間章1
コックピット内は狭くても、快適だった。シートはゲル材で背に馴染んで、少しの揺れも無い。外に重酸性雨が吹き付ける地上三百メートル、凍える風の中でも、室内気温は二十一度だ。例え砂漠に墜落しようが、ニューヨコハマ市民の大半よりいい暮らしができる。
最も、エアカーの墜落事故は皆無だ。企業と、僕たち警察にのみ許された空域で、地上渋滞を尻目に悠々と空を飛ぶ。操縦は全て自動制御、どんなビルの谷間も抜けられる。車という文明が力の象徴なら、これはその究極系だろう。死ねば誰もが土に還る、飛ぶことはその反対だ。
けれど、快適なだけだ。
暖かな明かりの窓からは、暗い外は何も見えない。自動制御で、運転する余地もない。ただ低い天井を見上げて、備え付けのスマート・タブレットを、眼球運動で操作する。これは空飛ぶ棺桶だ、退屈は人を殺せる。
そんなエアカーが、目的地に着いたらしい、少しずつ降りていく。何が待っていようと、このコクピットで死ぬよりはマシだ。
たとえそれが、面倒な――――厄介で、本当に面倒な仕事でも。
地上に停車する。回転灯を点けドアを開けると、一面の土砂降りだった。防水コートを羽織り、懐中電灯で正面を照らす。
通報通り、死体があった。頭部が粉々に破壊されて、記憶素子一つ残らず、明らかに死んでいる。アンドロイド――――法律上は「死体」だ――――それもセクサロイドだ。重酸性雨に表層が剥げていても、人工シリコンを見ればわかる。それも局部のアタッチメントポートは両性、或いは無性タイプの特徴だ。
ありふれた、見慣れた死体だった。安物だ、ボディのほとんどは見せかけの空っぽで、か細いフレームに駆動系や電子系が張り付く。パーツ一つをとってもガラクタ同然で、死ねば合成酒一杯分の価値もない。
つまり、いないのと同じだ。ニューヨコハマ市警が調べるのは、金になることだけだ。企業が関わっていなければ、事件は事件にもならない。死体の九割はデーターベースにも登録されず、
不法投棄に困る善良な市民のため、エアカーで回収して回る。それが警察の仕事だ。
でも、この刑事には違うらしい。
死体の傍に防水コートでしゃがむのは、一人の老刑事だった。手袋で死体のフレームを開いて、懐中電灯を当てている。僕を近づかせず、回収もさせてくれない。
かといって、僕に指示を出すわけでもない。耐えかねて、僕の方から口を開いた。
「小遣い稼ぎですか」
「いや」
「早いとこ捨てちゃいましょうよ。売れませんよ、こんなガラクタ」
「だからだ」
「だから?」
「殺される価値のないやつが、なぜ殺された」
死体をもう一度見る。頭こそ粉々でも、それ以外は無事だ。少なくとも、セクサロイドと一目でわかる程度に。持ち出された物は無い、粉々の欠片さえ、その場に散乱するだけだ。
「部品を売るためじゃない」
「安物ですし」
「記憶媒体まで破壊したなら、クレジットデータも取り出せない。こいつが、黄金か宝石でも持っていたなら別だが」
「金のためじゃないって言いたいんですか。ならどこかの幻覚中毒者が、ピンクのイルカと間違えたんでしょ」
刑事は返事の代わりに、死体の頭を指した。破片は、潰れたスイカのように飛び散っている。
「これだけの破壊を一撃だ。確実に殺すためだけの、極めて強い意志を持った殺人。幻覚中毒者ではあり得ない」
「奇妙ですね」
「奇妙だ」
「で、それが何だって言うんです。安物で、身元不明で、死んでるセクサロイドが」
「俺は知りたいね」
刑事は立ち上がり、僕に死体を運ぶよう命じた。行く先は回収業者でなく、僕らのオフィスだ。
厄介で、実に面倒だ。けれどこの刑事には、大切なことらしい。
実在さえ不確かなもの――――個人を証明する
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