魔力喰らい 〜魔女の学園でただひとりの少年〜

緑茶わいん

プロローグ -魔女学園の入学試験-

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 尊き王都の西側に漆黒の学び舎そびえ立つ

 若き魔女が集いて育ち 巣立つゆりかご

 誇り高き魔女学園

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 吟遊詩人に謳われる黒く大きな外壁を実際に見るのは初めてだった。

 壁だけでなく、十人は並んで通れそうな正門も、壁の向こうに見える校舎も全てが黒い。

 太陽の光を吸収して離さない黒は魔女の象徴と言われている。

 せめて前もって下見に来られれば良かったけれど、学園は貴族街の中にある。普段は部外者が近づくだけでも警戒されるので結局来られなかった。


 ただ、今日は違う。


 宿からここに来るまでの間に何人も同じ方向へ向かう人を見た。

 今日は年に一度開かれる魔女学園の入学試験。これに挑む権利は誰にでも平等に与えられている。

 校門から少し離れたところで立ち止まった僕は、中を目指す若い女の子たちの背を目で追いかけた。緊張と不安を抱えながら一歩を踏み出し、敷地内へ足を踏み入れていく。

 中には入ることのできない子もいる。

 学園内には一定以上の魔力がないと立ち入りさえ許されない。門の前で弾かれるように立ち止った子たちは試験を受けるまでもなく不合格だ。


 挑戦者が女の子ばかりなのはなぜか。

 男よりも女のほうが魔力が高い。これは人類の歴史が証明してきたれっきとした事実だ。そして魔女学園の入学資格は「高い魔力を有していること」。

 基準となる値は男の限界とほぼ同等。だから男の魔力持ちは魔法使いにはなれても魔女にはなれない。そして魔法使いは魔女の劣化版。それが当たり前の認識だった。


「女でなければ学園の門をくぐることすら許されない。男にはさぞかし屈辱でしょうね」


 意識を学園に向けている間に隣へ一人の女の子が立っていた。

 紅色のウェーブロング。動きやすくも華やかなドレスを着て、斜め後ろにはメイドを付き従えている。その白い肌と髪の艶からして貴族だ。

 それもたぶん、かなり高位の。

 僕の視線を受けて誇るような表情を浮かべた彼女は一歩、前に踏み出しながら、


「喜びなさい、平民。最低限、女に生まれて来られたことをね」


 令嬢が歩き始めてもメイドは後を追いかけなかった。深く一礼する彼女は僕のほうを見てもいない。その敬意が向けられているのは悠然と校門を抜けていく主だけだ。左右に立つ衛兵でさえ敬礼し、その血筋に敬意を示している。

 学園に挑む権利は平等に与えられている。

 けれど、生まれ持っての力は平等じゃない。魔法の素質はある程度親から子に受け継がれる。魔女のほとんどは貴族か、そうでなくても貴族の妻として迎えられる。だから学園の生徒は八割以上が貴族出身者で構成されている。


 僕は「ありがとうございます」と遅れて答えてからゆっくりと歩きだした。


 この日のために買った人生で一番高価な服。古着でも母の手作りでもない、職人の手で作られた新品は長袖・ロングスカートのワンピースだ。もともと小柄で「女みたい」とからかわれる見た目なのでそのままでも見咎められる心配はないけれど、上に羽織ったケープのフードを深く被る。

 衛兵がちらりとこっちを見てくる。

 けれど、僕がそのまま門を通過していくと彼らは興味を失ったように視線を逸らした。ほっと息を吐いて前を見据える。

 まずは一つめの目標をクリア。


「──絶対に入学しなきゃ。母さんのために」



   ◇    ◇    ◇



 あの時のことは今でもはっきりと覚えている。

 突然の出来事だった。 

 熱い。痛い。苦しい。

 衝撃に揺さぶられ、熱に晒され、重いものに圧し掛かられた。爆発が起きて家が崩れたのだと気付いたのは必死に瓦礫からはい出した後のことだった。

 どうして、こんな。

 辺りを見回せば、去っていく後ろ姿がひとつ。紅の長い髪。小さなその姿は追いかけるにも声をかけるにも遠すぎることを僕に教えてくれた。


「そうだ、母さんは……っ!?」


 だから、僕は自力で母を助けようとした。

 動かせそうな瓦礫をどけながら母の姿を探す。すると、大きな瓦礫の下から腕が一本伸びていた。良かった。両手で掴んで引っ張り、母さんを引きずりだそうとすると、

 ずるり。

 千切れた腕だけが煤けた地面に転がり、栓が引き抜かれたかのように真っ赤な血が地面へと広がり始めた。


「あ、あ」


 切断面の向こうに見えた胴体は潰れて原形を留めていなかった。


「あああああああああああぁぁぁぁぁっっ────!?」


 思い出したくもないのに覚えている、僕の地獄だ。



   ◇    ◇    ◇



 校門を抜けると空気が変わったように感じた。

 門に張られた結界は魔法使い程度の魔力がないと通れない。ここでは魔法の能力が全て。使用人や連絡役はともかく、生徒の全てが女子で占められた男子禁制の園。空気どころか世界が違うと言っても過言じゃない。

 学園に入学した生徒は平民でも貴族でも平等に扱われる。

 平民にとってはまさに夢の場所。入学しただけでも快挙であり、卒業できれば将来はほぼ安泰。

 真っすぐに伸びる並木道は綺麗に整備されていて平民街とはまるで別世界だし、汚れ一つない制服を身に着けた案内役の上級生は僕や他の受験生よりもはるかに大人に見えた。


「入学試験の受験者はこっちに進んでください」


 並木道の先には広場があり、そこに小さな人だかりができている。

 机の上に水晶玉がひとつ。教師らしき人物が数名立っていて、受験生は一人ずつ前に進み出て水晶玉に手を触れている。

 どうやら輝きの量で判定されているらしい。

 合格した者は左へ。不合格だった者は右へ振り分けられて別の門から家に帰されるようだ。笑顔の者と肩を落とす者で見事に明暗が分かれている。順番待ちをする者も否応なく緊張を強いられ、不安げな表情を見せる者も多かった。

 そんな中。

 さっき僕に話しかけてきた令嬢の番が来た。紅色の髪が嫌な記憶を思い起こさせるうえ、あまり性格も良いとは言えなさそうだったが、彼女が触れた水晶は遠くからでもはっきりわかるほど強く輝いた。


「おめでとうございます、一級での合格です」

「まあ、当然ですわね」


 合格者は魔力量に応じて一級から五級に格付けされる。ほんの一握りの一級は間違いなく羨望の的だ。

 この結果を受けた令嬢は「当然」といった表情で歩いていく。


「さすが、学園長の娘」


 誰かの呟きになるほど、と思った。

 それからしばらくして順番が回ってきた。僕は水晶玉の前まで進み出て、教師に尋ねる。


「これって触らないとだめなんですか?」


 教師は不思議そうに瞬きをしてから淡々と答えた。


「魔力放出を覚えているのならそれでも構いません」

「じゃあ、そうします」


 嵌めていた手袋を外して右手をかざした。

 魔力持ちにとって魔力とはそこにあるのが当然のもの。はっきり知覚して操作できるようになるには訓練がいるけれど、一度覚えてしまえば放出自体は難しくない。

 僕の魔力を受けた水晶玉が輝き、中央に魔法文字が浮かぶ。僕にはなんと書いてあるか読めないけれど、教師の反応は縦の首肯だった。


「五級で合格です」


 受かった。

 ギリギリでも合格は合格だ。肩の荷が下りたようにがくっと身体が重くなる。その場に座りこみたくなるのを堪えて顔を上げる。


「貴女の名前は?」

「クリスです。姓はありません」

「そうですか。では、クリス。最下級とはいえ合格は合格です。誇り高き魔女学園の一員となった以上、その名に恥じない振る舞いを心がけなさい」

「はい。ありがとうございました」


 僕の名前が名簿に記載されるのを確認しながら、不合格者の右ではなく合格者の左へ。

 記録係とは別の教師が腕に白いリボンを巻きつけてくれる。色が等級を表していて、さっきの令嬢がもらったのは黒いリボンだった。

 背中からいくつもの視線。


「平民のくせに」


 例年、平民の合格者は全体の約二割。国民の人口比で言えば平民の方がずっと多いのだから貴族側が圧倒的有利なのだけれど、それでも全ての女性貴族が合格するわけじゃない。平民にもかかわらず合格する者は貴族からは妬みや蔑みの対象になるらしい。

 これがそうか、と、心の中で思いながら、僕はなんの反応も示さなかった。

 下手になにかを言えば余計に反感を買うだけ。別に一般の貴族に恨みはない。あるとすれば、たった一人の女だけ。


 かつて見た紅を脳裏に思い描きながら進んでいくと、視界の端に銀の輝きが映った。


「あの、大丈夫ですか?」


 道の端で一人の女の子が蹲っていた。制服じゃないので受験生だろう。しゃがんで声をかけると、身体の影になって見えづらい位置に黒いリボンが見えた。

 一級合格者。

 あの令嬢の着ていたドレスに比べると動きやすく常識的な格好ではあるものの、身に着けている服もよく見ると上等なもの。月光を思わせる銀髪も明るくなり始めた夜空のような瞳も美しく、ろくに日に当たったことすらないのでは、と思えるほど白い肌には思わず見惚れてしまった。

 彼女は僕の声に少しだけ視線を向けて「大丈夫です」とか細く答えた。


「いつものことですので、どうかわたくしのことはお気になさらず。先に行ってくださいませ」

「そういうわけにはいかないよ」


 案内役の上級生の近くなら助けてもらえただろうに、ちょうど中間地点でどちらからも少し離れている。あるいは黒いリボンがもっと見やすい位置にあれば。要領が悪いというか運が悪いというか。平民の世界なら「鈍くさい」と笑われ、下手すればいいカモにされかねないタイプの子だ。

 だからこそ、放っておけない。

 僕だってある日突然、わけもわからず母親を失った身だ。運の悪さには自信がある。こうしている間にも他の合格者は僕たちを無視して先に進んでいる。放っておいても誰かが助けてくれる、とはいかなさそうだ。

 とにかく熱を測ろうと彼女の額に触れて、


「熱……っ!?」


 人の体温とは思えない温度に思わず手を離してしまった。


「これ、放っておいていい熱さじゃないよ。本当なら絶対安静だって」

「大丈夫、です。いつものことなので……。それに、少しだけ楽になりましたので」


 とても大丈夫そうには見えないものの、楽になったというのは本当らしい。顔を上げる程度の元気を見せた彼女の手を「じゃあ」と取って。


「せめてそこまで歩こう。ほら」


 もう片方の手で背中を支えながら近くに設置された屋外椅子まで導いた。

 貴族並の生活という話は伊達じゃない。屋外に綺麗な椅子がいくつも設置されているのだから。平民街ならこんなの三日で汚れてしまうのに椅子は新品のようにぴかぴかだった。

 椅子に座ると彼女は「ありがとうございます」と控えめな微笑みを浮かべた。


「本当に楽になりました。……あの、ですが、手を」

「っ。ご、ごめん!」


 水晶玉に手をかざした時に手袋を外したままになっていた。滑らかで白い手のひらに素手で触れる形になっていたことに申し訳なくなる。


「貴族の女の子は簡単に人に触られちゃいけないんだよね。ごめん。本当に」

「いえ、そんな。元はと言えばわたくしのせいですし……。殿方に触れられたわけでもありませんので」

「そっか」


 微笑みを返しながらも胸がちくりと痛んだ。僕はこれでも一応、その『殿方』にあたる。不法に侵入したわけじゃない。ただ、女の子の格好をして目立たないようにしているのも事実。

 いっそ打ち明けてしまいたい衝動にかられながらも、なんとかそれを我慢して──。

 ふう、と、彼女が隣で息を吐く。


「本当に楽になりました。……もしや、あなたの『手当て』のおかげなのでしょうか」

「まさか。僕は魔法は使えないんだ。できるのは初歩的な魔力放出だけ」

「では、優しいお心のせいかもしれませんね」


 丁寧かつ柔らかい口調。所作の一つ一つが「深窓の令嬢」といった感じで絵になっている。峠は越えたのか、彼女は立って「参りましょう」と僕を誘った。


「わたくしはオリアーヌと申します。あなたは?」

「僕はクリス。姓はないんだ」

「そうですか。では、クリス様とお呼びしますね」

「様だなんて。平民だし、呼び捨ててくれれば」

「そうは参りません。助けてくださった恩人の方ですし、この学園に身分の差はありません。それに、わたくしも家名は持ち合わせておりませんので」

「え、それって──」


 貴族と平民を分ける一番わかりやすい差は姓の有無だ。家名を名乗れるのは貴族だけ。

 オリアーヌの言葉の意味を確認しようとした僕は、彼女の「あれですね」という声に意識を散らされた。ホールの入り口をくぐると合格者たちが広い空間でいくつかのグループを作っていた。ある程度の人数が集まった後、今後のことについて話があるらしい。


「リボンの色で分かれているみたいだね」


 それじゃあ、と言って離れようとすると、


「待ってください」


 服の裾を引かれて呼び留められた。オリアーヌが懇願するような上目遣いで僕を見て、


「案内があるまで、一緒にいてはいただけませんか? 必ずリボンの色で分かれなければならないわけではないようですし……」

「う、うん。いいけど」

「ありがとうございます」


 結局、隅のほうで一緒にいることになってしまった。新しく来た人間を確認しているのかいくつかの視線が送られてきて、不審そうな反応が起こる。けれどオリアーヌはあまり気にしていないのか笑顔のままで、


「知己の方がいないものですから、一人では心細かったのです」

「そ、そうなんだ」


 大丈夫なんだろうか。

 僕のほうはどうせ「平民のくせに」って言われるんだろうし別にいいけれど、彼女はその平民と仲良くしていることになる。一級の魔力と言えばそれだけで嫉妬を集めるはずで、


「あら。栄えある黒のリボンを身に着けながらそんな平民と行動を共にするなんて、貴女、学園の生徒としての自覚が足りないんじゃなくて?」


 案の定と言うべきか。

 よりにもよって、例の気の強そうな令嬢が僕たちへ難癖をつけてきた。

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