第1話

 総武線が頻繁に遅延することは百も承知であるが、今日の遅延は一段と不愉快なものであった。人身事故に加え、急病者の救護が二件、徒歩と変わらぬ速度で進行する連休明けの満員電車の車内は殺気立っている。


 会社には既に遅刻する旨を伝えてあるものの、これ以上待たされるのは仕事の進行具合を勘案しても芳しくない。仕方なく、アカウントは保持しているもののしばらく使っていなかったSNSアプリを開いた。電車の遅延に関する情報は、JRの公式発表を待つよりも、SNSで検索した方が早い。


 遅延の状況がわかったところで、タクシーを使う金もなければタクシー代を出してくれるほど気の効いた会社に所属しているわけでもないから、気休めでしかないのだが。


 少々調べた結果、遅延状況があまりに致命的であることが判明した。昨日が締め切りであった仕事を無理を言って伸ばしてもらい、今日の午前中には提出するとメールした昨日の自分に心底が嫌気がさしながらも、頭は言い訳を考えるためにフル回転を始めていた。


 そのため、ダイレクトメッセージのアイコンにマーク気が付いたのはほんの偶然といっていい。それが、自分に向けて送信されたメッセージであると認識するまでに若干のラグが生じた。あまりにSNSの扱いに慣れていないためである。


 メッセージは受信してから一週間が経過していた。これがスパムの類であるならば、内容を見るまでもなく消去するのであるが、あろうことか差出人の名前に見覚えがあった。


「よう、今何してるんだ?野垂れ死んじゃいないよな? 久しぶりに、中学の生徒会のメンバーで会わないか? このメッセージに気が付いたら返事すること」


 輪をかけて不愉快な文面であった。仕事のことが頭から抜け落ち、飄々とした自信家の顔が思い出された。伊原陽一郎、僕が通っていた中学校の生徒会長であり、僕を生徒会に勧誘、否半ば強引に引き入れた張本人である。奴とはもう長いこと会っていない。最後に会ったのがいつなのか、正確には思い出せない。


 今使っているSNSのアカウントは、大学入学以降に新しく作ったものである。情報収集以外の意味合いはなく、本名はおろか個人に関する情報などほとんど開示していない。にもかかわらず、どうやってたどり着いたというのか。しかしそれは考えるだけ無駄であった。現に陽一郎は僕のアカウントを見つけたのだから。


 陽一郎について僕が知っていることは、私大の雄と呼ばれる大学に入学したあと、毎日のように飲み会を行い、世に轟く一流企業に入社したということだけである。地元の人間に会うたび、連中は陽一郎のことを「遠くにいってしまった」と言ったが、それは誤りだ。彼は最初から、そうした気質の人間であった。居酒屋の一つもなければ、夜に出歩くような遊び場もない田舎にいたから表に出ていなかっただけの話である。もともと、僕ら田舎者とは遠い世界の住人であった、それだけのことである。


 遠い世界の住人、その言い回しすら若干の誤解を招く表現かもしれない。大半の人間が、陽一郎のようになれるのであればなりたいと思っている。僕ですら。人々はそれを気質の差と言い張るが、そうではない。れっきとした能力の差である。しかもそれは「エネルギー」という数値化の難しい曖昧な能力であり、努力したからといって簡単に埋められるようなものではない。身長、テストの点数、顔、そうした数値化可能な能力の大半は時間と金をかければ解決するが、それでは決して解決できない才能を彼は持ち合わせていた、というだけの話である。


 僕はそのメッセージを開いてしまったことをひどく後悔し、無視することに決めた。陽一郎と僕では比較にならないほどの差がついているだろうから、今更比べてどうこう言われても気にはならない。ただ彼のウェットな人間関係を望む姿勢が嫌いであった。正確には、嫌いになった。


 ただ僕は、SNSについてあまりに無知であった。チャットアプリに限らず、情報発信型のSNSであってもダイレクトメッセージには既読という機能があることを知らなかった。僕が返信をせずとも、陽一郎は僕がそのメッセージを読んだことを知ってしまった。


 翌日、追加のメッセージがきていた。「今週の土曜日十三時に、渋谷駅ハチ公前に来ること。来なかった場合、これをお前の親と会社、知り合い全員に送りつける」。メッセージには写真が添付されていた。見覚えのある筆跡、それは僕の小学校の卒業文集の一節であった。「将来の夢は、医者です。医者の中でも、死にそうな人を助けられる立派な外科医になりたいです」。

 

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