第三十五話 盃

 ストーリーに関わるキャラクター達が死亡するのは、オンラインRPGにおける悲劇的なシナリオの典型例だろう。

 だが、様々な演出の妙により彩られたそれは、彼等の死をバネにプレイヤーの闘志をより掻き立てゲームに熱中させるためのものであって、本気で悲しませ落ち込ませるためのものではない。


 ~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~



         §      §      §



「すまぬみんな、全てはわしの判断ミスじゃ……」


 御者台のべべ王が俺達に話しかけた。いつものべべ王の、その場限りのいい加減な謝罪ではない。口調からして、普段とはまるで違っている。

 村を襲った仇を追い、今俺達の馬車は夜道を駆けている。街を出発した時は賑やかだった荷台には、段の買った酒樽とマーサさんに頼まれた薬草の袋の山しか残っていなかった。


「……わしがもっと用心しておれば、あのような事は……、わしがクランマスターとして判断を誤ったのじゃ……」


「仕方ないですよべべ王さん」


 ポツリポツリと話すべべ王の言葉を遮るように、東風さんが口を挟んだ。いつも遠慮しがちに口を開く東風さんには珍しい事だ。


「私達だって、そんな事は予想できなかったのですから」


 確かに東風さんの言う通りだ。ブライ村長ですら村の危機に勘づいていなかったのだから、異世界の常識しか持たないべべ王達が気づかないのは無理のない話だ。

 むしろこのパーティで責任があるとすれば、それはこの俺だけだろう。この世界で生きてきた俺こそが、この事態を一番警戒できた筈なのだから。

 そして情けない事に、べべ王が”自分の責任だ”と口にしてくれて俺は少し安心していた。べべ王が俺の肩から責任を除けてくれた……そんな気すらしていた。


「ルルタニアでも、戦いの中でNPC達が死ぬ事があったのを覚えているか……?」


 東風さんが口を閉じて暫く後に、今度はぼそりとイザネが口を開く。イザネは暗い荷台の上で、俺の上着を羽織ったまま膝を抱えてうつむいていた。


「あいつらが居なくなった時も寂しかったけど、けれど何かをやり遂げてから死んでいったよなあいつらは……。成功した奴も失敗した奴も居たけど、NPC達はみんな何か役割を果たそうとして、やろうとした事の意味だけでも遺して死んでいった。

 だから俺も、死ぬっていうのはそういうもんだと思ってたんだ。

 なのに、そんな素振りはまるでなかったのに……、たった一日半留守にしただけで……みんな……みんな……こんなの……こんなのって……」


 そこから先は言葉にすらならなかった。馬車の中には、イザネのすすり泣く声だけが響いている。

 俺はなんとかイザネを励ましたかったが、身体に力が入らない。ひたすら気だるく、なにもやる気が起きない。


(疲れた……)


 もうそれしか考えられずに、俺は荷台のホロに寄りかかり、ただ宙を眺めていた。

 これから皆の敵討ちをしなければならないのは分かっている。けれど、今は……せめて目的地に馬車が着くまでは、このまま何もせずに休んでいたかった。


バシャッツ!


 顔も動かさず目玉だけで水音がしたの方に視線を移すと、段が馬車の外に自分の水筒の中身をぶちまけていた。

 段はそのまま酒樽の前に座り込む。

 背中をこちらに向けているため何をしているのかは見えなかったが、樽の蓋を開ける音と立ち込める酒の香りで、段が水筒に酒を汲んでいるのは辛うじてわかる。


「飲め!」


 段はイザネに酒の香る水筒を差し出すが、イザネは顔を伏せたまま膝を抱える腕に力を入れた。


「いらねぇよ……」


 イザネがそれを言い終わらない内に、段はイザネの頬を片手で鷲掴みにして持ち上げていた。


「飲め」


 段はそのまま強引に水筒をイザネの口に押し付け、酒を流し込む。


「ガフッ……何をしやがる!」


 イザネは咄嗟に水筒を振り払い、段の手から逃れる。そして涙ぐんだ眼で段を睨みつけようとしたのだが……。


「ゴホッ……ゴホゴホッ」


 酒が少し気管に入ってしまったのだろう。イザネは咳き込んで、飲んだ酒の一部を荷台の床に吐き出した。


「少しはいつもの調子が戻ったじゃねぇか」


 段は満足そうにそう言うと、今度は御者台の方を向く。


「次はジジイ! テメーの番だ!」


 ドカドカと歩いて段は、手綱を握るべべ王の元へと向かう。


「飲めよジジイ! それでさっき吐いた弱音は聞かなかった事にしてやる」


 べべ王は手綱を握ったまま黙って顔を傾け、段が頬に押し付ける水筒に口を付けた。


「美味い酒じゃな」


「一番高いのを買ったからな」


 段はすぐに、御者台からこちらに戻って来た。


「カイル、お前もだ」


 段が俺に向かって水筒を突き付ける。


「なんで俺が……」


「鏡があったら見せてやりたいぜ、おまえ今ひでぇ面してるぜ」


 俺は思わず自分の顔に手を伸ばしたが、それを押しのけるように水筒が迫る。


「いいから飲めよ」


 逆らう気力もなく、俺は水筒に口を付けた。

 なるほど確かにいい酒なのだろう。抵抗なく喉を通過していくが、俺にはそれを味わう余裕もなかった。


「なんだよ、リアクションがやけに薄いな。少しはマシになったか?」


 段が水筒を俺から離すと共に、伸びた髪が口の中に入ってきた。


(そういえば、そろそろ伸びた髪を切り揃えようと思っていたのに、祭りの準備を手伝うのに忙しかったもんから、後回しにしていたんだっけ)


 空っぽの腹の中で熱を放つ酒の勢いを借り、俺は身体を動かし始める。


(このままでは邪魔くさいな)


 俺はカバンの中から細い縄を取り出し、髪の毛を後頭部で縛った。たったそれだけの事だったが、しかしそれだけでもいくらか気合が入ったように感じる。


「東風、次はお前の番だ」


 既に段は、東風さんに水筒を押し付けようとしていた。


「お酒の臭いが付くと、忍び込むのに不利なんですがねぇ……」


「一口だけでいい」


 口ではあまり乗り気でなかったが、東風さんは受け取った水筒を勢いよく傾けて酒を喉に流し込んだ。


「酒の臭いが付くとまずいんじゃなかったのかよ?」


「今は飲みたい気分だったんですよ」


 東風さんはそう言いながら段に水筒を返す。


「珍しく気が合うな東風。俺様も今、そんな気分だ」


 段は水筒を口につけたまま逆さにして、残った酒を全てを胃に流そうとする。暫くの間ゴクゴクと段の喉を酒の通過する音が聞こえ、そしてじきに止んだ。


「俺達がこれからするクエストは、万が一にも失敗は許されねぇんだ! 気合入れて行こうぜ!」


 酒を飲み干した段が、俺達に向かって叫ぶ。

 が、段自身も自分を奮い立たせたかったのだろう。それは狭いホロで張り上げるには、あまりにも大き過ぎる声だった。



         *      *      *



「また、随分とでかい目印を用意したものじゃの。ハハハハハ」


 手綱を持つべべ王が笑う。

 ホロの隙間から街道を覗くと、道の脇に人くらいの大きさのでかい岩がゴロンと転がっていた。


「暗い夜道でも見逃さない目印を、と思いましたので……」


 確かに、あれなら見逃しようはない。

 暗くてハッキリとはわからないが、どうやらここは昨日オーク達を退治した場所の近くのようだ。

 べべ王は岩の隣に馬車を止め、俺達は東風さんを先頭に馬車の荷台から降り始める。


バサ……


 荷台を離れた俺の足が地面に着くと同時に、頭にイザネに貸していた上着が被せられていた。


「いいのかよ?」


 俺は頭の上着をどけながら、振り向きざまにそれを被せたイザネに問う。イザネは初めて会った時と同じ半裸の恰好で、俺に続いて馬車から降りるところだった。


「ああ、もう大丈夫だ。それにさっき飲んだ酒を覚ますにも、こっちの方がいい」


 イザネは段の方を横目で睨んでいる。


「ならいいけど」


 俺は受け取った上着に素早く袖を通す。しかし今は良かったとしても、いずれイザネが着る服をどこかで調達する必要はあるだろう。


「ありがとうなカイル。その髪型似合ってるぜ」


 後ろ頭で結わえた俺の髪を、イザネは指で弾いた。


「さ、こちらです。案内いたします」


 べべ王が馬車を近くの木に繋ぐのを待ってから、東風さんは森へ入っていく。

 東風さんの話では、街道から森に入って暫く行った所に盗賊達のアジトがあったという。明かりが漏れないよう、黒い板で細工したランプで足元を照らし、俺達は森の中を歩く。


(バカな! なんだこれは?!)


 その時俺は、心底呆れていた。盗賊がアジトを構えるのなら、街道から離れたもっと目立たぬ位置にあると思い込んでいたのに、小一時間も歩かぬ内に到着していたのだから。

 そして更に呆れた事に、それは木を組んで作られた即席の砦だった。柵に囲まれた大きな建物と、高い見張り台。盗賊達のアジトというには、周囲から目だって仕方がない。まるで見つけてくれとでも、言わんばかりだ。

 街道から小一時間足らずでたどり着ける位置に、堂々と盗賊達がアジトを築いていたとでもいうのだろうか? いや、足元の暗い夜でなければ、その半分程度の時間で辿り着けたはずだ。いくら軍費に余裕がないとしても、領主の怠慢は明らかだった。


「あの中に武装した男達が五十人前後詰めています」


 東風さんの言葉は、またしても俺に衝撃を与えた。

 中隊にも迫ろうかという数の男たちが街の近くに砦を築いていたというのに、なぜ領主にバレなかったのだろう? もしこの男達が敵国の兵であったなら、この国の重要都市近くにまんまと前線基地を築かれ、しかもそれにまるで気づかなかったという事になる。

 俺の中にある、自分の生まれ育った国イラリアスに対する信頼がひっくり返されたような感覚に襲われ、眩暈(めまい)すら起こしそうな気分だった。

 もしこれ程の武装した男たちが砦に籠っていたのなら、難なくオークを撃退する事もできたろう。


「夜襲を仕掛けようと思っていたが、やけに騒がしいのぉ」


 べべ王は砦に向かって手をかざし、目を細めている。真夜中にも関わらず砦には明かりが煌々と灯り、時折歓声すら聞こえてくる。

 前を歩いていた東風さんは、砦を睨んで一瞬歩みを止めた。


「奴等……村から奪った食べ物と酒で、ファルワナの祭りを祝っているんですよ……」


ドスッ


 音のした方を見ると、段の持つ杖が地面にめり込んでいた。


「ここでいいでしょう」


 東風さんはその大きな身を隠せるような大木を背にして座り、皆も東風さんを起点に円を描くように腰を下ろした。


「先ほど調べた所、あのアジトには2つの門があります。1つはここからも見えるあの大きい門……」


 東風さんの指す方を見ると、柵に背の高い門があるのが見えた。

 門のすぐ後ろの見張り台には弓兵が居るようだが、祭りに浮かれているのか見張りは極めて雑に行っている様子だ。


「……そしてここからは見えませんが、アジトの裏に回ったところに小さな脱出口と思われる門があります。

 もう1つの門へ続く通路は少なく、またどれも狭いので私が先に潜入して火薬で塞いでしまいましょう。そうすれば奴等は逃げ道を失い、袋のネズミとなりますから」


「なるほど。じゃが、裏口にも見張りぐらいおるのではないか?」


「ええ、ですから最低一人は裏に回って、逃げる敵を討つ必要があります」


「ふむ」


 東風さんの話を一通り聞きいたべべ王は、顎に手を当て少し考え込む。


「カイル、裏口を任せて良いか?」


 みんなの視線が俺に集まる。


「俺一人でかよ?」


「裏口の見張りは僅かです。カイルさん一人に任せても問題はありません」


 正直、みんなと別れて一人で裏口に行くのは抵抗があった。心細いというか、仲間外れにされたような気がしたのだ。


「そうしてくれ、カイル。

 今回俺達は全力を出してで戦うつもりだが、FF(フレンドリファイア)のあるこの世界で本気で戦うのは初めてだ。

 ぶっつけ本番でお前が近くいたら、巻き込んでしまうかもしれない」


「…………」


 イザネの言う事に、俺は反論しなかった。この四人が本気を出したらどうなるのか、今の俺には予想すらできないのだから。


「わかったよ」


 俺がその提案を飲むのをみて、べべ王は大きく頷いてみせた。


「ワシ等は東ちゃんの通路爆破を確認してからあの門に突入する事としよう。あやつ等のボスがどこにいるかは把握しておるか?」


「いえ、そこまでは。

 ですが、広い建物ではありませんし探すのは容易いでしょう。爆破前に探しておきます」


「ならば東ちゃん、爆破が終わったらワシ等が到着するまで間、そ奴が逃げぬよう足止めしておいてくれるか?」


「心得ました」


 作戦は決した。皆が同時に腰を上げる。


「じゃあ、行って来るよ」


 俺が砦の裏門に向かうと、段の声が後ろから聞こえてきた。


「おまえを信用して裏口を任せるんだ! 一人も逃すんじゃねーぞ!」


 俺は親指を立てて、それに答えながら歩みを再開した。


(まったく、あんな大声で言う事はないじゃないか。見つかったらどうしようとか、考えないんだなアイツは……)


 そう思うと俺は、自然と微笑んでいた。こんな時だと言うのに、まったくどうして笑みがもれるのか、と自分で自分に呆れながら。



         *      *      *



 東風さんの言ったとおり、砦の裏に回るとそこには小さな門があった。

 目立たぬ作りになっており、また森にすぐ逃げ込める位置である事から、いざという時に備え脱出用に作った物だと一目で分かる。


(逃げ込む筈の森の中から狙撃されたら、奴等慌てるだろうな)


 俺は裏門の正面方向を目指し、森の中を進む。幸い裏門には見張り台もなく、敵に見つかる心配はほぼ皆無だ。

 俺は門を狙いやすい茂みを、じっくりと時間をかけて吟味する。


(さてと)


 ようやく選んだ茂みの中に入った俺はランプを消し、マジックアローを生成しながら門を睨む。


(これから人を殺そうっていうのに、随分と落ち着いているな俺は)


 冒険者の仕事の中には、盗賊や賞金首を殺す依頼も含まれる。俺も冒険者を続けるのなら、いつかは人を殺す経験をするのだろうと考えていたが、存外それが早く来てしまったという訳だ。

 敵と距離を保てる後衛クラスであった事は、俺にとって幸運だった。敵に近寄らねばならない近接クラスであったなら、人を殺すのにもっと抵抗があったのだろうから。


(東風さんはまだだろうか?)


 あの人に限って仕損じはないと思うが、一人で待つとどうしても不安になる。


(せめておおよその作戦開始時間くらい、打ち合わせておけばよかった)


 焦る気持ちを抑えようとすればするほど、余計に焦りが大きくなるような……。気が付くと俺は、心の中で同じ言葉を繰り返していた。


(まだか、、まだか、まだか、まだか、まだかまだかま……)


ズドッ! スドドォォン!


 突然あたりに爆音が鳴り響き、砦の数か所から煙が立ち上る。

 爆発した箇所の1つを見ると、崩れた壁の破片が柵と建物の間を塞いでいるのが見えた。あれでは内側から柵伝いに移動し、裏門へ辿り着く事もできまい。

 恐らく東風さんは、今の連続爆破で他の通路も同時に塞いでしまったのだろう。想像以上の手際の良さだ。


ドゴオォォォ! ズガアアァァァァッ!


 続いて正面の門の方で爆音が上がり、まるで雨の様な落雷が見張り台を粉々に砕いている。火の付いた見張り台の破片が飛び散り、容赦なく砦に降り注がれていく様を俺は思わず見上げてしまっていた。

 べべ王達三人が動いたのだ。

 砦の中から悲鳴や叫び声が次々と上がり、俺の眼前で勢いよく裏門が開け放たれた。四人の鎧を着た男が這う這うの体で、俺が待ち構えているとも知らずに森へ逃れようとしている。


(逃すかよ……)


 俺は即座にサンダーアローを生成すると、先頭の男に向かって魔導弓で放つ。


シュ……ズガガガガァァ


※ 挿絵

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16818093085778081501


 男は森に入る事もできず、その場で黒焦げになって崩れ落ちる。

 初めて人を殺したのに、俺は不思議と何も感じていなかった。村でみんなが殺されていた時に味わった、自分の中で感情が麻痺していくあの感覚は決して気のせいではなかったのだ。今の俺は、何か人として大切なものが機能していない。


(それもこれも、こいつ等のせいか……)


 次の男はもう森に入っている。火事を起こさないように、俺はアイスアローを生成する。


「なんだテメーは!」


「よくも仲間を!」


 裏門から出て来た男達は二手に別れていた。一人は俺の姿を見るや慌てて逃げ出し、二人は俺を殺そうと抜刀して突撃してくる。


(先にこっちを始末しておくか)


シュン……カキィィーーッ……


 俺はアイスアローを逃げ出した男に放ち、氷漬けにする。男を覆った氷はパキパキと音を立てて、周囲の森までもたちまちに冷やしていく。

 あの様子では、一瞬で体温を奪われ即死だろう。


「野郎ッ!」


 当初の目論見どおり接近戦はやりたくなかったが、十中八九この人数相手ではそれが叶わぬだろうと覚悟はできていた。


カンッ! ズブゥゥッ!


 俺は斬りかかってきた男の刀を魔導弓で弾き、そしてそのままその槍のような先端をその腹に突き刺した。魔導弓は男の鎧ごと腹を貫き、嫌な感覚を俺の手に伝える。


(これだから接近戦はやりたくなかったんだ……)


「ゴフッ!」


 血を吐く男を、俺は魔導弓に力を込めてそのまま持ち上げた。男の足が地面を求めてバタバタとあがく。


「であぁぁぁっ!」


ドガッ


 俺は串刺しにした男を、そのまま最後の一人に叩きつけた。


「ガハッ!」


 串刺しになった男は断末魔の叫びを上げながら魔導弓から抜け落ち、その勢いのまま悲鳴を上げる仲間の上にのしかかった。


「ひいぃぃぃ……ハグァッ」


 俺は下敷きになった男の喉に魔導弓を突き立て、盗賊らしき四人を全滅させた。


(そろそろ時間切れかな?)


 俺のももで鈍い光を放つアタックアローは、まだ俺に筋力増強の魔力を付与してくれているが、その輝きは淡く変化し消えつつある。

 俺はすぐさま宙に魔文字を刻み、新しいアタックアローを作り出した。次に裏門をくぐる逃亡者に備えるために。



         ◇      ◇      ◇



「ゴータルート? 確かリラルルとかいう村にいる筈じゃなかったのかい?」


 砦の一室で盗賊風の男が手をかざす水晶玉から、若い男の声が聞こえる。声がする度にこの水晶玉が明滅している事から、遠くから音を届けるマジックアイテムと考えて間違いはないだろう。


「リラルルの村は既にもぬけの殻でした。どうやらゴータルートの街で冒険者登録し、荒稼ぎをするつもりのようです。

 考えてみれば、あんな貧乏な村に留まる理由なんてどこにもありませんしね。ま、あの村も食料調達には手頃でしたし、丁度よかったですよ俺達には」


「食料調達? 何かしたのかベン?!」


「サワダさん、俺達は盗賊ですよ。それに俺だって、部下達を食わせていかなければならないんです」


 水晶玉の声にベンは困ったような顔で答える。


「けど、だからといって……」


「サワダさん達のいた平和な世界と一緒にしないでくれませんか?

 ここでは騎士達だって、現地での食料調達のために略奪するのが普通なんです。盗賊の俺に、その当たり前をするなと言われても困りますぜ。

 もしこれをどうにかしたいなら、サワダさん達のような勇者様にがんばってこの世界を変えて頂かないと……俺達じゃどうにもなりませんぜ。

 そもそも俺がこんなに多くの部下をかき集める羽目になったのも、そちらが召喚位置をまるで特定できなかったのが原因なんですよ。人集めのため何度もシーフギルドに頭を下げましたし、部下を食わせる資金繰りだって尋常じゃないんです。

 ただでさえ、荒くれ揃いの盗賊集団を統率するのは難しいんですぜ」


「……すまない。でも、ベンの苦労は上にも伝えておいたよ」


「ええ、そのおかげでこの仕事が終わったらフレイガーデンのステージを上げて貰えるって聞いてるんで、それはありがたく思っていますよ。

 それに、迷子の召喚勇者の居所ももう分かったんだ。あとはサワダさん達に迎えに来て頂ければ、俺もやっとこの仕事から解放される」


「そうだね。俺達もなるべく早くそちらに向かうが、到着はいつになるか分からない。

 まだこの世界の土地勘がまるでないから、着くまでどのくらい時間が掛かるのか計算できないんだ。

 ハッキリした事は分かり次第連絡するよ」


「了解です。じゃ、今日の定時報告はこれで終わりって事で」


「ああ、直接会える日を楽しみにしているよベン」


 水晶玉から光が消え、男は椅子の背もたれに寄りかかり、疲れたように天井を見上げる。


「新米勇者様のお守りも楽じゃねーや、ふふふ」


 ベンから思わず笑みが漏れる。


「まぁいいさ、全ては俺の思い通りだ。あいつらも、すぐにこちら側の人間になる」


 ベンの前で、あのサワダという男は自身の信念を曲げ、略奪を咎めるのを途中で投げ出した。”弱者への暴力に対し、自分はどういう姿勢でいるのか”という信念を明確に曲げたのだ。それは”仕方なく容認”という形ではあったが、一度曲げた信念ならば次も曲がる。何度でも曲がる。

 徐々に曲げて曲がって、曲げられて……。


「……そして遂には、後戻りできなくなる。いつもと一緒さ」


 ベンは机の上のグラスに、トクトクと瓶から酒を注ぐ。


「それにしても、怖いくらいにツキが回ってきたものだぜ……。

 行方不明の勇者探しは想像以上に手間取っちまったが、結果的に手足のように使える俺の軍団が手に入った。

 この依頼が終わればフレイガーデン内のステージも上がるし、この軍団を使えば今までよりずっと大きな仕事もこなせる。ようやく成りあがれるんだ、スラム上がりのこの俺が! ……この俺が……」


 ベンはこれまでの余韻を噛みしめるかのように、目をつぶった。


(いつも通ってたあのボロ酒場に、部下達をひき連れて行っても面白そうだな。短期間でここまで出世した俺の姿を見たら、奴等はどんなに驚く事か……、ククククク。

 もっとも、あそこの安酒は、もう二度と飲む気になれん。たぶん水で薄めて、かさ増しでもしてたんだろう)


 村から奪った酒で満たしたグラスに、ベンは手を伸ばす。脇に置かれた酒瓶には、”父さんは呑み過ぎ注意!”と書かれたプレートが付着している。


「いい酒も手に入った事だし、念のためリラルルの村に行っておいて正解だったぜ。あの門番の小娘を殺すのは、もう少し楽しんでからの方が良かったが……」


 愉快そうに口角を上げるベンだが、彼は二つの誤算をしていた。


 一つは膨れ上がる野心と共に、自身の欲望のタガを外してしまった事。そのおかげで満足を味わっていられる時間が、加速度的に減少していた事だ。

 つい数週間前までは酒場で安酒を煽り周囲に当たり散らすような毎日だった男が、大勢の部下を従え上等な酒を楽しむ今の生活にもう飽き始めるほどの異常事態。

 それが証拠に、先ほど上がりに上がったベンの口角も、グラスを空けた今はつまらなそうに垂れ下がり始めている。

 例えこれからベンがどんなに地位を得てどんな贅沢を楽しもうが、”もっと贅沢がしたい””もっと地位が欲しい”と際限なく肥大化する欲望のある限り、手にした満足はあっという間に不満へと変わっていくだろう。他人からは如何に富を得て恵まれているように見えようとも、それは生きながら餓鬼道に落ちるも同じ事。

 自分の心を見つめなおし”足る”を知らねばどこまでも行っても本当の満足はできず、際限なく求め続け、そして苦しみ続けねばならない運命なのだが、今のベンに己を顧みる気など微塵もない。スラムに生れ落ち辛い生活を余儀なくされた分、誰より出世し、誰よりも多くの富を築かねば、もう彼の気は決して収まらないのだから。

 それが証拠に、再び酒で満たしたグラスを覗くベンの瞳からは、先ほどまで宿らせていた愉悦の光が完全に消え失せ、まるで飢えた狼のように変貌を遂げている。


 そして今一つの誤算は……


ズドッ! スドドォォン!


 彼の破滅を告げる爆音が、砦内に響き渡った。

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