決闘 紅髪の公爵令嬢

「……あなた様は」

「あら、そんな事もわからないの? わたくしはフランシーヌ・フォンタニエ公爵令嬢。現魔女学園長、クローデット・フォンタニエの長女ですわ」


 言って自身の紅髪を撫でる令嬢──フランシーヌ。

 フォンタニエ家は公爵家(大雑把に言うと王族の次に偉い血統)の一つで、フランシーヌの母・クローデットを妻に迎えたことにより権力を一気に強めた有力貴族。

 貴族ならドレスに刺繍されたフォンタニエの紋章を知らないはずがない。僕たち平民にとっては「貴族=迂闊に逆らってはいけない」なので逆にどこの家でも大差ないのだけれど。

 オリアーヌは「公爵家……」と僕にしか聞こえない声量で呟くとすぐに表情を整え、スカートを摘まんで一礼した。


「大変失礼いたしました、フォンタニエ公爵令嬢様。卑賎の身でございます故、御身に関する知識も持ち合わせていなかったのです」

「そう。それにしてはなかなか作法ができているようだけれど」


 言われた通り、オリアーヌの所作はまるで貴族だ。むしろ素人目にはフランシーヌよりもお嬢様らしく見える。

 それが気に入らないのか、紅髪の公爵令嬢はふん、と鼻を鳴らして、


「それで? 貴女はどこの誰なのかしら?」

「わたくしはオリアーヌと申します。家名はございません」

「嘘ね」


 ひゅん、と。

 どこからか取り出された扇子がオリアーヌを指す。銀髪青目の少女は気迫に呑まれたように一歩、後ろへ下がった。


「我が家より格下だからといって隠す必要はないわ。それとも、私ごときに名乗る名前はないとでも?」

「……ですから、本当に家名は持ち合わせていないのです」

「っ」


 どうやらこの学園長の娘は気の短い性格らしい。眉間にみるみる皺が寄っていくのを見て、僕は「まずい」と思った。

 このままだと喧嘩になる。

 僕もオリアーヌが平民だとは思わない。けれど、本人がこう言っている以上はなにか事情があるんだろう。だったらこれ以上詮索するのはよくない。


 ──できれば、目立つ行動は避けたいけど。


 放ってはおけない。

 僕の目的は他の人から見れば悪いことだ。だから、それ以上人の道から外れることはしたくない。

 息を吸って意を決すると、僕は一歩踏み出した。


「もういいじゃないですか。誰にだって言いづらいことはあると思います」

「なんですって?」


 炎のごとく揺らめく瞳に貫かれた。

 獲物を見定める猫のように細められたそれに緊張を感じていると、


「……ああ。誰かと思えば、校門の前で呆けていたあの平民じゃない」


 投げかけられた声には怒りの色があって。


「それで? 白リボンの平民が私になんの用?」

「オリアーヌをいじめないでください。平民でも、学園の中では平等なんでしょう?」

「ええ、そうね。ここでは家格は問題にならない。重要なのは魔力と魔法よ」


 平民風に言い換えると「雑魚は黙っていろ」ということ。

 実力主義と言えば聞こえはいいけれど、結局のところ平民よりも貴族が優位なのは変わらない。そして貴族の中でも位の高い者ほど大きな声を出しやすい。

 平等が聞いてあきれる。

 僕は抗議の視線をホールにいる上級生に送った。監視役として配置されている彼女たちは促されてようやく口を開いたかと思うと、ただ一言。


「揉め事は決闘で解決するのがこの学園のルールです」

「───」


 決闘の話は僕も知っている。

 魔女同士で意見の食い違いが発生した際は代表者同士で技を競い、勝ったほうが意見を通す。強い者が正義という、ある意味わかりやすい解決方法。

 当然、相手に大怪我をさせたり殺すことは禁止だけれど、結果的に亡くなる生徒も毎年何人かはいるという。それでもこの伝統がなくならないのは強い魔女を育てるために必要だから。


「もちろん、存じておりますわ」


 これにフランシーヌはこれに余裕の笑みで応えて、


「だそうよ。ねえ、オリアーヌ? 貴女、早く家名を答えなさい。嫌なら決闘をしましょう」


 残酷な二択を迫られた少女は表情を青ざめさせて首を振った。


「わたくしは魔法が使えません。決闘なんてとても」

「あら。あらあら? 黒リボンを頂くほどの才能がありながら初歩的な魔法の一つも使えないなんて! やっぱり、貴女の家は大したことがないようね!」


 新入生からくすくすと声が上がった。笑っているのは位の高そうな貴族たちだ。白リボンの多くは不快そうにしているけれど、魔力でも家格でも劣る彼女たちには何もできない。

 別に、入学時点で魔法が使えないのなんておかしくない。

 魔法を学ぶための学園なのだから、これから学んでいけばいいだけだ。なのに、こいつは。


「決闘すればいいんだよね?」


 僕は怒りに任せて令嬢へ告げる。


「なら、僕がする。勝ったらこの子に謝って、家名の件はもう聞かないでくれ」


 一瞬、ホール内に静寂が満ちた。

 次の瞬間、響き渡ったのは大きな笑い声。

 白リボンの平民が黒リボンの公爵令嬢に決闘を申し込むなんて身の程知らずにも程がある。勝てるとでも思っているのか。負けるに決まってる。いや、自衛もできずに殺されるんじゃないのか。

 オリアーヌが目を見開いて僕に囁く。


「クリス様! そんなことをする必要は……」

「気にしないで、僕がそうしたかっただけだから。それに、まだ負けると決まったわけじゃない」


 心配そうな彼女に微笑んでから視線を向け直すと、公爵令嬢は意外にも満面の笑みを浮かべていた。

 閉じていた扇子が開かれて口許を覆い隠す。それでもありありと浮かんだ嗜虐心は全く隠し切れていない。


「二言はありませんわね、平民?」

「もちろん。それで、決闘ってどうすればいいのかな?」

「両者の合意と一名以上の立会人。それが最低条件ですわ。……今、この場を離れるわけにも参りませんから、少し場所をお借りしましょうか」


 さすがは学園長の娘ということか。勝手知ったるといった態度でホールの中央を空けさせると「さあ」とでも言うようにこっちを見てくる。

 後には退けない。

 服の袖をつかんで引き留めてくるオリアーヌに頷きを返して、公爵令嬢から少し離れた位置に立った。

 周囲からはざわめき。

 心配する声と、面白がるような声。女の子ばかりの華やかな学園のイメージがだんだん崩れていく。これじゃ下町で喧嘩を見物する野次馬と大差ない。


 なら、簡単だ。


 気に入らない奴はぶっ飛ばしてわからせればいい。


「準備はいいかしら?」

「いつでも」

「そう。なら、先手をどうぞ。なにもさせずに勝ってしまったのでは物言いがつくかもしれませんし」


 真っすぐに見つめ返しながら答えると、少女は両手を下ろしてそう言って、


「それは、ありがとう」


 僕は交代するように腕を持ち上げた。手袋をつけていない右の手のひらを向けて、体内の魔力を集中させる。

 輝き。

 生み出された魔力が破壊の力に変わって真っすぐに飛んだ。



   ◇    ◇    ◇



 僕もオリアーヌと同じで魔法なんて使えない。できるのは魔力放出だけだ。

 ただし、放出には二種類ある。マジックアイテムを起動するために魔力を注ぐやり方と、魔力そのものを凝縮して放って攻撃するやり方だ。

 試験の時にやったのは前者で、今やったのは後者。

 ありったけの魔力を使った一撃は家の壁に穴を空けるくらいの威力はある。直撃したらさすがに無事じゃ済まない。

 これに対してフランシーヌは、


「あら。思ったよりは頑張りましたわね」


 とん、と。

 一歩横にズレるだけで光をかわした。後ろに飛んだ魔力はホールの柱に当たって消滅する。

 学園内の構造物には防御の魔法がかかっていて、ちょっとやそっとでは壊れないようになっている。柱には傷ひとつなく、僕の攻撃がなんの成果も挙げなかった。

 無事じゃ済まない攻撃も当たらなければ意味がない。

 魔力をそのまま打ち出す方法は攻撃としては効率が悪い。拡散させれば目に見えて威力が落ち、収束させれば今のように簡単に避けられてしまう。魔女がこれを用いるのは明らかに格下の相手を嬲る時か、あるいは格下が悪あがきをする時だけだ。 

 では、力のある者はどうするかと言えば、


「さて、本番と参りましょうか」


 扇子の先が僕を示す。


「《炎》」


 単音節の魔法語が呟かれたかと思うと、何も無い空中から炎が噴き出した。

 真っすぐこちらに向かってきたそれを僕は慌ててかわす。熱い。横を通り過ぎていっただけでも脅威と恐怖を感じる。直撃したらどうなるか。

 思わず冷や汗を浮かべると、少女は気を良くしたのかにっこり笑って、


「降参するなら早い方がいいですわよ──っ!」

「クリス様っ!?」

「大丈夫」


 さっきと同じ魔法語詠唱。

 再び向かってくる炎を僕は避けなかった。逃げられなかったわけでも、挑発されて自棄になったわけでもない。

 どのくらいの早さでどこに向かってくるかはさっき見た。

 だから、迫りくる炎に難しくない。

 ぱしゅう。


「……え?」


 それは誰の声だっただろう。

 炎が僕の手に「吸い込まれていく」のをフランシーヌが、オリアーヌが、新入生たちが、上級生までもが呆然と見つめた。

 その間に吸収は終わり、後には何も残らなかった。

 望んだとおりの結果に僕は息を吐いて、


「良かった。服は普通に燃えるから、ちゃんと受け止めたかったんだ」

「待ちなさい。……なんですの! なんなんですの、今のは!?」

魔力喰らいマナ・イーター。特異体質なんだよ。自分自身の魔力はないけど、魔法でも魔力でも触れば吸収できる」


 そして、吸収した魔力は自分のものとして操れる。

 僕がこの体質を知ったのは家が「魔法による爆発で吹き飛ばされた時」。

 瓦礫に耐えられたのは身体が小さかったからだけど、爆発に耐えられたのは魔力を吸収したから。炎でも風でも魔法によって生み出されたものなら僕の身体は構わず無効化する。


「そんなの」


 あっけに取られていたフランシーヌは優雅な所作も忘れたように大きく口を開いて、


「そんなの、反則でしょう!」


 扇子の先が魔法文字を描く。「《炎》」。詠唱とルーンによる二重増幅。生み出された炎はさっきの倍以上の大きさ。呑まれればよくて全身大火傷。

 入学前からこれだけの魔法が使えるのだから、彼女は間違いなく天才だ。だけど、


「僕には、効かない」


 炎はやはり右手に吸い込まれていく。ただ、勢いが強いせいで火の粉がケープに燃え移った。仕方なく外して一歩後退する。

 被害としては結局それだけ。

 門をくぐる時、顔が出ていると感知の魔法を妨害してしまうから着けていたものだ。ケープはもうなくても構わない。代わりに二回分の吸収によってさっき放出した以上の魔力が戻ってきた。

 ぎゅっと手を握って僕は告げた。


「さあ。降参するなら早い方がいいよ」


 今のでわかった。やっぱり、この力は魔女殺しだ。どんな強い魔法だって吸収してしまえば無効化できる。これなら「あの女」にだって。

 そうやって僕が手ごたえを感じていると、フランシーヌはさっき以上に呆然とした様子で、


「……貴女。その一人称。まさか」

「っ」


 まさか、気づかれたか。

 髪も長いし顔を見てもそうそう気づかれないと思ったのだけれど、わかる人にはわかるのか。舌打ち。強い苛立ちと共に吐き出される息。

 振り上げられた扇子の先がさらなる魔法文字を描こうとして、


「そこまでになさい」


 凛とした声が場を収めた。

 一声で制止した公爵令嬢は「まさか」という顔で声のした方を見る。僕もまたそちらへ視線を向けて──ぞわり、と背筋を泡立たせた。

 長い紅髪を持つ大人の女。

 顔立ちや目つきはフランシーヌとよく似ている。魔女の象徴である黒を纏った彼女は気品と威厳溢れる表情で僕たち、そして他の新入生たちをじっと見ている。


「お母様」


 学園長──クローデット・フォンタニエ。

 世代きっての秀才であり、今、この国で一番有名と言ってもいい魔女。炎の魔法を得意とする破壊の申し子であり、現公爵夫人でもある彼女は自分の娘を冷ややかに見つめ返した。


「お母様、あの者を退学にしてください! あれは『魔力を持たない』と自ら口にしました! 魔法を吸収するというふざけた特異体質で、しかも──っ! どう考えてもこの学園には相応しくありません」

「そう。……魔力を吸収、ね」


 クローデットが僕を見る。

 娘とよく似た紅の瞳。なんの感情も宿していないように見えるその目がどうしようもなく怖い。同時に居ても立っても居られないような強い感情に身体が震える。


 こいつかもしれない。

 こいつが、母さんを殺したのかもしれない。


 直接「お前が殺したのか」と聞いてしまいたい。で

 も、ここでそんなことをすればもう、こいつには近づけないかもしれない。唇を噛むようにして気持ちを抑え込むと、学園長は、


「試験はどうやって通過したのかしら」

「……魔力放出をすれば良いと言われたので、そうしました。触ると水晶玉の魔力を吸い取ってダメにしてしまうと思ったので」


 触っただけで魔力を吸収してしまう僕の身体はある意味危ない。壊したマジックアイテムを弁償しろ、とか言われても払うお金はないので、そういうことにならないようにギリギリまで手袋を嵌めていた。

 クローデットは僕の答えに「そう」と呟いて、


「試験を突破するだけの魔力があったのなら不正はありません。……貴方、名前は?」

「クリスです。姓はありません」

「そうですか。では、クリス。学園の備品をみだりに破壊しないように。規則に反する行動を取れば退学もありえます」

「はい。十分に気をつけます。……学園長」


 恐れていたような処分はなかった。

 思ったよりも公平な人物なのか。いや、まだわからない。去っていく彼女の背中を見つめながらひとまず無事に終わったことに息を吐く。

 フランシーヌはその間にも「待って、待ってくださいお母様!」と呼び留めようとしていたけれど、その声が聞き入れられることはなく。

 微妙な雰囲気のまましん、と静まり返ったホールに、今後の案内をするための教師がやってきた。

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