成仏師
駄伝 平
成仏師
1
北山隆は、物心ついた時から「見れる子」だった。
それを最初に見た記憶は、彼が幼稚園に入る前の言葉を覚えたての頃に遡る。
ある日、隆の家に祖母方の祖父母が遊びにきた時のこと。隆は祖父の後ろに黒い霧状をした人型のモノが、祖父の背中の後ろに立っていた。
隆はとても不思議に思った。今まで見たことのない、それは雨雲とは比較にならない位の黒い色をしていて、なおかつ祖父が動くたびに「それ」は後ろをついていたのだ。
「ねえ、お爺ちゃん、後ろにある黒いモノはなに?」と隆が聞くと、その場にいた両親と祖父と祖母が不思議そうな眼差しで隆を見た。
「隆、何をいっているの?」と母は聞いた。
「だって、お爺ちゃんの後ろに何かいるよ。見えないの?」
「この子ったら。何いっているのかしら」と母。
「すみませんねお義父さん。きっといつものあれです。きっと、なにかの見間違えですよ」
そう、隆には小さい時から友達がいた。名前はユウキだ。ユウキは実際には存在しない。イマジナリーフレンドだ。一緒に遊んでくれるし、両親に叱られた時も慰めてくれた。
ユウキは隆より2歳年上だ。いつだって黒いTシャツと黄色い半ズボンを履いていた。夏でも冬でもだ。彼の口癖は「大丈夫。きっとうまく」
「それは厄介だ。死神が迎えに来たかも知れないな」と笑いながら祖父は云った。
その場が笑いに包まれた。なぜなら祖父はまだ60歳で現役のサラリーマン。週に一度はジムに通い体を鍛えていて、健康管理にも余念が無い。半年に一回は、人間ドックに通い、酒もタバコもしない人だった。
「死神てなに?」
「死神ていうのはね、この世からあの世に連れてくる奴さ」
「あの世って」
「死ぬことだ。分かるかい死て?」
「わからない。死ってなに?」
「お父さんたら、やめてよね。隆にはその話は早すぎる。少なくても定年までは死なないでね」と祖母は笑いながら云った。
1週間後、隆の祖父は行きつけのジムに通う為にスポーツ自転車を走らせていた時に、信号無視をした車に跳ねられて死亡した。
死亡報告書によると、車に跳ねられた際に地面に頭部を強打し頭蓋骨の複雑骨折により脳が飛び出た事が死因だ。なので、葬式では棺桶を開けることなく執り行われた。
「ねえ、パパ。お爺ちゃんはあの死神をあの世に連れて行ったの?お爺ちゃんと会えないの?」と隆が云うと。父は困った表情を浮かべ隆の頭を撫でるながら云った。
「お爺ちゃんはあの世に行ったんだ。だけどな、みんな必ず死ぬんだ」
「僕も死ぬの?」
「そうだよ。でも、今じゃない。きっと、隆はお爺ちゃんがあの世から見守ってくれているから、お爺ちゃんより長生きするよ」
隆には、まだ色々と聞きたい事があったが、急にユウキが現れて云った。
「これ以上、死について聞くな」いつものより低い声で怒っているように聞こえたので、これ以上聞くのをやめた。
隆が幼稚園に入園した時に、黒い霧状の何かを見る機会が増えた。幼稚園の送迎バスで車窓から外を眺める時も、母親と買い物に出た時も、定期的に黒い霧状モノを背負った人たちを見た。年齢はバラバラ。子供から大人まで性別も年齢も関係なしに。
隆は不思議に思った。母親や父親にいくら黒い霧状のモノを見たと云っても信じてくれないから。両親だけではない。幼稚園の友達も先生に言っても信じてくれない。
隆はユウキに頑張って聞くことにした。
「ねえ、あの黒い霧は何?」
「それは教えられない」
「なんでさ」
「君にはまだ早い」
「まだ早いってどういう事だよ。僕の事をバカにしてるの?」
「違う。守ろうとしているんだ」
「別に君に守ってもらなくて良いよ」
隆は幼稚園に入学してからユウキが実際に存在しないお友達だという事に気がついていた。それに、隆には幼稚園で友達が何人もいる。
「ユウキ。君が実際にいない事を僕は分かってるんだ。だから、教えないと君を消すよ」
「そうかい。僕はずっと君を守ってきた。いいだろう。教えてやるよ。あれは死神さ」
「死神?あのお爺ちゃんが云っていた奴?」
「そうさ、これで満足か?」
「うん、分かった」
「そうか、そろそろ俺も消えなくちゃいけないな」
「なんでだよ。本気じゃなかったんだよ。消えないで」
「いや、悪いがこれ以上君を守れない。それに、君には強くなってほしい。そろそろ潮時だ。君は世界を知る必要がある。それから、君にはもっと酷いモノが見えるようになる」
「何云ってるんだよ。意味がわからないよ」
「君は友達もできたんだろ。それに、君は自分が思っている以上に強い。
悪い事に巻き込まれるかも知れないけど、君なら大丈夫さ」と云ってユウキは消えてしまった。
隆は悲しくなり涙すら出なかった。友人が一人いなくなってしまった。
なぜ、あんなくだらない黒い霧状のモノを知る為に友人を失った事を後悔した。だが、一つの謎が解けた。黒い霧状のモノは死神だという事だ。
それと、気になる事が隆にはあった。ユウキは自分を何から守っていたのかという事だ。だが、その時はあまり深く考えないようにした。
2
ユウキが消えてから、あの黒い霧状のモノが死神だと知った隆は、黒い霧を帯びている人を見る度に「あの人、死ぬよ」と両親、先生、友達に言うようになった。両親や先生からは「そんな事を言っちゃダメ」と言われ、友達からは気持ち悪がられた。
その結果、両親と幼稚園では隆は「変わった子」と思われるようになった。
幼稚園の保護者面談で隆の両親に先生が「精神的な検査が必要ではないか?」と言われ両親は議論を重ねた結果、隆を幼児の心療内科で検査を頼む事にした。
診断結果は正常だった。医者曰く、「この年頃の子供は見えないモノをみたりしたりするもんです。これ以上酷い症状が出たら、また来てください」と初老の先生が云った。
両親は先生の云う事を信じて、隆が「あの人、そろそろ死ぬよ」と云うたびに「そうなの」と適当に流した。
それがいけなかったのか、今後、隆がひどい事に巻き込まれる事になる引き金を作ってしまう事になった。
それは幼稚園が夏休みに入る日の事だった。迎えに来た母親と歩いていると、高橋君、高橋君の母親、高橋君のお兄ちゃんと出会った。高橋君の母親と隆の母親はママ友同士だ。その場で、世間話をしている母。隆は高橋君とはあまり面識がなかったので気まずい雰囲気が流れた。なんとなく、高橋君のお兄さんを見ると、背中に人型の黒い霧状のモノ。死神が立っていた。
隆は驚いてつい指を刺して「高橋君のお兄ちゃん。死ぬよ」と云ってしまった。
急にそんな事言われてビックリて硬直する高橋親子。
「この子てば、ごめんね。なにか変なテレビドラマのでも観た影響でいろんな人にこんな事いうようになって困っていて。隆、謝りなさい」と母は隆の腕を掴んだ。
「だって」
「だってじゃない。謝りなさい」
隆は不満を覚えた。なんで死ぬ人に死ぬと云っていけないのか。だがこのままだと母に叱られる。
「高橋君のお兄ちゃん。ごめんなさい」
この出来事が後に隆の人生を大きく変える分岐点となる。
それは8月の蒸し暑いお盆の日の事だった。
隆の母のもとにママ友グループの一人から電話が掛かってきた。内容は高橋君の兄である勝くんが、高橋家は父の故郷がある神奈川県の足柄にある川で溺死したとの事だった。
母はそれを聴いた瞬間、驚いて受話器を落としそうになった。隆の言っていた事が当たってしまった。しかも、祖父の時のように2回も当ててしまった。本当に隆は見える子なのかも知れないと、幽霊を信じていない母を困らせた。そしてどうこの事を隆に伝えたら良いものか、レゴブロックで遊んでいる隆を見た。迷った末に正直にこの事を伝える事にした。
母は夢中のレゴで遊んでいる隆の横に座り込んだ。
「隆。聞いてくれる。高橋君のお兄ちゃんだけど死んじゃったの」
「そうなんだ。やっぱりね」
「隆、本当に人が死ぬのが分かるの?」
「うん、だから何回も云ったじゃないか。高橋君の後ろに死神が立っていたからだよ」
母は、ますます混乱した。
「悲しくはないの?」
「悲しいけど仕方ないよ。だって死神がついてるだから」
後日、高橋君こと高橋健の兄である高橋勝の葬式が執り行なわれた。
母は隆を連れて行くのが嫌だった。幼稚園の一件があったからだ。きっと気まずくなるに違いない。だが、行かなければ失礼にあたる。
隆に喪服を着せて葬儀場に向かった。
葬儀場は、同じクラスの幼稚園児と保護者が集まっていた。
お焼香をあげて立ち去る時、高橋家の面々は隆を睨み付けるように見えた。
隆は気にしていなかったが、母は気が気ではなかった。なんと声をかけていいか分からなかった。
隆が殺したわけではないが、「しばらくすると死ぬよ」なんて言っわれ、本当に死んでしまった母親の心境など想像もつかない。ましてや、そんな境遇の母親にかける言葉など全く思いつかない。
お焼香を終えると母は健を強引に引っ張りその場を逃げるようにして立ち去った。
3
夏休み明けの事。
隆は毎日、青あざを作って家に帰ってきた。最初はスグに終わると思っていたが、9月、10月と過ぎても一向に隆はイジメを受け続けていたのが分かった。どうしたモノかと幼稚園の先生に相談したが「イジメなどありません」と云われてしまった。
隆は隆で「イジメれられてない。転んだだけ」と毎回違う理由で体の傷の理由を話した。
母は悩んだ。幼稚園は対応する気がないし、かといって、長男を亡くしたばかりの高橋家に苦情を言うのが心苦し。だが放っておくのも良いわけではない。
「ねえ、隆。本当の事を言って。クラスの子にイジメられているでしょ?」
「違うよ。イジメられてないよ」
「じゃあ、なんで毎日傷だらけで帰ってくるの?」
「それは、走って転んだり、ブランコから落ちたりするからだよ」
「お母さんには本当の事を言って。誰にイジメられているの?高橋君?」
「だからイジメられてないって」
「そうなの。だったらお母さんは隆の事を守ってあげられないから」
母は本心ではなかったが、隆はショックだった。信じられた人をまた一人失った。ユウキ以上に関係の深い母親に捨てられたと思った。
実際はイジメは凄まじいモノだった。2学期に登校した時、隆はみんなに無視された。それが1週間すぎると高橋を中心に暴言を吐かれた。「お前は悪魔の子だ」と。それからはローラーコースターが天辺から落ちるようにイジメが酷くなった。殴る蹴るは当たり前で、腐った牛乳を飲まされたりした事もあった。
隆は、なんで本当の事、高橋君のお兄ちゃんが死ぬという事だけでこんなにもイジメられなければならないのか、不思議でならなかった。こんな時にユウキがいてくれれば、と切に願ったが彼はもう現れない。かと、いって、母に相談もできなかった。母は高橋君のお兄ちゃんが死ぬといってから、本当に死んでしまってから常に自分を怖がっているのが分かった。
これ以上母にいうと怒られるのではないかと恐れていたからだ。
そして、 母が当初思っていたように時間が解決してくれた。隆へのイジメは冬休みが終わったと同時に終わった。しかし、決して良いとは思えない形で。
高橋家は長男が川で亡くなってから、母親がノイローゼに陥った。なぜなら、子供を失ったこともそうだが、川遊びに誘ったのが母だったからだ。自責の念に耐えきれなくなった母親は、酒に溺れた。そして、怒りの矛先を旦那と次男の健に向けた。なぜ、夏休みに旦那の実家に帰省しなくちゃいけなかったのか?なぜ、あの時に川遊びに連れて行くのを止めてくれなかったのか?なぜ、川遊びをしていた時に一番近くにいた健が大声を出して助けに行かなかったのか?そんな考えが頭の中でグルグルと回り続けて、歪な形で旦那と健に向かい集中的で攻撃的になっていった。
まずは、旦那には毎日のように暴言を吐き、健には暴言と暴力を加えた。耐え切れなくなった旦那は、妻を精神病院に入院させた。ちょうどその頃、旦那にとって運が良いのか悪いのか、会社で辞令がくだり上海へと転勤になった。旦那はどうしたモノかと、いろいろ考えたが妻を日本の精神病院に置いて健と一緒に上海に行く事にしたらしい。
隆の母はその話を聞いて不謹慎だが安心した。高橋さんの奥さんの事はとても残念だが、実際、隆へのイジメは終わったからである。もう、傷だらけで帰ってくることも無くなった。しかし、隆はイジメの後遺症からか最近独り言が多くなった。突然、壁の隅に向かい喋っていたのを目撃した。最初は小さい時に見ていたイマジナリーフレンドが戻ってきたのだろうと思ったがあまりにも頻発に、部屋で独り言を云っている姿を目撃したので心配になった。
「ねえ、隆。いったい誰と話しているの?」
「今日は、お姉ちゃん」
「お姉ちゃん?どんな人?」
「ママには見えないの?」
「見えないけど。『今日は』て云ったけど、毎日違う人が来るの?」
「うん、昨日はオジサンだった」
「知ってる人?」
「うんうん、毎回違う人」
母は隆が変しくなったと思った。きっとイジメの後遺症だ。そのうち時間が解決してくれると。だが違った。
ある日の事、突然、隆は母のお腹に手を当てた。
「ねえ、ママ。妹が出来たんだね」
「え?なんでそう思うの?」
「だって、ママのお腹に妹がいるもん」
母は身に覚えがなかった。だが、生理が遅れていたのも事実だった。翌日、母は産婦人科に行くと医者から妊娠した事を告げられた。そして、隆がいうように無事に女の子を出産した。名前は洋子とつけた。
母は怖くなった。隆には何か能力が有るのではないかと。
4
隆は、高橋君たちにイジメられ始めてからいろんなモノが見えるようになった。幼稚園の教室で見覚えない、ボロボロな服装をした同年代の少年少女、家では見知らぬ人たちが行ったり来たりしていた。それもみんな半透明だった。母に言ったが信じてもらえなかった。
そんな隆の様子が心配になり気になり父が隆に事情を聞くことになった。
「隆、最近独り言が多いけど、何か見えるのか?」
「ママには言ったよ。パパも信じないの?」
「そういうわけじゃないけど。それは隆が言う死神なのかな?」
「違う。人。だけどみんな少し透けて見えるだ」
「半透明てことか?」
「そうパパには見えないの?」
「パパには分からないな」
「じゃあ、僕が見てるのって幽霊?」
「そうかも知れないね」
両親は悩んだ。隆のイジメの件で精神的なダメージで見えないモノが見えるのだと確信した。早速、隆は前回とは別の小児心療内科へ行くことにした。
検査の結果は正常。担当医は初老の男で黒い時代遅れのフレームのメガネをかけていた。話によると発育中に強烈なショックを受けたのが原因で恐らくスグに良くなるだろうとの事だった。母は先生に「よくある事なんですか?」と聞くと、「よくある事です」と説明された。
「この子の場合は想像力が同年代の子より大きいですよ。イマジナリーフレンドがいる日本人は少ない。それだけ想像力があるという事です。だから心配しないで大丈夫ですよ」
「ちなみにですが、幽霊て可能性はありますか?」
「幽霊ですか?医者の立場からいうと幽霊はいません。もし居るとすれば、それは人の心の中にいますよ」
「といいますと?」
「無意識下から恐怖が意識に滲み出てくるとでも言えばいいでしょうかね」
「そうですか」
「まあ、人はわからない事を幽霊とか神の仕業にしますが、まだ人類にはわからない事が沢山あります。分からないと人は不安になります。不安が訪れると恐怖がやってくる」
「なるほど、という事は隆は恐怖を感じているんですね」
「恐らくそうでしょう。隆君がたまたま『死ぬよ』と言った相手が死んでしまった事に恐怖を感じているのでしょう。それと、イジメも重なってより見えないモノが見えたのでしょう」
「いつ治りますか?」
「さあ、そこまではなんとも言えませんが、ゆっくり休めば大丈夫だと思いますよ。それに、イジメはもう無いですよね?多少はトラウマを抱えるかも知れませんが、恐らく隆君なら乗り越えられるでしょう」
病院に行って以来、両親は気にしない事にした。
5
「ねえ、お父さん。毎日お父さん後ろにいるお姉さんは誰?」
隆が云うと父親がビールを吐き出した。
「なに、怖い事を言っているんだよ。隆。ビックリさせないでくれよ」
「でも、いつもの幽霊と違って透明じゃないよ」
一瞬、父親は気まずい雰囲気を醸しながら何かを誤魔化すかのように笑いながら隆を抱きしめた。
「この悪戯っ子め」
母は旦那の行動に違和感を覚えた。いつもなら軽く流すのに、あのわざとらしい仕草。それに、最近残業が多い割には給料が少ない。もしかして、浮気をしたのではないかと思った。
母は翌日、隆に聞く事にした。
「パパの後ろにお姉さんが見えるようになったのはいつから?」
「う~んと、3ヶ月前くらいからな」急に残業が増えたあたりだ。もしかして。
「なんで黙ってたの?」
「みんな怖がるから」
「怖くないよ。詳しく教えて」
「髪は茶色でママより長くて、色白で、ママより若い」
「それで」
「毎日同じ服を着ている」
「どんな服?」
「上はスーツで下はスカート。青っぽい黒、あと首に何か巻いてる」
「首に?それってスカーフ?」
「スカーフって何?」
「ハンカチみたいなやつ?」
「うん、模様がついたハンカチみたいなやつ。
母はピンときた。これは旦那が働いている会社の受付嬢に違いない。昔、旦那の職場に、忘れた弁当を届けた時がある。その時の受付嬢の格好が紺色のスーツの下はタイトなスカート。首にはスカーフを巻いていた。
その夜、母は旦那の携帯電話を盗み見した。メールボックスを開くと、ヨシコという女性とのメールのやり取りが残っていた。それは母にとってとても見ていられない内容のメールだった。何より母を怒らせたのは、旦那が彼女に対して「愛している」と書いてある点だった。結婚してからこの方、言葉でもメールでも「愛している」なんて言われた事も書かれた事もなかった。
母は寝ている旦那に携帯電話を投げつけた。旦那は突然のことにびっくりして目を覚ました。
「痛いな。なんだよ」と寝ぼけた事を言った。
床に落ちた携帯電話を拾い上げ、メールボックスを開き画面を旦那に見せた。
「これはどういうこと?」
「え、あの、その」
「だから、どういうこと?」
旦那は観念して、職う場の受付嬢であるヨシコと浮気をしている事を告白した。
「どうするつもりよ?」
「その、なんというか?」
「メールによると、私と別れて結婚するそうね」
「それは、嘘だよ。冗談だよ」
旦那は母に謝り続けた。気づくと朝になっていた。そして少し母は冷静になった。なぜ、隆はこの事に気づいたのだろう?香水の匂いでもして勝手に想像したモノが具現化したのだろうか?それにしてもおかしい。だんだん、泣き叫び土下座して謝る旦那の事など、どうでも良くなった。
隆はもしかして、幽霊が見えるのかも知れない。だが、浮気相手は死んでいない。生き霊て奴かもしれない。想像力、洞察力、霊能力にしろ、それが見える息子が急に怖くなった。
6
母は離婚をしなかった。だが、決して父を許した訳ではない。今後の育児方針を考えての事だった。
隆の事が心配になった。もし、本当に見えていたとしたらかなり不安定な状態だ。それに、長女も生まれたばかりだ。こんな旦那のツマラナイ浮気の為に家庭に不和をもたらす事は嫌だった。子育て第一に考えた末の決断だ。
旦那の事はどうでもよかった。隆が心配だ。
もし、幽霊が見えていたとしたらどうだろう?母は幽霊を全く信じていなかった。だが、実際に不可思議な事が起きた。どうしたらいいか分からなかった。こんな事を医者に言ったら自分が頭がおかしいと思われるに違いない。
そんなモヤモヤした気持ちでいた時の事だった。
家にキク叔母さんが訪ねて来た。キク叔母さんは母の姉だ。彼女は某カルト宗教を信仰している。彼女は神出鬼没である日突然家に上がってきて宗教の勧誘をしたり、親戚の冠婚葬祭に呼んでも居ないのに現れては親戚と揉めてを繰り返していた。
母は弱っていた。旦那の浮気ならママ友に話す事ができるが、あるいみ超自然的な現象が起きてしまった今。菊叔母さんの話を聞いてもいいかも知れないと思い、つい、彼女を家の中に入れてしまった。
母はキク叔母さんに隆の事を話した。キク叔母さんは話を聞き終わると「隆君としばらく二人にしてくれる?」と言った。
母は不安だった。カルト宗教の変な教義を叩き込まれるのではないかと。
母はしばらく考えて「30分だけなら」と答えた。30分なら洗脳される事は無いだろう。それに、流石に子供には手を出すはずはないと考えたからだ。
母は、隆を居間に呼んでキク叔母さんと一緒にした。不安だったが、どんなに厄介者であっても親戚は親戚。30分くらい話をするくらい大丈夫だと自分に言い聞かせながら。
キク叔母さんが隆くんを見るなり「やっぱりそうか」と呟いて、母にしばらく隆くんと二人で話がしたいと行ったので母は買い物に出かけた。
「隆くんはじめまして」
「おばさんだれ?」
「叔母さんの名前はキク、お母さんのお母さんつまり、隆君のお婆ちゃんの妹だよ。分かる?」
「う~ん、何となく分かる」
「あら、すごいね。隆くん頭がいいんだね」
「そんな事無いよ」
「ううん、叔母さんには分かるよ。隆くんには特別な力があるからね」
「特別な力て何?」
「部屋の右端、右って分かる?お箸を持つ方の手の事だよ。あそこに誰かいるでしょ?」
隆さんには女の子が部屋の右端に随分前からいるおかっぱの女の子の事がずっと気になっていた。あの子は何をしてるのだろうと。しかも、この子は顔の半分が無い。
「うん、分かる。おかっぱで顔の半分がない女の子」
「うん、やっぱりね。それを特別な力っていうんだよ」
「そうなの?だからみんなに見えないんだ」
「そうそう、そうだよ。だからね。もし見えても周りに言っちゃだめだよ。みんあ怖がるから」
「なんで怖がるの?」
「それはね、普通の人には死んだ人が見えないからだよ」
「なんで僕は死んだ人が見えるの?」
「死んだ人には色んな、タイプの人がいて、私や隆くんに見えるのは成仏出来ない霊とそれと、隆くんの場合は生霊も見えるのかもね」
「成仏出来ないってどうゆうこと?」
「そうだね、死んだ後この世に未練や思い残した事がある幽霊よ。つまり怨念が強くて天国に行けないの」
「その人達に会ったらどうすればいいの」
「本当は成仏されるのが一番なの。だけど、隆くんにはまだ無理だよ」
「そうなの。僕も成仏させて上げたい」
「私にもう少し寿命があったら、きっちり教えて上げられるんだけど。わかった。教えるけど、絶対に20歳になるまで隆くんを成仏させちゃ駄目だよ。わかった?」
「うん、わかった」
すると、キクさんは、なにやら呪文を唱え始めた。
すると右端にいた女の子が消えた。
「うわー凄い!」
「隆君、これはすごく危険な事だから絶対にしちゃ駄目だからね約束よ。もしかすると隆君も、パパもママも洋子ちゃんも死んじゃうかも知れないからね。叔母さんあの呪文をカセットテープに吹き込んで20歳になる時に渡すから。わかった?」
「うん」
「もしかすると、隆君はこの後、幽霊が見えなくなる可能性があるから、その時は何もしないでいてね。約束よ。もしかすると、隆君はこの後、幽霊が見えなくなる可能性があるから、その時は何もしないでいてね。約束よ」
「うん、わかった」
それから2日してキクさんは亡くなった。末期ガンだったそうだ。
7
隆はそれ以来、幽霊を見ても見ていないフリをした。
小学校に進学する頃には周りから「普通の子」として扱われた。隆も幽霊を見る事になれてきて日常化していたこともあり普通生活をおくっていた。このまま中学校に進学して普通に学校生活をおくっていた。学業は普通、テニス部に所属し夢中でテニスをしていたとか。友達も出来たし、楽しい中学生活をおくっていた。
もちろん、この頃も校内でも幽霊を何度も見たが見ていないフリをして普通に過ごした。
だが隆の平穏な暮らしはそう長くは続かなかった。それは、彼が中学2年生になって10日目の事だった。朝の9時、突然ドカンと大きな音をたててドアが空いた。部屋の中に5人の学ランに沢山の紋章が入っていた。上着は丈が長い物と共通してみんな裏地が真っ赤で刺繍が入ってた。下はボンタンを履いた見るからに不良が入ってきた。隆は彼らに見覚えがなかった。すると中央にいた少し背の小さい少年が叫んだ「北山隆はどこにいる?!」しばらく、沈黙に包まれてからクラス全員が隆を指差した。
「久しぶりだな」
「あの、どちら様ですか?」隆には全く見覚えがない。
「高橋健だよ。お前が、兄貴が死ぬて言われた」
急に隆は忘れかけていた記憶の扉が開いた。確かあれは幼稚園の時だった。そう、高橋君だ。あの時より大人びた表情をしていた。
「なんで?上海に引っ越したて聞いたよ」
「そうだよ。お前のせいで家は大変な目にあった」
「そうだったの。あの時はごめん」
「人の家庭を壊しておいてゴメンだってさ。全く面白い奴だな」と高橋がいうと周りにいた取り巻きたちが笑い出した。
取り巻きの一人が「こいつ反省が足りないんじゃないか?」というと、高橋は「そうだな。反省させなくちゃだな」というと隆の腹にパンチを食らわせた。あとはサンドバッグのように殴る蹴るオンパレード。そこからの隆の記憶は曖昧だ。ただ、助けてくれとしか思わなかったが誰も助けてくれなかった。
視界の片隅に先生が見えた。これで助かる。と思ったが先生は普通に授業が始まった。見て見ぬふりをしたのだ。そして隆は気を失った。
その日から隆の地獄の様な日々が始まった。それまで話していた友人や同級生、部活の先輩は彼を無視した。そんなのマシな方だ。先生からも無視された。まるでこの学校にはイジメなどありませんと言わんばかりに。
殴る蹴るは当たり前、腐った牛乳を毎日飲まされて、携帯でマスターベイションしている動画までとられた。
隆は母親に助けを求めたが学校側はイジメなどないと門前払いだった。
イジメが1ヶ月続いたところで隆は不登校になった。すると、今度は4歳年下の小学5年生の洋子にイジメが飛び火した。しかも、最悪な事に、父の2回目の浮気がバレて離婚する事になった。
母からは「あなた、生き霊が見えていたんでしょ?なんで教えてくれなかったの?」
「見てない。というか幽霊はもう見えないんだ」
「嘘よ。きっとあなたは見ていたはず。あなたのせいで洋子までイジメられたんだよ。なんとも思わないの?」
「だから、僕には幽霊が見えないだって」と答えたが嘘だった。父は何人もの浮気相手の生き霊を見てきた。それを隠していた。
結局両親は離婚する事になった。母と妹は実家がある横浜へ引っ越した。隆はというと、父親に引き取られた。普通、養育権は母親が持つモノだが、恐らく隆も父の浮気を見過ごしていたと思い込んで逆恨みされたのだろう。それに父が北山性を残したかったらしい。夫婦の需要と供給が合致した。
それからというもの隆は母と妹とは絶縁状態になり、それから引きこもり生活が続いた。
隆は思った。腫れ物に触るよう接するようにする父親。全て自分の呪われた能力のせいだ。父も母も健も無視した友人も先生も全員死ねばいいのにと。
8
引きこもりしてから2年後、隆が16歳の時、ある事に気づいた。幽霊が見えないくなった事に。彼は幽霊が見れが見れる呪いが解けたと喜んだ。それからは元気を取り戻した。まずは父との関係を改善した。次に高校に進学する事も考えたが学校に行くのは二度とゴメンだ。高卒認定試験を受ける事にした。それからアルバイトをする事にした。新聞配達のアルバイトだ。コンビニでもスーパーでも良かったが、人前に出るバイトだと高橋に見つかるかも知れないと思ったからだ。
父も突然変わった隆の事を喜んだ。彼の高卒認定試験と大学進学試験の為に家庭教師を雇った。
隆は、朝と夕方は新聞配達。それ以外の時間は勉強に費やした。その甲斐があり、17歳で高卒試験に合格。18歳で大学に進学できる事になった。
大学に進学してからは、呪われた20年間を取り戻そうと色んな行事に積極的に参加した。テニスサークルに入り、テニスをして友人たちとの飲み会に参加した。そして、恋人もできた。順風満帆なキャンパスライフを送った。
大学を卒業した後は新卒で中堅企業の事務員の職に就いた。大学に比べると退屈な日々だった。仕事の能力は可もなく不可もなし。同僚、先輩、後輩からは優しく接してくれた。しかし、どこか満たされない感覚が彼の中にあった。それが一体なんなのか分からないが。とにかく心のどこかで、この生活は自分に合わないと感じていた。仕事には職場や私生活には満足しているのに。なぜなのか。分からないでいた。
それからしばらくすると妹の洋子が結婚する事になった。もう10年近く会っていないが結婚式の案内が来た事を隆は喜んだ。
結婚式で10年ぶりに再会した妹と母。妹は隆を見るなり喜んでくれたが、母はどこかぎこちない様子だった。
「ねえ、元気してる?」と10年ぶりに母が話しかけてきた。
「うん、元気してるよ。お母さんは?」
「そこそこかな」母は年相応に老けていた。10年ぶりなので余計老けて見えた。それからはあまり会話も続かずに結婚式は終わった。
だが、妹夫婦とは時々会い一緒にご飯を食べに行く仲になった。洋子の旦那は自分と同い年で、とても好青年で趣味の話も似ていて話していて、とても楽しかった。
母はというと、結婚式以来会っていない。仕方ない。きっと自分と会うとあの時のトラウマが蘇ってくるのだと思う。あの時は色んな不幸が同時多発的に起きた。きっと母もまだ心の整理がついていないのだろうと隆は考えた。
隆が30歳になった時の事だった。会社の経営がうまくいかなくなり、社長が変わった。新しい社長は新自由主義者の自己啓発本しか読まなそうな、いけすかない男だった。彼の登場により会社の雰囲気は最悪な事になっていった。何より成果主義で社内にいらぬ競争が生まれた。給料は年功序列から成果重視になり、ボーナスも下がりノルマもきついものであった。
隆は事務員なので成果も何もなかったので給料は下がっていった。それでも「あの時に比べたら、まだマシだ」という考えを持ちながら日々の生活を送っていた。
9
それはある冬の事だった。
隆は仕事の辛いノルマをこなせるようになり、定時で帰れるようになっていた。毎回満員電車が嫌で、始発の各駅停車の次の電車に乗るのが習慣になっていた。
前日は風邪を引いて病み上がりだったが、どうにか仕事をこなした。電車のいつもの座席に座り込みスマフォをイジりながら電車が動くのを待っていた。ふと、視線を前に移すと、向かい側に座っている、若い髪型は七三分で黒縁のメガネをかけたスーツ姿の青年が座っていた。彼は名前すら知らないものの、ここ2年間、毎日彼のことを見ていたが、今日は顔色が悪い。目から何か生気を感じない。きっと、疲れているのだろうと思った。再びスマフォに視線を移した。
電車が動き出した。前に座っていた彼の最寄駅について彼が立ち上がりドアに向かって歩き出した時、彼の背後が見えた。それは頭の後頭部が割れていて脳髄であろうドロッとしたピンク色の肉片が彼のYシャツの襟まで垂れ下がっていた。
隆は、久々に幽霊を見てしまった事にショックを受けた。きっと何かの勘違いだろう。もしかすると、昨日医者から貰った風邪の処方薬のせいで幻覚を見たのかも知れないと思い、最寄駅に着くと走って家に帰り薬をネットで調べて見た「意識が朦朧とする可能性がある」と副作用に書いてあった。
最近疲れているし仕事のノルマも辛いし、同僚たちの関係もピリピリしていたせいで自分では気づいていないだけで相当ストレスが溜まっていたのだろう。きっとそうだ。自分にそう言い聞かせてその日はいつもより早く寝る事にした。
翌日、いつも通りに仕事が終わり、いつも通りの時間の始発の各駅停車の自分がいつも座る席にすわると、目の前にあの青年がいた。昨日に比べて明らかに顔色が悪そうだ。きっと、勘違いだ。きっと。そう隆は思いたかったが違った。彼が最寄駅で立ち上がり背後が見えた瞬間、頭がパックリと割れていた。
隆は、ヤバい久しぶりに見てしまった事にパニックを起こした。最寄駅に降りると隆はホームで吐いてしまった。ショックだった。もう幽霊なんて見えないはずなのに。最後に見たのは10年以上前の事だ。しかも、それまで見えていた幽霊は半透明だったし、生霊は透明でもなかった。だとすると、あれはなんなんだろう?
突然、キク叔母さんの言葉が頭の中に響いた。「幽霊は成仏できないとこの世を彷徨う」きっと、あの青年も自分が死んだ事を知らないのだろう。そう思うと急にあの青年が可哀想に思えた。
隆はその夜、眠れずにいた。久々に幽霊を見てしまったショックもデカいが、それ以上にあの青年の事だ。あの若い青年が彷徨うのが可哀想で仕方なかった。考えれば考えるほどあの青年を急にどうにか成仏させてあげたいと思うようになっていた。キク叔母さんは言っていた。「20歳になるまで成仏させちゃダメ」もう自分は30代だ。だが呪文は忘れていた。なんとなくあの青年だけでも成仏してあげなければいけないという義務感が沸々と湧いた。そういえば、キク叔母さんは幽霊を成仏させるための呪文を教えてくれただが思い出せない。そういえば自分が20歳になった時に呪文を入れたカセットテープを送ると言っていたのを思い出し、同居する父を叩き起こして自分宛にカセットテープは届いてないかと聞いたが「知らない」と言われた。
あの青年には可哀想だが仕方ない。彼が自分で死んだ事を気づくのが一番かも知れない。そう思って眠りについた。
すると不思議な夢を見た。そこにはキク叔母さんがいた。そして、隆に向かって言った。「キ・ッケ・ト・ラー・ニル・グル・エ・ンダ」何語か待ったかく分からない。そうすると急に目が覚めた。
隆はiPhoneの音声メモアプリに呪文を唱えて録音した。それからネットでその呪文の意味を調べてみる事にした。強いて言えば発音から中東の言語のような感じがする。グーグルでこの言葉を検索してもかヒットするページはなかった。
10
翌日、電車の座席に座ると同時に、例の青年も向かいに座った。隆はあの呪文を唱える練習で1時間も眠れなかった。果たしてこの作戦は成功するのか。何せ成仏させるのは初めてなこともあり緊張していた。
青年が最寄駅をについて電車から出た。
隆は、青年に気づかれずに後を追う。周りに下車する人がちらほらいたが頭が割れている青年など彼しかいないとすぐにわかった。彼は追って駅から10分歩いた時の。狭い車が1台通れるか位の道幅の場所。周囲に何もない。ただ、街灯がアスファルトを照らしている。住宅街。
隆は、「キ・ッケ・ト・ラー・ニル・グル・エ・ンダ」と大きな声で叫んだ。すると、青年が振り返った。だが彼は消えなかった。隆は青年の近くで呪文を唱える事にした。
隆は、彼の背後から抱きつきもう一度呪文を唱えた「キ・ッケ・ト・ラー・ニル・グル・エ・ンダ」。
すると、青年はゆっくりと透明になっていき、最終的には消えてしまった。成仏に成功した。
隆は、なんともいえない達成感を感じた。青年の役にたち、しかも、自分が救われた気分になった。もし、もう一度幽霊が見えたらまた成仏させてあげようと心に誓った。
11
東京には幽霊が多い。
隆が初めての除霊をしてから3日後の土曜日の事だった。新宿で彼は買い物をしていた。買い物を終えて、西口に向かった時の事だった。すると、30代の色白の綺麗な女性が視界に入った。しかし、右目が飛び出て頬まで垂れ下がっていた。一瞬ゾッとしたが、あの人は幽霊に違いないと思った。あんな綺麗な人が現世を彷徨っていると思うと可哀想になった。成仏させなければ、と隆は思った。
彼女に気づかれない為に隆は後をつけた。女性は、小田急線に乗り経堂で下車をした。空はもう真っ暗で所々で星々が顔を出していた。彼女は人気のない路地裏へと歩いていた。
隆は周囲を見渡すと周りには人気がなかった。今が、チャンスだ。隆は彼女に向かって走っり後ろから羽交い締めにして叫ぶように言った。
「『キ・ッケ・ト・ラー・ニル・グル・エ・ンダ」何度も唱えた。
しかし、女性は抵抗して彼女の肘が、隆の頬にぶつかった。なんと、往生際が悪い幽霊だ。前とは違う事に驚いた。もしかすると、まだ現世に強烈に執着するものが彼女にあるのかも知れない。だが、隆は呪文を唱え続けた。しばらくすると彼女は急に消えてしまった。成功した。
隆は、家に帰り洗面台の鏡を見て自分の頬に痣ができている事に気づいてから痛みを感じた。今日の幽霊は手強かった。だが、手強かった分達成感は全開に比べ物にならないくらい大きなものだった。
自分の使命は呪縛霊を成仏させる事に違いない。この為に神は自分に、あらゆる苦難を与えた。そのうに違いないと隆は考えた。
それからというもの、隆は積極的に幽霊を探しては成仏させた。それが会社終わりでも、休日でも幽霊に出会う度に都内はもちろん、近隣の神奈川、千葉、埼玉、遠い所だと茨城でも成仏をした。
隆は完璧に満たされた人生を送っていた。人助け、いや幽霊を助けることがこんなにも達成感があり幽霊の為にもなる。これからも死ぬまで続けたいと思った。
12
「それが、あなたの主張ですか」
「そうです。僕は人は殺していません」
「ですが、現に20人も殺したじゃありませんか?」
「だから、成仏させただけです」
藤岡健二はフリーライターをしていた。この「20人連続通り魔殺人事件」の犯人である北山隆に面会室で会う為に何十通もの手紙のやり取りをした。北山隆は中肉中背で年相応な顔つきをしていた。囚人服さえ着ていなければ普通の30代のサラリーマンで、30代独特の貫禄のある。とても20人も殺したとは思えない。正確にいうと21人だ。後に分かった事だが、彼の家を捜索すると腐乱した男性の死体が発見された。解剖の結果、それは北村隆のお父さんだった。
通り魔の手口と同じように、頭を床に何度も叩きつけて殺されていたようだ。
犯人こと北山隆は、通行人を幽霊と勘違いして除霊とそうして、無差別に被害者に近づいて後ろから押し倒して呪文を唱えながら、地面に倒れた被害者の頭部をアスファルトの地面に何度もぶつけて殺したのだ。
世間を震撼した事件だった。何せ、上は70歳から下は8歳。性別も関係なく路上で21人も殺されたからだ。しかも、武器もなく素手で。
警察は当初、事件の異常性と犯行現場がバラバラだった事から捜査が難航。諦めかけた時の事。東京都調布市在住のAさん(女子大生21歳)が必死の抵抗を試みて脱出に成功し、近所のコンビニに逃げ込み、そこでコンビニ店員(30歳)に保護された後、追いかけてきた北山隆を防犯用の刺股を使い捉え現行犯で逮捕された。手口が類似している事と、他の被害者から採取された加害者の者と思われるDNAと同一である事から「20人連続通り魔事件」の犯人として北山隆は逮捕された。
隆には国選弁護人がついて、弁護士は精神鑑定を依頼したが鑑定結果は正常と見做された。そして、裁判で死刑を求刑され隆は死刑になっtた。
「殺人、いや、あなたが成仏させた事を後悔していませんか?」
「なぜ後悔するんですか。20人の彷徨う魂を成仏させたのですから」
「ですが、現にあなたは刑務所送りになったんですよ」
「それは仕方ありません。世間が僕を理解していないです。僕にとって彷徨う魂を成仏する事は使命です」
「使命感で成仏させたのですね。本当に後悔してないんですか?」
「あなたも、僕を人殺しだと疑うんですね。手紙にはそんな素振りはなかったのに残念です」
それから北山隆は黙り、面会時間は終わった。そして、藤岡はもう一度、面会を希望したが、北山隆はそれに応じなかった。
藤岡は仕方なく彼の生い立ちを調べる事にした。まずは、一番最初に連絡がついた北山隆の中学時代の友人の中村さんから話を聞く事にした。
隆は中学2年生の朝礼の前に急に何やら叫びだしたそうだ。そして心配した先生が保健室に運ばれたそうだ。それから隆さんの奇行が始まった。
「助けて!虐められてる!助けて!」と時折叫ぶのだが隆さんの周りには誰もいなかったそうだ。それも1回ではなく、少なくとも10回は目撃したそうだ。
「確かに、あの学校にはイジメはあったよ。先生も見て見ぬふりをしていたヤツもいたけど、ちゃんと助けてくれた先生もいた。それに、急に周りに誰もいないのに叫びながら『助けて!イジメないで!』てなんて叫んでるヤツ。薄気味悪いだろ?それで隆くんはイジメの対象にすらならなかったよ。みんな彼のことを避けていたけどね」
中村さんからの紹介で当時校内で不良だった北村隆の一歳上の坂上さんにも話を聞いてみた。
当時、坂上さんは不良で授業妨害はするはカツアゲするわで相当な問題児だったそうだ。坂上さんは隆さんの事を覚えていた。
当時のある日、進路指導室に学校中の不良が10人ほど集められ、進路指導の先生から「この中で隆君をイジメている奴がいる。誰だ!」というのだ。坂上さん、その時まで隆さんの事を知らなかった。
確かに、坂上さんは同級生を殴ったり、時にはカツアゲはしたが、校内ではしなかった。カツアゲをする時は外で他校の奴にするという暗黙のルールがあった。それに特定の生徒をイジメたりはしなかった。
生活指導の先生がいうような、ねちっこいやり方は特に。周りの不良友達もそうだ。
「確かに、当時の俺は突然イライラして、ちょっと生意気そうな奴を殴ったりしたよ。まあ、相手からすれば、それもイジメだったんだろう。今ではすごく反省している。自分に子供が出来てからは特に。それに、授業中に先生がイジメを見て見ぬふりをしていた時があってさ、イジメられていた奴を助けた事だってあるんだぜ」
生徒指導の先生は、その不良の特徴を喋り始めた時にゾッとしたそうだ。その不良の5人の内に4人の服装、学ランに沢山の紋章、上着は丈が短い物や丈が長い物、裏地が真っ赤で刺繍。
「それを聞いて、ゾッとしたよ。ていうのもその時、俺たち不良グループは『池袋ウェストゲートパーク』ってテレビドラマあったでしょ?アレのマネて、それにギャングスターラップにも憧れて、BーBOYぽいカッコをしていたんだ。だからむしろ、学ランにボンタンみたいな服装はダサいと思っていたし。生活指導のヤツが言っていた服装なんてオールドスタイルさ」
「なんで、ゾッとしたんですか?」
「それがさ、あの学校には伝説というか怪談が在ってさ」
坂上さんの話によると、当時から数えて十年前、中学校の不良グループの先輩が免許を取って車を買った。自慢したかったのか、その中学生たちを乗せてドライブに行った。するとさ、10トントラックに突っ込まれて、運転していた先輩以外の同乗していた中学生が4人とも死んでしまったそうだ。
「憶測だけど、その不良4人組って10年前の事だから、そうビーバップハイスクールみたいな服装してたんじゃないかと思ってさ。それ以来、その4人の不良たちが幽霊になって学校をさまよっているという怪談があったんだ。だからその隆君は、そいつらに虐められていたんじゃないかな?だからさ、俺も含めた不良たちの間でも気味悪がてさ。それに、その後、隆くんが『助けて!』て言って叫んでいる所を目撃したんだ。すると、周りに誰も居なかった。本当にゾッとした」
「そういえば、健くんはどうだったんですか?」
「そうそう、当時、それも気味が悪いと思ったんだよ。ていうのも、その健ていう奴、学校に居なかったんだよ」
「いなかた?」
「そうそう、中2だぜ。もし、その健ていう奴が居たとする。でも、俺たち不良グループは上下関係が厳しいからな。そんな中2に『アイツ、やりに行きましょうよ』なんて言った所で『テメエひとりでヤレ』ていうのがオチだ。それに、あの時の2年生の学年の奴に不良なんていなかったよ。とてもおとなしかった。当時、つまんねえ学年だな、て不良友達と話してたよ」
藤岡はどうにかSNSで健さんを突き止めて、彼に話を聞くことが出来た。
健さん、お兄さんが亡くなってから。ノイローゼの母親を置いて、建設業の現場監督をしていた健さんのお父さんは上海に転勤することになった。
当時、上海は建築ラッシュ。それで健さんのお父さんも駆り出された。
健さんは現地のインターナショナルスクールに入学し、大学進学の際に日本に戻ったそうだ。
「では、中学の時は上海に居たということですか?」
「そうです。まあ、夏休みと冬休みに1週間ほど実母に会うのが習慣でした」
「そうですか。少しお聞きづらいのですが、お兄さんの死を予言した隆さんを恨んだことはありますか?」
「無いといえば嘘になるかな。僕自身はその予言を全く信じていなかったし、今でも信じていない。幽霊とか超常現象なんて信じてないしね。だけど、インターナショナルスクールに通っていた時の事なんだけど、白人グループからイジメにあってね。そうだな。14歳の頃だったけな。1ヶ月ほど。そのとき思ったんだよ。もし兄貴が死ななければ、上海のインターナショナルスクールに来ることも無かった。それで責任転嫁じゃないけど、あの予言をした少年を恨んだ事があったよ。でも、教員がイジメに気づくと直ぐにイジメも終わったよ。それからは普通に楽しいシャンハイ生活をおくったよ」
それからSNSを駆使して隆さんの妹の洋子さんに連絡が取れた。なんども、しつこく頼み込み「一度だけなら」という条件でスカイプで話を聞いた。
洋子さんは隆さんの事件以来、旦那さんと一緒に日本を脱出してカナダに住んでいる。
「あの事件以来、マスコミは押しかけるは、ネット上で親族の住所をバラした人がいて、家の窓に投石はあるし、犬の糞をドアノブに擦りつけてあるし、頼んでも居ないピザや寿司が大量に届くから大変だったです。それで、旦那と相談して夫は会社に転属願いを出して夫に頼み込んでカナダ支社に転属になったのよ」
「大変でしたね。すみません、私まであなたに迷惑をかけてしまって」
「いいのよ。もう昔の話だし、私もいろいろとあの一連の事について溜め込んで話せる相手もいないし。それに、随分兄と暮らしてないから対した事は話せないけど」
洋子さんは語り始めた。
洋子さんが物心ついた時には隆さんは普通の少年だった。ちょうど隆さんが幽霊を見て見ぬフリをし始めた時期だと思われる。
隆さんが変わったところといえば、一緒に母と買物に行く時、何も無い所を凝視する所を何度か見たとか。
それから中二になった時、兄が壊れ始めた。兄は母や父に「イジメられている」と主張した。なので両親が学校に殴り込んだが「イジメが無いの一点張り」相当両親は怒ったそうだ。それからしばらくして洋子さんがクラスでイジメにあうようになった。
「お前の兄貴、頭おかしいんだって?お姉ちゃんから聞いたぞ。誰もいない廊下で急に、助けて!て連呼して叫んだんだって?」
その少年はクラスで中心的な少年だった事もあり洋子さんへのイジメはエスカレートした。しかも、その頃父親の不倫が発覚。家庭はグシャグシャ。それで洋子さんがイジメられている事もあり一緒に母の地元の横浜に引っ越した。それ以来隆さんには結婚式で会ったきり。その後、何度か洋子さん夫婦と一緒に食事を数回行った程度の関係だったとか。
「時々思います。兄もあの時一緒に横浜に引っ越していれば、あんな事にならなかったんじゃないかと」
「お兄さんと夫婦で何度か食事したんですよね?何か変わった事はありませんでしたか?」
「それが、最初の頃は少し疲れた印象だったんですが、ある日を境に急にヤル気に満ち溢れたというか、目が輝いていたというか。そう、彼があの連続殺人事件をしていた時期の事です」
「そうですか。それでお聞きしたいのですが、お母さんにもお話を聞きたいと思っているのですが。いくら探しても見つかりません。どこに住んでるんですか?」
「お母さんなら一緒に暮らしてるは。今は隣の部屋にいるわ」
あの事件以来母の家にも嫌がらせが頻発して一緒にカナダに住むことになったらしい。
私は頼み込み母親にスカイプ越しに話がしたいと頼み込んだ。すると隆さんの母親が現れた。
「何点お聞きしたいことがありまして」
「いいですよ」
「なんで、中学2年生の時、彼を病院に入院させなかったのですか?」
「いや、入院させたはよ。精神病院に」
お母さんの話によると、最初は学校内でのイジメを疑ったそうだ。しかし、先生や近所の同級生の話によれば突然、誰もいない所で助けてと叫ぶので、学校の先生のススメで精神病棟に入れたそうだ。16歳まで。洋子さんには黙っていたらしい。
「16歳で退院したんですよね?なんで横浜の実家に引き取らなかったんですか?」
「隆には横浜に来るように説得したんだけど、お父さんと住むの一点張りだったんです。あの時一緒に暮らしていたらね。後にあんな事にならなかったかも」
「そういえば、隆さんが幽霊を見ていたというのは本当ですか?」
「分からないわ。なにせ、私には幽霊が見えませんから。確認しようがありません」
「でも、旦那さんの浮気相手の生霊を見たと隆君が言ったから浮気がわかったわけですよね」
「うん、当時少し旦那の様子が変だったし香水の匂いもした。女の感じってやつかしら。それと隆が後ろに女の人がいるって言ったのが引き金になって探偵を雇ったわ。でも、隆が本当に幽霊を見ていたかどうかまでは分からないわ。彼も無意識の内に香水の匂いと様子がおかしかったのを感じ取っていたのかも知れない」
「隆さんがした中で一番奇妙だったものはなんですか?」
「そうね。そうだ、キク叔母さんよ
キク叔母さんっていうのは私の母の妹なんですけどね。この人、その厄介な人でね。パズメ教会というカルト宗教に入信し親戚中を回っては入信を勧めていた。
私達も気持ちが悪いから彼女には絶対に家に招かなかったし、住所だって教えなかった。そんなある日、隆が、ねえ、キク叔母さん死んじゃったね。ていうの。死んだ?何のことだと思ったけどなんで隆がキクおばさんの事を知っているのかのほうが気になって、いつの間か私が留守中に勝手に家に来たに違いない。そう思って隆に、いつ来の?て聞くと2日前だ、て言ったのよ。この事を母親に電話してキク叔母さんを二度と家に近づけなくしてもらおうと言おうとしたのよ」
その時、母から電話がかかってきて、内容を聞くとキク叔母さんが末期がんで亡くなったていうのよ。聞くと末期ガンだったため1ヶ月間ずっと集中治療室のベッドにいて身動き出来なかったとか。
「勝君の一件もあるし、流石に隆の事は怖くなったわ。でも、それから中学2年生になるまで何もなかった」と隆さんのお母さんが不思議そうな顔をしながら言った。
「そういえば、そうね。アレは隆が20歳の誕生日の日。横浜の住所に隆宛に茶封筒が届いたの。差出人を見るとキク叔母さん。一瞬ゾッとした。もう死んでいるのにて」
このまま、隆に渡そうかと思ったけど、好奇心が勝って開けた。すると手紙とカセットテープが入っていたのよ。手紙を読むと、確かにキクさんが書いたようだった。生前キクさんが書いた物を死後に宗教団体の友達が隆の20歳の誕生日に送るように頼んだと書かれていた。
「内容はたしか、もしまだ見えていたらこれを唱えなさいって書いてあったわ。
で、試しにカセットテープを聴いてみたのだが、念仏やお経ではない。何ていうか聞き慣れない言語で。何かの呪文のようだった。そうね、中東あたりの言語みたいだったけど。気持ち悪くて捨てちゃったけどね」
成仏師 駄伝 平 @ian_curtis_mayfield
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