トンカツ

駄伝 平 

トンカツ

 1964年の事。

 俺は当時、中学を卒業後に青森から集団就職で都内の出版会社に就職し印刷部に配属された。

 仕事に関しては不真面目だった。というのも単純作業とインクの臭いが嫌いで、機械音痴で、役に立たずミスばかりしていた。

 でも、俺には他の者とは段違いの才能があった。それは、話術と愛嬌だ。

 お昼休み、会社の食堂でたまたま同じテーブルに座った、年齢も役職も違う人に可愛がられ、特にカッコいいわけでもなかったが、その話術を駆使して会社中の女性にモテて手をだした。

 普通なら同じ会社で複数の女性に手を出すようなことがあれば問題になる所だが、俺の場合、その話術と愛嬌で誤魔化し女性から何のいざこざに巻き込まれる事はなかった。

 そんな彼に目をつけたのは営業部の部長の高橋だ。年は40代後半。黒縁メガネをかけた中肉中背で、常に穏やかな顔つきをしている。最初は俺のことを調子に乗ったガキだと思っていたくらいだったが、ある時に食堂でご飯を食べてい時に、社内で一番キレイなマドンナの京子を口説いているのが聞こえたそうだ。

 その話術を聞いて、「コイツは営業の才能がある」と思い、高橋は印刷部の部長を呼び出し説得し営業部に俺を引き抜いた。

「小川、営業とは上司や同僚を笑わせたり、女を口説くのとは訳が違う」

「じゃあ、なんで営業部に僕を呼んだんですか?」

「それは、お前に可能性を感じたからだ。まあ、俺の経験からすると、お前は5年もすれば営業のトップになるだろう。期待を裏切るなよ」

「はい、わかりました」

 俺は、嫌だった印刷部を抜け出した事に安心したと共に、不安だった。いくら話が上手いからといって営業でうまくいくだろうか?というのも、営業の仕事は英語の教材の訪問販売だった。中卒で、ましてや英語もできなかった俺は高校レベルの英語の教材を売るなんて難しいと不安だった。

 しかし、そんな不安はすぐになくなった。俺は3ヶ月で営業のトップになった。営業は俺にとってとても簡単だった。天職と言ってもいいだろう。それに伴い給料も上がった。このまま営業のトップを突き進んでいくかに思えた。

 3年後。俺はスランプに陥っていた。営業の成績は下から数えた方が早いほどだ。なぜ営業成績が下がったのか分からない。今までのやり方が通用しなくなったのか?それとも話術の質が下がったのか?上司の高橋からは明らかに呆れられていることは言葉にしなくても十分伝わってきた。

 このままでは不味い。また、印刷部に飛ばされるかもしれない。いや、もっと違う場所に飛ばされるかクビにされるかもしれない。とにかく焦っていた。

 そんなある日のこと、車で会社から家まで帰る途中、信号待ちしていると、あることに気がついた。進行方向の右に車が問うれないほど小さな路地に大行列ができていた。なんだ?あれは?

 急に気になり始めた。並んでいるということは食い物やか?お腹も空いていたし、ストレスも溜まっていた俺は気分転換にその行列に並ぶことにした。

 車を近くの駐車場に停めて行列に並んだ。行列の前に立っている人に話しかけた。

「すみません。これはなんの行列ですか?」

「トンカツ屋の行列ですよ。ここのトンカツがとても美味しくてね。特にスペシャルトンカツは相当美味しいんですよ。なんというかとても、食べるととても元気が出るんですよ」と男はとても楽しそうに話した。

 そんなに、美味いトンカツなら食べてみたいと思った。

 行列の先には、黒い看板に「ナンタケット」と金色の文字で書かれていて、その下には小さくトンカツと書かれていた。かなり、ボロボロで本当にここのトンカツが美味しいのか、店構えだけでは怪しい感じがしたが、どうせ並んでしまったし暇なのでここで夕飯を食べることにした。

 行列に並んで1時間ほどして、「ナンタケット」に入った。店内は思っていたより広く、20席程あり、決して綺麗とは言えず壁には油のシミが所々に模様をつけていた。満席でみんな一言も喋らずに食べていた。

「いらっしゃいませ!」とカウンター越しに50代ほどの笑顔をした料理人が元気に行った。

 俺は空いてるカウンター席に座った。

 カウンターにあるメニュー表をパラパラとみた。当時は珍しいカラーの写真付きで、だいたい、みた感じは他のトンカツ屋と相場は変わらなかった。それに写真の撮り方が悪いせいか特別美味しそうにも見えなかった。どれにしようか迷っていると、一番最後のページに金色の字で大きく「スペシャルトンカツ」と書かれていた。しかも値段は相場の3倍もした。どうしようか迷っていたが、ストレスも溜まっていたからスペシャルを頼んだ。

「スペシャルですね。かしこまりました」と元気に亭主は言って、厨房の奥へと消えていった。

 いったいどんなトンカツが出てくるのだろうか?値段が3倍ということは、それだけ良い肉を使っているのか?それとも量が3倍ということなのだろうか?どちらにしろ楽しみだった。行列もできてるし、値段が3倍ということはきっと美味しいに違いない。

周りの客を見るとどう見ても普通のトンカツを食べていた。アレが「スペシャル・トンカツ」だとしたらどう見ても普通だ。俺は不安になった。

 しばらくすると亭主が厨房の奥から現れて、手には揚げたてのトンカツと刻んだキャベツが盛り付けてあった。

「スペシャルトンカツです」

 見た目は、周りと比べて普通だ。特別美味しそうなわけでもなく、量も普通だ。

 俺はスペシャルトンカツを口に入れて噛み締めた。なんと言ったらいいだろうか?感触は普通の豚肉より硬くとてもクセがある。今まで食べたことのない豚の味だ。なんだこの豚肉は?と噛み締めていくとどんどん美味しくなった。とても中毒性がある不思議な味だった。

 あの日から3日経った。あのスペシャルトンカツが食べたくて仕方ない。仕事中も頭の中がスペシャルトンカツのことでいっぱいだ。

 そのうち、会社帰りには毎日行列に並び「ナンタケット」のスペシャルトンカツを食べるしかなかった。

 気のせいかも知れないがスペシャルトンカツを食べるようになってから、俺はスランプを脱した。営業成績が徐々に良くなっていき、3ヶ月後には営業成績はトップに戻り咲いた。給料も増えて、ボーナスも営業部で史上最大の支給額となった。

 そんなある日のこと、高橋さんと一緒に営業に回ることになった。商談が成立して時計を見ると3時だった。昼ごはんをまだ食べていなかった。

「高橋さん、この辺りにちょっと高いんですけど、すごく美味しいトンカツ屋があるんですよ」

「トンカツか、そういえば、最近食べてないな。そんなに美味しいのかそのトンカツは?」

「はい、少しクセがありますが、噛めば噛むほどやみつきになりますよ」

「そうか、試しに行ってみるか」

 2人でナンタケットへ行った。時間帯がお昼時を過ぎていたこともあり並ばずに店に入ることができた。

「高橋さん。このスペシャル。スペシャルが凄く美味しいですよ」

「そうか、でも、高いな。俺はお前と違って子供が3人もいるからな。普通のにしようかな」

「だったら奢りますよ。高橋さん」

「そんな、部下から奢られるなんて恥ずかしいだろ」

「いいじゃないですか、高橋さんが営業部に引き抜いてくれなければ、今頃、僕は印刷部で腐っているか、転職していたかも知れません。さあ、スペシャル食べましょう」

「そこまでいうんであれば、ご馳走になるよ」

 俺はスペシャルトンカツを2人分注文した。その間、2人で今日の商談の愚痴を言って過ごした。商談先は小さな英語教室だった。その、営業の相手がなかなかの頑固親父でなかなかうまくいかなかったが最終的には俺の話術でどうにか勝った。これで今月も俺が営業のトップになるだろう。

 厨房から店長が出てきてスペシャルトンカツを2人に出した。

「これがスペシャル?」と高橋さんは不思議そうに言った。

「見た目は普通のトンカツですが、本当に美味しいですよ」

「じゃあ、いただきます」と行って高橋さんがトンカツを口に入れて噛んだ。

 きっと、高橋さんは驚きと美味しさに感動するだろうと思っていた。

 しかし、高橋さんは急に顔色が青ざめて、カウンターに置いてあるテッシュをとり、噛んだトンカツを吐き出した。予想外の行動に俺は驚いて戸惑った。

 高橋はしばらくうつむき言った。「悪い、急に大事な用事を思い出した。会社に先に戻るよ」

「どうしたんですか?高橋さん。体調でも悪いんですか?」

「さっきも言っただろう、用事を思い出したって」そういうと高橋さんは懐から財布を出し、お金をカウンターに置いて何も言わずに出ていった。

「ああ、あの人もか」とぽつりと亭主が言った。

「どういう意味ですか?」

「たまに、スペシャルを食べると出ていく人がいましてね。スペシャルは特殊でしょ?だから、好き嫌いが分かれるんですよ」

「そうだったんですね」

 しかし、高橋さんのあの表情や態度。口に合わないだけであんなになるような人ではない。俺は高橋さんが何かの病気ではないかと心配になった。

 その翌日から高橋さんは長期休暇に入った。今まで休むような人では無かったので、急に長期休暇を取ったので職場ではいろんな噂が飛び交った。ノイローゼになったのではないか?親戚が病気ではないか?下世話なものだと浮気相手と旅行に行ったとか。いろいろだ。

 それから2週間後、高橋さんは職場に戻ってきた。彼は初日は虚なめで血の気が引いたような青白い顔色をしていたが、1ヶ月もすると普通に戻った。

 ナンタケットでの出来事もあり、俺は高橋さんに何があったのか聞けなかった。ノイローゼだろうか。その後に同僚から聞いた話によると、彼は体調を崩して休んでいただけだったと聞いた。それを聞いて俺は納得した。

 それから半年後の忘年会。その頃には高橋さんもいつも通りになっていた。もう病気も治ったのだろう。しかし、あの日のことが気になった。俺は高橋さんの隣の席に移動した。

 酔っ払ったふりをして「高橋さん元気を取り戻したみたいですね」と言った。

「ああ、お陰様でね」

「なんだか、僕は責任を感じたんですよね。もしかすると、あのスペシャルトンカツで体調が悪くなったんじゃないかって」

 そういうと、高橋さんの顔が急に強張った。

「お前、まだあのトンカツ屋に行ってるのか?」

「はい、最近は忙しくて、でも時間さえできたら行ってますよ」

「もう、行かないほうがいい」と低い声で高橋さんは言った。

「なぜです?」

 高橋さんは話してくれた。

 それは、太平洋戦争末期の事。当時20歳だった高橋さんの元に赤紙が届き南方のレイテ島に派兵された。

 最初の頃は、武器、弾薬、薬、食料があったそうだが、時が経つにつれて湿気で銃は錆びてうまく作動しなくなり戦いにならない。弾丸、薬、食料の配給も少なくなった。

 そのうち食糧の配給もできなくなった。

 上官も同僚も部下も関係なく餓死する者が絶えなくなって指揮系統も無茶苦茶になった。アメリカ人やフィリピン人に殺されるより餓死する者のほうが多かった。

 高橋さんは当時、とても愛国心のある青年だったが、強烈な空腹から降参して捕虜になろうと思ったそうだ。

 しかし、ある兵士が「俺は降参する!」と叫んだ途端、上官がその兵士をライフルで頭を吹き飛ばした。それを見て高橋さんは怖くなり降参を諦めた。

 それから3日後、上官が森林から高橋さんが隠れいている塹壕に来た。上官は、なにか赤い30センチ四方のものを肩に担いでいることにきづいた。

「なんだよ。見てわからないのかよ。肉だよ。イノシシを見つけて撃ち殺した」と上官。

 なんで、イノシシを解体して持ってきたのだろう。塹壕で解体すればいいのにと思ったそうだ。

 でも、久しぶりのお肉だ。丸焼きにして食べたそうだ。これがクセのあるなんとも不思議な味だった。調味料もないし、イノシシを食べるのが初めてだった高橋さんは、イノシシてこんな味がするのかぐらいにしか思っていなかったそうだ。

 それから、1週間ほど上官が毎日塹壕にお肉を持ってきては仲間達とお肉を食べたそうだ。

 それからしばらくして、上官が運が悪いことに、尖った木の破片を踏んでしまい先端がブーツのソールを貫いて歩行困難になってしまった。

 今やイノシシ狩りの上官が歩行困難になると肉が食べれない。隊の全員が困った。というのもみんなイノシシをこの付近で目撃したものがいなかった。それにイノシシがいたとしてどう捕まえるか、そしてどう解体するか分からなかった。

 みんなに相談して上官にイノシシが出る場所をきいた。すると上官は「イノシシ狩りにはコツがいる。場所を教えたところでイノシシは見つからない。俺は足をやられているが、誰かが手伝ってくれれば大丈夫だ」と言った。続けてなぜか「高橋。お前が手伝え」と上官から指名された。

 次の日に高橋さんは右肩にライフルを担ぎ、左肩で上官を担ぐようにしてイノシシ狩りに出かけた。

 5月のレイテ島は高温多湿で汗が洪水のように出る。メガネがずれるは、レンズに汗が落ちて汚れ視界もわるいし、自分の体臭も気になる。それに上官の体臭も混ざって気持ち悪かった。

 塹壕から歩いて7キロほどしたところで「ここだ!」と上官が指を指して言った。指の先には、迫撃砲で開いた直径10メートルほど、深さ2メートルほどの穴があった。

 高橋さんは、その時汗でメガネがズレて、しかもレンズが汚れていたのでぼやけて、よく見えなかった。メガネを外して袖でレンズを拭いてメガネをかけなおした。

 高橋さんは背筋がゾッとした。ぽっかり開いた周りには大量の兵士の死体があった。もしかして、イノシシだと思っていたものは人肉だったのかと悟った。

「おい、このことは秘密だからな」と上官は笑いながら言った。

 高橋さんはパニックになった。気がつくと上官の腕を振り解き、突き飛ばして、今までにないくらいのスピードで走った。後ろから上官の叫び声と何発かの銃声が聞こえた。

 しばらく走ると急に頭がクラクラして倒れてしまった。そして、足に痛みを感じた。足を見ると血が出ている。あの時に撃たれたのだ。撃たれたことに気づくと猛烈な痛みが襲った。そのまま意識が飛んだ。

 気づくと高橋さんはアメリカ軍の捕虜収容所の治療室のベッドで目を覚ました。アメリカ兵にたまたま発見されて助けられたのだ。

 それから3ヶ月後、終戦を迎えた。

 高橋さんは俺に言った「実は、あのスペシャルトンカツなんだが、レイテ島で食べた肉に味がにていたんだ。なあ、お前。もうあそこには行かないほうがいいぞ」

 それから30年後。俺の中はスカスカになっていた。なんのメタファーでもない。CTスキャンをした時文字通り脳の中がアリの巣のように穴が空いていた。狂牛病と同じ症状だ。今はなんとか意識を保っているがいつ意識がなくなるかわからない。

 昔、パプアニューギニアでは人肉食の習慣がある地域があったそうだ。それが原因でクールー病になるらしい。まさしく狂牛病と似た症状になるそうだ。

 あの時、高橋さんの忠告を聞いていればよかった。だが、今でもスペシャルトンカツが食べたくて仕方ない。もう一度、完璧に脳が壊れる前にスペシャルトンカツを食べたい。



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