出来るように。農作物の収穫も右肩上がりで、国民全体の収入も増加した。
だが、選ばれた者の人権は踏み躙られる。
「いただきます」
息を吹きかけて麺を冷まし、口に運ぶ。濃厚な豚骨味は疲れによってひび割れた身体の隙間に入り込み、金継ぎのように埋めていく。
これはいわば、トロッコ問題のようなものだ。
死にかけの、滅びかけの国。そして、奴隷として選ばれた一部の国民。さて、回答者は残された全国民を取るか、選ばれた多数の奴隷の開放を取るか。
私だったら、私だったら……――――。
「お、日付変わった」
肴を啄んでいると、壁掛けの仕掛け時計が日付変更を音で知らせた。
おもむろに、私が在住の区の抽選中継の映像を開き、コメント欄のヤジに交わり心にも無い言葉を放流する。
楽観。丁度画面の中では、担当だろう人間が長々と壇上で説明を垂れ流していた。
行われるのは、何ら特別なことのないルーレットでのランダム抽選だ。
個人を指定するのは各個人に割り振られた個人番号。十桁に合うようにルーレットを回し、当て嵌まった人間が奴隷になる。
電子レンジで調理する牛タンの燻製を肴に飲んでいると、遂にルーレットが回り始めた。
さて、どんな番号が出るのだろうか。もしかしたら、知人が選ばれるかもしれない。私は八割の期待感と、二割の怯えを感じながら発泡酒を喉に通した。
「六、四……四。……あれ?」
二割の怯えが膨張し始める。
見覚えのある数列をルーレットが弾き出し始めた。気付けば、牛タンを摘まむ手が止まっていた。
嫌な予感がする。これまでの数字は全て、私の個人番号と一致しているのだ。
いや、まだだ。流石に十桁。これまでの数桁が同じだからと言え、これから先の桁が一致すると決まった訳ではない。
自分に言い聞かせるも、不安故か悪い考えは浮かぶ。
だが、月に数人は実際に選ばれているのだ。私だけ選ばれない保証は、どこにも無い。明日私は、誰かの奴隷なのかもしれない。
そして私の予想は、よく嫌なものだけ当たる。
「……――——七。えぇっと……○○五-二十-三、ハイツ大谷403号室在住の朽木真彩様です!」
アパートの管理人がドタドタと私の部屋に向かう足音が徐々に大きくなっていく。
確か、女に縁が無さそうな中年男性だった気がする。それが奴隷となった女の元に向かう理由など、悪いものしか思いつかない。
電話が鳴る。見覚えのある名前は確か会社の役員だ。
きっと私が奴隷になったと知り、馬車馬のように扱き使おうというのだろう。奴隷制は、確定したこの瞬間より適応される。
家の固定電話も鳴り響く。心当たりは山ほどある。前のバイト先か、近所の医者か。いや、まずは役所から連絡が来るだろう。
家のドアが何者かによって強く叩かれる。恐らくは管理人だ。携帯の留守電に、役員の怒鳴るような声が鳴り始めた。何を言っているかは分からない。分かりたくない。
あぁ、嫌だ。
明日の私は、誰かの奴隷だ。
明日私は誰かの奴隷かもしれない 朽木真文 @ramuramu
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