私の心の怪物は

香屋ユウリ

プロローグ

「痛っ」


 背中に突然きたドンという衝撃に、俺は顔をしかめる。

 目を開くと、見慣れた白色の天井が視界に映る。

 重い瞼を開くと、横で仁王立ちして俺の布団を持っている姉がいるのに気付く。


蒼弥そうや、朝。私が起こしに来る前には起きてろっていつも言ってるでしょ」

「んぁ……」

「7時20分。寝ぼけてると高校遅刻するわよ」

「えっ」


 俺は姉の言葉で一気に目が覚める。慌てて起き上がり時計を見ると、長針はすでに23分を指していた。HRは8時から。


「げっ……。なんで起こしてくれなかったんだよ!」

「自分で起きろっつってんでしょ」


 軽くデコピンをお見舞いされた。


 ★


「何とか間に合った……」


 チャイムと同時に、俺は教室の1番左の後ろ席に着く。外は真夏の太陽が照り付ける猛暑で、汗がじんわりと制服の白ワイシャツに滲んでいる。

 ワイシャツをパタパタと仰ぎつつ、話の長いバーコード(俺は親しみを込めて担任をバーコードと呼んでいる)の話を頬杖をつきながらぼんやりと聞き流す。


「───、──」


 俺は窓の外側に目を向ける。

 無機質な屋根の一軒家が立ち並ぶ街並み。真夏の入道雲が、そこから空へ深く突き刺さるように伸びていて、上部が平らに潰れていた。

 あれ、こういう雲なんて言うんだっけ。えーと、確か。


「かなとこぐも」


 口にしたのは俺ではない。前の席に座る別の生徒だ。


美桜みおかさん。どうしましたか」


 視線を窓の外から前の席へと移す。

 クラスの中で、1人だけ異彩を放つ美しい赤色の髪。いや、灰桜色と言った方が良いだろうか。少し開いた窓から吹き込むそよ風が、その美しい髪をゆらゆらと揺らしている。視線は先程の俺と同じように外に向けられていた。


「……何か言いました?」


 彼女は平坦な声で、さも興味がなさそうな感じで返答する。バーコードは少し困ったような苦笑いを浮かべ「人が話している時は、そちらに集中してくださいね」と軽く注意してから、話を再開する。

 だが彼女は何事も無かったかのように、再び窓の外に視線を戻した。

 彼女の名は「美桜綾音みおかあやね」。160cmという女子にしては気持ち高めの身長と、制服の上からでも分かるようなスタイルの良さ。モデルのように顔が整っている上、何よりその涼し気な表情も相まってか男子には孤高のアイスドールと密かに呼ばれている。

 もっとも、告白しに行った奴らは全員撃沈したらしいが。


「───では、HRを終わりにしましょうか。クラス委員。挨拶を」


 気をつけ、礼


 この掛け声で、何となく重くなっていたクラスの空気が緩んだような気がした。


 ★


 授業が全て終わり、放課後。フライングを決めたヒグラシが学校の終わりを告げるかのようにどこかで鳴き始めた。

 体育館からかすかに聞こえるバスケットボールの音を聞きながら、階段をゆっくりと降り、下駄箱の前に来る。上履きを脱ぎ、靴を取り出す。

 そして足を入れてから、トントン、と履き心地を整えたところで、グイ、と袖を引っ張られた。振り向くと相変わらず無表情なクラスメイト、というか俺の前の席の人──美桜綾音が立っていた。


「ごめん、待った?」

「いや、今来たとこ」

「なら良かった」


 彼女はほっとしたようにそう言うと、上履きを脱いで、靴に履き替えた。


「暑いね」

「飲み物でも買う?」

「ん、そうする」


 以前の俺は、このように彼女と話す機会はなかった。

 でも、今は訳あって彼女と共に行動をしている。それは、の頼みでもあるから。1か月前のあの日以来、その人は俺の前から去ってしまったけれど……でも、またすぐ会えると思う。


 俺がの秘密を知ったのは7月、満月の夜だった。









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