凍てつきのワイルドハント

霰うたかた

第一章

1話

 青ざめた月に冷たく照らされた、広大な夜の雪原。


「■■■■■■■————ッ!!」


 その只中で、断末魔だんまつまが響く。


 熊の体つきに狼の顔つきを掛け合わせたような獣が胴を両断され、雪上に血の花が咲いた。


 大きな荷箱コンテナを背負う角ばった形態フォルムの雪上車が一台停まり、周囲を数十にも及ぶ影がうごめいている。


 そのほとんどを占めるのは、今しがた両断されたのと同類の獣——氷河期の訪れとともに現れた、冬獣ニフルスと呼ばれる生物群のうちの一種だった。


「■■■■■■■■■■■!!」

「■■■■■■ッ」

「■■■■■■■■■——————」


 獰猛な牙を剥き出しにしたその口から、獣たちは不吉な吠え声を上げた。


 みな2メートルにも及ぼうかという全身に隆々の筋骨を宿らせ、その上さらに分厚い脂肪と毛皮の鎧を纏っている。


 たった四つの人影——揃いの外套コートまとった少年少女たちの小さな勢力が、それらすべてを相手取って戦っていた。



※※※



「——っらァ!!」

「■■■■——ッ」


 短い髪を逆立たせた少年——新藤しんどう陽彦はるひこが得物を振るう。獣がまた一匹引き裂かれ、物言わぬ肉塊となって転がった。


 陽彦が握る武器それは、軸となる棒の片側に敵を切り裂く機能が付いている、という構成要素を抜き出せば片刃のつるぎといえるが、実態は大きく異なる代物だった。


 持ち手となるつかの先にはいかつい機関部が連結しており、ブルルルルッ、と唸り声をあげながら、黒ずんだ排気で雪原の澄んだ空気をけがしている。


 切断機能を担うのは薄く研がれた刃ではなく、並んで高速回転するばかでかい二つの鋼鉄円盤だ。


 古典映画の凶悪殺人者シリアルキラーでも使わないような、丸鋸剣とでも呼ぶべきその武器を、陽彦は子ども用のプラスチック玩具でも扱うように悠々と振り回す。


 新たに飛び掛かってきた獣の爪をすり抜けるようにかわして、そのまま両前肢を切断した。


「■■■■■—————ッ!!!」


 獣が痛みに吠え、けれどその目は戦意を失っていなかった。たった今切り落とされた断面にピンク色の肉芽にくが組織がうごめき、代わりの前肢をやそうとしている。


 冬獣ニフルスたちは、いくつかの特異な性質を備えている。そのうちの一つが、欠損すらも自然治癒する再生能力だった。四足での疾走に耐える出来あわせの脚ぐらいは、すぐに生え揃うだろう。

 悠長にそれを待ってやる理由は何もない。


「さっさと死ねっ」

 陽彦は踏み込み、獣の頭部に丸鋸剣を叩きつけた。

 回転盤が頭蓋を砕き、ゼリー状の脳細胞がかき混ぜられ、生命活動の停止とともに再生も止まる。


 飛沫しぶいた返り血が少し口に入ったのを、ぺっと吐き棄てた。


「□□□□□□□□——————」

 前触れなく――それまでとは異質な、言い知れない圧を伴う『こえ』が雪原に響いた。


 それを発したのは群れの奥にそびえて見える、ひときわ大きな個体だった。姿かたちのつくりはほかと大差ないものの、ちょっとした建物ぐらいの体躯があり、前腕まえうでの一本が人ひとり分ほどの質量を備えている。

 あれが群れの王か、と陽彦は直感した。


「□□□□□□□————」

 そのこえに従うように、群れの獣たちから恐怖や怯えといった感情が消え、純然たる殺意の体臭においが立ち上る。

 すぐれた嗅覚でそれを嗅ぎ取るのと同時に――陽彦は自分自身の肉体が、無意識のうちに変貌し始めていることにも気付いた。


 突き出した鼻面マズルと、頭頂近くでぴんと尖る耳を備えた顔立ち。

 みなぎる人外の膂力りょりょくに、全身を覆う漆黒の毛並み。さながら、狼男の風情ふぜい

 その姿は、相対する獣たちのものとよく似ている。陽彦の体に移植された近縁の種たる冬獣ニフルスの細胞が、眼前の脅威に反応してもたらした戦闘形態だった。


 変わったのは外見そとみだけではない。精神こころ肉体からだに引っ張られ、血の匂いが嫌でなくなる。生え変わりつつある鋭い牙で、獲物の喉もとを食いちぎりたくてたまらない。


 そんな湧き出ずる本能を、武器のつかを力強く握って抑えつけた。

 自分の武器は爪でも牙でもなく丸鋸剣こいつだし、生の肉なんか好みじゃない。

 けれど、生き残るにはこの力もまた必要だ。


 恐れを捨てた獣たちが殺到してくる。手近な鼻面に、致死の刃を叩き込んだ。獣どうしの隙間を抜け、振り向きざまに後ろから首をえぐり斬る。

 理性と獣性のどちらにも手綱を渡し切らないまま、陽彦は嵐のように命を裂き続けた。



※※※



 大口を開けて唾液をまき散らしながら、獣が迫る。

 金糸のように煌めく髪が目を惹く少女——支倉はせくら愛海あみは赤い双眸を細めてそれを見つめ、迎え入れるように両手を広げた。


 少女の華奢きゃしゃな肩を、獣の牙が容赦なくえぐる。背中に爪を突き立てて、抱き合うような姿勢を取る。

 そのまま命を食いちぎろうとする獣の眼が、鋭い衝撃に揺れた。


「■■■————ッ」

 獣の腹を、胸を、喉を、金属の杭が貫いている。それらは愛海の体の中から、肌を突き破って生えていた。

 身じろぎして杭を抜こうとするが、凶悪な逆刺かえしが展開して肉に食い込み、むしろ痛みをより強める。


「ごめんね」

 ぼそりと愛海がつぶやいた。


 体内の機械じかけが起動し、陰圧すいこみが発生する。杭に空いた幾つもの微細なあなから、瞬く間に血液・組織液が吸い上げられていく。

 急激な血圧の低下に獣の意識はかすれ、しかしその高い生命力が速やかな失血死を許さない。


「■■■■……ッ!?」

 四肢の欠損すらも補う再生能力が、失われるはしから新たな血球を造りだし、しかし体内を巡るごとに吸い取られる。

 再生の限界を迎えるまで必要以上の苦痛を味わいつくし、ほとんど乾いた肉片となって、ようやく獣はこと切れた。


「ふーっ……」

 愛海が逆刺かえしを引っ込め、杭そのものも体内に戻す。カチリ、と小気味の良い音がした。


 獣に食いつかれた肩の傷はいつの間にか痕跡すらもなく治っており、それどころか今しがた杭が内側から突き破っていた皮膚の穿孔も、みるみるうちに塞がっていく。


 冬獣ニフルスの因子をその身に宿すものが、みな同様に持つ再生能力。愛海のそれは一際ひときわ優れていて死ににくく、そのうえ吸い取った血液を、即座に再生の養分とすることができる。

 その特性が自らを餌に敵を引き寄せるような戦法や、自身の肉体ごと敵を刺し貫くような攻撃機構の組み込みを可能としていた。


「みんな、抱きしめてあげる」

 さみしげに愛海は微笑んだ。目に見えない誘引物質フェロモンが立ち上り、そうと気づかせぬまま生ける物をみな誘惑する。


 両手を広げて抱擁ハグを待つ少女に、また一匹の獣がにじり寄って、深くかぶり付いた。



※※※



 ぱん、ぱん、ぱんと続けて音が弾ける。四人へとめがけて雪原を駆ける獣たちそれぞれの胸や腹や首筋に、指先ほどの長さの針が突き刺さった。

 途端に獣たちは勢いを殺し切れぬまま体勢を崩してころげ、堆積して固くなった雪面に毛皮を擦りつける。


「——ッ、ッッ―—」

「————ッ――」

 みな転がったままぴくぴくと痙攣を繰り返すばかりで、起き上がろうともしない。 


 否、起き上がれないのだ。針を介して獣たちの身に注入された毒の威力を、蛇めいた縦長の瞳をもつ少年——宗像むなかた聖二せいじは身をもって知っている。分泌量をコントロールできなかった訓練時代に、自家中毒で何度も死にかけたものだった。


 触覚も痛覚もなく、自分の意思では指先ひとつ動かせない。手足や臓腑が急激に冷え、悲鳴を上げることさえままならないだろう。

 自分はこのまま死ぬのだという思考だけが、鈍麻することなくその身を苛む。獣たちが死の観念を人間同様に理解できるのかまでは、聖二の知るところではないが。


 数分もすれば絶命するであろうそれらから目を離し、群れの奥の巨躯——王たる個体を睨んだ。

 聖二の舌下腺から分泌された麻痺毒が、口元を覆う硝子ガラスせいマスク内の空間ポケットに溜められ、細長い管を通って手に持つ針撃ち長銃へと補充される。

 距離およそ六〇メートル。連射可能上限の八発を、一度にすべて撃ち込んだ。


「□□□□□□□□——————」

 巨獣はしかし、平然としていた。聖二の蛇眼が備える超視力と射撃の技巧をもってすれば、あれほど巨大なまとに一発たりとも外したはずがない。

 にもかかわらず硬直も痙攣もなく、不気味なこえによって群れの獣たちをけしかけ続けている。


 他の獣と種は変わらないのだから、同じ毒が効かないということはないだろう。であれば巨体に比して毒液の量が足りていないか、他よりいっそう分厚い毛皮に阻まれて針が奥まで届いていないかだ。


 このまま撃ち込み続けるか、他三人の誰かに任せるか――聖二の逡巡しゅんじゅんを、飛び出したシルエットが掻き消す。


 巨獣の規模スケールにも劣らない、大きな片翼のようなものを引きった、少女の影だった。

 その片翼はぐにゃりと歪み、拳のような形をとって、巨獣を思いきり殴りつけた。



※※※



 大質量の衝撃に、巨体が揺らぐ。

 それは翼でも拳でもなく、獣のからだで作られた継ぎ接ぎパッチワークの肉塊だった。


 少女——砂川いさかわ深雪みゆきの黒く艶やかな髪は、内側に通う極細の神経線維を弾力のあるケラチン繊維で被覆した構造をしており、自在に動作・伸縮する。

 長く伸びたその髪には、陽彦が斬り伏せ、愛海がくし刺し、聖二が射抜き、あるいは深雪自身が絞め上げた、死骸や死にかけの獣たちが絡め取られている。


 突き刺した神経線維が筋の動きを乗っ取り、あるいは髪の張力で傀儡くぐつのように引っ張って、もとから自身の一部であるかのように操っているのだ。


 陽彦が新たにひとつ斬り捨てた獣の死骸に髪の触手が伸び、捕食するかのように引き寄せた。内外に絡んだ髪によって死骸どうしが強固に連結され、肉塊がまた少し大きくなる。


 深雪は肉塊を頭上に振りかぶり、巨獣めがけて振り下ろした。衝突の勢いが巨獣の顔面を砕きながらその身を雪面に打ち付け、反作用で肉塊は再度上方へと跳ね上げられる。


「□□□□□□———————!!!」

 巨獣が吠え、それまで散っていた獣たちが一斉に深雪の方を向いた。振り上げた肉塊の操作コントロールに髪の大部分をてて無防備となった深雪を、側面から狙おうと駆け出す。その横を、狼男の影が素早くすり抜けた。


 丸鋸剣を構えた陽彦が、迫る牙を迎え撃って深雪を守る。

 ふたりを囲い、しかし荒れ狂う刃に攻めあぐねた獣たちの背後に、そっと迫った愛海がてのひらから杭を伸ばして心臓や脳天を穿った。

 聖二の毒針が、味方を害することなく敵のみを正確に射抜き、動かぬ死体予備軍を増やす。


 援護フォローを受けて自由となった深雪が、ハンマーで釘を打つかのごとく巨獣を連打した。

「□□□□□□□□——————ッ!!」

 再生を上回る速度で骨が粉砕され、内蔵が破裂し、肉が圧され――やがて巨獣は、された毛皮のように平たく潰れて絶命した。


 群れの王を失い、残った獣たちは途端とたんに恐れを取り戻して、散り散りにその場から駆けだした。

 何匹かを聖二が後ろから射抜いて仕留め、十五ほどが逃げおおせて、四人は戦闘態勢を解く。


 陽彦がみるみる人の容貌すがたを取り戻し、丸鋸剣の駆動を切って――ようやく雪原に、本来の静穏が戻った。



※※※



――数十分後。雪上車の照明ヘッドライトのもと、鋼鉄のつるはしがそこらの氷雪を掘り返す音が、真夜中の雪原にかぁん、かぁんと響いていた。


「飛び出しすぎだったろ、深雪。周りの雑魚を全部ぶっ殺してから親玉やった方が安全だったんじゃねえか?」

 つるはしを持つ手を動かしつつ、逆立った短髪の少年――新藤しんどう陽彦はるひこがそう指摘する。


「みんなが守ってくれるって、分かってた」

 屠った獣の首筋に、慣れた手つきで解体用の小刀ナイフを突き立てて毛皮を裂きながら、黒髪の少女――砂川いさかわ深雪みゆきが答えた。


「えへへ、嬉しいこと言ってくれますね」

 信頼の言葉に、金糸の髪の少女――支倉はせくら愛海あみがにっこりと笑った。獣のむくろに杭を刺し込んで、吸血しょくじを兼ねた血抜き作業をこなしていく。


「おれらがカバーしたから無事だっただけだぜ」

「分かってる。いつもありがとう」

「そうじゃなくてさあ」


 いまひとつ噛み合わない会話をする陽彦と深雪を見かねて、牛刀で肉を切り分けていた蛇の眼の少年――宗像むなかた聖二せいじはこほん、と一つ咳払いをし。

「あー、深雪。陽彦はきみが心配だから、あまり無茶をするなって言いたいんだよ」

 助け舟のつもりでそう割って入ったが、陽彦は心底嫌そうに顔をしかめた。


「は? なんで言うんだよ、恥ずいだろうが」

「恥ずかしがらなくていいだろ。仲間を心配するのは当然だ」

 ふる漫画コミックみたいに真面目くさった台詞を、聖二は平然と口にする。


「みんな分かってますよ。陽彦くんがほんとは優しいって」

 諭すような口調で愛海が言った。


「お子様だから素直になれないだけ」

 本人はふざけているつもりなのか、無表情のまま深雪が煽る。


「てめえもここに埋めたろうか、コラ」

 買い言葉を返しつつ、陽彦は勢いよくつるはしを振り下ろした。

 こいつら自分のことを、弟かなにかのように見ている気がする。一つか二つ歳上としうえという程度で、どいつもこいつも調子に乗りやがって。

 そのいきどおりを、目の前の氷床に向かってまた打ち付ける。


 そういえば、と愛海が話題を変えた。

「あの大きいの、手下にやらせてばかりで自分では全然戦ってませんでしたね。あんな巨体なら普通に襲ってくる方が厄介だったと思いますけど」

 ああ、と聖二が頷く。冬獣ニフルスの生態に関しては、おそらく彼が猟団パーティでいちばん詳しい。


「群れの王というのは、他よりも少し頭がいいんだ。そこにあの『こえ』があわさると、自分で戦うことを怠けて他のものを働かせがちになるらしい」

「それ、頭がいいって言います? むしろバカになっているような……」

「まあ、解剖された脳の大きさや行動の観察から『知能が高い』って推測されてるだけで。結果的に弱い行動を取っていたわけだから、きみの見方も正しいよ」

「そういうものですか」


 愛海と聖二のそんなやりとりを聞いて、やっぱ気に食わねえもんだな、と陽彦は素朴に思った。

 逆らうことのできない『こえ』で手下を操り、群れのみなで得たはずの獲物を独り占めして喰らう、冬獣ニフルスの王も。

 不平一つ訴えず、言いなりになったまま命を投げ出す手下の獣たちも。


 やがてさばき終えた獣の肉と、愛海が飲むための血を貯めたタンクを荷箱コンテナにたっぷりと積み込んで、乗りきらなかった分は陽彦が掘った穴に発信端末ビーコンとともに埋めた。

 極寒の雪原では自然と肉が凍り付き、地表にさえ置かなければ長期間の保存が利く。次に近くに来た時、獣に掘り返されていなければ回収する。


 夜目の利く聖二が運転席に乗り込み、酔いやすい陽彦が助手席に、後部の左右それぞれに愛海と深雪が座った。

 新たな無限軌道キャタピラわだちを雪に刻みつけながら、雪上車は真夜中を駆けていった。

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