令嬢との再戦
学園にはいくつかの決闘場がある。
前もって話を通しておけば誰でも利用可能で、環境もいくつか種類がある。今回選ばれたのは屋内型のフィールドだ。戦闘区域には結界が張られていて魔法攻撃だけを外に通さない仕組み。
僕とリアが着いた時にはもう、会場には立会人をしてくれる教師を含めて多くの人が集まっていた。
生徒は全部で五十人くらいだろうか。その中には見知った顔もあって、
「クリス、また派手なこと始めたねー?」
「少年、健闘を祈る」
「念のためポーションも準備してありますのでご安心を」
ミシェル先輩、シビル先輩、フェリシー先輩がそれぞれ声をかけてくれた。みんなして来てくれたのは嬉しいような、恥ずかしいような。
照れながら「ありがとうございます」と言った僕のところにはさらにあの女の子をはじめ、一年生の平民の子が集まってきて、
「お願い、絶対勝ってね!?」
「あのお嬢様を痛い目に遭わせて!」
口々に訴える彼女たちに周囲からからかうような声が上がった。
「これだから平民は」
「群れたところで大した力にならないとわからないのかしら」
「……貴族って、本当に」
唇を噛んだあの子が睨めば、別の決闘が始まりかねないような重い雰囲気に。
「あら。なかなか場が温まっていますわね」
「フランシーヌ」
フランシーヌ・フォンタニエは取り巻きを連れ、決闘場へと優雅に現れた。
艶やかな紅の髪にも制服にも乱れは一切ない。扇子を取り出した彼女は剣でも握っているかのような仕草で腕を下ろすと「覚悟はいいかしら?」と尋ねてきた。
紅の瞳に宿っているのは怒りと喜び。
入学早々、恥をかかせてくれた僕をようやく痛めつけられると思っているんだろう。
「制服のままじゃ動きづらくない?」
「この制服は学園生の誇りですわ。……それに、汚れるような事態にはなりませんもの」
「そっか」
制服には防御の魔法もかかっている。普通の生徒にとっては着ている方が得なんだろう。
僕の制服はただの服なのでそうもいかない。
「じゃあ、僕は脱がせてもらうよ」
言って、僕は制服に手をかけた。ギャラリーからいくつか驚きの声が上がり、過敏な生徒は手で目を覆いだした。と言っても何も裸になるわけじゃない。腰と胸の部分にはちゃんと水着のような形状のインナーを仕込んでいる。下半身の方はスカート状になっているのでいやらしい感じもないはずだ。
「リア。この服、持っててくれ──リア?」
「っ!? は、はい。かしこまりました。……あう」
声をかけるとリアはなにやら白い素肌を真っ赤にして硬直していた。返事はしてくれたものの反応がぎこちない彼女を見てミシェル先輩が「私が預かっておくよ」と言ってくれる。
制服を渡すと「これがクリスの体温かあ」とか変な声が聞こえたけど、まあ変なことはされないと思う。
僕はあらためてフランシーヌに向き直って、
「お待たせ」
「……耐火生地ですか。涙ぐましい努力ですわね」
「制服が燃えたら大変だからね」
午後の間に大急ぎで調達した生地を特急料金で仕立ててもらったものだ。素材に籠もった魔力は全部吸ってしまったので生地自体の耐火性能だけが頼りだけど、ある程度の炎なら防いでくれるらしい。お金はいったんリアの所持金から借りた。
リアは「気にせず使ってください」と言ってくれたけど、借りたお金はちゃんと働いて返すつもりだ。
「では。双方、準備はいいですね?」
「ええ」
「はい」
一瞬の静寂。
立会人の教師がゆっくりと口を開いて、
「始め!」
合図と同時にフランシーヌの右手が扇子と共に跳ね上がった。
◇ ◇ ◇
「《炎よ》《爆発なさい》!」
魔術文字によるブースト付きで放たれたのは前回と同じ──ではなく、球体状に凝縮された炎だった。
範囲が狭まり軌道がわかりやすくなったぶん、避けるのは簡単。一見すると下手を打ったようにも見える一手だけど……。
くいっ、と。
フランシーヌが扇子の先を軽く動かした瞬間。火球は僕から三歩分は離れた位置で爆発した。
凝縮されていた炎が解放され、周囲に広がりながら破壊を撒き散らす。距離の遠いフランシーヌ自身は髪が揺れる程度の影響しか受けていないものの、僕は見事に吹き飛ばされて尻もちをついた。
痛い。
肌の表面があちこち焼けてひりひりする。大きな怪我ではないけれど、
「あれ? クリスって魔法吸収するんじゃなかったっけ?」
「ええ、魔法であればなんでも吸収できるはずです。ですが、クリス君を今回襲ったのは『熱された空気』。魔法そのものではないのです」
「あ、なるほど。クリスにとっては直撃じゃない方が痛いんだ」
そう。
火球が直撃しても僕にダメージはない。けれど、僕が防げるのはあくまでも魔法と魔力だけ。
爆発で撒き散らされた炎までは魔法の産物なので吸収できるけれど、二次的に生まれた熱風までは防げない。
──これが、フランシーヌの用意した対抗策。
令嬢は策が功を奏したのを見て笑みを浮かべる。
「どうかしら? 降参してもよろしくてよ?」
「いや」
僕もまた首を振って笑った。
「武器がこれだけなら、予想通りだよ」
「っ、何を!」
振り上げられる扇子。僕はそれに先んじるように右手を持ち上げて魔力攻撃を放つ。当然、フランシーヌはそれをあっさりかわしたものの、魔法の準備は少しだけ遅れ、反撃されたことで表情にはほんの僅かながら焦りが生まれる。
遅れて二発目の火球が発射された時には、僕はもう前に走り出していた。
「な……っ!」
驚きの声を上げるフランシーヌ。咄嗟に破裂させられる火球。判断は良かったけれど、僕は爆発に飛び込むようにして一次被害圏内に入り込み、二次圏内から逃れた。
多少の熱さは感じるけれど火傷はない。
吸い取った炎の魔力を用いて再度の魔力攻撃。かわされる。けれど、フランシーヌの表情にはもうはっきりと焦りの色が浮かんでいた。
後退しながら三度めの火球。だけど遅い。運動に慣れていないお嬢様が慌てて動いた程度で距離を離せるわけがない。火球は爆発前に僕の手のひらに吸い込まれ、二人の距離はほぼゼロになる。
爆発はもう使えない。
自分で自分を焼く羽目になるからだ。唇を噛み、詠唱のみで炎を放つフランシーヌだけど僕には通じない。
最後の悪あがきか、直接叩きつけようとでもするかのように振り上げられた扇子を、少女の白い手ごと掴んだ。
「まだ体験レベルだけど、体術の授業が役に立ったかな」
どこか呑気なミシェル先輩の声を聞きながら、僕は目を見つめた。
綺麗だ。
怒りに燃えるその瞳が僕自身に向けられていてもなお見惚れそうになる。
「降参してくれるかな」
敗因は魔法戦にこだわりすぎたこと。
準備をしてきたつもりでやっぱり僕を、というか平民の白リボンを舐めていたんだろう。防ぎ切れない攻撃に慌てている間にどんどん爆発を起こして完封、というプランに頼り過ぎた。僕がそういう攻撃を予想していて「自分から炎に突っ込んでいく」とは考えなかった。
魔女同士の戦いにおいて『一方的な身体的接触』は喉元に刃を突きつけたのと同じ状態だ。
魔法を使うまでもなく相手に直接魔力を叩き込める。入学前から魔法を学んでいる優等生がそれを理解できないはずはない。
それでも、少女の瞳から激情は消えなかった。
「まだ……っ!!」
なにかを行おうと左手が振り上げられたところで、
「そこまで!」
鋭い教師の声が決闘の終わりを告げた。
左手から炎が生まれることはなかった。
◇ ◇ ◇
「……嘘」
僕が手を離すと同時、がっくりと膝をつくフランシーヌ。
ギャラリーのうち平民の生徒たちが快哉を叫び、貴族の生徒の多くが動揺のざわめきを上げる。
「お疲れ様、クリス」
「ありがとうございます、ミシェル先輩」
「おめでとうございます。これはお祝いに」
「ありがとうございます、フェリシー先輩」
返してもらった制服を纏い、もらったポーションで傷を癒していると立会人の教師が寄ってきて、
「クリス。あなたの出した条件はフランシーヌ・フォンタニエの断髪でしたね?」
「はい。できればあの子と同じくらいにして欲しいです」
僕に話を持ってきた子を指して言うと教師は「わかりました」と頷いて、
「ですが、回復魔法を応用すれば髪の修復は可能ですよ?」
「いいんです。同じ気持ちを味わってもらうのが大事なので」
「そうですか。わかりました」
断髪は教師が請け負ってくれた。
床に座りこんだままの彼女の髪にそっと指が触れると、
「嫌っ!!」
令嬢はぱん、と教師の手を強く払った。
「触らないで頂戴! 貴女、伯爵家の出身でしょう!? 公爵家の私に危害を加えてどうなるかわかっているのかしら!?」
「……フランシーヌ・フォンタニエ。この学園において階級に大きな意味はありません。生徒である以上、教師の指示には従ってもらいます」
教師の声には呆れの色があった。
学園において魔力量の差は大きな意味を持つ。魔力の差が決闘の勝敗を分けることも珍しくない。だけどそれと同時に教師は生徒に対して強い力を持つ。
これは単なる偉さの話じゃない。
学園で三年学んだ魔女の力量は入学したての生徒とは比べ物にならない。多少の魔力差なんて技術で簡単にひっくり返されてしまう。
「公爵令嬢で黒リボンだからって調子に乗り過ぎよ」
平民の誰かが言えば貴族の間からも、
「フォンタニエ公爵令嬢にはがっかりしましたわ」
「少しお付き合いの仕方を考えたほうがいいのかしら」
「いくら特異体質とはいえ平民にあっさり負けるようでは」
ひどい、とは思う。負けたからってあっさり手のひらを返すなんてどれだけ薄情なのか。特に一年生の多くは直接やったらフランシーヌに勝てないだろうに。
でも、それは僕が抗議することじゃない。他でもないフランシーヌの日頃の行いも関係しているのだから一概にどっちが悪いとは言えない。
ただ、大きなダメージになったのは間違いなくて、
「嫌、嫌よ! こんなところで髪を切られるなんて! ……そうだ、お母様! 学園長を呼びなさい! お母様にお願いすれば!」
プライドを傷つけられた令嬢は涙ぐみながら母の名前を持ち出し始めた。
これにはさすがの教師も困った顔になる。彼女がこのまま髪を切るか悩む素振りを見せ始めたところで、
「私を呼びましたか、フランシーヌ・フォンタニエ」
「お母様……!」
決闘場の入り口から学園長クローデット・フォンタニエがこちらへ歩いてきているのに気づいた。
ぱっと表情を輝かせたフランシーヌは立ち上がり、母のところまで駆けていくと「実は」と訴え始める。事実に脚色を交えた自分本位な説明、
「ですから私は──」
「そう」
短い一言で娘の主張を制止した『爆炎の魔女』は立会人の教師を見て、
「では、早くこの子の髪を切りなさい」
「え……!?」
信じられない、とばかりに目を見開き首を振るフランシーヌ。
「何を仰るのですか、お母様!?」
「神聖な決闘を穢してはなりません。負けた以上、たとえどんな理由があろうと契約は履行なさい。……それができないのであれば貴女には決闘を行う資格も、学園の生徒を名乗る資格もありません」
「……っ」
令嬢は再びその場に崩れ落ちると動かなくなった。しゃくりあげるどころか涙を流して嗚咽する彼女の髪が魔法によって容赦なく切り取られていく。やがてフランシーヌの髪が平民の少年のように短くなると、学園長は床に落ちた紅の髪を一瞥しただけで燃やし尽くした。
「医務室で処置してもらいなさい」
踵を返す学園長と一瞬だけ目が合った。
彼女がなにを思ったのかはわからない。ただ、僕にはやっぱり娘に冷たくする母親の気持ちがわからなかった。お互いに生きているのにどうして仲良くできないんだろうか。
靴音を響かせながらクローデットが出て行った後、誰かが呟くのが聞こえた。
「やっぱり、『爆炎の魔女』の後継者は彼女ではなく妹君のほうなんじゃないかしら」
「───」
途端、フランシーヌの動きが完全に止まった。
下を向いていた顔を声の主のほうへと向ける公爵令嬢。彼女はそのままふらりと立ち上がると決闘場の入り口へと向かっていく。
彼女の扇子が床に落ちたままになっているのに気づいたリアが拾い上げて渡しに走ると、
「いらないわ。……捨てておいて頂戴」
フランシーヌ・フォンタニエがそれから後ろを振り返ることは一度もなかった。
「あの子もいろいろ大変だね」
「シビル先輩」
先輩は相変わらずなにを考えているのかわからない表情ままで僕に囁くように、
「あの子には妹がいるらしい。あの子よりもずっと優秀な妹がね」
「だから、フランシーヌは焦って?」
「かもね。本人の気持ちは本人にしかわからないけど」
その通りだ。公爵家に生まれた苦労も、偉大すぎる母を持つ苦悩も、妹に追われる切迫感も僕にはわからない。ただ、フランシーヌ・フォンタニエにも彼女なりの事情があるのだということだけは理解した。
だとしても、僕は僕の考えで動くしかないのだということも。
「行こう、リア」
扇子を両手で握ったまま立ち尽くしていた少女に声をかけると、小さく「はい」という返事があった。
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